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[27166] 乱世を往く!
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:39
はじめまして。
新月 乙夜といいます。

もともとは「小説家になろう」のサイトに投稿していたのですが、「Arcadiaの方にも投稿してみては?」という感想を随分前ですが頂き、このたびこちらにも投稿させて頂こうと思い至りました。

「乱世を往く!」は私の処女作です。
流浪の魔道具職人である主人公と、彼に関わる人たちのお話。楽しんでもらえれば嬉しいです。



[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法 プロローグ
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:01
    事実は一つ
    真実は人の数ほどに


*****************


第一話  独立都市と聖銀の製法

 全ての生物は魔力を持っている。なぜなら魔力とは生命力と同義なのだから。より詳しく言うのなら、「魔力とは生命活動以外の用途に用いられる生命力」となる。普通に魔力を使っている分には命を削るようなことにはならない。もっとも命を削るような「禁忌の法」も確かに存在しているが。

 人間は魔法を使うことができない。炎を生み出したり、風を操ったりという奇跡の技を人は行うことが出来ない。人にできるのはただ魔力を外に放出することだけだ。

 だからこそ人は「魔道具」を作り上げた。魔力を注ぎ込むことで魔法を再現するための道具を作り出したのだ。

 いつの時代も同様であるが、華々しい注目を集めるのは魔道具を扱う「魔導士」と呼ばれる人々である。戦乱の時代に名をはせた英雄たちや勇名轟く剣豪・用兵家。こういった人たちは皆魔道具を扱う側の魔導士であった。

 一方、魔道具を作る側の人間のことを「魔導職人」あるいは単に「職人」といったりする。ちなみに魔導士と魔導職人の境目はひどく曖昧である。同一人物が製造と使用の両方に秀でていることが良くあるからだ。まあ、どちらを名乗るかは本人の自己申告といったところだろう。

 ところで、華々しい注目を集めるのは魔導士であるが、その影で魔導士以上に保護され厚遇されそして管理されたのが魔導職人であった。

 当然といえば当然である。1人の魔導士どれだけ強い力を有していようとも結局それは個人の力であり、極端なことを言ってしまえば死んでしまえばそれまでだ。しかし魔導職人は違う。より厳密にいえば彼らが造る魔道具は違う。強力な魔道具はそれを持つもの全てに力を与える。しかも使用者が死んでも彼らの「作品」は残るのだ。強力な魔道具が反抗勢力や賞金首の手に渡り甚大な被害が出る。それは権力者にとって当然想定されるべき事態であった。

強力な魔道具を作り出すことのできる優秀な職人達。権力者にとって彼らは武力を支える魔道具を生み出してくれる存在であると同時に、なんとしても囲い込み飼いならしておかなければならない存在であった。

 さて、そんな世界に「アバサ・ロット」という流れの魔道具職人がいる。年齢性別一切不詳。恐らくこの世界で最も有名な流れの魔道具職人である、かの人の造る魔道具は全て一級品で、しかも気に入った相手にだけ譲ることで知られている。

 千年の昔からアバサ・ロットはこのエルヴィヨン大陸を流浪し続けている。それは「アバサ・ロット」という名前が一種の称号として親から子あるいは師から弟子に受け継がれているためだと考えられている。

 卓越した魔道具製作の技術と知識を持つアバサ・ロットという職人を、これまで幾人もの権力者が探し出して召抱えようとした。しかし成功したものは未だかつて一人もいない。

 そのくせかの職人が作る魔道具は、いつの時代も歴史を作り、あるいは塗り替えてきた。

 かの人が魔道具を与えた王は、後に大陸を統一した。またある王女は与えられた魔道具を手に亡国を回復し「救国の聖女」と呼ばれた。かつて砂漠であったある土地は、かの職人が水を引いたことで一面穀倉地帯になり、その土地をめぐり流血の交渉がもたれたという。

 本人が表舞台に出てこないにも関わらず、これほどまでに歴史に関わった職人は他にはいるまい。

 この大陸で「アバサ・ロット」の名は、既に生ける伝説と化している。

 とはいえやはり、アバサ・ロットという職人は例外的な存在であると言わざるを得ない。魔道具職人たちは工房に所属し黄金色の鎖で縛られる。そして優秀であればあるほど、その鎖は太く長くなる。それが一般的であるし、またそうでなければならなかった。

 そのため多くの人は「アバサ・ロット」という存在は知っていても、どこか別の世界のことのように考えるのが常であった。かの人はあくまでも「伝説」なのだ。

 それはここ「独立都市ヴェンツブルク」においても同様であった。魔道具職人たちは工房にいるのが普通で、魔道具は工房で作られる、というのが人々の常識であった。

 ヴェンツブルクにおいて魔道具はそれぞれの種類で区別され取引が規制されている。また特に危険と判断された魔道具は個別に所持・使用・売買などの面で規制される。
 特に規制が強いのは当たり前だが武器であり、職人は認可を受けた商人や資格(免許)を持った魔導士にしか売却が許可されていない。

 だからこそ、リリーゼ・ラクラシアが魔導士ギルドの魔導士ライセンスを取ったお祝いのプレゼントとしてもらった「水面の魔剣」は父がヴェンツブルク最大の商会「レニムスケート商会」から買ったものだと、とくに深く考えずそう思っていた。





[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法①
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:42
ラクラシア家の現在の当主であるディグス・ラクラシアは開明的な人であった。自身の末っ子にして長女であるリリーゼ・ラクラシアが一般的なお嬢様の枠に収まらないことを悟ると、あっさりと彼女の人生を彼女自身の手にゆだねたのである。

 その結果彼女は利発で活発な、悪く言えばおてんばに成長した。サロンでお茶を飲むよりは野山を駆け巡るほうを好み、ダンスの練習よりは魔導士としての訓練を好んだ。服装も動きやすい男装を好んだ。華美なドレスなど彼女にとっては豪華なばかりの拘束着と変わらないのだろう。

 そんなリリーゼの様子に父親であるディグスとしては「もっと令嬢らしく・・・・」と一抹の不満を覚えないでもない。だがそれ以上に彼女のまっすぐな気性は政治的な駆け引きとやらに疲れたディグスにとって心地よいものだった。

 そんな自慢の愛娘がこのたび魔導士ギルドの魔導士ライセンスを習得したのだ。魔導士ギルドのライセンスはもともとフリーの魔導士がギルドの仕事を請け負うためのものだ。それが、魔導士ギルドが拡大するにつれて身分証として使われたり、仕官する際の条件になったりしている。

 独立都市ヴェンツブルクの三家のひとつラクラシア家の一員であるリリーゼに必要なものとは思えなかったが、「やりたいのならやって見なさい」といってディグスは試験を受けることをリリーゼに許可したのだった。

 今、ディグスの目の前ではリリーゼが発行されたライセンスプレートを見せながら試験の様子を家族に興奮気味に語っている。実技試験では相手の魔導士がなかなかのつわもので危なかったこと。攻めあぐねたこと。一瞬の隙を突いて何とか勝てたこと。その様子は本当に嬉しそうだ。頬を高揚させて話す愛娘にディグスは声をかけた。

「リー、ライセンス習得おめでとう。よくがんばりましたね」
 リー、とはリリーゼの愛称だ。

「はい、父上。ありがとうございます!」
「ライセンス習得のお祝いにプレゼントがあります」細長い木箱をテーブルの上におきリリーゼに開けるように勧める。「合格するか分からなかったのに・・・・」と少々呆れ気味のリリーゼに「合格するまで隠しておくつもりでしたから」と冗談半分に返す。

 木箱の中に入っていたのは一本の剣だった。それもただの剣ではない。鞘に収められたままでもその力を感じられる。リリーゼが息を呑む。
「抜いてみてもいいですか?」
 ディグスの「どうぞ」という返事を聞いてからリリーゼはその剣を抜いた。そして眼を見張った。

 優美。ただその一言がひたすらにふさわしい剣だった。柄に施された細工もすばらしいがそれ以上に美しいのはその刀身だ。細く美しい刀身は蒼白色に淡く輝き、そして向こう側が伺えるほどに薄い。さらに刀身には水面のように波紋が浮かび、その表情を時々刻々と変化させていた。

 だが優美なだけの剣ではもちろん無い。鞘をしたままでも強い力を感じたが、こうして鞘から出すとその力をよりはっきりと感じることができた。強力な、しかし威圧することの無い、静謐を極める力だ。

「『水面の魔剣』。ご満足いただけたかな?」
 ディグスが得意げに声をかけた。水面の魔剣になかば呆然と見入っていたリリーゼの表情が歓喜に染められていく。
「はい!ありがとうございます、父上!この魔剣に恥じぬ魔導士になるよういっそう励みます!」
「ハハハ、まぁ、ほどほどにね」

 最後のディグスの言葉がリリーゼに届いたか、はなはだ疑問である。

 リリーゼに水面の魔剣が贈られたその夜、ラクラシア家の次男クロード・ラクラシアは父であるディグスの書斎を訪ねた。扉をノックし許可を得てから中に入ると、そこには兄であるジュトラース・ラクラシアの姿もあった。

「兄上もこちらにいましたか」
「クロード、お前もあの魔剣についてか」
「はい。あれほどの魔剣が入荷されたという話は騎士団でも聞いていません。父上、アレはどこから仕入れたものですか」

 クロードは自衛騎士団に所属し五つある大隊の一つを率いる。魔道具、その中でも武器の情報は騎士団に集まりやすいのだが、あの魔剣の話は聞いたことがない。ちなみに兄であるジュトラースは父親の右腕として政治畑でその手腕を発揮している。

 息子二人の視線を受けてディグスは嬉しそうにうなずいた。
「あの魔剣についてすぐに違和感を抱けるとは・・・・・、成長したな、二人とも」

 すぐに表情を硬いものに変じ、ディグスは二人の息子に告げた。
「あの魔剣はエメッサから買い取ったものだ。エメッサは手に入れてすぐに持ってきたといっていたよ」
「エメッサ・・・・。とすると闇ルートからの品か・・・」

 ジュトラースが顎に手を当てながらいった。

 エメッサはこの町で情報屋をやっている女性だが、同時に闇ルートに流れている魔道具も取り扱っている。もちろんこういった商売は違法なのだがあまり厳しく取り締まると逆効果になるので、違法性の高い商品やあからさまな盗品を扱わないといった暗黙の了解を守っているうちは黙認されているのだ。さらには闇ルートのほうが強力な魔道具を入手しやすいという事情もある。値段はともかく。

「エメッサの話では、あの魔剣を持ち込んだのは若い男だったそうだよ」
 年の頃は20代で身長は170半ば。髪は銀髪で瞳の色は青。左の頬に狼を模した刺青があり、モスグリーンの外套を羽織っていたという。

「その男があの魔剣を造ったのでしょうか・・・・?」
 クロードの疑問にディグスが答えた。
「エメッサも同じ事を聞いたらしい。そうしたら・・・・・」

*************

『この魔剣、大層な逸品だけどあんたが造ったのかい?』
『ああ、そうだ』
『え・・・・?』
『冗談だよ』

 エメッサがムッとした表情を浮かべると男はからかうように続けた。

『オレが造ったものだろうがそうじゃなかろうが、あんたに確認する術なんて無いんだ。だったら考えても無駄だと思わないか』

*************

「見事にはぐらかされたな・・・・」
 ジュトラースが苦く笑う。

「この際その男が実際に造ったかはさほど重要ではない」
 無論、造った本人であることが最も望ましい。が、そうでなかったとしてもその男には強力な魔道具を手に入れるツテがあるということだ。しかも闇ルートで流したということは、そのツテはあの魔剣を造った職人に直でつながっている可能性が高い。何人も仲介させるとそれだけ発覚する可能性が高くなるため、普通はそういうことはしないからだ。

「その男、騎士団で捜しましょうか。それだけ特徴があればすぐに見つかると思いますが」
 そう提案したクロードに答えたのはジュトラースだった。

「いや、今騎士団を動かすとガバリエリとラバンディエに感づかれる。いずれ感づかれるにしてもできるだけ後にしたい」
「ジュトラースの言うとおりだな。まずはラクラシア家の情報網を使って探すとしよう。穏便(・・)にすめばそれに越したことは無い」

 他の二家に感ずかれる前にその男を確保してしまうのが最善だ。仮に騎士団を動かすとしたらガバリエリやラバンディエと争奪戦になってからだ。

「ジュトラースはその銀髪の男の情報を集めてくれ。クロードはガバリエリとラバンディエの動きを監視、それと騎士団の情報を注視してくれ」
「「はい」」

 ディグスが方針を決定し二人の息子に指示を出した。ジュトラースとクロードがうなずくとその場は散会となった。




[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法②
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:44
 ――独立都市ヴェンツブルク

 エルヴィヨン大陸の東に位置する人口およそ三万人の独立都市である。都市の東側に天然の良港を持ち、貿易によって栄えている。ガバリエリ、ラクラシア、ラバンディエの三家の力が強い。八人の執政官の合議によって行政がなされており、八つある執政官の椅子のうち三つは三家が一つずつ占有し、残りの五つは選出によって選ばれる。治安の維持は自衛騎士団によってなされている。貿易港で人の出入りが激しいため、開放的で活気に満ちているが反面喧嘩などのいざこざも多い。

 モントルムという国の東の端に位置していることになるが、もともとレジスタンスの集まりが起こりで独立の気風が強い。そのためモントルムの宗主権を認めているが、実質的には独立した自治権を持ち、また行使している。

**********

 そんな独立都市ヴェンツブルクの町を1人の男が歩いていた。年のころは二十歳の始めごろで背丈は170半ば。髪と瞳の色は黒で赤褐色の外套を羽織っている。顔立ちは整ってはいるがとりたてて美形というわけではない。

 橋の上を通りかかると、そこで両替をしている男に彼は金貨を差し出して声をかけた。

「こいつを両替してくれ」
「金貨か・・・・。今のレートだと1シクは37ミルだな。手数料が20オムだ」

 「シク」は金貨の単位で「ミル」は銀貨の、「オム」は銅貨の単位だ。1シクは大体37~40ミルで、1ミルは100オム固定だ。ちなみに銅貨には二種類あり一つは普通の銅貨で10オムである。普通「銅貨」といった場合には10オム銅貨をさす。もう一つは真ん中に正方形の穴が開いているもので1オム銅貨という。こちらは普通「銅銭」と呼ばれる。

 なお、平均的な一般家庭の月収が3~5シクだといえば大まかな価値は分かってもらえると思う。

「・・・・レートあがった?この前までは1シク40ミルだったのに」
「教会が聖銀(ミスリル)を作るのに銀を集めているって話だ。そのせいじゃないのか」

 銀貨の原料である銀そのものが市場で少なくなっているために、銀貨の価値が上がったのだ。少しばかり損をした気分だ。男が10オム銅貨2枚を手渡すと両替屋は銀貨を渡した。受け取った銀貨を財布にしまっていると両替屋が声をかけてきた。

「お客さん、外套なんて着ているところを見ると旅人かい?この都市には何しに来たんだい?行商の仕入れならいいところを紹介するよ」
 実際交易で栄えているこの都市に来る旅人の多くはそっちが目的なのだろう。だがこの男は例外だった。

「ハズレ。都市の周りに遺跡があるだろ?そいつの見物」
「遺跡見物かい?大方調査は済んでいるはずだよ」
「いいんだよ。半分以上趣味なんだから」
「そうかい。・・・・・そうそう、なにやら強力な魔道具が持ち込まれたらしい。そいつ関連で三家がなにやら動き回っているらしいぞ。誰が持ち込んだんだろうな」
「アバサ・ロットだったりしてな」

 まさか、と両替屋は笑った。アバサ・ロットとは恐らくこの世界で最も有名なフリーの魔道具職人である。かの人の造る魔道具は全て一級品で、しかも気に入った相手にだけ譲ることで知られている。アバサ・ロットは千年近く昔からその存在が知られているが、これは「アバサ・ロット」という名前が一種の称号として親から子あるいは師から弟子に受け継がれているためだと考えられている。

 両替屋ともう二言三言は話してから彼は橋をあとにした。その足で都市の外へと向かう。

「動きが速い・・・・・。いや、大きい」顎に手を当て真剣な表情で考え込む。しばらくして顔を上げると気楽そうにこういった。「ま、何とかなるだろう」

**********

 リリーゼが「水面の魔剣」を手にしてから、つまりラクラシア家が「例の男」を探し始めてから三日が経過していた。この間に情報はガバリエリ家とラバンディエ家にもめでたく伝わり、今では三家の下っ端たちが入り混じって「例の男」を探している。

 年の頃は20代で身長は170半ばの男。髪は銀髪で瞳の色は青。左の頬に狼を模した刺青があり、モスグリーンの外套を羽織っていた。

 これだけの情報がありながら、しかし情報は一向に集まらなかった。かといって都市から出たという情報も無い。手詰まりな感があったが三家が三家とも「他の二家に遅れをとるわけにはいかない」という対抗意識から手を引くに引けない状態となっている。外側からはそのように見えた。

 さて、ここにもう一つ「例の男」を確保しようとしている勢力がある。

「三家の様子はどうですか」

 いすに座り机にひじを付いて目の前の部下に声をかけたのは三十代始めに見える男だった。くすんだ蜂蜜色の髪を肩の辺りまで伸ばしている。体の線は細く一見して優男であるが、あいにくと彼の真価は首から上に由来するものだった。彼の名はジーニアス・クレオ。レニムスケート商会を率いる若き首領(ドルチェ)である。

 レニムスケート商会の狙いはごく単純である。強力な魔道具を定期的に揃えられるようにして、それを売りにして商会の勢力を伸ばすことである。そのためには「水面の魔剣」の製作者と見つけなければならないが、その手がかりは「例の男」が握っている。

「相変わらず『例の男』を探しています。・・・・・表向きは」
「でしょうね。この期に及んで特長そのままの『例の男』が実在していると考えるほど三家もバカではない。探しているように見せているのはこれ以上情報が漏れないようにするためでしょうね」

