2011年4月6日10時48分
日本文学研究で知られるドナルド・キーン米コロンビア大名誉教授(88)が4月末で教壇を去ることになった。今後は住まいを東京に定め、念願だった著述専心の生活を始める。
3月の震災後、かつて何度も訪ねた中尊寺や松島など東北の名勝がどうなったか気が気でないという。「56年前に『奥の細道』をたどる旅をしてから東北には格別の思いを抱いてきました。東北大学で半年ほど講義をし、中尊寺の僧職の方々とも親交がある。心配でなりません」
米国では今、地震や津波をどう防ぐかという科学的関心が高いが、「人知をもってすれば天災も抑えこむことができる」という欧米流の科学的確信には疑いを覚える。「私は日本文化に洗脳された人間。自然の持つ力には逆らえないという諦観(ていかん)に心ひかれます」
1955年に始まったコロンビア大での講義もわずか3週を残すのみ。最終学期では「船弁慶(ふなべんけい)」「熊野(ゆや)」など能の謡曲を講じている。世阿弥から三島由紀夫まで日英両語で縦横に論じて淀(よど)むところがない。
日本文学との出会いは偶然だった。16歳で飛び級入学した大学で中国系学生の隣に座って漢字の美にふれた。18歳で読んだ英訳の源氏物語に魅了され、米海軍の日本語士官に志願する。
アッツ島の戦いで日本兵の玉砕に驚き、沖縄戦では洞窟に潜む日本人を捜して回った。中国・青島では日本兵の尋問に明け暮れた。「人間の嫌な面を見ました。捕虜になって仲間を裏切る日本兵もいれば、日本人捕虜から工芸品をだまし取る米兵もいました」
尋問が嫌になり、除隊を願い出た。ニューヨークに戻ったが、あらゆる職種に興味が持てず悩んだ。「日本文学の勉強を再開したのは、私の体質には日本語が一番合う気がしたから。当時、米大学では日本研究の職など皆無で、働き口の見込みはありませんでした」
70年に及ぶ研究生活で著作は40冊を超えた。自著からベスト3を選ぶなら、『日本文学の歴史』『足利義政と銀閣寺』『日本人の戦争』を挙げる。
「ふりかえれば私が日本を選んだのではなく、日本に私が選ばれたというのがわが人生の実感。退職後は日本に永住して、日本国籍を申請したい。日本語に浸りながら、本を読み、本を書く暮らしに徹したい」
まずは正岡子規の評伝をしあげるつもりだ。(ニューヨーク=山中季広)