電灯が消え、パソコンも消えた。防災無線の声が、電柱の上のスピーカーから「大津波警報が発令されました」とのんびり流れている。
大津波? 警報? 「大津波」とはただ事ではないな。そう思いつつ、まだ安心していた。防潮堤と鉄道、国道という二重三重の壁を越えて来るはずがない。そう思っていた。
歩いて自宅に戻り、80歳の母を逃がした。妻は盛岡市の病院に行って留守だった。上着を着て、イヌを連れ出そうとした時点で、黒い巨大な波が国道45号線を越えてバシャンとはねるのが見えた。その後も、「バケツで水をあけるように」次から次へと水があふれてきた。
「うわあ! 越えた!」
そう叫んで、高台にある鎮守の石段を必死で駆け上がった。いつもは息の切れる階段をどうやって駆け上ったのか覚えていない。
ゴミがひたすら流れ来て街をバリバリと押しつぶすのが見えた。眼下の大鳥居のもとを、流れてきた屋根や自動車が埋めていった。暖房用の灯油タンクがなぎ倒されたせいか、ひどく油臭かった。
今までも津波の警報で鎮守に避難したことはある。みんな「またか」と笑いながらおしゃべりをしていた。今は、誰も何も言わなかった。見慣れた街が濁流に押しつぶされていく光景に、声が出なかった。
重くのしかかる「これから先」の不安
弟と、一人帰ってきた息子と、事務所で寝起きしている。食事は村役場2階の避難所に行く。罹災証明書が出る、年金料の支払いが猶予になった、など村役場の情報はまず避難所に知らされるので、必ず顔を出す。近所の人の車に乗せてもらって、村内の国民宿舎の風呂に入りに行く。
何か必要なものがあれば、八戸で買って持って行きましょう。訪問する前に私はそう尋ねていた。
「そう言われても、ぱっと思い浮かばんです」
洗面具、下着、靴下、ティッシュやトイレットペーパーなど必需品は、支援物資で届くらしく、無償で配ってくれた。「さしあたってなくて困っているもの」が思い当たらないのだ。
不安なのは、もっと長期的な「これから先のこと」だ。
「ここにオフクロと息子夫婦と妻と、6人は無理です。風呂もないし」
晴山さんは事務所を見回した。
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