きょうのコラム「時鐘」 2011年4月17日

 子どものころ、たわいない言葉遊びに興じた。「大坂城を造ったのは誰や」「豊臣秀吉」「違う。大工や」

言わずもがなの揚げ足取り。瑞龍寺や兼六園を造ったのは宮大工や庭師だが、前田の殿様の名を知らなければ歴史は楽しくない。「造る」のように、大ざっぱでも通じる言葉がある

それでも、3・11以来、私たちは言葉遣いに心を研ぎ澄ますようになった。「頑張れ」は「共に頑張ろう」に変わった。力を与えたい、と言ったスポーツ選手が「力をもらった」と述懐する。上から目線は聞き苦しく、恥ずかしいことがよく分かった。「想定外」の乱発も、被災者には責任逃れに聞こえよう

言葉には重みがある。それだけに、先ごろの復興構想会議で出た多くの言葉には驚かされた。創造的な復興。全国民的な支援と負担。明日の日本への希望となる青写真。空疎な美辞麗句がどれだけ被災地の力になるというのか。震災後も言葉をもてあそぶ為政者や指導者がいるとみえる

復興すれば、誰もが問うことになる。「再建したのは誰や」。「住民たち」は言わずもがな、為政者の名が何人挙がるだろうか?