 あからさま過ぎる特徴は裏を返せば変装していると公言しているようなものだ。もっともそれこそが「例の男」の狙いなのだろう。報告をした部下もうなずいて続けた。

「現在三家が探しているは旅の魔導士です。しかも魔導士のライセンスを持っている者を優先的に探しています」

 ここでいう「魔導士」とは単純に魔道具を扱う者のことではなく、国や都市・ギルドなどの組織が発行する正式なライセンスを持つ者のことだ。報告を聞くとジーニアスは頷いた。そして釈然としない様子の部下に声をかける。

「不思議ですか?なぜ捜索対象を魔導士に限定しているのか」
「そうですね。気にはなります」

 変装用に使えそうな魔道具の規制はどれも厳しくはない。特別なライセンスを持っていなくても、一般市民でも入手は可能だ。それに加えて魔道具の密売と魔導士ライセンスはまったくといっていい程、関係がない。密売にライセンスが必要なんてことはないし、仮にライセンスを持っていたとしてもそれを提示する者はまずいない。確実に足がつくからだ。

 つまり、「ライセンスを持っているかどうか」を調べても「魔道具の密売をしているかどうか」は分からないのだ。そんなことは三家も重々承知しているである。

「今回魔道具を持ち込んだ『例の男』は変装をしています。それも恐らくは魔道具を使って。加えて旅をしている。しかもどこかの密売組織が絡んでいるという可能性は低い」

 強力な魔道具が闇ルートに流れる場合、盗品である場合を除けば、その魔道具は職人本人か職人と近しい人が密売に関わっていることが多い。密売組織は多くの場合盗品を扱っており、公権力からは睨まれる存在だ。そのような犯罪組織と関わることを魔道具職人が嫌うのだ。

 これが、ジーニアスが「例の男」が一人旅だと判断した理由だ。

「そういう、魔道具を所持して、時に密売に関わるような個人が旅をするなら魔導士としてのライセンスを持っていたほうが何かと便利でしょう?」
「なるほど」

 ジーニアスの説明を聞いて部下は納得したようだった。その様子を確認してからレニムスケート商会を率いる若き首領(ドルチェ)は部下に次の指示を出した。

「当面は三家の動きを監視していてください。出し抜けるならよし、そうでなくとも我々には打つ手がある」

 三家を出し抜いて「例の男」と直接交渉できるならば、それが最もいい。が、仮に直接交渉できなくても、「例の男」を押さえた家と交渉するという手がある。三家とて「水面の魔剣」の製作者を囲い込み、自分たちの息のかかった、というよりほとんど直営の工房で強力な魔道具を作らせるのが目的なのだ。そこから幾つか買い取ることは十分に可能なはずだ。

 部下が部屋から出て行くと、ジーニアスは椅子の背もたれに体を預け、考えをめぐらせた。

(最大の懸案は、・・・・・もうすでに旅立っているかもしれない、というとですね)

 自分の考えに苦笑をもらす。もしそうであればどれだけ探しても無駄骨だ。だが、それでも・・・・・。

(それだけの価値があるということですよ。あの魔剣とそれを造った職人には)




[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法③
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:47
 その日、リリーゼ・ラクラシアはヴェンツブルクの都市の郊外から少し行ったところにある湖に来ていた。小さな湖で名前などはない。いや、調べれば分かるのかも知れないが、あえて調べようという気にもならなかった。近くに300年ほど前の小さな遺跡があるが、すでに調査は終わっており近づく人もいない。

 静かで人気がなく、そして大量の水があるこの場所は父であるディグスから貰った「水面の魔剣」の修行には絶好の場所であった。

 「水面の魔剣」を両手で持ち眼前に掲げる。眼を閉じ魔剣に意識を集中し魔力を込めると、刀身が蒼白色に淡く輝いた。しだいに湖に変化が現れる。大きく渦を巻くように水が動き始め、そして段々と速くなっていく。

 リリーゼが「水面の魔剣」に込める魔力を増やす。刀身の蒼白色の輝きが強くなり、湖からは一本の水柱が重力に逆らって立ち上った。さらにその水柱は上下左右に、まるで生き物のように縦横無尽に動き回った。

 二分弱ほど水を操ると、リリーゼのほうに限界が来た。魔剣の放つ蒼白色の輝きが弱くなり、動き回っていた水の蛇もただの水に戻り湖に落ちた。

「随分と慣れてきたな・・・・・」

 大量の魔力を放出し、肩で息をしながらもリリーゼの顔は満足そうだった。最初は湖の水を少し動かすのが精一杯だったが、この三日でかなり上達しかなり思い通りに水を動かせるようになってきた。もっとも大量の水が近くにある状態なので、やりやすい環境なのは間違いない。が、父も兄も上達が早いと褒めてくれるのは嬉しい。この「水面の魔剣」と自分は相性がいいのかもしれない。

(いや、水の魔道具と、かな・・・・?)

 まぁどちらでもいいか、と思考を切り替える。と、そのとき・・・・。

―――グァアアギャァアアアアア!!!

 耳を劈(つんざ)くような獣の呼砲があたりに響いた。近くの茂みから1人の男が飛び出し、それを追って現れたのは、
「バロックベア!?」

 バロックベアは大陸に広く生息する熊の一種である。気性が荒く、獰猛なことで知られている。土を食べる(主食ではない)習性があり、そのためか爪には希少な金属が含まれている。バロックベアの爪は鋭く安物の鎧などは紙切れの如く切り裂かれるとのことだ。一方でその爪は魔道具の素材などとしても用いられている。

 今、リリーゼの前に現れたバロックベアは体長2m、体重300キロはあろうかという大物だ。純粋な野生の狂気に血走った眼をしており、その獣の発する殺気にリリーゼは身をすくませた。

 幸いなことにバロックベアの獲物はリリーゼではなく、茂みから飛び出してきた男のほうであった。物理的圧力さえ感じる呼砲を撒き散らしながらバロックベアは自慢の爪を男に突き立てようとした。

「たく・・・・」
 男は手にした杖を眼前に突き出しその爪を防いだ。いや、杖とバロックベアの爪の間には魔方陣に似た幾何学模様が描かれており、それが鋭い凶器を防いでいた。

「たく・・・・、少し鼻先蹴り飛ばしたくらいでブチ切れやがって。獣風情が!」
「いやそれは怒るだろ!!」

 バロックベアの放つ殺気のプレッシャーも忘れ、リリーゼは名も知らぬ男にツッコんだ。それがきっかけとなり彼女の体は自由を取り戻す。そして「水面の魔剣」に全力で魔力を注ぎ込む。

「さがれ!!」

 ツッコミの勢いそのままに叫ぶ。男が後ろに飛びのくのと同時に大量の水をバロックベアに叩きつけ押し流す。しかし相手の体が大きいせいか、数メートルの距離を開けることしかできない。

「くっ・・・」

 もう一度魔剣に魔力を注ぎ込み、今度は意識を集中して水の刃を作り出そうとしたそのとき。

 ―――ブベチ!!

 すさまじい打撃音がした。男が持っていた杖をフルスイングしてバロックベアの鼻に叩き込んだのだ。

「はぁ!!?」

 あまりの行動にリリーゼの思考はついていくことができず、全ての行動が一瞬フリーズする。だが彼女が固まっている間も事態は進行する。

 バロックベアは己の鼻先に打撃を叩き込んだ無礼者を許しはしなかった。凄まじい雄たけびを上げると、男を切り裂かんとその鋭い爪を振り上げた。が、男の行動はそれよりも速かった。懐からなにやら小さな小袋を取り出すとそれをバロックベアに投げつけたのである。なにやら赤い粉末が広がったかと思うとバロックベアは狂ったように悲鳴をあげ、転がるようにして茂みの奥へと消えていった。

「はーはっはっはっはっは!善良な一般市民様に手ェ上げるとどうなるか分かったか!獣風情が!」

 そして後には馬鹿笑いをしている男がひとり残っていた。

「・・・・・さっきの赤い粉末は何なのだ・・・・?」

 リリーゼとしては色々思うところもツッコミたいこともあったが、とりあえず一番気になっていることを聞いてみる。

「赤唐辛子、レッドペッパーの粉末だ」

 こともなさげに男は答える。そして男はリリーゼに向き直り名を名乗った。
「イスト・ヴァーレだ。なにはともあれ助かったよ」

 これが、緊迫していたのにどこか滑稽な感じがする、二人の出会いであった。

**********

 リリーゼとイストがどこ間の抜けた出会いをしていたその頃、ラクラシア家の次男であるクロード・ラクラシアは騎士団の本部でここ最近のヴェンツブルクにおける入出国記録を調べていた。その中で何かしらの魔導士ライセンスを提示した者を調べていく。ジーニアスが受けた報告の通り、彼はその中にあの「水面の魔剣」を持ち込んだ人物がいると当たりをつけている。

(さすがにこれは骨が折れる・・・・)

 多くの国や都市がそうであるように、ここヴェンツブルクにおいても入国に際し入国税というものが発生する。魔導士ライセンスを提示するとこの税金が減税されたり、種類によっては免除されるのだ。そのため行商などを生業としていてもライセンスを持っている、という者も多く、該当者は膨大であった。

 ざっと流しながら記録を確認していると、ここに三日で頻繁に出入国を繰り返している人物がいた。その名前は、

「イスト・ヴァーレ」

 提示したライセンスは魔導士ギルドのもので、備考の欄には「遺跡探索・趣味」と書いてある。

 自分の妹が今現在その人物と、気の抜けた邂逅を果たしているなど、クロードは知る由もない。しかし、その名はなぜか彼の記憶の片隅に残ることになるのだった。





[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法④
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:47
イスト・ヴァーレと名乗った男は整った目鼻立ちをしていたが、取り立てて美形というわけではなかった。だが悪戯っぽい光を放つ眼は彼の容貌以上に人の目を惹きつけ、彼の存在を無視できないものにしていた。

(まぁ、好き嫌いは分かれそうだな・・・)

 独断と偏見に基づきそう評を下すと、リリーゼはイストのさらに全体を観察した。

 年のころは二十歳の始めごろで背丈は170半ば。髪の色は黒で、瞳は黒に近い藍色とでも言えばいいのかもしれない。赤褐色の外套を羽織り、手には恐らく魔道具と思われる杖を持っている。彼の身長よりも少し大きいくらいの長さで、先端の歪曲した部分にはところどころ金属のコーティングがなされている杖だ。

 リリーゼは知るよしもないことだが、橋の上で金貨を両替した男であった。

「リリーゼ・ラクラシアだ」
「ラクラシア・・・・?ああ、ラクラシア家のご令嬢か」

 イストにそう言われて、リリーゼは少し不満そうな表情をした。自分が一般的な「ご令嬢」の定義からは激しく逸脱していることを彼女は自覚しているし、またその定義を当てはめたいとも思わなかった。

 そんなリリーゼの様子を、恐らくは意図的に無視して、イストは腰につけた道具袋から一本の煙管を取り出し、口にくわえて吹かした。すぐに雁首から白い煙が立ち上る。火をつけなかったところを見ると、あの煙管も魔道具なのだろう。

「吸ってみるか?」

 彼の様子を眺めていたリリーゼが煙管に興味があると思ったのか、イストはそう尋ねた。

「結構だ」

 少々硬い調子で答える。リリーゼはタバコが嫌いだし、当然自分の周りで吸われるのもイヤだった。しかしイストの吸っている煙管からは不思議とタバコ臭い匂いはしない。

「ちなみにキシリトール味」
「キシリトール味!?」
「柑橘系や焼肉味に海鮮風味、大穴でトリカブトなんてのもある」
「タバコってそんなに色々な味があるものなのか・・・・?」

 トリカブトはあえて無視して話を進める。

「ん?・・・ああ」

 リリーゼの勘違いに気づいたイストは煙管について説明をする必要を感じた。どうでもいいことだが二人のテンションはどうにもかみ合わない。ちなみにトリカブトに食いついてくれなかったのでイストは少々不満げだ。

「こいつは禁煙用魔道具『無煙』。タバコの葉は使ってないから臭いはもちろん中毒症状もない。ちなみに煙は水蒸気だ」
「禁煙しているのか」
「いや、前に頼まれて作ったんだけどな、出来が良かったから自分用にもう一つ作った」

 口元が寂しいときがあってな、とイストは付け加えた。その辺りの感覚はリリーゼにはよく理解できなかった。禁煙をしているわけでもないのにそんなものを吹かすなんて、物好きなことだと思う。

(それよりも今、『自分で作った』みたいなことをいったよな・・・・?)

 それが意味するところを考え、リリーゼは怪訝な表情になる。

「ありゃ、切れたか」

 リリーゼのことは、恐らくまたしても意図的に無視して、イストは呟いた。そして道具袋から手のひらくらいの大きさの木箱を取り出し、そこから小指大のカートリッジを一本選ぶ。煙管の雁首を取り外し、中に入っていたカートリッジを交換すると、雁首を元に戻して彼は美味そうに吸った。

「貴方は・・・・魔道具職人なのか?」

 半信半疑といった表情でリリーゼは尋ねた。職人はどこかの工房に属していてそこでしか魔道具を作れない、というのが彼女の、いや一般的な考え方だ。だがイストはあっさりとこう答えた。

「まあな。オレは流れの魔道具職人だし」
「いいのか?」

 どこの工房にも属さず、自分勝手に魔道具を作っては売り歩く。その行為はリリーゼにとって立派な犯罪に思われた。

「なにか勘違いしているようだが魔道具の製造を規制している国なんてないぞ」

 多くの国で規制しているのは魔道具の取引と所持であって、作ることそのものは規制されていない。その証拠に工房を開くのに必要な手続きは、普通の商店を開くのに必要な手続きとさして変わらない。

「武器ならともかく、こんな禁煙用の魔道具なんて作っても売っても規制になんて引っかからないさ」

 イストはからかうようにしてそう言った。だがいわれたリリーゼはムッとして表情を歪めた。自分の無知を笑われたように思ったのだ。

「なら、その杖はどうなるんだ?立派な武器じゃないか」

 自分で作ったものだろうと特別なライセンスを持たない限り武器の所持は規制されているのだ。少々むきになってリリーゼはイストにつかかった。

「魔導士ギルドのライセンスを持っている」
「ぐ・・・・・」

 あっさりと言い返され、リリーゼは言葉に詰まった。その様子を見て満足したのか、イストは、じゃあな、といってその場を離れようとした。

「どこに行くんだ?街はそっちじゃないぞ」

 茂みの中に入っていこうとするイストにリリーゼはそう声をかけた。

「この先に遺跡があるだろ。それを見に来たんだ」
「遺跡を・・・?」

 リリーゼは首をかしげた。確かにこの先には小さな遺跡がある。だがこれといって珍しいものもない。既に調査・発掘は終了しているし、子供の遊び場には幾分街から遠い。そのためその遺跡に近づく人はほとんどいなかった。そのことをイストに告げると彼は笑って答えた。

「いいんだよ。半分以上趣味なんだから」

 白い煙(水蒸気らしいが)を上げている煙管を片手にした彼はどことなく不真面目そうで、いわゆる遊び人を連想させた。

「何かよからぬことでも企んでいるのではないだろうな・・・・・」

 彼の外見だけが原因だとすればリリーゼの言は少々偏見に影響されていると言わざるを得ないだろう。しかしいわれたイストは特に気にした様子もなかった。

「何もない遺跡でなにを企むってんだよ・・・・。そんなに心配なら一緒に来るか?」
「そ、そうだな。貴様が悪さをしないようにしっかり見張るとしよう」

 いつのまにやら「貴方」から「貴様」に呼び方が変わっている。一瞬感じた動揺に気づかれないよう、リリーゼは生まれて初めて感情を表に出さない努力をするのであった。うまくいっているとはいいがたかったが。




[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法⑤
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:48
「はぁ~」

 さして大きくもない遺跡を見回りながらリリーゼはため息をついた。

(どうも今日は調子が・・・・変だな・・・・)
 より正確に言うならばイストにあってから、調子が狂いっぱなしだ。

(あのとき・・・・)

 猛々しい狂気と殺気を放つバロックベアを目の前にしたあのとき、リリーゼは足がすくんで動けなかった。

(だがあの男は・・・・)

 だがイストはその張り詰めた空気の中でごくごく普通に動いていた。別に手を出さなくても、彼なら自分であの危機を切り抜けられただろう。そもそもあの戦いが長引いていたのは、イストがバロックベアの鼻先に一撃を入れることにこだわっていたからで、最初からあの赤唐辛子の入った包みを使っていれば、もっと早く終わっていたはずである。そうリリーゼの前に現れる前に。

(それだけじゃない)

 バロックベアが茂みの奥に消えた後、リリーゼは大きな安堵を感じた。しかしイストのまとう空気は何も変わっていなかった。まるでさっきの状況は危機ではないかのように。意識の差、ひいては実力の差を見せ付けられたようでなんとも面白くない。しかも今そのことに思い至ったものだからなおのことだ。

 さらにそのあと自分の無知を思い知らせれ、つっかかれば軽くいなされ、と彼女の不満は加速度的に増えていく。

(結局未熟なのだな、知識も経験も実力も・・・・)

 そのことに気づいたからなのだろうか。イストの誘いに乗ってここに来たのは。

 そこまで考えるとリリーゼは視線を上げ、イストの姿を探した。彼はなにやら下を向いて真剣な表情で何かを考えていた。ただ時折禁煙用魔道具・無煙をすっているためか、雰囲気は深刻になりきらない。

(あそこには確か魔法陣があったはずだ)

 魔法陣とは魔道具の理論部分だけを図式化したものだ。逆を言えば魔法陣を小型化し最適化して使いやすい器に収めたものが魔道具といえる。

 魔法陣はそれ自体に魔力を廻らせることで効果を得る、つまり魔法を再現できるのだが、いかんせん使い勝手が悪い。しかしその反面、理論のみで使えるので魔道具を作るための煩雑な作業が必要なくコストが安いというメリットもある。そのため、欲しい効果、再現したい魔法が決まっており、特に移動させる必要がない場合には魔法陣が用いられることが多々ある。

(確か、劣化が進んでいて半分近く読み取れなかったと思うが・・・・。なにをしているのだ?)

