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2011年4月15日 (金)

相談に

 午前中、古和田幸雄後援会長にご挨拶に行き、今後のことについてのご報告と相談をさせていただいた。

 その足で、福知山の谷垣事務所へ。お礼を言い、今後のことについて相談させていただいた。4月30日の任期が始まると同時に、秘書としての役割は退かせていただくことになった。

 夜は、並松町自治会の新年度初の役員会。今年度、もう1年、体育部長をさせていただく。

 選挙では、並松町自治会のご推薦をいただき、たくさんの方々にお世話になったので、ご挨拶させていただいてお礼を申し上げた。

 皆さんに「良かった、良かった」と喜んでいただけた。この選挙を通して、自治会員同士も親密さがさらに増したように感じた。

 並松町には《納涼祭》がないので、8月21日の《地蔵盆》を子どもだけでなく、大人も参加できるイベントにしようという提案が若い方々からあり、とりあえず今年できる範囲でやってみようと自治会長さん方にも言っていただいた。

※選挙のどさくさで、デジタルカメラがどこかにいってしまった。どこかから出てくるとは思うのだが…。しばらく、味気ないブログになりますが、申し訳ありません。

2011年4月14日 (木)

アイデアと情報

 先日、旧友と電話をした。信州で温泉旅館を経営している彼から、綾部の観光客増加策について、良い情報をもらった。

 彼の町でも、その手法で近年、観光客を増やしてきたそうだが、この震災でキャンセルが相次ぎ、大打撃を受けていると嘆いていた。

 今日は、まちづくりの仕事をしておられる広告会社の方とお出会いした。どこの自治体も悩みは共通している。

 東日本大震災による原発事故。今後のエネルギー政策を考えていくと、人口の分散を図る国策が必要だということが分かる。
 地方への人口誘導を行わなければ日本はもたない。

 『思いは見えないけれど、思いやりは見える…』、最近よく流れている公共広告機構のCMは、企業がスポンサーになって費用負担いるそうだ。
 TV局が減収覚悟で震災に配慮して流しているのかと思っていたが、そうではないようだ。

 企業側も「丸々、広告料を請求されるのはおかしい」と主張し、TV局、広告会社、企業の間で費用負担をめぐって、もめているらしい。

2011年4月12日 (火)

当選証書

 府議選の当選証書を受け取りに行きました。

 新たに就任された木村学中丹広域振興局長からいただきました。

 林田悠紀夫先生の本の取材をしている頃、木村局長は秘書課長をしておられて、当時から面識があり、今日も覚えていただいていました。

 大江町のご出身ですので、京都北部のさらなる活性化のために、協力して頑張りたいと思っています。
Img_1261 Img_1262  夕方は選挙事務所の撤収作業をしていただきました。

 事務所周辺のご挨拶もさせていただきました。

2011年4月11日 (月)

皆様のおかげで

 選挙戦が終わりました。皆様のご支援のおかげで、勝利をすることができました。

 終わったばかりで、全てを総括するのは難しいですが、9,494票という得票数が「苦心(94)、苦心(94)」に見えました。

 この4年、選挙準備が始まった半年、そして選挙戦の9日間。多くの皆様の「苦心」の結果だと思っています。
Dsc_0096  選挙で訴えさせていただいたとおり、山崎市長とのコンビで、綾部のさらなる発展を目指します。

 ご期待に添えるようしっかり頑張ります。

 引き続きのご支援をどうかよろしくお願い申し上げます。

2011年3月31日 (木)

最後まで、一生懸命に頑張ります。

 明日から、いよいよ選挙戦に突入します。

 多くの方々に準備をしていただき、戦いの舞台を整えていただきました。ありがとうございました。

 この4年間、本当にお世話になりました。すべての言葉や体験が、自らの血となり、肉となりました。

 自分ひとりで闘っているのではなく、多くの皆さんと共に闘った4年間でした。人に恵まれ、人に助けられ、苦しくも楽しい4年間でした。

 4年前に再挑戦を決意したとき、現職相手の厳しい選挙になるのは承知していました。

 綾部市の将来のためにも、今度は決して負けられません。

 最後まで、一生懸命に頑張ります。ご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。

2011年3月29日 (火)

原点

 毎日、朝から夜まで、たくさんの方にお世話になって、選挙の準備や挨拶回りを行っています。
 人手も資金も潤沢にあるわけではありませんが、《誠実な心》で結ばれた一体感で活動ができていることに感謝しています。

 励ましや提言、ご指摘のお手紙、メール、電話もいただいています。ありがたいことだと思っています。

 昨日、下記のメールをいただき、心強い気持ちになりました。

綾部に来て3年。仕事や地域活動を通じて、いろんな噂を耳にすることに、まず、驚きました。
 
 ある面で言えば「地域住民の地元行政や活動グループに対する関心が、とても高い」という好評価になるでしょうし、悪く言えば「足の引っ張り合い」「政策より政局」「徒党を組んで、数の論理や自己主張の競い合い」とも見えます。

