発声練習

2011-03-31

[] 御用学者でしょうか

「安全ですか?」っていうと

「現状の放射性物質の降下量からするとただちに健康に影響はありません」っていう。

 

「ただちに?じゃあ、数年後には影響があるってこと?」っていうと

「確率的事象なので、すべての人がこれを由来としたガンになるってわけではない」っていう。

 

「安全かどうかだけが知りたいんだ!」っていうと

「多面的に情報を集めて自分で判断するしかない」っていう。

 

そうして、あとで

不安になって、

 

「あなたの言っていることは政府発表と同じじゃないですか!」っていうと

「現在、手に入るデータを解釈すると結果として同じになっているだけです」っていう。

 

御用学者でしょうか、

いいえ、専門家なら誰でも。

一つの指針

以下のエントリーの提案に賛成です。

レッテル貼りでなく発言の中身のチェックをで書いたとおり、レッテル貼りでなく、発言の中身をみてチェックするべきだと思いますが、発言内容が理解できず、どうしても不安になってしまうならば、適切なレッテルを利用して、情報を絞り込むべきです。

たとえば、原発業界御用学者リスト @ ウィキなどを例として、「あの発言はウソだ!デマだ!」といっている人は、普段はどんな良いことを言っている人でも、今に限り、信用しない側にえり分けて良いと思います。あのリストは基本的に「今の状況が安全であるなんて信用できない」という考えから、逆算して、その考えに反する発言をする人を御用学者としているだけです。

どうせ、内容をチェックしないなら、kikulog:地震・津波・原発についての信頼できない情報源kikulog:地震・津波・原発事故に関する信頼できそうな科学情報を参考にしたほうが良いです。

私の他に作ったこだまネタ

追記

パロディーにこういう注釈をつけるのは無粋ですが。

「ただちに」をどう考えたら良いのかについては以下をご覧になられたら良いと思います。

追記2:はてなブックマークコメントより

  • yu-kubo どうしてみんな,こう流行に乗りたがるのか,わけがわからないよ。(←お前もな)

私もQBネタで作りたかったです。でも、さっぱり思いつきませんでした。

  • T-3don 専門家の仕事は不安を打ち消す事じゃないしね。
  • amamako id:T-3don"専門家の仕事は不安を打ち消す事じゃない"じゃあ誰がそれを打ち消すのか、どのように分業を行っていくかが、震災以降の課題となっていく(というかもうなっている)のだろうな。

正しいデータおよび、検証可能かつ妥当と思われるデータの解釈を提示するのが専門家の第一義的な役割だと思います。いろいろな方がおっしゃっていますが「安全」と「安心」は違っており、「安全」であると説得されても「安心」できないことは結構あると思います。

このパロディーを「そうだよねぇ」と思う方の多くは、今回の件に関して「安心」を諦めている方じゃないかなと個人的に思っています。安全なところへ避難するコストと止まることによるリスクを比べ続けなければならない状況ですから、そもそも「安心」できるわけないです。

  • mad-p「御用学者」も結局はレッテル貼りなんだよな。自分で調べずにまるごと受け入れるかまるごと拒否するかのどっちかを選びたい心理なのか。リスクを0/1でしか考えようとしないのと同じ?

情報処理のコストを下げる方法としてレッテル貼りは悪くない戦術だと思います。自分の知識では、個々の発言の妥当性を判断できないと自分で認識した上で、発言者で発言の内容の妥当性を近似するという発想は、素直な発想だと思います。

ただし、この御用学者というレッテルはあまりにも粗雑に見えたので、このエントリーを書きました。実際に御用学者と呼ばれるべき人はいるんでしょうが、「チェルノブイリ以上の悪い状態」と言わない人たちは全員御用学者なんていう粗雑な基準じゃあ、発言者で発言内容の妥当性を近似する戦略をとった人たちにとって、あまりにもアレです。

