そこは「忘れ去られた被災地」だった

津波に押し流された岩手県・野田村で見たもの

2011.04.18(Mon)  烏賀陽 弘道

ウオッチング・メディア

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 「仮設住宅は5月末までに作る、と新聞に出てましたね。でも、仮設住宅は2年で出なきゃいけないそうですよね」

 阪神大震災では5年ぐらいはかかっていますよ。そう伝えると、晴山さんは少し安心した顔になった。

 火災保険に入っていたので、被災後に電話で問い合わせてみた。が、地震や津波では見舞金も出ないと断られた。仮に保険が下りたとしても1000万円まで、あるいは工賃の半分までだそうだ。ローンの残っている人は、つぶれた家の残債の支払いで消えてしまう。「この年になって、もうローンなんか払えない」という高齢者の悲痛な声が村長との話し合いでも出ている。

 仕事もできないから、収入も途絶えている。収入がなくても灯油(私が訪ねた日の最高気温は6度だった)やガソリンは買わなくてはいけない。

「一人でいると、悪い方へ悪い方へ考えてしまう」

 そして、一番の問題は、このまま元の場所に家を建ててまた住むのか、ということだ。もうここは安全じゃない、という思いが消えない。防潮堤は破壊され、村は海にむき出しになっている。一方で余震は続く。揺れるたびに、津波がまた来る、と敏感に思うようになった。

 「でかいやつがまた来たら、今度は?」

 「今度は事務所も押し流されるのでは?」

 「今度来たら、終わりだなあ」

 何かアルコールを飲まないと、しーんとして眠れない。

 烏賀陽さん、あんた今晩泊まるところある? 晴山さんは私の目をじっと見た。たまたま今夜から一人なのだという。

 「話し相手がいると、人の力というか、気がまぎれんだけどなあ。一人でいると、悪い方へ悪い方へ考えてしまって、落ち込むんだ」

 「60歳になって、さあ定年だ。奥さんと京都旅行でもしよう。そう思っていた人もおっただろうに」

 晴山さんは私が京都の出身だと知ってそう言った。他人の話のように語っているが、自分のことを言っているのだ。

 こんな過酷な惨事に遭った人をどう励ましていいのか、私は言葉に詰まった。京都旅行なんてすぐに行けますよ。私が案内しますから。そう言った。

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