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基本は「てんでんこ」なんだ 津波防災提唱の山下さん

「基本のてんでんこが不十分だった」と悔いながら、見舞いの手紙に目を通す山下さん=9日、盛岡市の遠山病院

 津波が来たら何も考えず、てんでんばらばらに逃げろという「津波てんでんこ」を呼び掛けてきた大船渡市の津波災害研究家山下文男さん(87)が、入院先の岩手県立高田病院(陸前高田市)で東日本大震災の大津波に襲われた。逃げ遅れ、震災翌日に助け出された。「てんでんこを提唱した人間として、責任を感じている」と、あの日を振り返る。
 山下さんは呼吸器不全のため入院していた。症状が改善し間もなく退院の予定が立ちそうだった3月11日、病院最上階の4階の病室で激しい揺れ感じた。
 看護師らに避難を促されたが、病院は海岸から内陸へ約1キロ。「まさかここまでは来ないだろう」と逃げなかった。
 黒い津波があっという間に押し寄せ、街をのみ込み病院も襲った。みるみる上まで浸水しベッドから投げ出されたが、必死にカーテンにしがみついた。波が引き、ようやく職員に助けられた。
 山下さんは「九死に一生を得るとは、まさにこのこと。波で全身が打たれ今も痛い。津波への注意を促しておいて、何もできなかった」と話す。
 てんでんこは「てんでんばらばらに」という意味の方言。家族で事前に避難場所を決めておき、とにかく逃げろと言う意味だ。岩手県の旧田老町(現宮古市)で1990年にあった津波サミットで、山下さんが「33年の昭和三陸津波はてんでんこに逃げた」と言って、一気に広まった。
 1896年の明治三陸大津波では、山下さんの親族9人が亡くなった。津波の恐ろしさを誰よりも分かる研究家として、津波防災の本も出版してきた。現在は盛岡市内の病院に移って悪化した病気の治療を続ける。
 「基本はてんでんこなんだ」。全国から届く見舞いの手紙に目を通しながら、あらためて津波防災の心得を訴えている。
(剣持雄治)


2011年04月14日木曜日


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