事件【東日本大震災】F2、防空の要所復活へ、奮い立つ松島基地+(2/2ページ)(2011.4.17 21:47

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【東日本大震災】
F2、防空の要所復活へ、奮い立つ松島基地

2011.4.17 21:47 (2/2ページ)
津波で被害を受けた松島基地のF2戦闘機復帰へ向け、整備作業が始まった=17日午前、宮城県東松島市(鈴木健児撮影)

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津波で被害を受けた松島基地のF2戦闘機復帰へ向け、整備作業が始まった=17日午前、宮城県東松島市(鈴木健児撮影)

 空自幹部も「『地上分散・空中集中』が航空作戦の鉄則。平時に戦闘機部隊を置いていなくても、有事では松島基地は要所だ」と指摘した。松島基地ではF2を練習機として使っているが、有事の際は支援戦闘機として投入されるからだ。

 

地べたをはう隊員

 昼どきに基地内を歩くとがれきを集め、機材を洗う隊員があちこちにいた。食堂で昼食をかきこみ、とんぼ返りしてきたのだろう。

 救助、給水・炊き出し、不明者捜索-。震災発生以降、隊員は被災者支援に全力を注ぎ、基地の修復は後回しにした。例外として最優先で取り組んだのが滑走路の復旧だった。泥や流木を除去し、2本ある滑走路のうち1本は震災3日後には離着陸が可能となった。

 16日午前5時半、復旧後初めて着陸したのは米軍輸送機だった。嘉手納基地(沖縄県)から来た特殊部隊はここから仙台空港の復旧調査に向かった。

 基地近くの「大曲市民センター」。通路をのぞき込むと若い隊員が黙々とヘドロを集めていた。

 民生支援や不明者捜索に投入されているのは、全国から集まってきた応援の空自隊員だ。基地本来の所属隊員は1100人で、応援部隊も1100人。所属隊員が基地機能の復旧に専念できる態勢を敷いた。応援部隊は志願制で士気も高いが「地べた」の活動に慣れていない。くぎを踏みけがをする隊員も相次いでいる。

 夕方、基地の体育館に入った。応援部隊の居住スペースだ。すし詰め状態で簡易ベッドがずらり並ぶ。隊員はチューブに入った「パック飯」を食べていた。

 外に出ると、つぼみをふくらませた桜の木の前を幟(のぼり)を持った隊員が横切った。「千里同風」。世の中がよく治まっているという意味のこの幟は全国の基地に配られているという。全空自隊員が一丸になっていると確信した。

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津波で被害を受けた松島基地のF2戦闘機復帰へ向け、整備作業が始まった=17日午前、宮城県東松島市(鈴木健児撮影)
津波で被害を受けた松島基地のF2戦闘機復帰へ向け、整備作業が始まった=17日午前、宮城県東松島市(鈴木健児撮影)
津波で被害を受けた松島基地のF2戦闘機復帰へ向け、整備作業が始まった=17日午前、宮城県東松島市(鈴木健児撮影)
松島基地を含む航空自衛隊全基地に配布された「千里同風」の幟=15日午後、宮城県東松島市(鈴木健児撮影)
松島基地周辺の大曲地区では、今も自衛隊による行方不明者の捜索活動が続いている=宮城県東松島市(鈴木健児撮影)
松島基地周辺の大曲地区では、今も自衛隊による行方不明者の捜索活動が続いている=宮城県東松島市(鈴木健児撮影)

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