  • wh_cm 本郷に住んでいる身としては、理学部工学部から人がいなくなってから慌てるのでもいいんじゃなかろうかと思っている。

良い判断基準だと思います。ただ、正常性バイアスにお気をつけください。

  • @htsujii 専門家なんて、ある分野で論文を1本書けば、世間的にはそう呼ばれる。むしろ、常識人であることの方が大事だと思う。

だからこそ、発言内容の妥当性で判断すべきだと思います。

  • @happylab まぁでも、確率論的事象を自分で考えろって言われても数学者じゃないし

これは、私の言葉の選択がいまいちという皮肉ですね。「確率的事象」という言葉を使ってすみません。

  • aoi-sora 自己決定、自己責任。その陥穽は、自己決定に必要な情報が十分かということと、確かな情報を読み解くための知識と技術が身についている必要があるということ。原子力工学のことなんて、普通は知らんよ。

おっしゃるとおりだと思います。だからこそ、自分から2〜3人介して、要な情報が十分かということと、確かな情報を読み解くための知識と技術が身につけている人にたどりつけるような社会が望ましいわけです。日本の教育システムに関する今の私の考えで書いた「高校と社会の間のギャップを埋める知識・技術を教育する機関」の必要性は、今回の状況で示されつつあると感じています。

  • elm200 御用学者じゃなければ「被曝量は社会全体で増えますから、被曝量に比例して将来、がんになるひとは増えますが、他の原因でがんになったひとと区別できません」っていうんじゃない?

言わないと思います。「メカニズムからすると被曝量に比例して将来、がんになるひとは増えると考えられますが、他の原因でがんになったひとと区別するのが難しいので、今のところ実際に被曝量に比例して将来がんになるひとは増えるかどうかは明らかではありません」と言うのだと思います。

実際には、統計的にがんが増えたのかどうかをチェックしているのだと思いますが。

  • ahmok 御用学者は政府発表のデータしか使ってないってこと。専門家なら独自にデータ集めろよ。つまり、御用学者(自称専門家)はアテにならないから、自ら専門家になりましょうという話にしか聞こえない。

間違い。資金と権力を持っていない専門家は、基本的に東京電力保安院発表のデータしか使用できていません。私も実験で訓練されていないので良く忘れますが、Googleキーワード入れたらすぐにデータ出るわけではないのです。

  • highAAA 「ただちに影響はない」「絶対に影響はない」どっちにしても不安になる一般人です。専門家の人が誠実なのは知ってる!自分で打ち勝つしかないんだよなあ。

「今、自分は不安である」と認めて、そこで終わりにするしかないと思います。不安なものは不安です。実際にスリーマイル島以上チェルノブイリ以下(今のところ)の歴史に残る原発事故は起きているのですから。不安に思わない方がおかしいくらいです。

abcabc 2011/03/31 16:55 良くも悪くも可能性の話しをするのなら、両方を伝えるという事は、研究を生業とする専門家(学者)の責務の一つだと思えてならないが如何なものか。

三段目に出てくる詭弁じみた論理展開は、意味不明。

“ただちに”の場合は、大丈夫だと話しておきながら、大丈夫ではない場合を示さないのは此如何に。
まさか、大丈夫ではない場合が、無いわけでもないのに。

丈夫だという言葉を主軸(誤認させるため)に話しているだけの詭弁や虚言に聞こえて仕方がない。

大丈夫では無いというを言葉を主軸に話しても同じ内容を話せるということになるのではないか。

next49next49 2011/03/31 17:34 abcさん

「ただちに」の部分がひっかかるのであれば、以下のエントリーをおすすめします。

 team nakagawa:放射線がカラダに与える影響には、2つのタイプがある
 http://tnakagawa.exblog.jp/15130220/

> 三段目に出てくる詭弁じみた論理展開は、意味不明。

というのは

>> 「安全かどうかだけが知りたいんだ!」っていうと
>> 「多面的に情報を集めて自分で判断するしかない」っていう。

という部分だと思いますが、別に詭弁ではありません。「安全かどうかは断言できない」ということを
言い換えているだけです。

> 大丈夫だという言葉を主軸(誤認させるため)に話しているだけの詭弁や虚言に聞こえて仕方がない。

どの部分がそう思えるのかを説明していただければ、私も何かお手伝いできると思います。

> 大丈夫では無いというを言葉を主軸に話しても同じ内容を話せるということになるのではないか。

このエントリーは「こだま」という詩の形式を用いて、Web上で目にする専門家と非専門家のやりとりの
パターンを私なりに抜き出したものです。ですから、別の方が別のパターンに着目したら、abcさんが
おっしゃるような視点で同じ内容を話せると思います。

abcabc 2011/03/31 19:09 A.話しの前提条件として、十人十色で通常時の健康状態や個体差を鑑みると放射線量や被曝時間がある一定量の場合は“ただちに”健康被害は無い。

