原発20キロが分ける風景 がれき放置、戻る住民倒壊し道路をふさいだままの建物=14日、福島県南相馬市(玉川光昭さん撮影) がれきの撤去が進む福島県南相馬市は、東京電力福島第1原発の北10~40キロにほぼ収まる。東日本大震災直後のまま放置された南側と、放射線量が低めで、住民が戻り始めた北側。支援物資を届けに避難先の横浜市から戻った住民と訪ねると、原発から20キロの避難指示区域の境界線で、風景は二分されていた。 14日午前。福島市から車で約1時間半の南相馬市に入ると、ハンドルを握る工務店経営玉川光昭さん(37)は「だいぶきれいになった」と喜んだ。海岸近くはがれきが残るが、市街地の道は掃除され、桜が満開だ。 約7万人の人口は一時、1万人まで減ったが、最近は約3万5千人に。20~30キロの屋内退避区域の原町区では商店も一部で営業を始め、多くの車が行き交う。 玉川さんは、原発から約15キロの小高区の自宅から日用品を取り出そうと、20キロ地点で警官の検問を受け境界線を越えた。待っていると、2時間半後に戻り「原町と全然違う」と一言。 道路脇で車がひっくり返り、傾いた電柱や家。駅前も泥で埋まり、ライトアップで観光客が集まった蔵屋敷も無残に崩れていたという。「目にした人間は1人だけ」だった。この間で玉川さんの線量計の数値は2マイクロシーベルトから14マイクロシーベルトにはね上がっていた。「淡い期待を抱いていたけど、だめだわ」 福島市に帰る車中。福島の子どもが「放射線がうつる」と避難先でいじめられたというニュースが流れた。「南相馬の子が差別されるのは絶対に許せない」。4人の子を持つ玉川さんの声色が変わった。 笑顔が戻ったのは左手の指輪を見せた時。内側にある「2001・4・14」の刻印を記者に見せた。この日、家具が倒れてぐちゃぐちゃの室内で見つけた。 「きょうは10回目の結婚記念日。これだけは見つけたかった。何もプレゼントしてやれねえけど」。ママさんサークルで子育て支援に取り組んできた妻洋子さんに、日付が変わる前に見せられるよう避難先へ急いだ。(共同) 【共同通信】
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