かつて親戚が自動車修理会社を経営していたという場所は、コンクリートの基礎が残る以外は、上屋がまったくなくなっていた。
「あれがこの会社の建物ですよ」
指差す先、はるか向こうの村の中心部に「南浜モータース」という字が見える。上屋がそのまま津波に1キロ以上運ばれたのだ。
晴山さんの自宅があったあたりに行ってみた。久慈出身の鍛冶屋だった晴山さんの父祖が引っ越してきて、4代目。「本家筋の長男」だ。
500坪の敷地に100坪以上の建て面積があった2階建ての和風の屋敷は、3メートル近い漂流物の丘になっていた。これもどこから来たのか分からないのだそうだ。
屋敷の裏にあった杉林が、かろうじて家のあった位置を教えている。
先ほどまで快活に冗談まで言っていた晴山さんが、自宅のあった場所に来たとたん、黙りこくってしまった。
「ほんと、なーんにもない」
そう言って、じっと漂流物の山を見つめている。
「つらい場所に連れてきてしまって、すみません」
私は詫びた。
「いや・・・もう・・・」
晴山さんは言った。目は笑っていなかった。
「・・・そういう段階は過ぎました・・・」
まさかここまで津波が来るはずがないと思っていた
3月11日は、地震と津波さえなければ日付さえ記憶に残らなかったであろう平凡な日だった。村営住宅の設計の追い込みのためパソコンに向かっていた。午後6時くらいまで仕事をして、家に帰って軽く一杯やってメシ食って。そんなふうに1日が終わるはずだった。
午後2時46分「生まれて初めて経験する」という揺れが来た。「あ、地震だ」と思ったら、ゆーらゆーらと次から次へと強くなっていく。不思議と棚のファイルや本は落ちなかった。
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