事件【東日本大震災】「死にものぐるいで上に行け」 津波で74人死亡・不明 宮城・大川小の「あの時」+(2/3ページ)(2011.4.15 00:16

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【東日本大震災】
「死にものぐるいで上に行け」 津波で74人死亡・不明 宮城・大川小の「あの時」

2011.4.15 00:16 (2/3ページ)
泥の中から見つかった長女のランドセルに突っ伏し泣く男性。長女は行方不明のままだ=10日、宮城県石巻市立大川小学校跡(荒船清太撮影)

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泥の中から見つかった長女のランドセルに突っ伏し泣く男性。長女は行方不明のままだ=10日、宮城県石巻市立大川小学校跡(荒船清太撮影)

 5時間目を終えたとき、大きな揺れが襲った。子供たちは机の下にもぐり、校庭への避難が指示された。泣き出す子もいたが、女性教諭らが付き添った。学校前に自宅があり、同校に通う2人の孫を亡くした阿部文子さん(59)は「校庭に子供たちが整列しているのが見えた。ヘルメットをかぶっている子もいた」。

 校庭には、離れた地域の児童を送るためのスクールバスが止まっていた。「いま校庭に並んだ子供の点呼を取っているところで、学校の指示待ちです」。男性運転手(63)は運営会社に無線で連絡した。これが最後の通信。男性も津波で死亡した。会社側は「詰め込めば児童全員を乗せられただろう」としている。

 市教委によると、「津波の際、どこに避難するかは特に決められていなかった」という。

「上に、上へ!」

 男性教諭は、校舎内を確認しに向かった。ガラスが散らばり、児童を中に入れる状況ではなかった。校庭に戻ると、子供たちは他の教員に誘導され、裏山脇の細い農道を列を組んで歩き出していた。坂道を行くと校庭より7~8メートル高い新北上大橋のたもとに出る。教諭は列の最後尾についた。

 「ドンという地鳴りがあり、何がなんだか分からないうちに列の前から波が来た。逃げなきゃと思った」。教諭はその瞬間をこう証言したという。波は河口とは逆方向の橋のたもと側から児童の列の先頭めがけて襲いかかった。

 気づくと、裏山を登ろうとする児童が見えた。生い茂る杉で周囲は暗いが、ゴーという音で足元まで水が迫っているのが分かった。

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SANKEI_EXPRESS__2011(平成23)年4月14日付EX(7面)

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