 そうしたなかで、源太郎くんに対する陰口も耳にしました。
 僕としては、「和して同せず」「是々非々」で臨むのみと心を決めて、過ごしてきました。

 そして、あの総決起集会。そして、普段の源太郎くんの言動に対する僕の直感。
 この3年間で耳にした、陰口にはとらわれないと、結論を出しました。

 僕も地域活動をやっていると、いろんな人がいろんなことを言う、立場によっては敵対視してくる人もいます。
 源太郎くんは、僕の何十倍もの活動をしているから、誤解や身に覚えの無い噂もたくさんあることでしょう。

 ぜひとも、この戦いは勝ち抜いてください。

 僕も、京都府と綾部、北近畿、仕事につけ地域活動につけ、かかわりをもち、私利私欲ではなく「地域貢献、社会貢献」で臨んでいく所存ですので、ぜひ、協力してやっていきたいと考えています。


 生まれて37年。綾部で育った15年。Uターンしてからの13年。選挙に出てから4年。

 短期間で自分のことをたくさんの人に知っていただき、理解までしていただき、応援をしていただくというのは、容易なことではないと思っています。

 しかし、一人一人、ひとつひとつに、真面目に、誠実に向き合って、たとえ時間がかかっても、一歩一歩進むことに心がけてきました。

 「源太郎の生き方や政治スタイルは変えることができないし、変えなくても良い!」と先日、久しぶりに出会った洋伯父から言われました。

 「ただ大事なのは、自分でその生き方や政治スタイルを忘れないことだ。ステージが上がった時、人は《原点》を忘れてしまう。《原点》さえ忘れなければ、何事も最後にはうまくいく」と教えてもらいました。

 あと数日、人との信頼を大切に、誠実にやりきるだけです。

2011年3月19日 (土)

総決起集会

 四方源太郎後援会の総決起集会を中丹文化会館で開催していただきました。約1000名の多くの方々にお越しいただきました。

 山崎市長、二ノ湯参議院議員、西田参議院議員、谷垣総裁(代理)、高倉推薦議員団長など多くの皆様から激励のご挨拶をいただきました。

 若者代表で4名の方々にも心のこもった力強いアピールをしていただきました。

 最後は北原青年部長のガンバローで締めくくっていただきました。

 これからが本番!頑張ります!

2011年3月17日 (木)

メディア公開討論会

 今日の午後、あやべ市民新聞社とFMいかる主催による《府議選予定候補者 メディア公開討論会 綾部の明日を語る!》に出席させていただきました。

 すでに立候補表明をされている現職府議(民主党推薦)と社民党公認の新人の方との3名での討論となりました。

 内容については、3月21日(月・祝)から、あやべ市民新聞紙上やFMいかる放送(3月21日14時~ 再放送あり)インターネット放送などでも配信される予定です。

 当初は70分と聞いていましたが、50分ほどで終わってしまったので、農業と観光を組み合わせた新しい農業振興策のことや北部産業技術支援センターの活用、鳥獣害対策などについては触れられませんでしたが、こういう討論会は選挙前だけでなく、日ごろからやると面白いのではないかと感じました。

 初めての体験で、思うように話せなかったところもありますが、こういうことも一つ一つ勉強だと思いました。

 私が訴えさせていただいたのは…

「綾部市の将来像について」
◎人口減少に歯止めをかけて、反転上昇を目指さなければならない。
◎綾部市は人と自然が豊かで、魅力と可能性のある町
◎北近畿で唯一の《高速道路の交差点》、鉄道の分岐点である《京都北部の玄関口》
◎フロンティアの福祉移送サービスが“日本一”になったボランティア精神豊かな市民性
◎グンゼの創業もそういった市民パワーの結晶だった。
◎私たち若い世代が積極的にまちづくりに参加し、綾部の魅力と可能性をさらに高めたい。

「雇用対策」
◎市民新聞の紙上討論会で、国産部品工業の落合社長が「京都とつながる高速道路があるということで立地を決めた」とおっしゃっていた。
◎やはり、一刻も早い高速道路の全面開通が綾部の魅力を高めることになり、雇用増にもつながっていく。
◎京都府には予定通りの開通を強く要望していきたい。

「綾部市の防災対策」
◎消防団員として12年間活動している。
◎23号台風のときは避難所となった綾部小学校で受け入れを担当した。その際に《情報》の重要性を認識した。
◎綾部には幸いにもFMいかるという独自の情報発信源がある。この機能をしっかりと高めることは重要。
◎避難所となる学校や公共施設の耐震化も重要。
◎谷垣秘書になった当時、谷垣代議士は党政調会長だった。当初、木造校舎は国の耐震補助がなかったが、綾部からの働きかけで、自民党が政府に要望し、木造校舎にも耐震補助を出してもらえるようになった。
◎木造校舎の耐震化も進める必要がある。

「トステム撤退後について」
◎現在も工場跡の持ち主はトステム。しかし、府民の税金を投入した工業団地でもあり、放置してはおけない。
◎国・府・市が一体となって、トステムに事業の復活もしくは他社への早期譲渡を求めていきたい。
◎現在は、国・府・市の連携がうまくいっていない。ぜひ、府市協調してこれに取り組みたい。

