遅ればせながら東北の被災地を回って言葉を失った。圧倒的な現実に表現が追いつかない。ひたすら広い廃虚に立って、これは何なんだと自問するばかりだ。
津波で町の大部分が押し流された宮城県南三陸町では、高台の総合体育館が避難場所になっていた。敷地内に翻る「ダビデの星」のイスラエル国旗が目を引く。同国の医師14人を含む約60人のチームが3月末に現地入りして医療活動を始めたのだ。
国防軍所属のエイレト・シャハル医師(40)は、テレビで東北の惨状を見て医療チームに志願した。それまで日本との縁はなかったが、祖父母がナチスに拘束されリトアニアの強制収容所で辛酸をなめた。その話を子供の頃から聞かされ、つらい境遇で助け合う大切さを知ったという。
シャハルさんに「家族が恋しいでしょう」と聞くと、彼女の顔がかげった。夫と2人の子供が住むイスラエル南部の街ベエルシェバは数日前から、イスラム武装組織のロケット弾攻撃を受けていたからだ。
「イスラエルでは明日は何が起きるかわからない。私たちはそんな境遇に慣れているんですよね」と彼女は笑った。余震や原発事故に苦しむ日本と、中東で敵意に囲まれるイスラエルが、一瞬だけ重なる。
広報担当のハダス・メツァドさんは、今月10日の撤収時にエックス線や超音波エコーなどの医療機器を寄付すると話した。
ありがたいことだ。やはり人的貢献は大切だ。国際的にも、国内でもそうだ。テレビのCFで有名人が「君は一人じゃない」などと言うのも支援ではあろうが、被災者によっては「それなら、ここへ来て手伝え」と思わぬものでもない。遠くから善意を伝えるのは難しい。被災者の窮状を見るにつけ、私はどうも、この種の激励を素直に聞けなくなってしまった。(論説室)
毎日新聞 2011年4月14日 東京朝刊