と、さも大丈夫であるかのように錯誤・誤認させたいための論理展開をしたいように思えてならない。

これは、

B-1.話しの前提条件として、十人十色で通常時の健康状態や個体差を鑑みると放射線量や被曝時間がある一定量の場合は“ただちに”健康被害がある。

B-2.話しの前提条件として、十人十色で通常時の健康状態や個体差を鑑みると放射線量や被曝時間がある一定量の場合は健康被害が及ぶ可能性がある。

と同程度の内容でしかない。

任意の言葉(大丈夫)を浮き上がらせるためだけの言葉遊びでしかない。

本件のように、多くの人々の生命財産に深く密接する場合
学術的に厳密に論理立てて考える場合は「よく判らない」「推測の域を出ない」「データが不十分」であることは、そうにしても、所詮は大丈夫という事も「可能性の話」であることなら両方(大丈夫とそうでない)をするのが、個々人の判断材料ではないだろうか。

国民を騙す意図が無いと仮定しても、大丈夫というのが可能性の話でしかないのに片方しか言わないことに大きな疑問や不信感を抱いている元凶なのではないだろうか。


ごく個人的な独断と偏見では、テレビや新聞にでてくるような大本営発表は全くもって信頼に値しない。
為政者のイカサマの歴史そのままにしか見えない。

next49next49 2011/03/31 20:19 abcさん

なるほど、ご主張されている点わかりました。
「大丈夫」という言葉を使うならば、同じ程度に「大丈夫でない」という事実も述べないと
視聴者や読者の判断が狂ってしまうというご主張ですね。

そのような考え方もあると思います。

abcabc 2011/04/01 08:33 判断が狂う(結果論)のは、個々人の自由であり勝手である。

ただし、それは、その時点において無色透明(公正で適切)な判断材料を提供している事が条件となる。敢えてそれをしないというイカサマ(言葉遊び)が著しく信頼を貶めている。

歴史の通りだが。

こんなふざけた発表方法しか採らないから、世間の人々から直感的・直情的であれ、そっぽを向かれるのではないか。

考え方も何も報道や各種発表が偏向してる事をさも全うであるかのように擁護するなということ。

偏向を是認するのは、プロパガンディズムの容認。
税金の再配分で益を得ている利権の中にいるあんたが、批判・批評精神を捨てて公正さを追求せずに権力にすりより擁護する姿勢からして、所詮は、向こう側の人間か。

next49next49 2011/04/01 13:46 abcさん

私はabcさんに何を批判されているのかさっぱりわかりません。
一つ前の返答で「そのような考え方もあると思います」で終わり、私の意見を述べなかったのが
良くなかったのかもしれませんが。私の意見を述べなかったのは、abcさんのコメントがどうでも良い
ことを長々と述べていると感じたからです。

abcさんの二つ目のコメントの例は、まさに言葉遊びです。程度(量)の概念を無視した文ですから、
A, B-1, B-2はabcさんの主張とおり、同一のことを意味します。

ですが、まともな報道や専門家の解説には、常に程度(量)が提示されます。程度の高低によって、
「大丈夫」なのか「大丈夫でないのか」の片方だけを述べるのは別におかしな話ではないと思っています。
そして、程度(量)が提示された上で「大丈夫 or 大丈夫でない」という主観が提示されるからこそ、
私たちは判断ができるわけです。

程度(量)とそれらの程度と現在分かっている因果関係(しょうがない場合は相関関係)が重要であって、
「大丈夫」「大丈夫でない」の主観は、信用したい人が信用すれば良いのです。

abcさんが怒るべきは、個人の解釈である「大丈夫 or 大丈夫でない」にひきづられて、程度(量)を
意識しない人たちです。そんなふざけた情報解釈の方法しかしないから、いつまでたってもプロパガンダに
煽られるのです。

abcさんも何かの分野の専門家だと思いますので、わかっていただけるとと思いますが、専門家は常にその時点において
無色透明(公正で適切)な判断材料を提供できるわけではありません。対象の測定、測定結果の解釈、解釈に基づく
主観的意見の構築のどの段階においても、常にバイアスがかかります。有能かつ誠実な専門家ほど、バイアスを
取り除くように努めますが、まともな専門家は、どんなに努力してもバイアスが含まれてしまうという事実を認識しています。

