【東日本大震災】No.33 わが子よ  石巻市立大川小学校

2011.03.24

思い出の写真。子供たちは楽しそうに写っていた

児童たちの遺留品のヘルメットを手にする母親とみられる女性

がれきの中から見つかったランドセル

児童の遺留品の中にあった鍵盤ハーモニカ

 教科書や鍵盤ハーモニカ、絵、写真などが散乱した校舎。そこにはがれきをかき分け、児童たちの遺留品をみつけて涙する親の姿があった。北上川の河口にある宮城県石巻市立大川小学校は、地震で校庭に大半の生徒と教職員が避難していたところを津波にのみこまれた。23日現在、全校生徒108人のうち、21人が死亡、56人が行方不明になっている。教職員は、13人のうち1人が死亡、9人が行方不明。消防隊員らによる懸命の捜索が今も続いている。

 ステンドグラスが施されたホールは面影もなく崩壊していた。校舎と体育館をつないでいた2階の渡り廊下もねじれたように落ちていた。校舎内は腰の高さほどまで土砂で埋まり、津波で押し流されてきたがれきが散乱していた。音楽室のピアノはひっくり返り、4本の足をつき上げていた。

 毎日のように遺体が見つかる。

 「ケンちゃん、ケンちゃん。苦しかっただろう。ケンちゃん、ケンちゃん。ゴメンな」。ビニールシートに包まれて運ばれてきた子供の姿を確認した親の悲痛な声が響く。近くには、捜索隊が持ち帰った泥だらけのランドセルやピアニカ、学習用具などが山積になっている。

 「少しでも子供の思い出が見つかれば」と山積の遺留品の中から懸命に自分の子供の写真を探していた母親(37)がいた。小6の長女(12)と小3(9)の長男を失ったという。「学校で避難したと聞いて、安心していたが…。泣くしかできない」と唇をかんだ。(写真報道局 松本健吾)

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大震災の爪痕。行方不明となっている児童らの捜索は連日続き、遺体が毎日のようにみつかっている

校舎内に掲げられていた「希望」という名の詩

泥だらけになったアルバムを見つけ写真を確認する女性

校舎内の水飲み場はがれきの山になっていた

津波は小学校の校舎2階の天井近くにまで達していた

壁に掲げられた校歌の文字は激しい津波で落ちた

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