 ふむ、と頷いたかと思うと、彼は魔法陣の真ん中に立ち手に持った杖で、カツン、と足元を突いた。すると魔法陣が光を放ち始めた。

「な・・・!?」

 その光景にリリーゼは驚愕した。劣化が進み半分以上読み取れなくなっていた、つまりもはや用を成さなくなっていた魔法陣が彼女の目の前で息を吹き返したのだ。

「どうやら転送用の魔法陣らしい。一緒に来るか?」

 目の前で起こったことが信じられず絶句しているリリーゼに、イストは至って普通の調子で声をかけた。まるで自分のしたことが特別なことではないかのように。

 それがよかったのだろうか。彼に比べて己の未熟さを感じそのことが不満だったリリーゼは、徐々に驚愕から立ち直りその思考を回復していった。

「・・・・・聞きたいことがある・・・・・」
「へぇ、聞こうか」

 彼がそう言うと魔法陣の光を消し、リリーゼに体ごと視線を転じた。

「なにが聞きたいんだ?」
「その魔法陣の先には何があるんだ?」

 ほとんど睨みつけるようにしてリリーゼは問いを発した。が、問われた本人はといえば、相変わらず煙管を吹かして白い煙(水蒸気だが)を燻らせていた。

「なんでオレがそんなこと知っていると思うんだ?ここに来たのは今日が初めてだぜ?」
「お前がその魔法陣を発動させたからだ」

 劣化が進み、もはや原型がわからない魔法陣を発動させることなど何人に不可能だ。とすれば、イストが同じ魔法陣を仕込んだ魔道具を持っていて(恐らくはあの杖だ)その魔道具を使って魔法陣を発動させた、と考えるのが自然だ。

「そこまで周到な準備をしてきたんだ。ここのことを知っていて、この先に何があるのかも知っている。そう考えるのが自然だ」

 どうだ、といわんばかりに自分の推理を披露する。
「はずれ。オレは魔法陣を仕込んだ魔道具なんてもってないよ」

「ウソをつくな。その杖がそうなのだろう?現にバロックベアの爪も魔法陣で防いでいたじゃないか」

 証拠を突きつけると、じゃあ調べてみるか?といってイストは杖をリリーゼによこした。自信満々にその杖に魔力を込めてみると魔法陣が・・・・・

「え・・・・・?」

 発動、しなかった。

「その杖は『光彩の杖』といってな、頭で思い描いたものを空中に光で描くことのできる魔道具だ。そもそも武器でさえないわけだ」

 つまり光彩の杖を使って魔法陣を再現してみたわけだ、とイストはカラクリを説明した。

「だが、半分以上が読み取れない魔法陣だぞ。下調べしていなければ再現なんて出来るはずないだろう?」
「遺跡巡りが趣味なんだ。他の遺跡で同じ魔法陣を調べたことがあるのかもしれないぞ?」

 考えていなかったであろう可能性を教えてやると、リリーゼは「ぬ?」と唸って考え込んでしまった。その様子を見て、扱いやすいお嬢様だな、とイストは笑った。笑われたことが不満なのか、リリーゼはむくれた。その姿にさらに笑う。

「この魔法陣の先に何があるかは本当に知らない。が、半分未満の“ここに来た目的”なら道すがら話してやれる」

 どうする、と眼で問いかける。煙管を吹かしているその姿はやはりどこか真剣みに欠けている。だがそのことがリリーゼの緊張を解きほぐし、思考を硬直させずにいた。

(ちょっとした遊び感覚、なのだろうな。彼にとっては)

 ならば私もそれなりに楽しもう、とリリーゼは思った。彼の言う“ここに来た目的”とやらも気になる。

 リリーゼは半瞬だけ考えるとイストの立つ、魔法陣のほうに足を向けた。彼女から光彩の杖を受け取ると、イストは先ほどと同じようにしてカツン、と足元を突き魔法陣を発動させた。





[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法⑥
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:50
転送された先の空間は真っ暗だった。

「ちょっと待ってろ。今明かりをだす」

 その声の少しあとに周りが明るくなった。イストの手にはランタンが握られている。リリーゼも知っている一般的な魔道具で「新月の月明かり」という魔道具だ。魔力を込めると一定時間月明かりを模した光を放つ。

「鍾乳洞みたいだな」
 あたりを見回したイストが呟いた。

「寒いな」
 リリーゼが腕をさすりながら言った。外は日差しもあり暖かかったのだが、ここはひんやりと肌寒い。

「これを羽織るといい」

 そういってイストは腰の道具袋からモスグリーンの外套を取り出しリリーゼに渡した。こんな大きなものが普通に入るとは思えないから、あの道具袋は魔道具なのだろう。

 外套を受け取り、着込みながらリリーゼは当然の疑問を口にした。

「なんで二着も外套を持っているのだ?」
「便利だぞ。野宿のときに下に敷いたりできる」
「つまりこの外套は地べたに敷く用なのか・・・・・」

 なんともいえない顔をしているリリーゼに、イストはちゃんと洗ったよ、と声をかけた。そして、さて、と言って腰に付けた道具袋から先ほどカートリッジが入っていた小箱を取り出し、そこに入っている小さな黒い球体を取り出した。

「それは?」
「ペイントボール。本来は仮装パーティーなんかで使う魔道具なんだけどな、こうやって目印なんかにも使える」

 そういってイストはペイントバールを壁に押し付け魔力を込める。すると球体は解けるようにして広がり、鳥が翼を広げる様子を模した図柄になった。

「他にも蛇、狼、獅子、馬、花とかいろいろある」
「暗いと見えないんじゃないのか?」

 煙管を吹かしながら自慢するように説明するイストに、リリーゼは至極当然な疑問をぶつけた。

「そのペイントボールはオレが手を加えていて、こいつとリンクしている。まぁ、大まかな位置関係が分かるわけだ」

 そういって彼が取り出したのは装飾の施された眼帯だった。視覚補助の魔道具で千里眼というらしい。

「その他にも髪の毛だとか眼の色だとかを変えられる魔道具も色々ある。なかなか楽しいぞ」

「まるで変装用だな」

 リリーゼの感想に、鋭い、とイストは嬉しそうにいった。

「それよりもここに来た目的とやらを教えてくれ」
 魔道具の説明談義に脱線していきそうなイストに釘を刺し、話を本筋に戻す。

「ああ、どこから説明したものかな・・・・」

 とりあえず歩きながら話そう、ということでイストとリリーゼは一本道を歩き始めた。鍾乳洞の中は足元が湿っており、なかなかに歩きづらい。

「あの遺跡がどれくらい前のものか知ってるか?」

 イストはそう唐突に尋ねた。

「300年くらい前だろう?」
「そう。じゃあ、その頃このあたりで何があった?」

 まるで教師が生徒を教えるときのように、イストは質問を重ねた。

 確か、300年前は大陸の東側一帯を支配した帝国の末期だったはずだ。各地で反政府活動やら反乱やらが起こり世の中は騒然としていたと、聞いた覚えがある。

「まぁその通り。んで、ヴェンツブルグの周りに点在している遺跡は、この地方で反乱を起こしたレジスタンスの活動拠点の名残というわけだ」

 その反乱を指揮した中心人物の名はベルウィック・デルトゥードという。そして彼の下で働いた三人が後に三家の初代当主となる。

「まぁ、歴史の概観はこのくらいにして」

 ベルウィック・デルトゥードの指揮する反乱軍は他の勢力と比べると比較的少数であった。にもかかわらず戦えば負けなしで、しかも潤沢な活動資金を持っていた。

「なぜだと思う?」
「それは・・・・・」
「強力な魔道具を製造していたからだ」
 リリーゼが答えに窮するとイストはすぐに自分で答えを言った。

 反乱軍の中に優秀な魔道具職人がいたのだろう。その人物の作る魔道具こそがベルウィック・デルトゥードの反乱軍の武力を支え、また他の反乱組織に売却することで資金を確保していたのだ。

「で、ここからが本題だ。魔道具を作るには当然、素材がいる。ここで作っていた魔道具はとある素材が主として使われていたんだけど、何か分かるか?」

 「さっぱり」

 もはや取り繕うこともやめて、リリーゼは正直に答えた。もともと知っているとは思ってなかったのだろう。イストは特に気にした様子もなく答えを告げた。

「聖銀(ミスリル)だ」
「聖銀(ミスリル)!?」

 ここで聖銀(ミスリル)が出てくるとは思っていなかったのだろう。リリーゼは驚愕の声を上げた。

 聖銀(ミスリル)とは銀をベースとした合成素材で、魔道具製作においては優良な素材である。現在その製法は教会が独占しており、市場に流れる聖銀(ミスリル)には法外な値段が付けられている。そこに生まれる利益たるや莫大なもので、教会は年間の活動資金のおよそ3割を聖銀(ミスリル)から得ていると言われている。

「教会が聖銀(ミスリル)の製造を始めたのがやっぱり300年前くらいだから時期的にはあってるわな」
「つまり・・・・どういうことだ・・・・?」

 話が思いがけない方向に飛んで、リリーゼは少し混乱気味だ。煙管を吹かしながらイストは続けた。

「つまり、ベルウィックの反乱軍で作られていた魔道具に聖銀(ミスリル)が多量に使用されていた。で、調べてみたら反乱軍にフランシスコ・メーデーが協力していた、らしい」
「・・・・・本当か・・・?」

 フランシスコ・メーデーの名前が出てきてリリーゼは唸った。
 フランシスコ・メーデーは聖銀(ミスリル)の製法を発見した人物だ。ただしそれは彼が教会直営の工房に身を寄せるようになってから、というのが定説だ。

「で、オレの“半分未満の目的”だけど、聖銀(ミスリル)の製法、あるいはその手がかりがのこってないかなぁ~、と言うわけだ」
「まさか。残っているわけがない。仮に残っていたのならば、教会がもっと早く動いているはずだ」

 イストの話に驚かされながらも、はっきりとその可能性をリリーゼは否定する。教会にとって聖銀(ミスリル)は重要な資金源だ。300年もの間その製法の秘密を守っているのだから、その管理体制の厳重さが窺える。もし少しでも在野にその製法が残っている可能性があるとしたら、文字通り大陸中で草の根分けてでも探し出すはずである。教会にはそれだけの力があるのだから。

「いいんだよ。どうせ半分未満の目的で、半分以上は趣味なんだから」

 こんな面白いものも見れたことだし結構満足してるよ、と白い煙(水蒸気だが)を吐きながら気楽そうにイストは言った。

 リリーゼには言っていないが、イストが得た情報の中には「聖銀(ミスリル)の製法が壁に刻んであった」というものがあり、それが半分未満とはいえ目的の根拠となっている。なぜこのことをリリーゼに教えてやらないのかといえば、彼なりの腹黒い思惑があるからだ。

「それよりも、ベルウィックの反乱軍で作られていた魔道具に聖銀(ミスリル)が多量に使用されていた、なんて情報どこから手に入れたんだ?」

 聖銀(ミスリル)の製法うんぬんも気になるが、リリーゼとしてはそのことも気になった。いわばここは地元なのにそんな話は聞いたことがない。

「ま、蛇の道は蛇ってやつだ」
 疑問は軽くはぐらかされた。

 道は続く。リリーゼはふと浮かんだ疑問をそのまま口に出した。

「ここで聖銀(ミスリル)が作られていたのなら、なぜヴェンツブルグには聖銀(ミスリル)の製法が伝わらなかったのだろうな・・・・」
「魔道具を作っていたその腕のいい職人は戦いが終わったあと、ここを離れたらしい」

 職人がいなくなったことで、魔道具が作られなくなり、聖銀(ミスリル)の需要もなくなった。たがそれだけでは理由にならない。

「おかしいだろう。職人はその一人だけではなかったはずだ。それに聖銀(ミスリル)自体に需要があるはずだ」

「そもそも銀が手に入らなくなった、聖銀(ミスリル)を精錬するのに必要な素材や道具が手に入らなくなった、聖銀(ミスリル)の需要が減った。まぁ、それらしい理由ならいくらでも思いつくさ」
 本当のところどうなのかは分からないけどね、とイストは肩をすくめた。

「しかし惜しいな。聖銀(ミスリル)の製法が残っていればヴェンツブルグは巨万の富を得られただろうに」

 なにしろ教会の年間の活動資金のおよそ三割だ。ともすれば、小さな国ならばそのまま国家予算になりかねない金額だ。

「そうだな。が、とき既に遅し、というやつだ。仮にここで聖銀(ミスリル)の製法が見つかっても、普通に作って売っていたんじゃ、利ザヤは少ないだろうしな」

 イストの言葉にリリーゼは反感を持った。現に教会は聖銀(ミスリル)から膨大な利潤を得ているではないか。なぜヴェンツブルグに同じことができないと言い切れるのか。

「教会から横槍が入る。売却益の9割は持っていかれるだろうな」
「そんな・・・・・」

 それが政治って奴さ、とイストは無煙を吹かし、白い煙(水蒸気だが)を吐きながら言った。教会とヴェンツブルグの力の差は歴然で、言うなれば「月とスッポン」だ。圧力を掛けられれば屈せざるを得ない。

「まぁ、やり方を変えればそれなりに儲けられると思うけどな」
「どうするのだ?」
 教会に横槍を入れさせず、大きな利益を上げる方法などあるのだろうか?
「自分のおつむで考えな」

 ちょうどその時、一本道が終わり少し広い空間に出た。川の流れている音がする。新月の月明かりを掲げると、先が幾つかに枝分かれしていた。

 イストは再び木箱を取り出し、壁にペイントボールを張り付け目印を残している。

「どれを選ぶのだ?」

 枝分かれしている道はここから見えるだけで五つある。選んだ先がさらに分岐している可能性もあるから、全てをしらみつぶしに探索するのは無理だろう。

 それが分かっているのかいないのか、イストはふむ、と顎に手を当てて考えるしぐさをした。悔しいがさまになっている。

「・・・・話は変わるが、その腰の魔剣・・・・」
「・・・はぁ?・・・何だ?一体何だ・・・・?」

 話が唐突に飛びすぎてついていけない。

「だからその魔剣。かなりの業物だな。ずっと気になってたんだ。少し見せてくれないか?」

 まったくこんな時にそんなことしなくてもいいじゃないか、とブツブツ文句を言いながらも水面の魔剣を鞘から抜いてイストに渡す。魔剣を受け取ったイストはその刃をためつすがめつ眺めて、

「な、ちょ!お前!」

 いきなり魔剣に魔力を込めた。蒼白色の淡い光が闇に浮かび上がると、リリーゼは咄嗟に声を上げた。

 悪い悪いあまりに見事だったものでついな、と明らかに悪かったと思っていない軽い調子で謝りながら、魔剣をリリーゼに返す。

「そうそう、今魔力を込めてみて分かったんだけどな。その魔剣、単なる水属性の魔道具ってだけじゃなさそうだ」
「どういうことだ・・・・・?」

 扱いに熟練しているとはとてもいえないが、今まで使ってきた限りでは水を操る以外の能力などなかったはずだ。

「どうやら魔力を放出してその反射を観測することで周りの状況を調べられるらしい」

 水面に浮かぶ波紋の如くってわけだ、と白い煙(水蒸気だが)を吐きながら軽い調子でイストは言った。

 慌てて取り返した水面の魔剣に魔力を込める。今度はそういう能力を使うつもりで。

(確かに魔力を放出して、それが反射して返ってくるような感じがするな)

 イストが言うところの観測とやらは魔剣自体がやっているらしく、頭の中には大まかな地形が浮かんだ。

「故に『水面の魔剣』というわけか・・・・・」

 少々複雑な心境だ。手にしてからまだまだ日が浅いとはいえ、自分の魔道具について今さっき触っただけの他人から教えられるとは。

(未熟だな・・・・)

 思い知らされる。

 そんなリリーゼのセンチでブルーな心境を意図的に無視して、イストは右から二番目の通路を選んで先に進んでいく。その先が一番広くなっていたからだ。リリーゼも無理やり気持ちを切り替え、そのあとを追った。

 進んでいくと回りの雰囲気が変わった。
「工房・・・・か?」

 目の前に広がったその光景は工房と呼ぶのがもっともふさわしく思われた。どうやら反乱軍はここで魔道具を作っていたらしい。

「だが、工房というにはガランとしすぎていないか?」
「もともとは色々道具があったんだろうが、戦いが終わってから持ち出したんだろう」

 そうやって資材をかき集めて町を作り、だんだんと成長して独立都市ヴェンツブルクとなったのだろう。知識として知っているのと、こうして遺跡を探索し肌で感じるのとでは、心に迫るものが違う。

「少し見て回るか」

 そういってイストは古の工房跡に足を踏み入れた。足元は荒くではあるが舗装されており、先ほどまでと比べると格段に歩きやすい。無数に残る人工的に削られた跡や窪みが、ここで多くの人が働いていたことを無言のうちに物語っていた。

 入ってすぐの空間が広くなっており、さらに左右の壁を掘って作ったのだろうか、幾つかの小部屋が連なっている。

 その一つに、それはあった。

「これは、・・・・・まさか・・・・・」

 壁に何かの文字が刻まれている。ただ現在は使われていない古代文字(エンシェントスペル)が使用されており、リリーゼには読めない。

「珍しいな。この時代の遺跡に古代文字(エンシェントスペル)が使われているなんて」

 300年前ならば既に現在使用されている常用文字(コモントスペル)が一般に普及していたはずだ。

「これじゃあ、何が書いてあるか読めないな・・・・」

 これが聖銀(ミスリル)の製法かもしれないと思うと残念で仕方がない。

「だがまぁ、先人たちの足跡を見られただけでもためになったな。・・・・ってイスト?」

 イストは眉間にしわを寄せながら壁に刻まれた古代文字(エンシェントスペル)を睨むようにしてみている。

「『我ら・・・・』」
「読めるのか!?」
「何とかな・・・・・」

 集中しているのかイストの返事はいい加減だった。欠けていて読みにくいとか劣化が酷いとか色々ブツブツ言いながらイストは解読を試みている。

「何で古代文字(エンシェントスペル)が読めるんだ?」

 今更この男にどんな秘密や特技があっても驚かないが、それでもやはり気にはなる。難しい顔をして解読するイストの背中に、リリーゼは問いかけた。

「オレの師匠が酔狂な人でな。自分が作った魔道具についての記録を古代文字(エンシェントスペル)で書くんだ。で、オレも覚えさせられたってわけ」

 ま、今でも職人の中には使っている人もいるし、古い文献なんかは結構古代文字(エンシェントスペル)で書かれたものも多いから便利だぞ、とイストは事もなさげに答えた。

 職人たちは自分の作った魔道具について詳細なレポートを残しておくことが多い。が、それは誰にでも見せてよいものでは断じてない。そこで現在は一般には使われていない古代文字(エンシェントスペル)や、仲間内で使う暗号を用いてレポートを書くのだ。

