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東日本大震災:福島第1原発爆発 官房長官は苦肉の対応

東京電力福島第1原発の1号機(左)。爆発前は右の建屋と同じ外観だった=福島県大熊町で2011年3月12日午後3時55分、本社機から貝塚太一撮影
東京電力福島第1原発の1号機(左)。爆発前は右の建屋と同じ外観だった=福島県大熊町で2011年3月12日午後3時55分、本社機から貝塚太一撮影

 政府が東京電力福島第1原発の爆発事故を発表したのは、発生から2時間10分後の12日午後5時46分だった。枝野幸男官房長官は現地の状況を十分に把握できないまま記者会見に臨み、放射能漏れが起きている可能性を前提に「万一の場合に備えたヨード等の準備もしている」と冷静な対応を呼びかけた。しかし、爆発が起きた場所が原子炉建屋だったのかどうかや、爆発前後の放射性物資の濃度など必要情報はこの時点で提供されず、政府の対応に疑問も残した。

 政府が福島第1原発に原子力緊急事態宣言を発令した11日夜の時点で、原子力安全・保安院は「バッテリーが持つのは最低で8時間。すぐに冷却水がなくなり、炉心の燃料が傷つくわけではなく、1日ぐらいの余裕はある」と説明していた。

 冷却装置の復旧に必要な電源車の調達が間に合わなければ、炉心溶融につながる可能性も認識されていたものの、ただちに放射能漏れが始まる状況ではないと判断。そのため、まずは「半径3キロ圏内」の住民に避難を指示し、12日朝に「10キロ」へ、同日夜には「20キロ」へと段階的に拡大した。同様に冷却装置が破損した福島第2原発には12日朝、宣言を出したうえで同日夜までに「10キロ」に広げ、大量の住民が一斉に避難を始めるパニックの回避を狙った。

 緊急事態宣言の根拠法が制定されるきっかけとなったのが、99年に茨城県東海村で起きた核燃料加工会社JCO臨界事故だ。このときは政府対策本部の設置までに10時間以上かかり、対応の遅れが批判を浴びた。今回は防衛省も原子力事故に備えた初動対応をとり、福島第1原発の緊急事態応急対策拠点施設「オフサイトセンター」には12日昼過ぎまでに、陸上自衛隊中央即応集団の中央特殊武器防護隊(大宮)から40人が到着。除染車6台、化学防護車4台も現地入りした。

 防護隊はNBC(核・生物・化学)兵器に対処する自衛隊の専門部隊で、前身は95年の地下鉄サリン事件、99年のJCO事故で出動した「第101化学防護隊」だ。陸自のポンプ車2台が第1原発で冷却水を入れる作業に当たっていたが、爆発発生後は中止。防衛省は「けが人はないと聞いているので、爆発時は作業をしていなかったのではないか」としている。

 爆発の起きた12日午後3時36分、菅直人首相は首相官邸内の大会議室で与野党党首会談の最中だった。「未曽有の国難」(菅首相)を乗り越えるための与野党協力をうたう場になるとみられたが、会談は決裂。危機的な被災状況と、与野党の政治駆け引きとのギャップを浮かび上がらせた。【樋岡徹也、犬飼直幸、青木純】

毎日新聞 2011年3月12日 20時25分(最終更新 3月12日 22時08分)

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