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きょうのコラム「時鐘」 2011年4月18日
奈良の東大寺が、銀行から借金をして被災地へ1億円を贈るという。祈ることと寄進すること。宗教の持つふたつの意味を考えさせる義援金だった
1200年以上も前、奈良の大仏建立が計画された時にも、ふたつの課題があった。ひとつは巨大な仏像の体に塗る大量の「金」が当時の日本にはなかったこと。もうひとつは肝心の建設費用が足りなかったことである そこへ、東北から大量の砂金が採れたとの報告が来た。次いで越中砺波の豪族が、巨額の寄進をすることになった。2大難問は一挙に解決して、奈良の大仏は誕生した。今回の東大寺の義援金は、その時のお礼だという 1100年以上も前の「貞観地震(869年)」の大津波記録が注目されている。原発事故は千年単位で学ぶ、防災史の教訓を無視したから起きてしまったともいわれる。今震災は科学万能の風潮の中で消えかかった歴史教育の大切さも教えた 砺波の豪族の寄進も、元をただせば農民たちの汗の結晶である。巨額献金は偉大だが、被災地の人々を思い続ける「鎮魂」と「ささやかな寄進」の力も忘れないでおきたい。 |