だから、どのように測定したのか、どんな測定結果だったのか、どのように測定結果を解釈したのか、解釈と主観的意見の
区切りはどこかを明らかにすることが重要なのです。そして、こういう非常事態だからこそ、発表されている内容には常に
バイアスがかかっているということを認識しないといけないのです。

abcさんが気にしている「大丈夫を前面に出してていてフェアーではない」というのは、枝葉の話でどうでもよいことです。
重要なのは第一に程度(量)、第二にその程度(量)をどのように解釈したら良いのか(少なくともその分野における標準的
解釈は何か)、第三にその程度はどのように得られたのかという点です。

各種報道や発表が変更していることを見抜くことができている abcさんが、この混乱した状況において、非専門家が
どのように情報収集するべきかのガイドラインを作成し、広く公開してくださることを期待しています。

abcabc 2011/04/01 15:18 怒りは、無い。
そして当方は、西日本在住の名も無き自営業者。

こういう事に対しての寸感は、踊らす阿呆(政府・行政・マスコミ・企業など)と踊る阿呆に呆れているだけ。

自身の論で、程度の概念を無視したつもりは無い。再読される事を強く望む。

非専門家≒多くの一般的な人々 と考える。
この方々が、物事の判断をするにあたり、主観を重視するのか、客観を重視するのか。

えてして、主観を重視しやすい傾向にあるのだろう。
考えるための時間、知識、思考法。と多くの要因が薄弱である場合が多いのではないだろうか。

これは、個人的要因もあるだろうが、社会構成を鑑みるにある程度は、致し方ないのではなかろうか。本を読みモノを書き、考える事で生活できる人々と、毎日ボルトを締めたり他人の世話することで手一杯の人々とでは、どうしても考察の視点が違ってしまうのでは無いだろうか。

そして、この事は為政者やマスコミは熟知している。だからこそのプロパガンディズムである。
それであるからこそ、専門家などが、主観や解釈を語る時には、最悪の事態を想定する事が、肝要であると歴史が物語っている(水俣病問題、薬害エイズ問題、等など)。

非常時に生命を優先して施策を実行しても、何事もなければ笑い話で済む(ゴネ得狙いの賠償請求するバカは居るだろうが)。

片方の意味(大丈夫≒安心)に着目させた錯誤を狙う発表が、何を重視するとそうなるのか。

直情的に行動しがちな、その他大勢の人々からの怒りの矛先をかわすにはどうしたらいいのか、発表者の自己保身を最優先しているだけであろう。

個別具体的で生産的な労働を免除され、国民の信託を受け税金で活動している人々(原発にも税金)が、如何にして、その信頼に応えようかと努力しているようには、到底みえない。

どのように、情報を読み解くかのガイドラインよりも、発表者へのルール作りが先決。

客観的データ部分と主観的な解釈の発言を明確に分けて話すという事が第一歩か。明確であれ不明確であれ、とくに社会科学分野の事象を語ることにバイアスが生じてしまう事は全面的に同意するが、発言方法や発表手法に対しての提言は、なぜ提起されないのか。

言葉のマジックの強さと恐さと旨味をしっているからだろう。


これを以て、一先ず本件につき放言を終了させて頂く。
返答に感謝。

next49next49 2011/04/01 19:01 abcさん

結局、どういう発言方法や発表手法ならば良いのでしょう?