「綾部高校の進学率向上について」
◎検討委員会の皆さんと懇談させていただき、いろいろなご意見を伺った。
◎中高一貫校の話も出ていたので、市民の皆様の議論の中でそれを進めたいということになれば、私も共に協力したい。
◎一方で、現在の綾部高校の進学指導に対して、フロンティアが運営している《あやべ若者サポートステーション》でも、進学指導できる人材がいる。こういう外部の人材も受け入れて、さらにきめ細かい進学指導を行うことも必要なのではないか。この件でも、校長先生にお話しに行きたいと思っている。

「住環境について」
◎市街化調整区域内での建築基準緩和など、都市計画の問題は実情に合わせた対応を京都府にお願いしたい。
◎府営住宅の入居希望者の抽選は、井倉新町団地が10倍、西町団地が6倍と大変高い。
◎しかし、府は綾部市内に新しい府営住宅を建設するつもりがない。南部にはまだまだ府営住宅を建設するという。
◎南北の人口格差を縮めるためには、北部の政治家がもっとしっかり京都府に訴えなければならないと思う。地方の叫びをしっかりと府に伝えられる政治家になりたい。

2011年3月13日 (日)

冷静な判断を!

 東北・関東が津波と地震で、大変大きな被害を受けた。具体的被害が次々と明らかになっており、心からのお悔やみを申し上げたいと思います。

 新しい街宣車を用意して、今週末から市内を回す予定にしていたが、しばらく自粛をさせていただくことにした。挨拶回りや会議、事務作業などは進めますが、朝夕の辻立ちなど、マイクを使ってやることは数日様子を見て、控えようと思っています。

 綾部市内にも、ご親戚やご友人が被災地やその周辺におられる方もあります。。

 山崎市長も、すぐに救急車や救命士の派遣を指示されたそうだ。民間でも支援人員を送られたところがある。まったく他人事ではない。

 原発などが被害を受けた東京電力は節電を呼びかけ、電気の確保に懸命だ。

 一方で、『関西からも関東に電気を送るので、ぜひ節電を!』という“チェーンメール”も回ってきている。
 節電自体は悪いことではないが、調べてみると、直接的にこれが関東や東北の支援につながるということではないようだ。

 関西電力のHPには次のように書いてあります。

○このたびの東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。

○当社はお客さまへの安定供給を維持した上で、11日夕方から、電力各社協力しながら融通可能な範囲で最大限の電気の融通を行っております。[注]

○なお、今のところお客さまに特別に節電をお願いするような状況にはなく、当社名で震災に関連してお客さまにチェーンメールを送ることはございませんので、ご注意ください。

[注]東日本と西日本では、電気の周波数が違います。従って、関西電力の電気を東日本に送るには、周波数を変換しないといけません。この周波数変換施設の容量は上限が決まっております。

 最初は僕も信用しそうになったが、こういう“チェーンメール”を回すことによって、安否確認や支援活動のための連絡がとりにくくなってしまうため、皆様にも冷静に対処していただけたらと思っている。

 枝野官房長官が自ら、こういった“チェーンメール”を追認するような声明を発してしまっているのは困ったことだ。

 節電を全国民に呼びかけるというのは、自らの説明能力がないことを晒しているようなものだ。意味が分かっていない蓮ホウ大臣をわざわざ特命大臣にしてみたりして、本当に今の内閣は弱い。

 菅首相の原発視察への対応によって遅れた1時間が、水素爆発につながったという指摘もある。

 責任ある立場にある方々は、人気取りに右往左往せずに、被災者のことを第一に考え、希望が持てるような支援策を考えてあげてほしい。

 この際、《こども手当》を被災地への支援財源に回したらどうかとも思う。
 家も車も家財道具も仕事道具も全部失ってしまった方々に、国としても渡せるだけのものを渡してあげてほしいと思う。

 綾部市も義援金集めをされると思います。
 信頼できるところへできる限りの善意を集め、現地の支援につなげてもらうのが、今、必要なことだと思います。

2011年3月 6日 (日)

采女稲荷神社

 午前中は、綾部八幡宮の脇にある『采女稲荷神社』の祭典に参列した。
Dscf3434  総代さんや地元自治会長さん方には、いつも大変お世話になっており、お誘いいただいた。
 お参りに来られる方がたくさんあり、境内でご挨拶やご紹介をしていただいた。

2011年3月 3日 (木)

充実感

 昨日は「“早起き会”(実践倫理宏正会)の“増強日”だから」とお誘いいただき、朝5時に例会場へ行った。
 若い女性の方々が順番に、自らの体験や決意をていねいな言葉遣いで語られて感心した。

 日中は一日、東八田地区の挨拶回り。吉崎進市議にお世話になり、足が棒のようになるくらい、一緒に歩いて回っていただいた。

 今日は木下芳信議長にお世話になって、西八田地区の挨拶回りをした。晴れたり、雪になったり、雨になったり、曇ったり…めまぐるしい天候の変化の中を一緒に歩いていただいた。

 途中、ある企業を訪ねて、従業員の方々にお話を聞いていただいた。
850  「会社として誰を応援するということはないけれども、綾部の町や京都北部を良くするために、いろんな候補予定者の話を聞いて、一緒に考えたい」という大変ありがたいお申し出をいただける経営者の方々にお世話になって、本当に貴重な機会を持たせていただいている。

 お話をさせていただくのが、とても楽しく、充実感がある。

2011年3月 1日 (火)