 もっともこの話は一昔どころか二昔以上前のことで、現在はそういったレポートは各工房で厳重に管理されているのが普通だ。そのため使用される文字も常用文字(コモントスペル)が圧倒的多数で、古代文字(エンシェントスペル)などほとんど使われない。そんなご時勢にわざわざ古代文字(エンシェントスペル)を用いるイストの師匠は、そして恐らくは彼自身も、よほどの酔狂なのだろう。

 そんなことを考えていると、解読が終わったのか、イストが立ち上がった。

「なにが書いてあったのだ?」

 まさか本当に聖銀(ミスリル)の製法が書かれているとはさすがに思えないが、わざわざこんなところに、しかも古代文字(エンシェントスペル)を用いて書いている文章だ。人並みには興味がある。

「『我ら・・・・』」


我らは自由を求めるものなり
我らが求める自由は与えられるものにあらず
我らが求める自由は我らの手で掴むものなり
同志たちよ、忘れるなかれ
与えられし自由は、また奪われるもの
己が手で掴む自由こそが真の自由なり
我らはここに宣誓す
我らは諸人の自由を奪わず、我らの自由を奪わせず


 朗々と、イストの声は響き渡った。

「宣誓文だったのだな」

 余韻に浸りながら、リリーゼはポツリと呟いた。ベルウィック・デルトゥードとその同志たちはこの言葉と理念を胸に戦ったのだ。そしてその歴史は今まさに独立都市ヴェンツブルクへとつながっている。

「先人たちの理想と大望の上に私たちはいるのだな」

 そう考えると胸が熱くなる。

 イストの方を見ると、なにやらノートのようなものに壁の宣誓文を書き写していた。ちなみに古代文字(エンシェントスペル)のままだ。

「聖銀(ミスリル)の製法じゃなくて残念だったな」
「なに、もともとそんなに期待していなかったからな。それにこれはこれで予想以上に面白いものが見れた」

 満足満足、とイストは白い煙(水蒸気だが)を吐きながら嬉しそうに言った。書き終えたノートをしまい、立ち上がる。

「さて、残り四つの分かれ道も探索してみるか」

 そうして、大まかにではあるが鍾乳洞全体を探索し終えたのは、もうしばらく時間がたってからであった。

**********

 転送用の魔法陣を使ってもとの遺跡に戻ってきたときには、あたりは黄昏時を迎えていた。頭上を見上げると、昼間と夜の曖昧な境界が地上を見下ろしている。これから時間が進むにつれて夜が深まっていくのだ。

「しまった!」

 リリーゼが焦った大声を上げた。日の傾きが分からない場所にいたせいか、遅くなりすぎた。

「イスト、今日は本当に面白かった。それにためになった。それで、ええと・・・・」
「ああ、オレのことは気にしないで早くいきな。門限とかあるんだろ?」

 焦っているせいかうまく言葉の出てこないリリーゼに苦笑しながらイストは声をかけた。それを聞くと挨拶もそこそこにリリーゼはモスグリーンの外套をイストに返し、脱兎の如く駆け出した。

「良家は門限にも厳しいか」

 大変だな、と完全に他人事の調子で呟く。そして、さて、といって表情を改めた。

 左手の袖を軽くまくる。左手の手首には古めかしい腕輪が付けられていた。装飾は凝っているが派手な感じはしない。

 その腕輪には魔力を込める。すると先ほどまで何もなかった空間に、突如石造りで蔦の絡みついた扉が出現した。

「アバサ・ロットが工房、『狭間の庵』へようこそ、ってか」

 軽口を叩きながらイストは石造りの扉を開きその内側へ消えた。扉が完全に閉まりきると、その石造りの扉は宙に溶けるようにして消えていった。




[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法⑦
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:52
門限には何とか間に合った。遅れていたらと考えると恐ろしい。昔兄たちが門限を破ったときに受けたおしおきの数々は、幼かったからこそ聞いただけでもトラウマになっているのだ。電撃だの水攻めだの逆さ釣りにして回されるだの、そんな目には遭いたくない。ちなみにおしおきをするのは父ではなく母のほうだ。何を隠そうラクラシア家最強は母であるアリア・ラクラシアなのだ。

 最近新作が試せなくてつまらないわ、などとアリアは不満げにぼやいていた。何の“新作”なのかは考えたくもないし、試されたくはもっとない。

 ふう、と何度目か分からない安堵の息をつく。門限に遅れていたら今目の前にあるこの夕食も食べられなかったに違いない。食卓の上に所狭しと並べられたおいしそうな料理の数々は母であるアリアの作だ。

 今日の夕食には家族が全員そろっていた。ここ最近仕事が忙しく家に帰ってきていなかった父や兄たちも、今日は合間を見つけたのかそろっている。

 その席でリリーゼは今日体験した貴重な経験について語った。
「・・・・・それで泉の近くである魔導士と出会ったんです。遺跡めぐりが趣味で、名前は確か・・・・」
「イスト・ヴァーレ?」

 その名前を言ったのはクロードだった。
「そうです。そう名乗ってしました。どうしてクロード兄上がその名前をご存知なのですか?」
「騎士団で入出国表を確かめていたら、その人物がここ最近何度も出たり入ったりしていてね。備考の欄に遺跡めぐりが趣味だって書いてあったから、もしかしたらってね」

 そうでしたか、と言ってからリリーゼはさらに話を進めた。
 イストが光彩の杖で劣化して読み取れなくなっていた魔法陣を発動して見せたこと。転送された先が鍾乳洞だったこと。

「・・・・それで目印を残したんです。ペイントボールという元々は仮装パーティーなんかで使う魔道具で、見せてもらったものは鳥が翼を広げる様子の絵柄でした。視覚補助用の魔道具とリンクしていて大まかな位置関係が分かるといっていました」

 ペイントボールには他にも獅子や蛇、馬に狼など、他にも種類があると言っていましたね、とリリーゼはその時の様子を出来るだけ忠実に思い出しながら説明した。

 狼か、と呟いて考え込んだのは長兄のジュトラースだった。

「他にはどんな魔道具を持っているといっていたのかね?」
 ディグスが穏やかな口調でリリーゼに問いかけた。

「そうですね・・・・、禁煙用で“無煙”という煙管型の魔道具とか、あと見せてもらってはいませんが、髪や眼の色を帰ることが出来る魔道具も持っているようなことを言っていました」

 そう、リリーゼが言った瞬間だった。和やかだった食卓の雰囲気が変わったのは。ラクラシア家の男三人はそろって厳しい顔をして互いに視線を交錯させた。

「ジュトラース、手勢を集めろ。クロード、騎士団を動かせるようにしておけ。そのイスト・ヴァーレという魔導士を探すぞ」

 は、と短い返事をして兄弟は食卓を後にした。ディグスもその後を追うようにして出て行く。後に残されたのはさっぱり事態が飲み込めていないリリーゼと、穏やかに微笑んでいるアリアだけだ。

「・・・・母上、これは一体・・・・?」
「リーちゃんがお父様から頂いたあの魔剣、どうやらそのイスト・ヴァーレさんが持ち込んだみたいねぇ」

 のんびりと答えるアリアには緊張感の欠片もないが、その言葉を聞いたリリーゼは殴られたような衝撃を受けた。これから起こるであろう事態が、頭の中を駆け巡る。

「くっ」

 短いうめき声を残しリリーゼも走って食堂から出て行った。恐らくは一度部屋に戻り、水面の魔剣を帯びてから町へ駆けていくのだろう。

「あらあら、大変ねぇ」

 ぜんぜん大変そうじゃない態度と口調と雰囲気のままでアリアはお茶を優雅に口にした。

「門限に関しては、今日は大目に見てあげましょう」

 それからまだ多くの料理が残っているテーブルに目を向け、

「お料理、冷めちゃうわねぇ・・・・・」
 そう、少し悲しそうに呟いた。

**********

 リリーゼが父であるディグスから貰った魔道具「水面の魔剣」は優れた魔道具である。が、今回問題なのは水面の魔剣そのものではなく、それがイスト・ヴァーレという魔導士によって持ち込まれた、という事実であった。

(おそらく闇ルートで売り払ったのだろう)

 暗黙の了解を守っているうちはそういう商売が黙認されていることを、当然リリーゼも知っている。

 さて、非合法のルートで魔剣が持ち込まれたということは、正式な工房に属していない職人がいるということだ。魔道具の製造は規制されていなくても、売買は法によって規制されているからだ。

 もっとも在野(この場合の在野とは工房に属していないことを言う)に魔道具職人がいること事態は珍しいことではない。ただし水面の魔剣ほどの魔道具を作れる職人となれば話は別だ。これほどの腕をもった職人は滅多にいない。どんな手を使ってでも口説き落とし抱え込みたい、と少々の富や権力を持っているならば誰もがそう思うだろう。

(そしてヴェンツブルグの三家はそういう野心を抱くのに十分すぎるほどの富と権力を持っている)
 手早く動きやすい服装に着替えながらリリーゼは苦い表情を浮かべた。

 そして、水面の魔剣を作った職人への手がかりがあのイスト・ヴァーレなのだ。

 恐らく、というかほとんど確実に、父と兄たちはラクラシア家の全力を挙げてイストを探すだろう。そしてラクラシア家が動けばガバリエリ家とラバンディエ家もそれを察知して動くだろう。

 リリーゼはこのとき思い至ってないが、レニムスケート商会もまたイスト・ヴァーレの身柄を狙っていた。

「大変なことになるぞ・・・・・!」

 おとなしくイスト・ヴァーレを探し回るだけならいい。だがそうはならないだろう。あちらこちらでいざこざが起こるはずだ。それだけなら三家の問題で収まるが、その混乱に乗じて狼藉を働く者たちが出てくるだろう。

 今夜この都市は混沌の様相を呈するだろう。そのなかで自分に何が出来るだろうか。

「くっ・・・・・」

 だが、だからといって「何もしない」という選択肢はリリーゼにはありえない。イストに関わった人間として、事態が収まるのをただ待つだけなど到底出来なかった。

 何も出来ないかもしれない。自分が未熟なことなど、自分が一番よく分かっている。だがそれでも、

「何もしないよりはましだ」

 そう自分に言い聞かせ「水面の魔剣」を掴むと、彼女は夜の帳が下りた街へと駆け出していった。




[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法⑧
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:54
 「ハァハァハァ・・・・」

 荒い呼吸を何とか整えていく。リリーゼが街を駆けずり始めてから、既に小一時間がたっていた。ラクラシア家の動きは既にガバリエリ家とラバンディエ家にも伝わったらしく、それらしい二、三人の集団がそこかしこにいる。

 これまでイストが宿泊していたという宿屋を幾つか見つけた。しかしどの宿屋も出立した後ということで、本人を見つけるには至っていない。

「一日ごとに宿を変えているのか・・・?」

 疲労と苛立ちが募る。
 こういう事態を想定して一所に留まらないようにしていたのだろうか。あの男ならそういう思考をするのではないか。そう考えたら皮肉っぽい笑みを浮かべたイストの顔が浮かんだ。

(『気分』とか言いそうだな・・・・・。想定していたなら、あの男のことだ、単なる嫌がらせに決まっている・・・・!)

 短い、それこそ半日程度の付き合いしかしていないが、それでもリリーゼはイストに対して「軽薄で酔狂」という先入観を持っていたし、それは正しい感想であると言えるだろう。それがイスト・ヴァーレの一面であるという意味では。

 頭を振り、考えを切り替える。今はイストの人間性についてあれこれと考えている場合ではない。一刻も早く奴を見つけ、この事態を収拾する。それが今の目的だ。幸いなことに今のところ流血沙汰は起きていない。

 一日ごとに宿を変えているならば、この時間は宿ではなく食事のできる食堂か酒場あたりにいるかもしれない。

「そちらをあたって見るか・・・・」
 長い夜は続いていく。

**********

 さらに二時間ほどが経過した。未だにどの勢力もイスト・ヴァーレを見つけることが出来ないでいる。それどころか有力な手がかりさえ見つけること出来ない。今朝の目撃情報を最後にこの都市で彼を見た者はいないのだ。

 異常な事態である。三家たるラクラシア家、ガバリエリ家、ラバンディエ家、それにヴェンツブルグに拠点を置くレニムスケート商会。この四つの勢力が総力を挙げて探しているのである。しかも今回は名前と特徴まで分かっており、しかもイスト本人は自分が探されていることに気づいていないはずだ。まあ、これだけ大掛かりに捜索されれば気づくかもしれないが。

「それならあの男の性格からして自分のほうから出てくると思うのだが・・・・・」

 とある可能性が頭をよぎる。もしかしたらイスト・ヴァーレはもうこの都市に居ないのではないか。恐らくは四つの勢力共にその可能性には気づいているはずだ。

 だが、引くに引けない。いや、当事者が誰であれこの状況で諦める愚か者はいないだろう。一縷(る)の望みさえあればそこに全力を傾けるはずだ。

(それだけの価値があるのだ。「水面の魔剣」を作った職人には)
 腰に吊るした魔剣を無意識に触りながらリリーゼの思考は走る。

 そもそもこれだけの腕を持った職人が今まで無名で、世間から気づかれずにいたこと事態が異常で、この都市の権力者たちからしてみれば奇跡なのだ。ほんの僅かな可能性さえもないと悟らない限り、この事態が収集されることはないだろう。

「くっ!」

 他の勢力より早く見つけなければと気持ちは焦る。が、実際には何の成果もないまま走り回っている。

 ただただ焦りとイライラだけが募っていく。
 そしてそれはリリーゼ1人に限った話ではない。今宵この都市を縦横無尽に駆けずり回っている四つの勢力の全員に言えることだ。

 既にあちらこちらで小競り合いが頻発している。道を通せだの通さないだの、ここはウチが調べるだのいやウチがだの、理由自体はくだらない。そんな理由で小競り合いを引き起こしてしまう精神状態こそが異常なのだ。

「くそっ!人の気も知らないで!」
 頭に浮かんだイストに悪態をつく。

 さっさと出て来い、イスト・ヴァーレ。でないと小競り合いで程度ではすまなくなるぞ。そう半ば呪うかの如くに念じながらリリーゼ・ラクラシアは夜のヴェンツブルグを疾走する。

 そうやって疾走するリリーゼの視界に四人の男が入ってくる。三人が刃物をチラつかせながら一人を囲んでいる。

 恐喝。思考は単語で走り、行動に直結する。

「痴れ者が!!」

 「水面の魔剣」を抜き放つ。刃物を持った三人がリリーゼに気づいた。彼女の持っている剣が魔剣であることは一目瞭然だが、小娘と侮ったのかそれとも数を頼んだのか、それともその両方か、はたまた魔剣を奪おうとでも考えたのか、三人は目標をリリーゼに変えた。

 最初の1人が正面から手にした刃物を突き出す。それを、右足を軸にして体を回すようにしてかわす。さらに勢いあまった男とすれ違う瞬間、体を回した勢いそのままに魔剣の柄を男の首筋に叩き込む。

(まず一人・・・・!)

 倒れこむ男の存在はすぐに思考からはじき出し、残りの二人に意識を向ける。気配は左右。左が速い。

 一人目に魔剣の柄をぶつけたことで体を回した際の勢いは既に死んでいる。突き出された刃を、僅かに体をズラす事でかわす。男が的を外し、体制を崩していく様子がやけにゆっくりと瞳に写る。

 転ばないために男は大きく右足を踏み出す。一閃。その右足の太ももを右上段から魔剣で撫でるように斬る。足の筋を斬られた男は体重を支えることができず、そのまま倒れこんだ。

(二人・・・・!)

 最後の気配は後ろ。倒れこむ男を避けるようにして飛んで間合いを開ける。体を反転させると、最後の男が刃物を斜めに振り下ろしてくる。それをバックステップでかわし、相手の右上腕部の筋を斬る。

「ちっ、覚えてよ・・・・」

 短く悪態をつくと男は傷口を押さえてその場から走り去った。恐喝されていた男を捜すと、既に逃げたのか姿はない。

 礼が欲しかったわけではない。が、やはり虚しさは否めない。それは、一刻も早くイスト・ヴァーレを見つけなければならないのに、こんなところで格下のゴロツキ相手にチャンバラを演じなければならない、自分の現状に対しても言えることだ。

「ああ、もう・・・・」
 募る苛立ちを押さえ、リリーゼは再び走り出した。あちらこちらから物騒な喧騒や悲鳴が聞こえた。

 なぜ気づかなかったのだろう。

 あの時、彼が「水面の魔剣」の探査能力を使って見せたときに。

 あれは決して偶然などではない。彼は知っていたのだ。この魔剣にその能力があることを。当然だ。「水面の魔剣」の元々の所有者はイストなのだから。

 そもそも自分に色々な魔道具を見せてくれたのは、その情報を父や兄たちに伝えさせてこの状況を招くためではなかったのか?