私の考える良い発言方法および発表手法は、普通の科学的、あるいは技術的発表手法と一緒です。
第一に程度(量)、第二にその程度(量)をどのように解釈したら良いのか(少なくともその分野における標準的
解釈は何か)、第三にその程度はどのように得られたのかという点がわかるように説明し、事実と主観を分けて
説明すればよいと思います。主観が問題を招くならば、主観を言うのを止めさせて良いと思いますが。

abcabc 2011/04/02 09:27 一つ前のコメントの再読を強く求める。

情報の受け手(その他の大多数の一般人)が、どのような集団であるか想定して話す事。
(錯誤や誤認をさせたい時には、想定しているから悪質)

そして、前提としてその人達の生命・財産を最大限(時に過剰でもよい)に守ることを念頭に置き行動規範する事。

主観が問題を招くのは、発信者にとって都合の良い情報を流す場合だけ(大本営発表)。

科学者(専門家)が、その時点において、解釈や主観なしには語れない事が多数である事を周知させる。


世界の基準と日本の基準とを比較して話す事。
人種的特性も考慮できるようにする事。

しつこく繰り返すが
発信者にとって都合の良い主観が問題を招くのである。


以上、最後と宣言しながら何度も申し訳ない。

melmel 2011/04/02 11:55 深刻な問題をパロディーで語るべきではないと思います。
あなたは、福島県に留まっている妊婦さんの前で、同じ事が言えますか?

next49next49 2011/04/02 15:27 abcさん

お答えありがとうございました。

abcさんの情報発信方法は、情報発信者の倫理観に依存するので、私はその方法が
良い方法であると思いません。

発信されている情報の何が発信者にとって都合の良い情報なのか、どれが都合の
悪い情報なのかを情報の受信者が知るのは非常に難しく、結局、「大丈夫 or 大丈夫でない」
という主観意見を信じて良いのか判断できません。

> 科学者(専門家)が、その時点において、解釈や主観なしには語れない事が
> 多数である事を周知させる。

> 世界の基準と日本の基準とを比較して話す事。

この二点は、私の賛同します。

abcさんの大前提は「一般の大多数の人は専門家の発言の妥当性を理解できない」
だと思います。ですが、この前提に立つ限り、政府、マスコミが発表する情報は、
すべて大本営発表と見なすしかなく、一般の大多数の人は、何の情報も得られません。

情報受信者が情報の妥当性について検討可能なようにデータの取得方法、データの
標準的な解釈を明確に含めた発表を発表者にさせるべきです。また、それにより、
専門家間の相互監視を行わせ、おかしな発言をする専門家がわかるようにするべきです。

「税金払っているのだから、そんな手間をかけさせずに信用できる情報だけ出せよ!」
と思うかもしれませんが、そんなこと言ってもしょうがないのが現実です。

next49next49 2011/04/02 15:34 melさん

> 深刻な問題をパロディーで語るべきではないと思います。

形式が問題でしょうか?内容についてはいかがですか?

> あなたは、福島県に留まっている妊婦さんの前で、同じ事が言えますか?

私が福島県にとどまっている妊婦さんに同じようなことを尋ねられたら、同じように
返事すると思います。むしろ、御用学者というレッテルを導入する人たちの方が、
正しい情報が必要な妊婦の方に害を与えています。

また、過剰な不安を与え、不安のせいで生活が送れなくなったり、精神状態がおかしく
なったりさせる人たちの方が、妊婦の方に害を与えていると思います。

melmel 2011/04/02 18:35 SPEEDIの分析を公表を遅らせてしまったのは、御用学者じゃなくても、誰でもそうなるとでも、言いたいのですか?
御用学者のレッテルは不当だから、俺たち科学者を信用しろと言いたいのですか?
苦労して育てた作物を廃棄している農家。足を棒にして赤ちゃん用の水を探し回っているお母さん。この人たちの苦労がなぜ分からないのですか?

「過剰な不安」と言いますが、今後の放射能汚染のリスクをあなたは予測できているのですか? 絶対に爆発せず、ベントをしても大丈夫とでも?
「西日本に逃げなくても、あなたの赤ちゃんは大丈夫」とでも、受け負えるのですか?