新しい力

 先週は、豊里、中上林、奥上林、東八田で地区支部集会を開催していただき、山家では5会場でミニ集会を開催していただいている。
 地区支部集会は支部の役員にご就任いただいた方を中心に集まっていただいているのだが、多くの方々にご参加いただいており、大変ありがたい。

 こないだの日曜日は、朝から消防団の実火災想定訓練に出た後、並松町の歓喜稲荷神社の祭典に出席し、午後は奥上林の《古屋自主応援組織・古屋でがんばろう会》の設立総会に参加した。

 “とち丸”という新しいキャラクターも決まり、京都の華頂短期大学人間健康福祉学科の秋山道男教授が代表に就任いただいて、古屋の様々な行事や村仕事の手伝いに、京阪神の若者や有志の皆さんを投入しようという画期的な試みだ。

 綾部市内各地を挨拶に回っていても、農村部の過疎高齢化は著しく、今後、5年先10年先の状況は本当に危惧される。

 誰が田んぼや畑、山林を守るのか?川や水源を守るのか?伝統文化や神社を守るのか?雪かきをするのか?等々…。

 都市部の大学生やサラリーマンなど、新しい人手を投入する仕組みを作らなくてはならないと思っていた矢先に、こういう先駆的事例に出会えて、大変心強い気持ちになった。

 古屋の渡邉和重自治会長さんからお礼の電話をいただいたので、さっそく僕も《古屋でがんばろう会》に入会を申し出させていただいた。

 その夜は、山家の上原町で上原・下原・下替地の合同ミニ集会を開催していただいた。

 上原町では、るんびに学園の藤大慶理事長にご紹介いただいた龍谷大学の金子龍太郎教授が最近、古民家を購入された。
 金子先生は、《こども村》構想などを研究しておられて、実地研究の場所として、いろいろな展開を考えていただいている。

 以前に地元の林国治自治会長をご紹介し、「龍谷大学の学生が山家で『やな祭』などの行事を手伝ってもらったり、地域づくり・村おこしに協力していただければ…」と先生にお願いをしてある。先生は「自分にできることは何でも協力する」と意欲を燃やしていただいている。

 様々な人の力を綾部に結集させたい。
Dscf3423

2011年2月21日 (月)

熱意

 今日は午後から、波多野文義市議にお世話になって、中上林地区の挨拶回りをさせていただいた。
 これまで3日間かけて、川北淳後援会副会長にもお世話になって、ようやく中上林地区をほぼ全戸回ることができた。

 夜は、大槻敏郎支部長、高倉武夫市議にお世話になって、豊里地区の集会を開催していただいた。多くの皆さんにお集まりいただいた。

 小畑で農業をしている西山和人くんが応援演説をしてくれた。

 「僕は農業の二世、源太郎さんは政治家の二世。二世は幼い頃からその世界にいるので、政治的なセンスが養われていると思う。農業も政治も、経験と自らの能力や技術のみで勝負していくところが似ている。自分も30代前半でまだ若く、農業の世界では経験不足と言われて、話を聞いてもらえないこともあるが、農業にかける強い熱意は持っている。源太郎さんの今日の演説からも、政治にかける強い熱意を感じた。4年前も鍛冶屋公会堂で応援演説したり、頑張って応援したが、今度こそは必ず勝たせたいと思っている」と力強く、自分の素直な言葉で呼びかけてくれ、感激した。

 会場からのご意見では、「源太郎くん、谷垣代議士の秘書であるキミが負けるというのは、キミだけの政治生命の問題ではない。谷垣代議士は京都5区の“顔”だ。京都5区全体に傷をつけることになる。もし、負けることがあれば、荷物まとめて家族揃って、京都5区から出て行く覚悟でやれ!そのときはワシも一緒に出て行く!」とハッパもかけていただいた。

 後援会青年部の皆さんにもたくさん応援に来ていただき、ありがとうございました。

2011年2月19日 (土)

あっという間に

 あっという間に一週間が過ぎる。

 ここ2週間は夕方のスーパー前にも立つようにしている。朝と同じように、青年部の皆さんにお世話になって、一緒に立っていただいている。
Dscf3259  支部集会も様々な形で、各地で開催していただいている。
Dscf3320  政治というのは、怒鳴りあいをするのではなく、話し合いをして進めていくものだと思っている。

 まずは役員の皆さんを中心にお話をさせていただいている。

 2月21日(月)19:00~、栗町公民館で、豊里地区集会を行います。どこの地区にお住まいの方でもご参加いただけます。お時間ある方は、ぜひお越しください。

 今日は宮津に行き、京都測量設計業協会の府北部会員の方々の勉強会で、ご挨拶と意見交換の時間をいただいた。
 府北部の5名の自民党公認候補予定者を協会顧問の宮津の多賀先生に紹介していただいた。

 自民党のネットワークを活用して、北部が一つにまとまり、発展を目指していきたい。

2011年2月11日 (金)

建国記念

 今日は祝日だったが、朝、街頭に立った。

 午後は、「建国記念の日を祝う京都北部府民の集い」に参加した。福知山のサンプラザ万助で行われた。

 元陸上自衛隊福知山駐屯地司令の佐藤正久参議院議員もお越しになっていた。
Dscf3233  「集い」の実行委員長は、日本会議京都北部支部の後藤堯支部長が務められた。
 後藤支部長は出雲大社巌分詞の分詞長を務めておられて、僕もお世話になっている。今日も力強い励ましをいただいた。

