2011年2月28日 11時37分 更新:2月28日 17時13分
日本相撲協会は28日、八百長問題で開催が中止された大相撲春場所(3月・大阪)の番付になるはずだった全力士の序列を示す資料(初場所成績による順席)を各部屋に配布した。序列は同日から適用される。
春場所の中止に伴い、番付も作られないことになったが、全力士に支給する給与や手当の算定基準として、初場所の成績に基づき序列を作成した。八百長への関与を認めた者も含まれている。
「相撲字」と呼ばれる独特の書体で書かれた番付は製作されなかった。通常の番付発表では、早朝から各部屋から若手力士が番付表を受け取りに国技館に集まるが、この日は封筒に入った資料を受け取っただけだった。
序列を示す資料は、幕内・十両分のみ報道陣にも公開された。通常の番付には地位、出身地、力士名が載っているが、今回の資料では、出身地がなく、代わりに所属部屋名が併記されている。八百長への関与を認め、引退届を出したものの保留扱いとなっている千代白鵬(九重部屋)は東十両14枚目、関与を否認したが、特別調査委員会から関与を認定されている清瀬海(北の湖部屋)は西十両11枚目の地位となっている。
ブラジル出身で幕内待遇となった魁聖は、28日の朝げいこの後、東京都墨田区の友綱部屋で取材に応じ「番付が出る度にブラジルの家族に送っていた。今回送れないのは残念」と話した。【大矢伸一、藤野智成】
春場所中止により番付が消えたこの日、さびしさを覚えたのは力士だけではない。行司や呼び出しといった裏方たちも思いは同じだ。行司の最高位、立行司で、番付作成に携わった経験を持つ第35代木村庄之助さん(64)=本名・内田順一=は「番付表のない日が来るなんて、思いもしなかった」と声を落とした。
番付表と行司は、切っても切れない関係にある。毎場所後に行われる番付編成会議に、書記役として数人の行司が同席する。相撲字と呼ばれる独特の太字で番付を書くのも、番付書記と呼ばれる行司の仕事だ。今回も初場所後の1月26日に開かれた会議で編成された新番付に基づき、春場所の番付表を番付書記が書き始めていた。しかし、2月6日に春場所中止が決まり、途中まで書かれた番付表は日の目を見ることなくお蔵入りとなった。
自身、番付書記の補佐役として筆を執ってきた庄之助さんは、「行司にとって、書くことは避けては通れない道。軍配の次に大切なものだ」と言う。それだけに、番付発表は「行司たちにとってもお披露目の場だった」。
1962年の入門以来初めて番付発表がなくなった事態に、「本当にさびしい限り」と重ねてため息をついた。【和田崇】