911テロの時は、「南塔は大丈夫だから戻って下さい」と安請け合いでアナウンスしたから、犠牲者が増えたのですよ。

next49next49 2011/04/02 21:57 melさん

このエントリーを全然読んでいらっしゃらないんですね。
御用学者のレッテルを貼ってもmelさんがおっしゃることは何も解決しません。
多方面の情報を収集し、自分でどうするかを判断するしか不安とともに過ごす方法はありません。

melmel 2011/04/03 00:38 エントリーを全部読んでますよ。馬鹿にしないで下さい。

あなたがやっていることは、レッテル貼りは不当だと主張しつつ、結局何も論じられないという結論に導いて、関係者の免罪を手伝っているだけです。
今回の事件で、SPEEDIや飯舘村の放射能をはじめ、東電や政府の情報開示には問題があったとは思いませんか?
原子力安全委員会などをはじめとする学者が情報とその解釈の権利を握り、政府や東電を振り付けているとは言えませんか?
爆発を「爆破弁の使用です」と言った学者は、なぜそう言わざるを得なかったのでしょうか。
私が仮に「不適切な学者」と表現しても、あなたが「それはレッテルだ!」と言うのなら、もはや何も論じられません。レッテル云々で煙幕を張られては、科学者達の行動についても議論できないし、ましてや安全に関する情報の吟味もできません。

「不安とともに過ごす」とは、体のいい言い分ですね。殊勝な風に、方針転換ですか。
パロディーやってて、あなたは不安とともに過ごしているとは思えないのですが。

next49next49 2011/04/03 13:17 melさん

> エントリーを全部読んでますよ。馬鹿にしないで下さい。

でしたら、私の主張が多方面の情報を収集し、自分でどうするかを判断するしか
ないであることを理解していただいていると思います。ですから、専門家のいうことを
まるごと信じろというのは私の主張ではありません。

> 今回の事件で、SPEEDIや飯舘村の放射能をはじめ、東電や政府の情報開示には問題が
> あったとは思いませんか?

問題があったと思います。

> 原子力安全委員会などをはじめとする学者が情報とその解釈の権利を握り、
> 政府や東電を振り付けているとは言えませんか?
> 爆発を「爆破弁の使用です」と言った学者は、なぜそう言わざるを得なかったのでしょうか。

情報不足だったり、勘違いだったり、無能だったり、保身だったり可能性は
たくさんあると思います。

> 私が仮に「不適切な学者」と表現しても、あなたが「それはレッテルだ!」と言うのなら、
> もはや何も論じられません。レッテル云々で煙幕を張られては、科学者達の行動についても
> 議論できないし、ましてや安全に関する情報の吟味もできません。

レッテル貼りをしないで、個々の発言や振る舞いについて批判すれば良いだけです。
私が危惧するのは、「御用学者とレッテル貼りをする=専門家を無条件で信じる」だから
です。melさんも何かの分野の専門家でしょうからわかると思いますが、専門家は常に
正しい発言をできるわけではないのです。その自分の分野の常識を他の専門分野にも適用して
欲しいから、このエントリーを作りました。結局は、自分で判断しないといけません。

誰が不適切で信用できないかについては、どんどん議論すれば良いと思います。
ですが、私が上で挙げた御用学者判定基準は粗雑で信用できないものだと思います。

> 「不安とともに過ごす」とは、体のいい言い分ですね。殊勝な風に、方針転換ですか。
> パロディーやってて、あなたは不安とともに過ごしているとは思えないのですが。

方針転換などしていません。結局、体裁が問題で内容は関係ないという話ですね?
melさんと同じぐらい私も不安とともに過ごしていると思いますよ。

abcabc 2011/04/03 17:48 再々、失礼する。

>>abcさんの大前提は「一般の大多数の人は専門家の発言の妥当性を理解できない」だと思います。

当然である。だからこそ専門家ではないのか。
今、自分が何が判らないかを一般人より広く深く理解しているのが、専門家の所以ではないのか。
科学的な知識や考え方について不勉強な人が多いことは、いつの時代でも自明であるが、専門家と同程度の{理解力+読解力+知識量=物事の判断の要}を求めるのは、無理難題ではないか。

本事件の各種発表や報道に限定しても、素人目にも胡散臭く薄汚い自己保身に満ちた悪質な匂いが漂ってくる気がしてならない。

もし、一般人が科学者・政治家・官僚に対して<最悪の事態を想定し生命財産を保全しようとし自己保身に走らないという倫理観>を希求しない事や、また、彼等がされたく無いのであれば、税金の使途に対し信託させている意味が見いだせないのではないか。