 記念講演は東海大学の山田教授が尖閣諸島と中国問題について語られた。

 やはり民主党に任せておくと、日本は滅ぼされてしまうと感じた。

2011年2月10日 (木)

必死に

 昨日の党首討論。菅首相が執拗に「消費税増税の議論に乗れ」と谷垣総裁を挑発していた。
 消費税増税の話をするならば、その前に自らのバラマキ愚策を元に戻して、もう一度選挙だろう。最近の菅首相は、見ていると気持ち悪くなってくる。

 小沢氏一人、除名すらできない。自信のない弱いリーダーだ。

 「谷垣秘書の源太郎くんが負けると、京都北部全体に悪影響を及ぼすんだよ。絶対に負けてもらったら困るから、我々も必死で応援する」と丹後出身で綾部在住の方に励ましていただいた。

 今日は街中を挨拶に回ったが、留守宅が多かった。

 夜は、ある企業を訪ねて、お話を聞いていただいた。若い方が多かったが、約40分真剣に聞いていただいた。
Dscf3221

2011年2月 9日 (水)

青年部の皆さんと一緒に

 後援会青年部の皆さんにご協力していただいて、朝や夕方の街頭宣伝活動も行っている。
Dscf3198 Dscf3207  四年前の選挙でも青年部の皆さんには大変お世話になったが、後援会全体とうまくかみ合わなかった部分もあった。
 四年前の落選直後、30名ほどの同世代の皆さんが集まり、励ます会を開いていただいた。「このまま負けたままでは終われない。ゲンチャンが再度戦おうと決意するなら、また集まるから」という力強い励ましのおかげで、この4年間を乗り越えてこられたと思っている。
 今回は問題点を修正し、青年部が主体となった活動を展開していただいている。

 綾部市内を21に分けた支部も、それぞれに組織固めに取り組んでいただいている。現職相手の厳しい選挙であり、相当しっかりとした組織づくりをしなければ戦えないと皆さんが真剣に取り組んでいただいている。
Dscf3192  ミニ集会も開催していただいている。

 個人宅でお知り合いを集めていただくこともある。
Dscf3215  挨拶に回っていても、「今度こそは!」と多くの皆さんにおっしゃっていただく。

 自分でも、これが最後のチャンスだという覚悟で戦っている。

2011年2月 4日 (金)

聖地

 連日、あいさつ回りや様々な会合、イベントに行かせていただき、たくさんの方々にお世話になっている。

 朝の街頭演説には、先日から推薦議員団の皆様が交代で参加していただけるようになった。与党会派11名の皆様に推薦議員団を結成していただき、お世話になっている。

 会社などへ訪問させていただき、ご挨拶の時間をとっていただくこともある。朝礼や休憩時間、わざわざ時間をとっていただくことなど、経営者の方々のご好意でお話をさせていただいている。
Dscf3164  昨日、今日は志賀郷の茗荷祭、筍祭に行かせていただいた。
 茗荷祭がある阿須須伎神社の境内は雪がたくさん積もっていた。
Dscf3172 Dscf3180 Dscf3176  福岡から、小松さんという方がお越しになっていた。
 ロシア語翻訳の仕事をしておられるそうだが、ご自身の家紋が“抱き茗荷”であるということで、茗荷にゆかりのあることを調べておられるそうだ。

 以前に、どこかのお寺の数十年に一度のご開帳で観られた曼荼羅に茗荷と竹笹が配置されていたので、綾部の志賀郷で茗荷と筍のお祭が二日連続で行われるというのは、鼻血が出るほど嬉しいイベントだそうだ。「ここは聖地です」とおしゃっていた。

 大本の節分大祭で市内の宿泊施設がいっぱいだったので、わざわざ福知山に泊まられて、二日とも来られていた。

 神社でのご挨拶で、「目に見えないものを形にして、観光客アップにつなげていきたい」とお話させていただいた。

2011年1月30日 (日)

第10回あやべ寄席

 午前中はイベントの顔出しに誘っていただいた。屋外でのイベントで寒かったが、青空が広がり、気持ちの良い朝だった。

 昼からは、あやべ寄席だった。10年前に始めて、綾部での恒例行事として定着した。今回も満席となった。
Dscf3136 Dscf3153  ローターアクト、市社協、ふるさと綾部の老人を守る会、いかるがの郷、あやべ福祉フロンティアに加えて、今年からあやべボランティア総合センターにも実行委員会に加わっていただいた。

 NEXTメンバーやアクトOBの皆さんにも実行委員会に加わっていただいている。一般の方にも実行委員会に参加していただきたいと思っている。

 今年は忙しくて、ほとんど会議にも出れず、段取りは他の皆さんに全てお願いしたが、バッチリと実行していただいた。

 プロ囲碁棋士の中野泰宏くんにも津軽三味線を今年も披露していただき、今年は結婚をするという嬉しいニュースも届けてくれた。

 聖マリア音楽院の子ども達も、おばちゃん先生の突然の悲報を乗り越え、素晴らしい歌を聞かせてくれた。涼子は歌えなかったが、初舞台を踏めた。

 ゲストでお越しいただいた笑福亭三喬さんは、さすがにベテランの風格で、皆さんを魅了して大いに笑わせていただいた。三喬さんは実は第1回目のゲストだったが、風邪で喉をつぶして、当日、代わりに師匠の松喬さんに出演していただいたという思い出がある。