「だとしたら私は・・・・!」

 とんでもない道化を演じさせられてことになる。仮にイストにその意図がなかったとしても、「水面の魔剣」の元々の所有者が彼であることに気づいていたなら、今のこの混沌とした状況は多少なりともマシになっていたはずだ。

「弱音を吐くな」

 イストに怒りをぶつけるのも、自分を責めるのも後でいい。今は、
「できることをする。そう決めたはずだ」

 彼女の夜は長い。




[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法⑨
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:56
 東の空が白んできた。

「朝か・・・・・」

 疲れもあらわにリリーゼは呟いた。飲まず食わずの休みなし、というわけではなかったが、一晩中走り回ったのだ。正直、もう動きたくなかった。

 そう、結局一晩中イストを探して街中を駆け巡ることとなったのだ。にも拘らず彼は見つからなかった。これはラクラシア家に限ったことではなく、他所でも同じだ。

「お嬢様、一度お屋敷にお戻りください」

 途中から一緒に行動していたラクラシア家の私兵の1人がそう声をかけた。

「夜も明けました。さすがにバカ騒ぎも収束するでしょう」
「そうだな・・・・・」

 一晩かけても手がかりはほとんど掴めなかった。これ以上は恐らく無意味だろうし、他の二家やレニムスケート商会もそれは承知しているだろう。それにリリーゼ本人としても空腹で疲れきっている。

「帰って休むとするか」
 そう言ってリリーゼが魔剣を杖に腰を上げたとき、

「はっはー。朝も早よからお疲れのご様子。昨晩は何か楽しいことでもあったのかい?」

 イスト・ヴァーレまさにその人が現れたのだった。


「な・・・・・?」

 驚愕を顔に貼り付けてリリーゼは絶句した。つい先ほどまで街中を駆けずり回って探しても見つからなかったイスト・ヴァーレその人が、今まさに目の前にいるのだ。

 驚愕は徐々に怒気へと変わっていく。

「き、貴様!今までどこにいた。私たちは一晩かけてお前のことを街中探し回ったのだぞ、イスト・ヴァーレ!」
「街中探し回って見つからなかったんなら答えは一つだろ」
「・・・・え?」
「街の外に居たんだよ」

 昨日の月見酒は最高だった、と彼は笑った。無煙を吹かし白い煙(本人の自己申告を信じるならば水蒸気)を吐き出すその姿は忌々しいまでに軽薄だ。

「街の・・・外・・・だと・・・?」

 単純にして驚愕の事実を聞かされ、リリーゼはその場に座り込んだ。一緒にいたラクラシア家の私兵たちも一様に驚いたような疲れたような、複雑な表情を浮かべている。

 私たちが必死に街中を走り回っていたときに渦中のこいつは外で暢気に月見酒を煽っていたというのか・・・・・?

 そう思うと、フツフツと怒りが再燃してくる。

「ともかくだ!ここであったが千年目。イスト・ヴァーレ、貴方にはラクラシア家までご足労願うとしよう」

 拒否は認めない、と言い放つ。私兵たちも表情を厳しくして、断れば力ずくで、と無言のプレッシャーを掛ける。しかし、そんなプレッシャーなどまるでないかのようにイストは無煙を吹かしている。

「オレは別に構わないが、構う人たちもいるらしい」

 そういってイストは路地に目を向ける。リリーゼもその視線を追う。すると、ガバリエリ家の私兵の一団が路地から現れた。さらにラバンディエ家、レニムスケート商会の私兵もなだれ込み、場は一気に緊迫した。

 ラクラシア家、ガバリエリ家、ラバンディエ家にレニムスケート商会。四つの勢力が(下っ端ばかりとはいえ)勢ぞろいしてしまった。どの一団もこのイスト・ヴァーレを確保せんと気がはやっている。それぞれがそれぞれに間合いを計り、機先を制そうとしている。朝の、ともすれば肌寒いくらいの時間帯なのに、全身から汗が吹き出てくる。リリーゼも水面の魔剣を正面に構え、三つの一団が全て視界に入るように立ち位置を調整する。

 まさに一色触発の事態だ。が、当のイストはといえばふてぶてしくも無煙を吹かし白い煙(本人の自己申告を信じるならば水蒸気)を吐き出している。その表情はこの事態を楽しんでいるかのようだ。

「どいつもこいつも引く気はない、か・・・・」

 緊迫した雰囲気の中、ただ1人その空気に飲まれることなく声を発したのはイストだった。

「予想通りっと。ま、そうでなくっちゃな」
 そういってイストは、悪戯を成功させた子供のように笑った。

「とりあえずオレはラクラシア家にご招待されるとするよ。ご令嬢の形相が怖いからね」

 冗談めかして言った彼の言葉にその場にいる人々は一気に色めき立った。緊張が膨れ上がり、場の均衡が崩れるその刹那、

「だから、それぞれの代表にラクラシア家まで来るように伝えてもらえるかな。話は役者が揃ったら聞くから」

 そういったイストの言葉で場が落ち着きを取り戻す。が、当たり前だが、簡単にその提案を受け入れることはできないらしい。

「・・・・・ここでお前を力ずくで連れて行けば同じことだ」

ガバリエリ家の私兵の一団のリーダーらしい男が唸るようにしていった。他の面々もその選択肢は捨てがたいらしく、表情には迷いが見える。

「ここで事を起こして俺の心証を悪くすると、ご主人サマの交渉に響くぞ。そしたらお前らクビ、だな」

 杖を持っていない左手でクビを切る仕草をしながら茶化すようにイストは告げた。言われた男は渋い顔をして黙り込んだ。皆が沈黙し、何も言わなくなるとイストはリリーゼに水を向けた。

「んじゃ、行こうか。あ、ついでに朝食を付けてくれると嬉しい」
 メシまだなんだわ、と相当に厚かましい希望を沿えて。

**********

 末娘のリリーゼが見知らぬ男を連れて帰宅したとき、父であるディグスは内心焦った。まさかこの一晩のうちに良からぬ男に引っかかったか、であればこの男どうしてくれよう。と顔には出さず物騒なことを考えていたが、そんな父親の心配は杞憂に終わった。


「父上、この男がイスト・ヴァーレです」

 娘にそう紹介された男は、年のころは二十歳の始めごろで背丈は170半ば。髪と瞳の色は黒で赤褐色の外套を羽織っていた。右手には背丈より少し長い杖を持ち、左手で煙管を吹かしている。顔立ちは整ってはいるがとりたてて美形というわけではない。が、そのアクの強そうな瞳は容姿以上に彼に生気を与えていた。

 ディグス・ラクラシアは狂喜した。が、そこは政に関わる者。己の感情は全て腹の中に押さえ込み、表にはおくびもださぬ。ただ万人向けの作り笑顔を向け、当家にようこそ、とこの重要な客人を迎えたのであった。

 ラクラシア邸でイストが最初にしたことは、厚かましくも朝食の催促であった。朝食はすでにアリアが用意してあり、ラクラシア家の面々もまだ朝の食事を食べていなかったので、都合よく相伴することとなった。

 食事の最中、ディグスは例の魔剣について、色々と(というか主に製作者について)尋ねたが、そのたびに「その話は役者が揃ってから」とはぐらかされた。

「リーちゃんの魔剣を売ったの、貴方なのですってねぇ」
 おっとりとした口調で口を開いたのはアリア・ラクラシアであった。

「そうですよ、奥方」

 他家の食卓で遠慮も緊張もすることなく、優雅に紅茶を楽しみながらイストは肯定した。この事はもはや公然の事実なので隠す必要がない。ちなみにこの男が丁寧な口調で話をすることにリリーゼはどうしても違和感を覚えてしまう。

「そのことが引き金となって、昨晩から今朝にかけての騒ぎとなったのですねぇ。幸い死者が出たという話は聞いておりませんが、けが人や物取りの被害に遭われた方々は100人を超えるとか」

 アリアは一旦間を取った。そして柔和な微笑を浮かべ続ける。

「この責任、どう取るおつもりですか?」

 食卓の温度が凍りつくほどに下がった。アリアを見れば先ほどとまったく変わらぬ微笑を表面上は浮かべている。が、その笑顔は間違いなく黒いし、背後には般若が見える。

 リリーゼは背中に冷や汗が流れるのを感じた。二人の兄もご同様の様子だ。が、当のイストはといえば、アリアの物理的圧力さえ感じそうな笑顔もどこ吹く風、先ほどとまったく変わらず優雅に紅茶を啜っている。

「ホント、どうするんでしょうね」
「・・・・・・・」

 重たい沈黙が食卓にのしかかる。

「答えないおつもりですか」
 アリアが初めて険のある声を出した。

「当然です。オレが問うたのですから、貴方たちに。どうするつもりなのか、と」

 怪訝な顔をするラクラシア家の面々に対し、いいですか、と前置きしてからイストは言葉を続けた。

「オレは小さな火種を持ち込んだだけ。その火種に薪をくべ、油を注ぎ大火に仕立て上げたのは、他ならならぬ三家とレニムスケート商会です。ならば責任を取るべきは彼らでしょう?」
「そもそも火種がなければ大火は起こらない。そうは思いませんか」
「火種なんてそこかしこに転がっていますよ。それともその全てに対して責任を求めるおつもりですか」

 そもそも、とイストは続けた。ティーカップを置き、責めるように、からかうように瞳が光る。

「今回の一件、動きが大きすぎるんですよ。まったく関係のない両替屋のおっちゃんまで『強力な魔道具が持ち込まれたらしい』って話を知っていた。もっと秘密裏にやる方法はいくらでもあったでしょうに」

 ディグスが苦い顔をする。やり方がまずかったことは自覚しているらしい。

「私にまったく責任がないとは言いません。しかし私より先に責任を問われるべき人々がいる、と思いますよ」
「・・・・・・魔道具の密売は犯罪だ。その咎でお前を捕らえることもできるのだぞ」

 いいように言いくるめられたことが悔しかったのか、クロードが唸るようにして脅した。論法を変えて、少し脅しておくつもりなのだろうか。

「なら密売品を非合法に買い取って、さらにその犯罪者と一緒に食事をしている皆さんも共犯ですね」
 鮮やかに切り返され、すぐにクロードは言葉に詰まった。

「それにこんな話をするためにオレを呼んだのではないのでしょう?」

 そう言ってイストが視線を向けた先にはラクラシア家の執事が腰を折っていて、来客を告げた。





[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法⑩
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 14:57
 舞台は客間に移る。

 ラクラシア家の客間には五人の男がいた。三家たるガバリエリ家、ラクラシア家、ラバンディエ家のそれぞれの当主、レニムスケート商会の首領(ドルチェ)、そして「例の男」。今回のバカ騒ぎの中枢が一堂に会したのだ。ちなみにリリーゼも同席を希望したのだが、許可は下りなかった。

「夜更かしをしたのですから、その分ゆっくりと休まないと。お肌が荒れてしまいますよ?」
 そう(黒い)笑顔を浮かべたアリアに押し切られ、今頃はベットの上だろう。

「さて方々、オレが『例の男』ことイスト・ヴァーレだ。以後お見知りおきを」
 イストはそう挨拶したが、半分以上は儀礼的なものだ。

「我々を一堂に集めて何を話そうというのかね。部下の話では交渉といっていたそうだが」
 早速口を開いたのはラバンディエ家の当主だ。

「交渉の前に二つほど言っておきたいことがある」
 先ず一つ目、といってイストは人差し指を立てた。

「あの水面の魔剣を作ったのは、他でもないこのオレだ」

 彼らが最も聞きたかった情報をあっさりと彼は提示した。色めき立つ当主たちを無視してイストは話を続ける。

「そして二つ目は、オレはどこの工房にも属す気はないってことだ」

 イスト以外の四人は一様に難しい表情となった。目論見が潰えたから、ではない。むしろこの発言で「イストが水面の魔剣を作った」という話の信憑性は増した。工房に属す気がないくせにそんなウソをつく理由はないからだ。

「では、この場でどのような交渉をするおつもりですか?新たに魔道具を売却したいというのであれば、我が商会が買い取らせていただきますよ」

 話を進めたのはレニムスケート商会の首領(ドルチェ)、ジーニアス・クレオであった。

「その話は又の機会に」

 ジーニアスの誘いを柔らかく断り、さて、と彼は話を続けた。
「このまま何もなしでは方々としても収まりが付かないだろう。色々と物騒なことも考えかねないからな、水面の魔剣とは関係ないが別の交渉材料を用意した」

 それがこれだ、といってイストは一枚の紙切れをテーブルの上においた。ガバリエリ家の当主がそれを手に取り、そして眉間にしわを寄せた。

「・・・・・・なんだ、これは」
 そこに書かれていたのは彼らには読めない文字、古代文字(エンシェントスペル)だった。

「貴様ふざけているのか」
「そこには聖銀(ミスリル)の製法が記されている」

 当主たちの怒りは一瞬にして霧散した。代わりに困惑が彼らを支配する。当然であろう。聖銀(ミスリル)の製法は教会が厳重という言葉が陳腐に聞こえるほどの仕方で管理しているのだ。そんな秘中の秘が今目の前にあるといわれてもそう関単に信じられるわけがない。

 そんな当主たちの困惑を無視して、イストは一つの封筒を机の上に置いた。口は赤いロウで封がされている。

「そしてこいつにソレを常用文字(コモントスペル)に翻訳したものが入っている」

 ああそれと、と思い出したようにイストは付け加えた。
「そっちの紙には細かい手順や数値は書いてないから」
「・・・・・なぜ貴様が聖銀(ミスリル)の製法を知っている・・・・」

 唸るようにしてそういったのはラバンディエ家の当主だ。

「この街の近くにある遺跡から見つけた」
 こともなさげにイストは答えた。

「ソレが本当なら、その遺跡を探索すれば我々も同じものを見つけられるな」

 リリーゼからあらかた話しを聞いているディグスがそういった。それも古代文字(エンシェントスペル)で書かれているかも知れないが、古代文字(エンシェントスペル)が読める人物は探せば見つかるだろう。

「甘いな。オリジナルはもう潰した。判別は不可能だ」
 ニヤリ、とイストは邪悪そうな笑みを浮かべた。

「そもそも、そこに入っている製法は本物なのか?」
 かなり疑わしい、という目を封筒に向けるガバリエリ家の当主。

「実際に合成してみればいい。それで納得できるだろう?」

 むぅ、と当主たちは押し黙った。そんな中、いち早く思考を商売に切り替えたのは、やはりというか商人ジーニアスだった。

「幾らで売りつけようというのです?その製法」
「1万シク」

 金貨で1万枚。その金額に当主たちは難しい表情を浮かべた。法外だったから、ではない。むしろ破格といっていいだろう。

 教会は聖銀(ミスリル)の売却益で年間の活動予算のおよそ三割をたたき出しているのだ。その金額たるや莫大で、ともすればそれだけで小国の国家予算並みの金額になる。仮に教会と客を二分するとしても、1万シクなど一年のうちに補完でき、さらには10倍以上のおつりが来るだろう。

「四人だから、1人頭2500シクでいいぜ」
「・・・・・いいだろう。ただし、支払いはその製法が本物だと・・・・・」

 確認したあとでだ、と言おうとしたラバンディエ家の当主をジーニアスが遮った。

「―――お待ちください」

 若干の興奮も混じらぬ、冷静を通り越して冷徹な声。その目は獲物を狙うかのごとくに鋭くなっている。

「仮に聖銀(ミスリル)を合成して売ったとしてもそれほどの利益は望めません。十中八九、教会の横槍が入ります」
「だろうな」

 ジーニアスの冷静な分析をイストは肯定した。
「とすれば1万シク高すぎます」
 2000~3000が妥当でしょう、と彼は大胆に値切った。

「それは普通に聖銀(ミスリル)を合成して売ったときの話だろう?やり方を変えればいいだけの話だ」
「どうやるというのだ」

 ディグスが疑わしそうに言った。そんな彼にイストは苦笑を向け、ジーニアスに視線を転じた。

「あんたなら当たりは付いてるんじゃないのか」
 そんなイストの指摘をジーニアスは飄々と受け流した。

「私も是非知りたいですね。教えていただけますか」
 イストは肩をすくめ、食えない人だとこぼしてからその方法を述べた。

「聖銀(ミスリル)ではなくその製法そのものを売る。今オレがやっているみたいにな。長期的な収入にはならないけどかなりの利潤が出るぞ」

 そして、できる事なら一時期の間に大陸中の不特定多数の工房に売りつける。

「そうするとどうなる?」

 大陸中の工房で聖銀(ミスリル)が製造されることになるだろう。

「その全てに介入して利ザヤをはねるなんていくら教会でもできっこない。というより得策じゃない」

 教会とは国ではなく組織である。つまり自前の国土を持たない。その教会が大国並みの権力と富を持てる、その源泉はひとえに大陸中に存在する信者たちである。

 しかし、工房に圧力を掛けて利ザヤをはねるという行為はどうしても敵を作る。端的に言えば信者が教会から離れてしまう。一つ二つの工房ならそう大した問題にはなるまい。が、大陸中不特定多数の工房となれば話は別である。そこに連なる人々の数たるやもはや国家単位の人口となるだろう。

 その全てを敵に回せばどうなるか。教会の権力基盤は揺らぎ、発言力は低下する。それ以前に信者からの寄付金が目減りすれば活動そのものに差障るのだ。

 長期的に見ても短期的に見てもリスクしかない。

「・・・・・・どうやって大陸中にばら撒く?」
「おいおい、それぐらい自分たちで考えてくれよ」

 一同は押し黙った。話は決まった。




[27166] 乱世を往く! 第一話 独立都市と聖銀の製法 エピローグ
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:01
 結局、三家の当主たちとジーニアスはイストの案に乗り、聖銀(ミスリル)の製法を1万シクで買い取ることになった。ただし実際に合成してみて本物であることを確認してから、という条件付。

(ま、筋書き通りだな)

 今、イストはラクラシア家の一室にいる。聖銀(ミスリル)の合成実験は準備の関係上、明日行われることとなり、監視も含めてこの部屋をあてがわれたのだ。もっとも、まだ代金は一銭も受け取っていないので監視の必要などないのだが。

 事の成り行きに満足し、イストは無煙を吹かして白い煙(水蒸気だが)を吐き出した。と・・・・・・。

「イスト・ヴァーレ!ヴェンツブルグ近くの遺跡から聖銀(ミスリル)の製法を発見したとは一体どういうことだ!」

 ドタバタと扉をけり破らんばかりの勢いで部屋に入ってきたのはリリーゼであった。が、当のイストはといえば、

「ノックぐらいしろよ」

 まったく動じた様子もない。

「聖銀(ミスリル)の製法など、あの遺跡のどこにあったのだ!?」
「あの壁に刻んであったヤツ」

 ぬけぬけと、彼は答えた。リリーゼはといえば「予想はしていた、が認めたくない」といった様子で頬を引きつらせている。

「じゃあ、あの宣誓文は!?」
「口からでまかせ。なかなかそれらしく聞こえただろ?」

 下唇を噛み俯いてプルプル震えているリリーゼの肩に手を置き、いっそ清々しい笑顔でイストは最後に余計な一言を放つ。

「『おお、無知は罪なり』」
「返せ!わたしの感動を返せ!」

 ちょっぴり涙目で叫ぶリリーゼの絶叫がラクラシア家にこだました。


**********

 大陸暦1563年5月、このときより歴史は緩慢に動き出す。しかし、後の歴史家たちより転換点とされるのはこの先1ヵ月後の出来事である。


 第一話、完。




[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征 プロローグ
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:03
   決断に必要なのは決意ではない
   覚悟である