甘い綺麗事かもしれないが、お互いに、信頼関係を維持構築するようにしなければ、天動説の時代に逆戻りしてしまいそうだと思えてならない。

知識や知恵も水と同じく高いところから低いところへ流れるものだと思えてならない。

melmel 2011/04/03 23:14 このまま議論では、平行線のままになりそうなので、もう書きません。

私の希望としては、以下のニュースを、各人が認める範囲内でよいから、事実として受け止め、国難を乗り切る考えて欲しいということだけです。

SPEEDIに懲りず、気象学会とやらが、放射能データ公開自粛の圧力をかけている。
現代社会ですらこのような「大本営発表」はある。誰かの体面を保つためにまずいデータを伏せるのだ。それを陰で支えている科学者は、現にいる。彼らのことを「御用学者」と呼称する。

科学界は清廉潔白だから、御用学者のレッテルに当てはまる人などいないという幻想は、科学者の自己弁護ではないのか? 日本の大学の学者は無私無欲で公平中立ですと、なお言えるのか?
現実主義に立って社会を見れば、御用学者だらけである。こう書くと、なんだか文春、新潮、赤旗みだいだが、実際そうなのだ。

この国難を、彼らの手に任せたままで良いのか?
官邸は、国内の専門家に見切りを付けて、米仏に指図されることにした。日本はまた子供扱いされた。

next49next49 2011/04/04 01:34 abcさん、melさん

御用学者判定がどうしても必要でしたら、それをお手伝いできるチェックリストを
つくりました。よろしければ、ご利用ください。
http://d.hatena.ne.jp/next49/20110403/p2

bonjourbonjour 2011/04/11 19:32 はじめまして。話題の「御用学者」で調べているうち、こちらに辿り着きました。

ある学者が「御用学者」と呼ばれる訳は、ブログ主さんが仰る「あの発言はウソだ!デマだ!」ではなく、むしろ学術的見解を述べた後、それについて「安全」と強調するが故だと思うのですが・・・

例えばブログ主さんがご紹介されている中川教授に関しては、確率的影響についてTVでも当該ブログと同様の趣旨をお話されます(そこまでは私は納得します)。しかし・・・その後「だから安全です(安心です)」という言葉が付く訳です---そもそも「0.5%の上乗せ」が正しいか否か、そして安全と判断するか否かは、それこそブログ主さんの言葉をお借りすれば「多面的に情報を集めて自分で判断するしかない」我々のはずです(実際、我々は自分の病気の治療法に関して、そうしています)。

そして学者が「安全です」と答えるのはTVキャスターが話の帰結として「安心か否か?」の二分法で尋ねるからです---そこで、学者が「私の個人的見解としては・・・」とか何とか注釈を加えてくれればひとつのご意見として理解できますが、それがないから「あー、この話はそもそもから"安心"を与えるためのストーリーね・・・」と判断されてしまうわけです。

あとついでながら、ブログ主さまが作成されたチェックリストは「検証可能な意見を述べる学者を判断するチェックリスト」であって「御用学者判定チェックリスト」ではないと思います。「御用学者」という日本語の定義からして。

next49next49 2011/04/13 00:34 bonjourさん

私は基本的に御用学者かどうかを考えるのは無意味だと考えています。
ある学者が御用学者かどうかを判定する能力があるのならば、その学者がまともな
ことを言っているのかを調べる方が効率が良いと思うからです。

> あとついでながら、ブログ主さまが作成されたチェックリストは
> 「検証可能な意見を述べる学者を判断するチェックリスト」であって
> 「御用学者判定チェックリスト」ではないと思います。

はい、そのとおりです。御用学者かどうかを判定するなんて一般市民にとって困難な
ことをするよりも、より明確に検討が可能な「検証可能な意見を述べる学者」を判断する
ことの方が有意義だと思い、あのチェックリストを作りました。

> そして学者が「安全です」と答えるのはTVキャスターが話の帰結として「安心か否か?」の
> 二分法で尋ねるからです---そこで、学者が「私の個人的見解としては・・・」とか何とか注釈を
> 加えてくれればひとつのご意見として理解できますが、それがないから「あー、この話は
> そもそもから"安心"を与えるためのストーリーね・・・」と判断されてしまうわけです。

なるほど、そのように解釈できるのですね。私は、学者が言う主張は基本的に、その人の
個人的見解だと受け止めていたので、否定的にはとらえていませんでした。

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