この日は4時45分に起床して、やや遅刻気味の仲間と合流し、東京都練馬区の会社に6時過ぎに集合した。
現場は江東区北砂の空き地で、この日は厄介な場所から出てきたコンクリート構造物を、協力会社から依頼されて撤去する作業をしていた。
作業自体は機械の性能も良くて、予想より順調に進んでおり、丸一日かかると言われていた仕事は、午後二時過ぎにはおよそ先が見える状態に至っていた。
ただ、トイレの無い現場でもあったので、少し歩いて近くのコンビニに行き、トイレを借りながら皆のお茶を買って戻る時、まず最初におかしなものを見た。
現場から200mほどの場所にある、改修中の公団マンションが、妙に霞んで見える。「水蒸気でも充満しているのか?」と思うような、もやめいた、霞がかった感じだ。
しかし、目を凝らしてよく見ているうちに、それが気のせいだと思えた。
そして現場についてすぐに、それは起きた。非常に周期の長いゆっくりとした揺れに、まず思ったことは、「ここが震源地から遠い」という事だ。
だが、それでこの大きな揺れは、未曾有の大地震を思わせた。
「まずい!この揺れはまずいぞ!」
とりあえず、慌てて建物の近くに行こうとした仲間を空き地の真ん中に呼び、そこでしゃがんで状況を見る。
現場に止められた二台の2tトラックは、見えない巨人が揺らしているように、安い映画のパニックのシーンのようにリアリティ無く、激しく揺れている。
現場の横の少し高いマンションは目に見えて数十センチ以上もの揺れ幅で揺らいでいるし、電線は見た事が無いくらい暴れている。
子供の頃に宮城県沖地震を体験したが、この揺れはあれとは桁が違った。
「関東大震災か!?」と現場やその周囲の人々が言っていたが、この周期の長い揺れは、ここが震源ではない事を意味している。
ただ、もしもこの巨大な地震が引き金になって、関東大震災を引き起こしたら?と考えると、五感を研ぎ澄まして、今のうちに全てを考えておかなくてはならない。
ところが、揺れがなかなか収まらない。このままチェーン・リアクションが発生すると言うのが最悪のシナリオだが、そうなったら最初に自分の身を守らなくてはならない。
とりあえず、運良く場所がいい。倒壊に巻き込まれないのは大きなアドバンテージだ。
と、そんな事を考えている間に少し揺れが収まったが、それでも小さな揺れが何度も続いた。
とりあえず、キリのいい部分まで仕事が終わっていたので、片付けをする。
と、近所の人々が出てきた。口々に今の揺れと、「また地震だ!」という話になる。家にいる事に不安を感じた人々が出てきたのだ。
その中に、「家の二階からやっと出てきた」という、90歳の一人暮らしのおばあちゃんがいた。おばあちゃんは異常な揺れが続いた事にすっかり不安を感じて、この空き地が安全そうだと思ったらしく、「ここにいさせてもらえませんか?」と言ってきた。
「どうぞ!」と言っているうちに、また長く大きな揺れがやってきた!おばあちゃんはトラックにつかまろうとしたが、トラックだってすごく揺れている。
「こっちにつかまって!」おばあちゃんは自分の左肩につかまったが、しゃがんでいても不安定になるようなすごい揺れが続いた。
ようやくまた揺れが収まると、何か勢いの良い水音が聞こえる。周囲を調べると、隣のマンションの貯水タンクから、激しい勢いで水が流れ出していた。
(これは応急的に水だけは止めた)
とりあえず、近くで倒れた建物は無いようだが、小さな地震が続いている。
こんな地震は経験した事が無い。
大きな機械のケースを重ねて、おばあちゃんの座る場所を作ると、仲間と共に片付けに入った。
おばあちゃんは「すいませんねぇ」と言いながら、近所の人が持ってきた毛布に包まり、ちょこんと座っている。
空を見上げると、北に異常な黒い雲が出ている。
「多分震源地はここから相当遠く。ここでもこれほどの揺れでは、震源地はどれ程の被害かわからない。多分、場所はここより北だと思う。雲がおかしい」
「情報を確認したら、地震の様子を見ながら、混む前に帰ろう」
しかし、揺れがまだまだ続いている。これは異常事態だ。
宮城の家族に連絡を取ろうにも、携帯はもう繋がらない。とりあえず、公衆電話の回線なら大丈夫なはずなので、まず宮城の実家と、千葉県の親族の家に電話をかけた。
まず、宮城は誰も出ないが、電話は普通に呼び出し音が鳴る。
倒壊などは心配してはいないものの、これで、「電話機や電話線が断線した状態にはなっていない」とわかる。
次に、千葉県の親族宅は無事につながり、安全を確認できた。
とりあえず、さっきのが本震であればいいのだが(そうだろうとは思っているが)、情報が無い事には迂闊に現場も離れられない。
携帯のワンセグをオンにて、そこからの情報に釘付けになった。
震源地は東北。やはり、遠くで、北のほうだった。とりあえず、自分の読みが合っていたのはいいが、あの揺れでは未曾有の津波が来るのではないか?と思えた。
都内の被害状況もわからない。
自分の家に関しては、江東区のこのあたりでそれほど倒壊している建物は無いのだから、心配は要らないと思えた。
もともと、極めて地勢のいい場所にしか住まない主義なのだ。震災に建築業者がダメージを受けていたのでは話しにならない。
と、どうも近所が騒がしくなり、レスキュー隊や消防車、救急車などが駆けつけ、騒然とし始めた。
後でわかったことだが、地震でこぼれた劇薬を吸引して亡くなった方の現場だったらしい。
その後、余震もやや収まり、おばあちゃんも自分の家に戻ったので、仲間と共に練馬の会社目指して出発したのだが、
丸八通りから明治通りに変わったあたりで、凄まじい渋滞が起き始めていた。
やむなく地図を見て、2tトラックにはいささか狭いような抜け道ばかり使ったが、結局こんなものは焼け石に水だ。
電車が止まったせいで、まるでお祭りのように都内に人が溢れている。「これは歴史的な瞬間だな」そんな事を考えながら、抜け道につぐ抜け道と、焦ったドライバーからの「貰い事故」に注意を払いつつ、練馬の会社にたどり着いたのは午後10時になろうとしていた。
現場は午後5時前に出たから、およそ5時間の長旅という事になる。
ここの社長と地震や都内の状況、明日の仕事その他について話した後、今度は仲間と共に千葉に向けて出発した。
「多分これは、何百年に一度とか、そういう地震じゃないかな?」
「これほどの地震であれば、半年は大地震に備えたほうがいいと思う」
そんな話をしながら、千葉県内の拠点に着いたのは、もう午前二時を過ぎていた。
こんなに長く、理不尽な運転をしたのは久々だ。
会社の、仲間のバイクは倒れてもいなかったし、部屋に入ると、1/100MGケンプファーが倒れていたくらいで、別段被害は無い。
おそらく、大変な事になるな・・・。しかし・・・。
考えても仕方が無いのと、明日も仕事があるかもしれないので、眠った。
いや、心の中に様々な物が現われていたから、眠らなくてはならないという事と、長時間の運転で疲れていたことがありがたかったのだ。
こうして、震災の一日目は終わった。
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