**********

第二話 モントルム遠征

 クロノワ・アルジャークは私生児である。ただし、彼の父親はエルヴィオン大陸の北東部に位置する大国、アルジャークの皇帝ベルトロワ・アルジャークであった。

 彼の出生は一向に劇的でない。侍女として宮廷に上がっていた娘が皇帝の御手つきとなり子を身ごもったという、掃いて捨てるほどによくある話である。

 クロノワの母の懐妊が発覚したとき、皇帝は彼女に暇を出し宮廷から去らせた。ただし身一つで放り出したわけではなく、辺境ではあるが小さな家と母子二人が慎ましく暮らしていくのに十分な金銭を与えている。

 これが父である皇帝ベルトロワの愛情だったのか、それとも単に厄介払いをしただけなのか、クロノワはついに結論を得ることがなかった。恐らくはその両方であり、厳密に言えばそのどちらでもないのだろう。

 なにはともあれ、クロノワの幼少期は静かなものであった。彼は自分が皇帝の血を引いているなど思いもしなかったし、母もおくびも出さなかった。さらにこの時期に、彼は1人の友を得るのだが、その話はまた別の機会にしよう。

 平凡ながら静かな人生が一変したのは、クロノワが十五のときであった。前の年の冬から母の具合が悪かったのだが、年が明けてから容態が急変し、春を待たずにこの世を去った。

 一人残され途方にくれる少年クロノワの前に現れたのは皇帝が遣したと言う一団であった。そしてこのとき初めて彼は自分が皇帝の血を引いていることを知ったのだった。

 母の死の悲しみも果てぬうちに彼の生活の場は辺境の小さな家から帝都ケーヒンスブルグの宮殿へと変わった。そこで彼を待っていたのもまた、掃いて捨てるほどによくある話であった。

 陰湿なイジメ、あからさまな陰口、公然とされる侮辱。彼の教師たちは隠すことなく軽蔑の視線を彼に投げつけ、同年代の子弟たちとの交友は一方的な暴力をもってなされた。自分をここに呼んだはずの皇帝は何もしてくれなかった。その妻である皇后はむしろ悪意の急先鋒であった。嬉しい誤算があったとすれば、クロノワの腹違いの兄であるレヴィナス・アルジャークが彼に無関心であったことだろう。ただこれは決して弟を気遣った結果ではない。レヴィナスの心情としては道端の石ころを無視するのと同じ感覚であったろう。

 なによりも彼の内腑に突き刺さったのは母への侮辱であった。

「下賎な女の子供」

 というレッテルはいつもクロノワに付きまとい、そして彼を苦しめた。彼に味方はおらず、彼の周りにあるものは、敵意と消極的無視だけであった。

「ここは寒いな、イスト」

 暖かいはずの部屋で彼がこぼした独り言は、歴史書には残っていない。

 このように精神的に劣悪な環境の中でクロノワはまず味方を作ること(決して増やすことではない)から始めた。

 まず、常に笑顔でいるように心がけた。誰に対しても挨拶し、失敗を犯せば許し時には庇ったりもした。教師たちには敬意を払い授業はまじめに受けた。嫌がらせ同然の仕事を頼まれても喜んで果たした。

 とても十五の少年がたどり着ける境地ではない。自力でたどり着いたとすれば「悟りを開いた」とでも言うべき精神的な脱皮が必要である。その境地にたどり着いたのが自力にせよ他力にせよ、彼がとった味方を作るための行動は成功した。

 この時期のことを後にクロノワはこう述懐している。

「私がいつ腹芸を身に付けたかといえば、間違いなくあの時期だろう。そして最も使ったのも。まったく、皇帝になってこんなに楽でいいのかと拍子抜けしたくらいだよ」

 幾分冗談の成分が混じっているとはいえ、この時期は彼にとって最もつらい期間だったのだろう。

 少しずつではあるが、クロノワの周りには人が集まるようになった。元々の人柄もあったのだろう。宮廷で働く人々はこの突然現れた第二皇子を徐々に受け入れていき、噂やさまざまな情報を教えてくれるようになった。教師たちも彼が優秀で敬意を持った生徒であることを理解すると、その態度は好意的なものになっていった。教えがいのある生徒だったのだろう。

 比較的高い地位にいる人々もクロノワを受け入れ始めた。その筆頭ともう言うべき人物がアールヴェルツェ・ハーストレイトであった。彼はアルジャークの一軍を預かる壮年の将で、兵士からの信頼も厚い。彼が味方となったことでクロノワを取り巻く宮廷内の状況はかなり好転した。クロノワの警護をアールヴェルツェの部下が担当することになり、こうしてクロノワは少なくとも物理的に安全な空間を宮廷内に確保したのであった。

 味方ができても敵が減ったわけではないので、向けられる悪意の量に大した変化はない。しかし少なくともクロノワは、その狂ってしまいそうな精神状態からはどうにか開放されたのであった。

 転機が訪れたのはクロノワが十八のときのことであった。この年、彼は皇帝の勅命により国内をくまなく巡る視察に出ることとなった。一見すれば左遷である。しかし彼の感想は違っていた。

「うれしかった。その一言に尽きる。私にとってあの宮殿は悪意の巣窟だったからね。視察だろうがなんだろうが、離れられるならなんだってよかった。それに旅をしてみたいとずっと思っていたから」

 とは言っても、いくら「下賎な女の子供」と軽蔑されているとはいえ皇子である。護衛も付けずに一人で視察に行けるわけもない。三〇人ほどの護衛が付いた。皆、アールヴェルツェが選んだ者たちで、クロノワに対しては好意的だった。

 この護衛隊を率いたのがグレイス・キーアという女騎士だった。士官学校を一桁台の席次で卒業した秀才で、また優秀な魔導士でもあった。彼女は元々アールヴェルツェの幕僚の一人なのだが、少々がんばりすぎて上から睨まれた。上、といっても将たるアールヴェルツェ自身が彼女を疎んだわけではない。彼女を白眼視したのは先輩に当たる幕僚たちであった。

「小娘が何を偉そうに」
といったところであろうか。

 クロノワの護衛隊長として彼女を推したアールヴェルツェの思惑としては、「世界を見て回って大人(・・)になってきなさい」といったことを考えていたのかもしれない。

「不満ですか?」

 出立に当たって顔を伏せ悔しそうにしているグレイスにクロノワはそう声をかけた。彼女は数瞬の沈黙の後、問いには答えずこういった。

「殿下は嬉しそうですね」

 自らの問いの回答が得られなかったことをクロノワは特に気にしなかった。

「そうですね。実際嬉しいです。ずっと旅に出てみたいと思っていましたから」

 余談であるが、この当時クロノワは誰に対しても、それこそ宮廷で働いている侍女に対しても、敬語を用いて話しをしていた。三年に及ぶ修行(・・)の成果と言えるだろう。

 クロノワの言葉を聞き、グレイスは彼がこの三年間迫害され続けてきたことを思い出した。クロノワはグレイスたちといるときにはそのことをおくびも出さないから忘れがちではあるが、彼の精神は圧迫され続け休まることを知らない。

(強い方だな)

 グレイスは素朴にそう思った。同時にこの視察の間に刺客に襲われるかもしれない、と思った。が、すぐにその可能性は低いと思い直した。

 クロノワへの迫害の急先鋒といえば皇后であるが、この人が彼を迫害する理由はただ単に「憎し」という感情的なものであって、政治的な思惑はまったくといっていいほど絡んでいない。

 なぜなら、次の皇帝は彼女の子供であるレヴィナスに決まっているのだから。皇太子として既に後継者としての地位を確保している以上、「下賎な女の子供」に付け入る隙などどこにあろう。であるならばわざわざ刺客を放ってクロノワを排する必要などない。視界に入らなくなれば忘れ去るだけだ。

 大した見送りもないまま彼らは出立した。そして彼が現れるのはそのおよそ三週間後であった。

**********

 その日は一日中移動に費やして、暗くなる前に野営の準備をしているところであった。クロノワは決して快適とは言いがたい野営にも文句を言わず、むしろ積極的にその準備を手伝っている。始めはグレイスたちも恐縮していたのだが、今では慣れてしまい好きなようにやらせていた。

「やれやれ、困ったお方だ」

 そうこぼす愚痴には、隠すことなく親愛の情がこもっている。

 そんな時であった。不審な男が近づいてきたのは。

「よう、クロノワ、いるか?」

 そういってグレイスに話しかけたのは、クロノワ殿下と同じくらいの年の男だった。身長は一七〇半ばで赤褐色のローブを羽織、右手には身長より少し長い杖を持っている。顔立ちは整っているが、取り立てて美形というわけではない。だがその瞳には無視できない輝きがある。

「貴様、殿下を呼び捨てにするなど・・・・・!大体貴様は何者だ!?」

 グレイスが好意的な反応を示さなかった原因は多分にして男のほうにある。が、当の本人はといえばまったく気にした様子もない。こういう図太いところは、クロノワに通じるものがあるのかもしれない。

「イスト・ヴァーレ。あいつの友達」
「友人だと・・・?貴様のような得体の知れない輩と殿下に面識があるわけが・・・・・」
「あいつがまだ辺境にいた頃に知り合ったのさ」

 そういってもまだグレイスは信用しきれないように、イストと名乗ったこの男を疑いの目で見ていた。ちょうどその時、騒ぎを聞きつけたクロノワ本人がやってきた。

「イスト・・・・・!なんでここに」
「や、久しぶり」

 この先、影に日向に歴史を動かしていく、友人同士の久方ぶりの再会であった。



「ホント、久しぶりだな・・・・・」

 感慨深そうにクロノワは呟いた。場所は彼の天幕の中だ。二人は向かい合って晩酌を楽しんでいた。野営ということありたいしたものはないが、それでもクロノワは上等な食料を選んでこの友人をもてなした。ちなみに二人が飲んでいるお酒はイストが持ち込んだものだ。

「最後にあったのが宮廷に入った直後だったから、かれこれ3年ぶりか・・・・・」

 早いのかな、とイストはクビを傾げた。そんな、常人とはちょっと異なる感性をもつ友人にクロノワは苦笑した。

「オーヴァさんはどうしている?できれば礼を言いたいのだけど」

 オーヴァはイストの師匠だ。クロノワが宮廷で暮らし始め陰湿な迫害に会い始めた頃、イストとオーヴァは彼に会いにあったのだが、そこでオーヴァはクロノワに味方を作るための「策」を授けたのだ。

「感謝してもしきれないよ。あの助言のおかげで生き延びた。そう思っている」
「師匠とは別れたよ。どこかの工房に落ち着くつもりだ、といっていたけど」
「そうか、残念だな」

 それからクロノワはふと思い出したように尋ねた。

「じゃあ、名も継いだのか」
「ああ、オレが今の『アバサ・ロット』だ」

 おめでとう、といってクロノワは杯を掲げた。どうも、といってイストも杯を掲げる。そして二人は同時に杯の中の琥珀色の液体を飲み干した。芳醇な香りと味が広がり、喉が焼かれたように熱くなる。

 それから他愛もない話をした。お互いの近況、噂話、くだらない冗談。話題は次から次へと変わり、尽きることがない。

 一本目の魔法瓶(魔道具。中の液体を任意の温度に保つ)を空にして二本目を飲み始めたとき、やおらイストの口調が真剣なものになった。

「クロノワ、オレと旅に出ないか」

 昔、まだ少年だった頃、そんな約束をした。

「いつか一緒に世界を回ろう」

 そんな約束をイストがまだ覚えていてくれたことが、素直に嬉しい。

 確かに、今ならば可能かもしれない。自分が失踪したところでこの国の政は小揺るぎもいしないだろう。心配してくれる人より、手をたたいて喜ぶ人々のほうが多い。気心の知れた友人と世界を旅する。それは甘美な誘惑だ。だが・・・・・。

「・・・・・いや、やめておくよ」

 答えるまでに、クロノワは数瞬の沈黙を先立たせた。

「そっか」

 軽く肩をすくめてイストは杯をあおった。

「理由、聞かないのか」
 クロノワの声は暗い。

「ま、な。なんとなく分かったから」

 イストの声はいつもと変わらない。チーズを一切れ口に放り込み杯を傾ける。

「おまえ、満足してるだろ?そんなヤツ、どうたきつけたって無駄さ」

 自分が満足しているとイストは言った。そうだろうか、とクロノワは内心クビをかしげた。不満は多々ある。しかし、現状それはあまり気にならない。というより割り切ることができている。それを満足というのだろうか。

「だとしたらそうかもしれないな」
「ま、お前を誘いに来たのはついでだしな」

 そういってイストは腕輪を取り出した。聖銀(ミスリル)製で細かい装飾が施されており、小指の爪くらいの大きさの青い結晶が埋め込まれている。

「魔道具、『ロロイヤの腕輪』。小部屋一つ分くらいの亜空間が固定されていて、まぁいろいろ放り込める」

 何も入ってないけど便利だぞ、といってイストは腕輪を投げてクロノワに渡した。

「お前の道具袋と同じか?」
「オレの道具袋は空間拡張型だけど、まぁ用途としては同じだな」

 イストの道具袋は師匠であるオーヴァから貰ったもので、空間拡張型魔道具「ロロイヤの道具袋」という。

 ロロイヤは初代アバサ・ロットの本名で、彼は空間拡張や亜空間といった類の魔道具製作で群を抜いていた。歴代のアバサ・ロットたちが工房として使ってきた「狭間の庵」も彼が作ったものだ。この類の魔道具に「ロロイヤ」の名前を冠すのは歴代のアバサ・ロットたちの一種の慣例らしい。

「これを渡すためにわざわざここまで?」
 クロノワは若干呆れ気味だ。

「ああ、名を継いだからそれらしいことをしたくてな」

 アバサ・ロットは自分の気に入った人物にしか魔道具を作らない。イストが「アバサ・ロット」であることを知っているクロノワに魔道具を贈るということは、それは彼がクロノワのことを昔と変わらず大切な友人だと思っているということだ。

 こそばゆい。が、同時にとても嬉しい。あるいは恥ずかしさを紛らわすためにイストは酒を出したのかもしれない。

「大切にするよ」

 二人だけの宴は続く。





[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征1
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:06
大陸暦一五六三年、このところのクロノワの評価は一時期に比べかなり改善されたといえる。その理由は彼が二年前、十九才のときに行った視察の旅に由来している。

 視察、といっても大半の人間の意見が一致している通り左遷であったから、真面目にやる必要などない。テキトーに国内を回り、「皇子」の肩書きに物言わせて各地で豪遊を楽しんでもよかった。

 が、クロノワはそれをよしとはしなかった。視察に訪れた各地を丹念に調べ、宮廷に詳細な報告書を上げた。その簡潔明瞭でなおかつ核心を突いた文章は、名文として後世でも高い評価を得ている。

 その文章を読んだ者たちは一様にして感嘆の声を漏らしたという。各地の問題を客観的かつ多角的に分析し原因を抽出、そして現状に基づき実現可能な解決策を提案している。その文章は簡潔で回りくどくなく、誤解の余地がない。

「なかなかどうして、できるお方のようだ」

 アルジャークには武官だけでなく文官にも実力主義の気風が根付いている。だからといって若輩者や成り上がり者に対する反発がなくなるわけではないが、今回はそれがいい方向に働いたようだ。

 少しずつ政に関わるようになったクロノワは、もともと能力があったのだろう、すぐに頭角を現した。治水事業や新たな土地の開墾、盗賊団の討伐。この二年間、彼は実に多くの経験をした。

 そして今、また新たな経験を積もうとしている。戦争という経験を。

**********

 その日、クロノワは宮廷の一室でアールヴェルツェと会っていた。グレイスもいる。視察が終わってから彼女の評価も上がり、アールヴェルツェの幕僚の中でも一目おかれるようになっている。

「先日、モントルム出兵の指揮を執るよう陛下から内密に命を頂きました」
「・・・・・!」
 クロノワの口調はいつもと変わらない。しかしその内容は衝撃的だ。

 モントルムはアルジャークの南方に位置する小国だ。アルジャークが百二十州を保有しているのに対してモントルムの国土は三十州。1つの州の大きさはまばらだが、平均すると国土面積や国力はおおよそ州の数に比例する。つまりアルジャークはモントルムの四倍ちかい国土と国力を保有していることになる。

「ではついにオムージュに出兵するわけですね」

 オムージュはアルジャークの西南、モントルムの西に位置しており、その国土は七十州。オムージュの大地は肥沃で、冬の長いアルジャークからすれば魅力的な土地だ。歴史の中で両国の国境線が書き換わったことは多々あるが、オムージュとモントルムが同盟を結んでからは国境線の変更は一度もない。オムージュとモントルムの国力をあわせれば百州となる。アルジャークの兵は精強をもって知られており、同盟を結んでも勝つことは至難だ。しかし、負けないように戦うことは十分に可能であり、現にアルジャークはこれまでオムージュとモントルムが同盟を結んでから勝ちきれたことがない。

 しかし、オムージュそしてモントルムを手に入れるための戦略がここ最近、形になり始めていることをアールヴェルツェも知っていた。

「レヴィナス兄上が十四万を率いてオムージュとの国境付近に展開、オムージュ軍をひきつけます。その間に我々は六万の軍を率いモントルムを攻略、さらにオムージュの国境を脅かす。というシナリオらしいです」
「オムージュとモントルムの軍を別々に叩く、というわけですな」

 14万の大軍が国境付近に展開していれば、オムージュもそれにあわせて国境に兵を集めざるを得ない。そうしてモントルムへ援軍を出させないようにし、またオムージュ軍がアルジャークへ侵入しないようにするのだ。