 打ち上げでは、あやべ寄席の“言い出しっぺ”保坂くんと実行委員会の裏方をずっとしてもらっているボラセンの田中さんと桂三扇さんとで、綾部に落語文化をさらに広げて、今後も継続を図るためにも、次は『こども落語教室』を企画しましょう!と話し合った。

 人前で話す能力や舞台度胸、人を笑わせることは、子どもにとっても良い影響があるだろうと思っている。うちの子たちにも、ぜひやらせたい。

 あやべ寄席から、有名お笑いタレントを生み出せればという夢も持ちつつ、これからも継続していきたいと思っている。

2011年1月29日 (土)

連日

 連日、後援会役員の皆様方にお世話になって、会合を開いていただいたり、あちこちお引き回しをいただいている。

 「今度こそ!上がって下さいよ」と、多くの皆様から励ましていただく。

 この4年間におかけしたご迷惑、いただいたご恩、ご期待に報いるためにも、一生懸命頑張らなくてはいけない。

 今日は奥上林の老富町へ入った。屋根の雪は1メートルほど積もっていた。奥上林の皆さんは雪下ろしに励んでおられた。

 家はすっぽりと雪に覆われていた。

 おばあさん独り暮らしなどになると、雪下ろしどころか雪かきもなかなかできない。そういうところへの支援も考えなくてはいけないと思う。

2011年1月23日 (日)

米田さんの訃報

 今年は雪がよく降る。また、寒い。お世話になっている方の訃報も多い。

 土曜日は、米田信さんの葬儀に参列した。

 正暦寺の総代さんとして、ユニセフ京都綾部友の会の評議員会議長として、日中友好協会の会長として、市社協の元会長さんとして、大変お世話になった。

 11月頃に、出馬表明前のご挨拶に伺った時はお元気で、「表立ってはなかなか動けんけど、今度はしっかり応援するで頑張ってくれ!」と握手して励ましていただいた。

 その後、11月下旬に正暦寺の合同役員会で推薦を決めていただいた時にも、握手して激励していただいたが、その時は今から考えれば心なしかお元気がなかったようにも思う。

 入院しておられたのも全く知らなかったので、玉川さんから突然連絡があって、本当に驚いたと同時に、落胆した。

 1月28日には毎年恒例の正暦寺・不動明王大祭がある。

 護摩木をダントツでたくさん集めておられて、警察や行政との渉外を一手に引き受けられ、大祭の陣頭指揮に当たられた米田さん不在での大祭は、本当に寂しい。

 葬儀の翌日が大祭の準備日だった。もちろん、米田さんの姿はない。
 いつもなら、「おお、ゲンチャン。忙しいのに、よぉ来てくれた。おおきに」と笑顔で迎えていただけたのに…。

 米田さんは父と市議同期で、僕ら兄弟は子どもの頃、議員野球の練習によくついて行っていた。
 「あの、チョロチョロ球拾いしとった子がこんなに大きくなるんやで、ワシらも年とるはずやわ」とよく笑っておられた。

 葬儀には本当にたくさんの方が来ておられた。米田さんの幅広く豊かな交友関係がよく分かった。

 心からご冥福をお祈り申し上げます。

2011年1月16日 (日)

雪の中で街宣

 朝7時から予定されていた並松町自治会ソフトボールチームの初練習は、大雪のため中止になった。

 11時半から13時まで、市街地で街頭宣伝活動を行った。大雪の中、また休日にも関わらず、後援会青年部の皆さんに一緒に立っていただいた。
Dscf2959 Dscf2960 Dscf2998 Dscf3002 Dscf3017  15時からは、舞鶴の霊友会館で霊友会の新年会に出席。
 京都北部の自民党公認候補として、宮津の多賀先生と共にご挨拶をさせていただいた。
 雪を見越して早く出発したら、予定より1時間早く着いてしまったが、その分、IIC京都の炭谷会長さんともお話ができ、「選挙は一票差でも勝たんとアカン。今度こそ、絶対頑張れよ!」と励ましていただいた。

 夜も集会にお招きいただき、いろいろとご意見を聞かせていただいた。

 夜も、雪がどんどん降り積もっていた。

2011年1月15日 (土)

かるた大会

 綾部地区公民館主催の『綾部百人一首かるた大会』に参加した。大本の長生殿で行われた。

 小源太に「かるた大会に行くか?」と聞いたら、かるたが好きな小源太は喜んでついてきた。
Dscf2921  初めての参加だったが、中学生の男の子も大騒ぎで札をとっていて、活気のある楽しいかるた大会だった。
 小源太は、少し年上のお兄ちゃん達に交じって、かるたをたくさん取っていた。
Dscf2923 Dscf2926 Dscf2927  夜は、両丹新聞連合会(会長:勝方努両丹日日新聞社長)の新年互礼会に出席した。
 両丹企画も関係会社として、毎年お招きをいただいている。

2011年1月14日 (金)

