海と村の間には、防潮堤→防潮林→三陸鉄道の線路→国道45号線と幾重にもバリアが築かれている。車を止めて防潮堤の階段を下りると、71段あった。つまり海面からは20メートル以上は優にある。砂浜に立って、ビルのような防潮堤を見上げても、どうやったらこの穏やかな海がそんな高さを越えるのか、うまく頭の中で現実がつながらない。
堤防上の2階建ての民宿は洗われて骨組みしか残っていない。津波は、この堤防を軽く越え、反対側の山の斜面を削った。三陸鉄道の線路は海側から村側に押し流されてがれきに埋もれていた。
その猛烈な水圧は、コンクリートの防潮堤を割り、防潮林のマツの木をへし折った。津波は電柱も根元から折った。流木になったマツや電柱が波に乗って村になだれ込み、「トンボ」でグラウンドを整地するように家屋をなぎ倒していった。
阪神大震災との被害の「質」の違い
私は晴山茂美さん(60)の事務所を探した。工務店を経営する建築士さんである。携帯電話で、連絡が取れた。
私は阪神・淡路大震災の時を覚えていた。街が消えてしまうような徹底的な破壊なのだ。誰か「村があった頃」の話を聞かせてくれる地元の人を見つけないと、闇雲に現場に突入しても、がれきの荒野を前に、そこに住宅があったのか商店があったのかすら、分からないのだ。
晴山さんに連絡が取れたのはツイッターのおかげだ。八戸市にいたツイ友が、やはりツイッター仲間の、晴山さんの長男茂樹さん(33)に連絡を取ってくれたのだ。
晴山さんは事務所に悄然と座っていた。自宅は流された。弟は、自宅と経営する会社の事務所が流された。長男が生まれたばかりの息子夫婦は、借りていた住宅が流され、親子が帰る場所がなくなった。晴山さんの事務所だけが、30センチほどの浸水を受けながら、かろうじて無事だった。
「お前んとこは新築何年だった? 2年? この人も自宅が流されたです」
晴山さんは事務所で机に向かっていた親戚の男性に声をかけた。
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