「つまり、レヴィナス殿下の軍が本命というわけですか」
 グレイスは面白くなさそうだ。

 クロノワがモントルムを攻略すると同時に、レヴィナスがオムージュ攻略に動く。当然こちらのほうが功は大きい。グレイスはそれが面白くないのだろう。

 そんな彼女に苦笑しながらクロノワは説明を続ける。

「我々の目的はモントルムだけではありません」
「どういうことですか?」
「陛下は『南を制圧せよ』と仰せになりました。恐らく、ヴェンツブルグも目的の内です」

 独立都市ヴェンツブルグはモントルムの東端に位置している。宗主国はモントルムだが、独立した主権を所有している。

「不凍港が欲しい、ということですな」

 アルジャークにも港は幾つかある。しかし、皆冬になると凍り付いて使い物にならなくなるのだ。年間を通して使用できる不凍港はアルジャークの悲願であるともいえる。

「陛下は大陸の東側を、そしてそれ以上をお望みなのでしょう」
 そういってクロノワは目を閉じた。短い沈黙が場を支配する。

「モントルム攻略に際しては、どのように兵を動かしますか?」
 話題を実務に引き戻したのはアールヴェルツェだ。

「兵は6万といいましたが、内訳はどうなっています」

 大雑把な内訳は歩兵三万、騎兵三万。これに補給部隊などが加わる。魔導士部隊は今回は加わっていない。

「モントルムのダーヴェス砦までは、歩兵に足を合わせなければなりません。六万では少々きついですね」
 そういってグレイスは渋い顔をした。

 モントルムの常備軍はおよそ四万。北のアルジャークとの国境に一万、南の国境に一万、そして王都オルスクに二万だ。ただし、国境付近に配置されている警備郡はその地方の治安維持もかねており、常に砦に一万の兵がいるわけではない。これ以外にオムージュとの国境境にはまとまった兵はいない。ただし、これは通常の動員令に基づくもので、戦時召集をかければそれほど無理をせずともさらに四万の兵を集めることができる。北側で二万、南側で二万だ。

 一度宣戦布告がなされればモントルムはダーヴェス砦に兵を集めるだろう。まず王都から援軍として一万、そして周辺から二万の兵が集まってくる。合計で四万。

「四万の兵に堅牢を誇るダーヴェス砦にこもられると厄介ですよ」

 正面からダーヴェス砦を攻め落とすならせめて倍の八万は欲しい。六万では少々厳しい。攻めきれないだろう。

「一応、策はあります。聞いてもらえますか」

 そういってクロノワは自分が考えた策を二人に話した。それを聞いたアールヴェルツェは腕を組んで唸った。

「奇策、ですな。いつも使えるわけではない」
「ですが今回に限れば・・・・・」

 独り言のようにグレイスは呟いた。いま彼女の頭の中では実際に兵が動いているだろう。

「あらかじめ国境付近に兵糧を準備しておけば、かなり自由に動き回れると思います」

 グレイスの意見にアールヴェルツェも賛成した。

「ではその方向で準備しましょう。次は・・・・・」

 着々と、準備は進む。




[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征2
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:06
アルジャークがモントルムに宣戦布告したのは大陸暦一五六三年六月二日のことであった。ケーヒンスブルグに駐在しているモントルム大使を宮廷に呼び出し国交断絶を通達した。モントルム大使は蒼白な顔をしたが何も言わずこれを受け大使館に帰り、魔道具「共鳴の水鏡」を用いてこの報を自国にもたらした。同日、モントルム大使館が閉鎖され、軟禁状態となる。これはモントルムのアルジャーク大使館も同様である。

 余談だが、ここで用いられた魔道具「共鳴の水鏡」は通信用の魔道具である。情報を正確に素早くやり取りすることは、国家戦略上大変重要である。そのため、通信用の魔道具も数多く製作されたが、皆一様に同じ問題を抱えることとなる。つまり通信距離が長くなると魔道具自体が巨大化していくのだ。実用化できる段階になるととても持ち運びのできない大きさになってしまう。なかには家一件分の大きさのものまであったらしい。

 共鳴の水鏡も一部屋分くらいの大きさがあるのだが、使用する魔力の量が比較的少なく、通信の性能が安定しているため、現在大陸中の国家で広く使用されている。(ただし設置コストがなかなかお高いため、一般にはあまり普及していない)

 その共鳴の水鏡でアルジャークとの国交断絶(事実上の宣戦布告)を伝えられたモントルムの廷臣は激震し、口々にかの国を罵った。

「北の餓狼め、それほどまでに南の大地が欲しいのか!」
「野蛮人どもは北の辺境に篭っていればよいのだ」
「六万程度の軍で我々を屈服させられると思ったか。さすがに蛮族は思考が浅はかだな」

 数々の暴言を感情の赴くままに放ちともかく頭を冷却した彼らは、目の前に突きつけられているアルジャーク侵攻という事態に取り組み始めた。まずは同盟国であるオムージュにこのたびのことを伝え、協力して事態にあたることを確認した。戦時召集をかけ、アルジャークに対抗するための兵力を集め始めた。

 一方、レヴィナスは宣戦布告がなされるその三日前に、既に十四万の兵を率いてオムージュとの国境付近にある砦、リガ砦に向けて出立している。リガ砦はもともとオムージュが一二〇年ほど前に立てた砦なのだが、およそ五〇年前にアルジャークがこの砦を攻略して、それ以来アルジャークが使用している。ちなみにリガ砦を落とされたことでオムージュはモントルムとの同盟に踏み切ったのだ。

 これに対しオムージュは既に十二万の軍を組織し、さらにモントルムに援軍を要請している。アルジャークの兵は精強をもって知られている。たとえ同数の戦力をそろえたとしても勝つどころか負けないことも難しい。まして数で劣っているとなれば事態は深刻である。それはモントルムとしても理解している。オムージュが負けてしまえばモントルムなど風前の灯である。是が非でも援軍を送り、勝てなくとも負けないようにしなければならない。が、同時にモントルムとしては、自身に降りかかる火の粉をも払わねばならない。オムージュに送る援軍を集めると同時にダーヴェス砦に兵を集めた。

 ダーヴェス砦に集める兵の内訳はクロノワたちが予想したのとほぼ同じである。王都オルスクから援軍として一万、そして周辺から二万の兵を集める。合計で四万となる。これだけの兵力を集めれば、いかにアルジャークの兵が精強を誇ろうとも六万程度であればダーヴェス砦を死守することは十分可能である。

 もちろんすぐにこれだけの兵を集めることができるわけではない。それなりに時間がかかる。砦には常に一万の兵が駐留しているわけではないが、一両日中には召集が可能だろう。王都からの援軍は歩兵が中心になるため、ダーヴェス砦に着くまでにおそらく八~十日程度かかるであろう。周辺から集まってくる兵が二万人に届くまでにはさらに時間がかかると思われる。とはいえアルジャーク軍も歩兵に足を合わせる以上、ダーヴェス砦まで十五日程度はかかるはずで、それまでには十分に間にあう。間に合うはずであった。



 白金色の甲冑に身を包み、クロノワは出陣を控えていた。目を閉じ深く瞑想している。これからの戦いに思いをはせている、と普通ならば判断するべきだろう。しかし、彼が考えているのはまったく別のことであった。

「これが最後の機会、だな・・・・・」

 友人と、世界を旅するための。全てを放り出し、ただ未知を求めてこの広い世界を歩く。それを想像するだけでどうしようもなく心が躍る。

 評価が上がったとはいえ、陰湿で悪質ないじめがなくなったわけではない。その全てから開放は彼が願ってやまないものだ。

 現状からの開放と元来の欲求。イストと共に旅に出ればその二つを満たすことができる。しかし・・・・・・。

「殿下、そろそろお時間です」

 グレイスの声で目を開ける。

「今、行きます」

 剣を手にして立ちかがる。その足取りはしっかりとしていた。



 モントルムの廷臣たちは実際に刃を交えることになるのは六月十七か十八日であろうと予測していた。しかし最初に戦火の火蓋が切って落とされたのは、彼らの予想よりも早い六月八日、モントルムの王都からダーヴェス砦に至る街道でのことであった。



[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征3
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:08
 ダーヴェス砦はアルジャークからモントルム王都オルスクにいたる街道の国境付近に位置している。街道というのは大雑把に言えば旅をしやすいように整備されている道のことである。歩きやすいよう、荷車や馬車が通りやすいようにされている。盗賊団などによってあらされることのないように警備がなされ、一日の行程ごとに宿が用意されている。当然、軍隊を移動させるのにも街道を使うのが一番やりやすい。

 モントルムの王都を出立してダーヴェス砦に向かう一万の援軍も街道を用いていた。士気は可もなく不可もなくといったところだ。いまだ戦場となるはずのダーヴェス砦からは離れているからこれは仕方がない。しかし緊張感を欠いていたと言わざるを得ない。兵士たちは編隊を乱してバラバラに歩いており、同僚とのおしゃべりに興じている者が大多数だった。

 ソレが起こったのは昼前のことであった。彼方から土煙が巻き起こり、ついで甲冑を着込んだ騎兵が姿を現した。このときですら彼らは突如として姿を現したこの騎兵隊が敵軍であるとは思わなかった。

 なぜならばそんなことは彼らの常識としてありえないからだ。アルジャーク軍がまず攻撃を仕掛けるのはダーヴェス砦である。砦が健在であればそこを拠点に補給線を襲うことができ、そうなればアルジャーク軍はこの先戦うことができなくなるからだ。そんなことは初歩的なことは、敵軍も重々承知しているはずで、ダーヴェス砦よりも内側にいる自分たちの前に敵軍が現れるなどありえないことであった。

 しかし彼らの常識は次の瞬間に無残にも打ち砕かれることとなる。騎兵三万の掲げる旗がアルジャークのものだったからだ。

「アルジャーク軍!!」
「敵襲!!」

 絶叫は悲鳴となり、全軍から起こった。

 それから始まったものは戦闘と呼べるようなものではなく、むしろ一方的な殺戮であった。アルジャーク軍騎兵三万に対し、モントルム軍歩兵およそ一万。三倍ちかい戦力差に加え、モントルム軍は逃げるところから戦闘が始まったのだ。まともに戦えるわけがない。

 最初の一撃でモントルム軍は突き崩され、もはや集団として指揮されることが不可能になった。

 武器を捨て甲冑を脱いで逃げるモントルム兵にアルジャーク軍は襲い掛かった。歩兵の足ではどうあがいても騎兵からは逃げられない。血しぶきが舞い、あちらこちらから断末魔が上がる。モントルム軍は散々に追い回され、もはや軍隊として用を成さないまでに追い散らされた。

 モントルム兵がバラバラの方角に逃げ去り、もはや脅威とはなりえない事を確認してから、アルジャーク軍騎兵三万は悠々とその戦場を離れたのである。

 このときのモントルム側の戦死者は五千とも六千とも言われている。戦力の三割を失えば大敗といわれることを考えれば、なんとも無残な負け方をしたといえる。一方アルジャーク側の損失はといえば、ただ一言だけが歴史書に記録されている。「軽微」と。

 敗走したモントルム軍の代わりに街道をダーヴェス砦に向けて駆け上るアルジャーク軍の、その馬上でクロノワは青い顔をしながらこみ上げてくるものを必死に飲み込んでいた。

 彼にとって先ほどの戦闘が初陣であった。いや、戦いを見たことがないわけではない。だが小さな小競り合いはここまで鮮烈で過酷な様相を呈することはなかった。国境沿いで戦闘が発生した際に派遣されたことは何度かあったが、それでも彼自身は後ろで控えていることが多かった。そもそもアルジャーク帝国はここ最近、大きな対外戦争をおこなっていない。だからクロノワにとってこれほどまでに大規模で生々しく凄惨な戦場は初めてで、そういう意味でこれが彼の、本当の意味での初陣であったと言える。

 結局彼自身は誰一人として討ち取ることはなかったし、そもそも敵兵と剣を鳴り合わせて戦うことさえなかった。それでも眼前で展開された戦闘は十分すぎるほどに生々しく、衝撃的であった。

 背中には嫌な汗が流れている。こみ上げてくるのは吐き気だけではない。寒気、不快感、罪悪感、恐怖。その全てを腹の中に押し戻す。

(逃げはしない。いや、・・・・)

 逃げてはいけない。あそこで死んだ者たちの、その死の責任のおよそ半分は自分が背負うべきものなのだから。

「いかがしましたか」
 アールヴェルツェがクロノワの顔をのぞき込む。

「いえ、なんでもありません。それよりも急ぎましょう。次はダーヴェス砦に周辺から集まってくる援軍を一つでも多く叩かなくては」

 疾風が駆け抜ける。死をもたらす黒い甲冑の疾風が、北へ向けて疾風怒濤の字の如くに。

**********

 アルジャークからダーヴェス砦まで歩兵の足にあわせて移動していては敵の援軍が集結しきってしまう。そうなれば砦を落とすのは至難となる。

 だが、騎兵だけならば?騎兵だけならば行軍速度は飛躍的に加速する。歩兵に比べれば三分の一から四分の一、ともすればそれ以下になる。これならば砦に援軍が集結する前に各個撃破を仕掛けることができる。今回、クロノワたちはそれをやった。

 奇策である。兵力を分散するため通常であれば各個撃破される危険性が付きまとう。しかし今回はモントルム側も兵力を集めている最中である。砦に一万。街道から一万。周辺から集まってくるものが二万。ただし、これは全てが砦に集まれば二万ということであって、砦までは百数十から千数百の単位で砦を目指すから、いわば小魚の群れである。

 つまり、アルジャーク軍騎兵三万を凌駕するような戦力はこの時点では存在しない。であるならば、十分に実行可能な作戦であるといえる。

 ちなみに砦を攻めなかったのは、そのための装備を持ってこなかったからだ。それは歩兵部隊が持ってくる。

 無論、問題もある。砦が健在な以上、補給線を延ばすことはできない。とすれば活動時間に大きな制約がかかることになる。とはいえ、補給物資は歩兵部隊と一緒に来るので、そのときまでもてばよい。クロノワたちはあらかじめ国境近くに補給物資を用意しておくことでこの問題に対処した。

 甲冑を身にまとった黒き風が駆け抜ける。

 街道からやってくる一万の援軍を完膚なきまでに叩き潰した彼らの次の目標は、周辺から集まってくる小魚である。





[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征4
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:09
 結局、小魚との戦闘は片手で数えられる程度しか起こらなかった。ダーヴェス砦以南にアルジャーク軍が既に三万騎もいることを知った小魚たちは、砦に近づくこともできず、さりとて戦いを挑めるはずもなく、ただ隠れていることしかできない。アルジャーク軍としては探し出して叩いてもよかったのだが、クロノワは砦と合流さえしなければよい、といってそれをしなかった。

 砦も息を潜めて動かない。否、動けない。砦の戦力は一万。アルジャーク軍騎兵三万と正面から戦って勝てるはずもない。奇襲も考えたが、歩兵が主力の砦の兵とはなにぶん足が違う。中途半端な戦力で奇襲を仕掛けても意味がないのでやるならば全軍でやることになるが、その間に砦を落とされては目も当てられぬ。

 結局、動けない。そうやって日数だけが過ぎていく。援軍もやってこない。王都からやって来るはずの一万が既に壊滅していることはダーヴェス砦にも伝わっている。アルジャーク軍が睨みをきかせているので、周辺からやって来るはずの援軍は集結できない。まさに孤立無援の状態であった。

 そしてついに砦の北側にアルジャーク軍の歩兵部隊三万が現れたのである。

「どうやら歩兵部隊が到着したようです」
「そうですか。思ったより早かったですね」

 現在クロノワたちはダーヴェス砦の南側に街道を封鎖する形で布陣している。歩兵部隊が到着したのであれば、南北から挟み込む形で砦を包囲することができる。

「アールヴェルツェ将軍、歩兵部隊と合流したほうがいいと思いますか」
「いえ、南側を空けると周辺から援軍が集結することが考えられます。このままにしておいたほうがよいでしょう」

 そうですね、といってクロノワは砦に視線を転じた。六万の戦力が整い、しかも敵戦力が一万しかない以上、砦を攻略することはたやすい。総攻撃を仕掛ければおそらく一日で落ちるだろう。

 が、気乗りしない。それを想像すると少々鬱にさえなる。

(あの街道での戦闘のせい、でしょうか・・・・・?)