涼子が一人で

 昨日、涼子が音楽院に見学に行った。
 内弁慶の涼子が、一人で上がっていって、4歳、5歳のお兄ちゃん、お姉ちゃん達とすぐになじんで遊んでいたそうだ。
 ものすごく楽しかったようで、「また、来てね」とお姉ちゃん達に言ってもらうと、「明日も遊んでね」と言えたそうだ。

 そして、今日から、涼子は音楽院に通い始めた。

 弁当を持って行くのが楽しみで、「お肉を入れて。葉っぱは入れないで」と注文をつけていたそうだ。

 今日から一人で行くようになって、光くんからは、うちの嫁さんのところには寂しげな涼子の写真が送られてきていた。
201101141131001 201101141149000  家では世話焼きの涼子が、お姉ちゃん達に世話を焼いてもらって、楽しみだったお弁当を全部食べ、おやつを食べ、歌を唄って楽しく過ごせていたそうだ。

 嫁さんが迎えに行くと、「なんでどっか行ったん?」と聞いていたそうだが、「明日も行く!」と張り切っていたそうだ。明日は音楽院は休みだが…。

 僕が21時頃に家に帰ると、いつもはなかなか寝ない涼子が一人だけ、ぐっすり寝ていた。疲れていたんだろう。

2011年1月13日 (木)

力強い励まし

 高橋輝後援会の役員総会に出席させていただいた。山崎善也市長も参加され、盛大に開催された。
 輝くんからは、「4年前の市議選出馬の際、大変悩みました。しかし、源太郎くんと一緒に綾部の政治に関わりたい、一緒にまちづくりがしたいという思いで決意しました。これからも同世代として、一緒に頑張っていきますので、源太郎くんへのご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます」とお願いしてもらった。
Img_3466  僕も挨拶をさせていただいて、綾部市と京都北部の発展にかける思いを述べさせていただいた。

 「今度こそは、絶対頑張れよ!」「相手は現職やで、前回よりも厳しいぞ!」と皆さんから力強い励ましをいただいた。

 ありがとうございました。

与謝野入閣

 与謝野馨氏が民主党政権に合流し、入閣するという。

 民主党政権は、結局、増税路線に向かうのだろう。「予算の組み換えで財源を捻出する」と大騒ぎで事業仕分けをしておいて、「財源がないので、消費税の増税を!」と言い、法人税は減税する。

 あれだけマニフェストの組み換え、論理のすり替えを行うのなら、解散・総選挙でもう一度、国民の信を問うのが憲政の常道だろう。

 今の中央政治は本当におかしい。権力を維持することや自己保身のことばかり考える政治家ばかりだ。

 今春の統一地方選挙では、旧態依然とした政治に終止符を打ち、地方から新しい政治を創り出すスタートになるような結果を出したい。
 私たち若い世代が奮起しなければならないと思っている。

 地方の良識で、ゆがんだ政治を正したいと思います。

2011年1月10日 (月)

ゑびす大祭

 朝から雪。8時に熊野新宮神社へ行く。

 ゑびす祭の甘酒接待の当番を務める。今年から、並松商工会の会長になっていて、甘酒の仕込み準備や運営を行わせていただいている。
Dscf2897  甘酒接待は並松商工会の最大にして唯一の事業でもある。

 並松商工会長として、祭典では玉串奉奠をさせていただいた。
Dscf2909  祭主の由良源太郎先生が、「綾部のパワースポットを観光に活かそう!」という話をされた。大いに賛同できるお話だった。

 昼、青野町囲碁クラブの新年会に少し顔を出して、ご挨拶させていただいた後、葬儀に参列した。

 ゑびす祭に戻り、夕方まで甘酒接待をした後、片付けて夜は並松商工会の総会。今年の反省をしながら、昨今の社会情勢など、いろいろとお話をさせていただいた。

2011年1月 9日 (日)

成人式街宣

 葬儀の後、後援会青年部の皆さんのご協力を得て、成人式に向けた街頭宣伝行動に行く。

 おばちゃん先生が「私のことより、源ちゃんは自分のことをしっかり頑張りな!」と背中を押されるような気持ちで、中丹文化会館下とアスパ前で街頭宣伝をさせていただいた。

 夕方からは消防団の新年会。自治会長さんやOBの皆さんとも交流し、楽しい新年会だった。

弔辞

 朝、7時20分集合で、消防団の出初式に参加する。今年から屋内での出初式になった。

 いろいろ意見はあるだろうが、個人的には、分団の出初式くらいは屋外でも良いのではないかと思う。

 葬儀に参列するため、市の出初式は欠席した。
 おばちゃん先生の葬儀に参列し、喪主の光くんからの依頼で、弔辞を読ませていただいた。多くの方がお別れにお越しになっていた。

弔辞

 後藤やよひ先生、おばちゃん先生、こんなにも突然にお別れが訪れるとは全く予想もできませんでした。いまだに信じられない気持ちで、この場に立たせていただいております。

 私の父と先生の亡くなられたご主人吉行さんとが本当に仲良しで、ご長男の光三さん、次男の光くん、末っ子の明星くんと私たち兄弟の年も近く、まるで一つ家族のように、大変親しいお付き合いをさせていただいてきました。私たち兄弟も、実の子のようにずっと先生に可愛がっていただきました。

 いつも大きな声で、明るくお元気だったおばちゃん先生。昨年暮れのユニセフ忘年会にはお孫さんの向日葵ちゃんと一緒にお越しになり、にっこり笑顔で「源ちゃん、頑張りなよ」と握手して励ましていただいたのが最後になりました。

 私は今日が生まれて初めての弔辞でございます。その弔辞が先生に向けてのものになるとは思ってもみませんでした。本当に悲しくさみしい想いでいっぱいです。

 しかし、先生はきっと「源ちゃん、しっかりやってーよ」と笑って、背中をポーンと叩いていただいているのではないかと思っています。先生のために、最後までしっかり述べさせていただきたいと思います。

 一月五日の夜、突然の訃報をお聞きし、急いで聖マリア音楽院に駆けつけました。先生が心から愛し、情熱をそそいで教育しておられた音楽院の子どもたちのたくさんの絵や工作に囲まれ、まるで眠っておられるかのような、本当に安らかなお顔を拝見しました。

 机の上にはおそらく喜んで何度も読み返しておられたのでしょう、教え子の皆さんからのたくさんの年賀状が置いてありました。「勉強に部活にたいへんですが頑張ってます。今でもやっぱりピアノを弾きますが楽しいです。私が音楽が好きになれたのも、先生にピアノを教えてもらったからだと思います。ありがとうございました。これからもずっとヨロシクお願いします」とかわいらしい字で、先生への感謝の言葉がつづられているものばかりでした。

 音楽院の大家さんはじめ、井倉町自治会六組の皆様のあたたかいご厚意により、亡くなられた日から、昨日この斎場に入られるまで、ご家族や教え子、ご友人に囲まれ、音楽院でゆっくり休むことができた三日間は、一生懸命働いてこられたおばちゃん先生にとって、最後の最高に幸せな日々ではなかったかと思います。

 先生は、昭和四十六年に聖マリアピアノ教室を開設され、昭和五十四年からはご主人と共に聖マリア幼児音楽院を立ち上げられました。ご夫妻はおじちゃん先生、おばちゃん先生と多くの子ども達に慕われ、綾部の幼児教育、音楽教育のために尽くされた人生でした。

 私の長男も二歳から五歳まで音楽院でお世話になり、昨年、無事、卒園させていただきました。先生は、子どもに対しても、ダメなことはダメと厳しく叱り、良いことをすればスゴイスゴイと徹底的に褒めていただきました。

 市民合唱祭やおさらい会の前の猛特訓は、三歳、四歳の子どもには本当に厳しかったようで、朝、「音楽院に行きたくない」と言うこともありましたが、音楽院に行くと先生が「おはよう、小源太くん、よく来たねえ」と大きく両手を広げて抱きしめて迎えていただきました。

 先生のあたたかく厳しいご指導のおかげで、物おじしない豊かな表現力を身につけさせていただいたと感謝しています。

 先生は音楽院の子ども達を連れて、福祉施設を訪ねることにも積極的で、多くのお年寄りの方々に大きな感動や喜びを与えていただきました。

 名誉や地位や利益を全く求めることなく、ただひたすらに家族を守り、綾部の子ども達の教育とコーラスの発展に尽くされた先生の訃報を知り、「綾部の大きな損失ですね」とおっしゃった方がありましたが、まさにその通りだと思います。

 こうして、先生のふくよかな笑顔の前に立つとき、お名残惜しく、想い出を語り始めるといつまでも時間が過ぎていきます。

 しかし、いよいよお別れの時が近づいて参りました。おばちゃん先生がいつも音楽院で子ども達に教えておられたお祈りで、最後のお別れをしたいと思います。

 神様、今日一日、みんなが元気でありがとう

 音楽院に、新しい良いお友達が増えますように

 綾部の町が良い町になりますように

 おじちゃん先生、おばちゃん先生、天国から私たちをお守りください

 もう一度

 おじちゃん先生、おばちゃん先生、天国から私たち、みんなあをいつまでもお守りください

 私は、これからも光三さん、光くん、明星くんと兄弟同様に協力し合い、先生が遺された音楽院のため、心から愛された綾部市のため、子ども達の幸せのために頑張ります。

 天国でごゆっくりお休み下さい。心からご冥福をお祈り申し上げ、お別れの言葉とさせていただきます

 ありがとうございました。本当にありがとうございました。

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2011年1月 8日 (土)

自民党府連新春懇親会

 数日、挨拶回りなどで忙しく過ごす。
 夕方、おばちゃん先生の顔を見に、何度か音楽院へ行った。小源太や涼子、温二郎もお別れに行った。他にもたくさんの子どもやご友人の方々が訃報を聞いて、お別れに来ておられた。

 8日は朝から、高倉さん、まりこさんと自民党京都府連の新年互礼会に京都市内へ行った。
Dscf2892  谷垣総裁も来られて、力強く挨拶をされた。
 府議選候補予定者も壇上に上げていただき、紹介をしていただいた。綾部でも、自民党の議席奪還を必ずや成し遂げたい。

 夕方、おばちゃん先生が音楽院から、斎場に向かわれるのをお見送りする。

 夜はお通夜に参列した。250名ほどの本当にたくさんの方が参列された。