 そうかもしれないと思う。あのような戦い経験すれば良し悪しはともかくとして変わらずにはいられない。

「とはいえ騎馬隊の兵糧も少なくなってきています。早めにけりをつけたほうが良いでしょう」

 明日にも総攻撃を、とアールヴェルツェは言った。

「降伏勧告をしてみませんか」

 そういってクロノワはアールヴェルツェと視線を合わせた。一瞬、緊張が走る。

「・・・・・・・勧告をするなら今日中にすべきでしょう。回答の期限は明日の夜明けまで。もし受け入れない場合は・・・・・」

 総攻撃を仕掛けます、とはアールヴェルツェは言わなかった。しかし、もし砦が降伏を受け入れなかった場合、そうしなければいけないことはクロノワにもよく分かっていた。ダーヴェス砦を落として終わりではないのだ。

「勝てないと分かっている戦いを、わざわざする必要はないでしょう・・・・?」

 砦に視線を向け、クロノワは一人そう呟いた。

**********

 降伏勧告の文章はアールヴェルツェやその幕僚たちの意見を聞きつつ、クロノワ自身が書いた。かつて彼が視察先から送った報告書がみな名文だったことも関係しているのだろう。

 彼が書いた降伏勧告文の要点をまとめると以下のようになる。

 一つ、アルジャーク軍は三万ずつ南北に展開している。
 二つ、王都オルスクからの援軍は、すでにこれをアルジャーク軍が壊滅させており、ダーヴェス砦にやってくることはない。
 三つ、周辺からやってくる援軍も騎兵三万が砦の南側にいる以上、集結することはできない。
 四つ、である以上砦の戦力一万のみでアルジャーク軍六万と戦わなければならず、モントルム軍に勝ち目はない。
 五つ、当方は無用な流血を好まず、降伏を受け入れるならば一兵たりとも死なせないことを誓う。
 六つ、回答の期限は明日の夜明けまで。
 七つ、回答がない場合、総攻撃を仕掛ける。

 これらのことが無駄な装飾を一切用いず、要点のみが述べられている。それが一層彼らの自信を表しているようであった。

 さらにクロノワは策略家としての一面ものぞかせた。勧告文の内容を砦の兵たちにもわかるように情報を流したのである。ダーヴェス砦の将ウォルト・ガバリエリは忠臣で、たとえ勝てないとわかっている戦いでも、それでも戦うのが忠義の道だと思っている。しかし下々の兵はそうではない。彼らにしてみれば勝てないとわかりきっている戦いで命を落とすなど、愚の骨頂であった。

 兵たちは降伏を受け入れるよう徒党を組んでウォルトに直訴した。いや、直訴という言葉では穏当すぎる。脅迫したといったほうがよい。なにしろ槍を持ち出し剣の柄に手をかけていたのだ。

「降伏を受け入れないのであれば、貴方の首を取ってでも・・・・・!」
 と彼らは迫った。

 ウォルトは死を恐れるような人物ではなかったが、兵士たちの心がもはや降伏に傾いていることを知ると、ついに心が折れた。これでは時間稼ぎもできないと思ったのだろう。

 ウォルトは共鳴の水鏡を使って王都に降伏する旨を伝えると白旗を掲げさせた。このときウォルトは自決するつもりであったが部下の一人が止めた。

「差し出がましいようですが、閣下のお命は砦の兵士たちのためにお使いください」
「なるほど。生贄には将たるワシがふさわしい、ということか」

 アルジャークが責任者の命を求めるかもしれない。死ぬならばそのときに、ということである。申し訳ありません、とうな垂れる部下の肩を彼はポンポンと叩いて慰めた。

 ダーヴェス砦は戦わずして降伏した。

**********

 ダーヴェス砦に入ったクロノワは約束どおり、ただの一滴も血を流さなかった。砦の兵たちは武装解除させて砦から去らせた。一万人の捕虜を収容しておく場所も養うための食料もないのだ。ただしウォルト・ガバリエリ以下幕僚たちは地下牢に押し込めてある。扇の要となる存在を自由にしておくわけにはいかないからだ。


 余談ではあるがウォルト・ガバリエリはこの先モントルムがアルジャーク領となってからもダーヴェス砦を任された。もっとも国境警備の砦ではなくなったので兵員は大幅に減らされている。彼は栄達の機会が何度かあったがその全てを断り、終生この砦を預かって過ごした。地域住民からの評判もよく、彼の葬儀には献花の列が絶えなかったという。




[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征5
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:10
 レヴィナスがリガ砦に着いたのは六月十五日のことであった。幾分ゆっくりと軍を進めているようだが、補給部隊に足を合わせているのでこれは仕方がない。それにクロノワがモントルムのダーヴェス砦を攻略してからオムージュに進攻するというのが元々の計画であった。

 もっともレヴィナスとしては腹違いの弟にそれほど期待してはいない。たとえクロノワがダーヴェス砦を落とせず、モントルムからの援軍がオムージュ軍と合流して数の上で凌駕されたとしても勝てる、とごく自然に考えていた。

 オムージュに対して宣戦布告するのは予定では六月二十日である。ただ既にこうしてアルジャーク軍が国境の砦であるリガ砦に兵を集めている以上、オムージュ側もそれに対抗すべく兵を集めているはずだ。モントルムに援軍の要請もしているだろう。

 オムージュ方面軍の司令官は皇太子であるレヴィナスであるが、実質的に軍を動かすのはアレクセイ・ガンドール将軍である。

 壮年を超えようかという年齢だが未だその眼光は衰えを知らぬ。常勝無敗を誇り、その輝かしい軍歴はモントルム方面軍を実質的に動かしているアールヴェルツェをも凌ぐといわれている。まさにアルジャーク軍にとって至宝とも言うべき武将である。

 彼は今、これから進攻するオムージュの大地をリガ砦から遠望していた。どうその大地を切り取るかを考えていると思ったのだろう、部下たちは気を利かせて話しかけてこない。が、彼が考えていたのはまったく別のことであった。

(思いのほか思慮のある方であった)

 今回の遠征に当たって彼が頭を悩ませていたのは戦略戦術のことではない。形式上とはいえ彼の上に立つことになる皇太子レヴィナスのことであった。

(いかに皇太子とはいえ行軍中に優雅だの風雅だの美だのいわれてはかなわんからな)

 レヴィナスの「美しさ」に対する執着はアルジャークの万人の知るところである。今回彼が身に付けている甲冑や剣は全てレヴィナス自信が指示を出しながら製作された特注品で、凝った意匠の装飾が施されている。

(おそらくバカバカしいくらいの費用がかかっておるのだろう・・・・・)

 骨の髄まで武人であるアレクセイとしてはため息もつきたくなる。
 とはいえそうして作られた戦装束をまとったレヴィナスは神々しいほどに輝いていた。将として常に冷静でいることを心がけているアレクセイさえもが、

「英雄とはこういうものか」

 とつい思ってしまったほどである。兵たちの間で信仰じみた人気が生まれたもの、頷けるというものだ。

(いや、あの甲冑はよいのだ)

 レヴィナスはいわば象徴であって実際に剣を振るい戦うわけではない。であるならば兵たちの士気と結束を高めるために、着飾ることもむしろ必要であるといえる。

 だから、アレクセイが心配していたのはそんなことではない。

 レヴィナスの「美しさ」に対する執着は彼の手の届く範囲全てに及ぶ。普段着る衣服から身の回りの調度品。特に彼の住まう宮殿の一角は別世界かと思われるほどに他とは雰囲気が異なる。神々しく神秘的で荘厳。褒め称える言葉が陳腐に聞こえるほど、すばらしく整えられている。

 それはいい。問題はそれを行軍中にされることである。

 彼のこだわりのために「兵士の甲冑をかえろ」だの「この行軍は美しくない」だのアレクセイにはまったく理解できないことを口走り、軍の運用に支障をきたすことを恐れたのだ。さらにいえば数日滞在することになるリガ砦とりでについても、「こんな汚いところにはいられない」などと駄々をこねるのではないかと心配していた。

 もっとも、この心配はアレクセイの気宇に終わった。レヴィナスは軍や砦が戦争のために存在しており、それに自分が求める「美」を要求するのはむしろ滑稽であると十分に理解していた。もっとも自らの使用する物品については品のよい一級品を用いていたが。

(この様子であればこの先の遠征も心配あるまい)

 それでもアレクセイの胸には一抹の不安が残る。

 もし、レヴィナスの手の届く範囲が劇的に拡大したら、それこそ一国の規模で自由にできるようになったら・・・・・・。

(殿下はどのような執政をしかれるのだろうか・・・・・?)

**********

 前にも述べたが、アルジャークがモントルムに国交断絶を突きつけ、事実上の宣戦布告をしてから、ケーヒンスブルグのモントルム大使館は閉鎖され大使以下職員は軟禁状態となっている。そしてそれはモントルム王都オルスクにあるアルジャーク大使館においても同様であった。

「暇ですねぇ・・・・・・」

 ストラトス・シュメイルはそういってもう何度目かわからないため息をついた。大使館が閉鎖され軟禁状態になってから既に十日近くが経つ。なかなか時間がなくて読めなかった本を読んだりして時間をつぶしてはいたのだが、いかんせん暇すぎる。

「まったく、何でこんなに暇なのでしょう?」

 ストラトス・シュメイル、二十四歳。若輩ながら大使として外交の最前線に立つ秀才である。が、やる気を見せたがらない性格のためか、あるいは若輩者へのやっかみか、彼が赴任したのはアルジャークにとって格下の小国であるモントルムであった。

 仕事に熱心な性質(たち)ではない。少なくともそう見せている。

 窓から外を眺めると完全武装したモントルム兵が何人も大使館の周りを歩いている。決して狭くない大使館の四方全てを鼠一匹逃がさぬように固めているのだから頭が下がる。物々しい厳戒態勢だ。

「腕力のない文民相手にご苦労なことです」

 とはいえ、やはりいい気はしないのだろう。言葉に軽い毒が混じる。

「大使、なにを暢気なことを言っているのです・・・・・。いつ殺されるかもわからないというのに・・・・・」

 オロオロしながらストラトスの執務室に入ってきたのは彼の書記官である。優秀な男なのだが少々気が小さい。

「大使、戦況はどうなっているのでしょう・・・・?もしアルジャークが負けでもしたら我々は・・・・・」
「さて、書記官殿もご存知の通り外の情報はまったく入ってきませんからねぇ・・・・」

 今にも泣きそうな書記官に対しストラトスの口調は他人事のようで真剣みに欠けた。

「大使!」

 書記官が非難の声を上げるのを彼は聞き流す。いつものことだ。この大使館に留まっている者たちは多かれ少なかれ同じ不安を抱いている。頭でいくら理性的に考えてみても、やはり感情に引きずられる。

 そんな中、ストラトスはどこまでも他人事のようにそしらぬ顔をしている。不安は多少なりともあるが、周りがあまりにも取り乱すので逆に落ち着いてしまったともいえる。まぁ、もともと飄々と構えていたがる男ではあったが。

 それに自分たちが殺されることはまずないだろうとも思っていた。

 アルジャーク軍が勝てばストラトスたちは戦勝国の人間ということになる。そんな人間を殺してアルジャークの心象を悪くする愚を冒すとは思えない。

 負けたとしてもその確信は変わらない。モントルムに逆侵攻をかける余力があるとは思えないから後は外交処理となるだろう。となれば自分がそれに関わる可能性は高い。とはいえ・・・・・

「負ければこの国での仕事はやりにくくなるでしょうし、勝って併合されてしまえばそもそも大使館をおく必要がなくなりますし・・・・・」

 どちらにしても私にとっては嫌な未来予想図ですねぇ、とどこまでも他人事に考えるストラトスであった。



[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征6
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:12
 ダーヴェス砦降伏の報はモントルムの王宮を激震させた。廷臣たちは慌てふためき、意味もなく右往左往した。

「なんと言うことだ・・・・・。ダーヴェス砦がこうも簡単に落とされるとは・・・・・」

 彼らの戦略を一言でいえば「負けないこと」であった。勝つ必要はない。砦に兵を集めアルジャーク軍を足止めし、その間にオムージュに援軍を送る。オムージュに侵攻する本隊さえ押し返せば、モントルム側に来ている敵軍も連鎖的に撤退するはずであった。

 それがこうも簡単に砦を落とされてしまった。王都までの間には兵を配置し敵を防ぐための城郭は存在しない。仮に戦うとすれば野戦となる。

 今現在、モントルムは少々無理をして五万の兵を王都に集めている。これは元々オムージュに援軍として送るつもりだったのだが、ダーヴェス砦をアルジャーク軍に落とされ議論が割れてしまった。

 今、モントルムの王宮には三つの主張がある。

 一、最初の思惑通りオムージュに援軍を送る。
 二、アルジャーク軍に対して野戦を仕掛ける。
 三、降伏する。

 どの案もモントルムにとっては苦渋の選択となる。オムージュに援軍を送れば王都が空になり進攻してくるアルジャーク軍に落とされてしまう。かといって野戦を仕掛けても勝てる見込みはほとんどない。それに援軍を送らなければオムージュが負けてしまい、それはモントルムも滅ぶことを意味している。かといって降伏すれば全てが終わってしまう。

 議論は白熱しそして一向にまとまらない。時間だけが無為に過ぎていった。

 事態が動いたのはダーヴェス砦が降伏してから二日後のことであった。モントルム方面進攻軍司令官クロノワ・アルジャークから共鳴の水鏡を用いて通信が入ったのだ。

**********

「お初にお目にかかります。この度アルジャーク軍の司令官を務めているクロノワ・アルジャークです」
「モントルム王、ラーゴスタ・モントルムである」

 共鳴の水鏡を用いてではあるが、二人の始めての対談は上のような差障りのない挨拶から始まった。

「ご存知のことと思いますが、ダーヴェス砦は既に我が軍の手に落ちています。この先、王都までの間に我々を防ぐための城郭はモントルムにはありません」
「承知している」

 圧倒的に不利な情勢にあるにもかかわらず、ラーゴスタはそれをおくびもださぬ。泰然と言った。このあたりさすが一国の王と言うべきであろう。

「単刀直入に言います。降伏しませんか?」
「・・・・・・・」

 ラーゴスタはなにも言わなかった。それを気にするでもなく、クロノワは続ける。

「オムージュに援軍を送ってしまえば王都ががら空きになります。かといって我々に野戦を挑んでもモントルムに勝つ見込みはほとんどない。そもそも援軍を送らなければオム―ジュ軍は負けるでしょうしね。とすれば残る道は降伏のみだと思いますが?モントルム王陛下」

 クロノワの言っていることに間違いはない。が、言葉の端々に勝者の余裕とでも言うべきものが感じられ、それがラーゴスタの癇に障った。

(小僧が・・・・・)

 苦々しく胸のうちで呟く。無論、表には微塵も出さない。

「降伏、ですか。無論そういう選択肢もある。しかしそう軽々しく選んでよいものでもない」
「すでに出ている答えを無視するのは賢明とはいえません」
「さて、我々としても意見をまとめている最中。今しばらくお時間を頂きたい」
「英断を期待しています」

 そういって通信は終了した。

**********

「世間知らずの小僧が。既に勝った気でおるらしい」

 通信が終わるとモントルム王ラーゴスタ・モントルムはそう苦々しく吐き捨てた。あんな小僧にしてやられたのかと思うと本当に腹立たしい。

「陛下、いかがなさるのですか・・・・・?」

 廷臣の一人が恐る恐る声をかける。ラーゴスタは目を閉じ一つ息をついた。目を開けたときにはすでに落ち着いている。

「主だったものを集めよ。今後の方針を決めるぞ」
「もしや本当に降伏なさるのですか?」

 ニヤリ、と笑ってラーゴスタはその考えを否定した。

「愚か者に、政のしたたかさを教えてやるのだ」

 会議室に集まった主だった面々に対してラーゴスタはまずこういった。
「降伏はしない」

 さらに、軍をどう動かすかについては、
「五万の兵を集め、オムージュに援軍として送る」
 といった。

 オムージュに援軍を送りアルジャーク軍を押し返し、その戦力を持ってモントルムを回復する。結局一縷の望みを託すならそうするしかないのだ。

 五万の援軍を送ることができればオムージュ・モントルム連合軍の兵力は十七万となり、数の上ではアルジャーク軍十四万を上回ることができる。しかしそれでも負けないかどうか微妙なところである。それほどまでにアルジャークの兵は強い。

「しかし、ダーヴェス砦のアルジャーク軍がどう動くか・・・・・・」

 それが問題だった。五万の兵を整えるにはまだ時間がかかる。その間に今ダーヴェス砦にいるであろう六万の敵軍に動かれてしまうと援軍を送るに送れなくなってしまう。そうなれば滅亡あるのみだ。

「そこで、共鳴の水鏡を用いて奴らと交渉を行う。降伏を前提にすれば乗ってくるだろう」

 ラーゴスタは自信をのぞかせてそういった。
 しかし会議室に集まった面々は懐疑的だ。

「共鳴の水鏡で降伏交渉を行うなど、聞いたことがありませぬ」

 このような交渉であるならば、本来は双方の代表者が条件を書面にしたためて交換し合い、さらに直接言葉を交わして条件をすり合わせていく、というのが本来のやり方だ。そうでなければ合意文章を作成することができないのだから。

「もとより奴らのほうから共鳴の水鏡を用いて降伏を勧めてきたのだ。問題あるまい」

 それこそが、ラーゴスタがクロノワを若輩者の世間知らずと侮ったもっとも大きな要因なのだ。

「しかし、交渉が早くまとまってしまったらいかがいたします?」
「とぼければよい」

 事もなさげにラーゴスタは臣下の問いに答えた。
 もともと共鳴の水鏡を用いて交渉を行うということ事態が非常識なのだ。それに交渉がまとまったとしても当然合意文章など存在しない。ならばとぼけることは十分に可能だ、とラーゴスタは考えたのだ。

 彼が考えた作戦を要約するとこのようになる。
 つまり、一方では降伏を前提とした交渉で時間を稼ぎ、他方では援軍を整えオムージュへ向かわせるのである。しかも降伏交渉がまとまっても合意文章がないのを盾にとぼけて知らぬ存ぜぬで通す。

 詐術のような作戦である。しかしモントルムが生き残るにはそれしかないように思われた。ラーゴスタがさらに意見を求めると一人の臣下が立ち上がった。

「オムージュへの援軍としては親征となさるのがようでしょう」

 つまりはラーゴスタ自信が総司令官として軍を率いるということだ。
 ラーゴスタは黙って先を促した。

「援軍を送ればそれはアルジャーク軍も知るところとなります」

 そうなれば彼らは王都オルスクを目指して進軍してくるだろう。そのときには王都には戦力と呼べるものはなく、降伏するほかない。そのときラーゴスタがアルジャークに捕らえられてはもともこもない。

「ですか陛下がご健在ならば、オムージュよりアルジャーク軍を追い返した後、モントルムを回復するのが容易になりましょう」

 軍を催すにしてもラーゴスタが先頭に立てば兵の士気が上がるだろう。あるいはオムージュに亡命政権を立てて民衆に決起を呼びかけてもよい。彼さえ無事ならばとるべき手段は幾らでもある。

 ラーゴスタは機嫌よく頷くとその案を採用した。

「アルジャークの小僧が。目に物見せてくれようぞ」

**********

「・・・・・といったあたりで向こうの議論は落ち着いているところでしょうかね」

 そういってクロノワは今モントルムの王宮でなされている会議の内容をほぼ正確に言い当てて見せた。

「それよりも、グレイスにはまた貧乏くじを引かせてしまいましたね。申し訳ないです」

 そうクロノワに言われ、ダーヴェス砦の居残り組みを指揮することとなったグレイスは笑った。

「いえ、そんなことはないですよ。殿下の悪巧みがうまくいくか興味もありますし」
「悪巧み、ですか。なるほど、言いえて妙ですね」

 グレイスの評価にクロノワも笑った。そして窓の外に視線を転じる。砦から王都に通じる街道が見えた。

「アールヴェルツェ、よろしくたのみましたよ・・・・・」


 次の日、共鳴の水鏡に通信が王宮から入った。相手はまさに官僚といった感じの男で外務次官と名乗り、和平交渉を行いたいと申し込んできた。この交渉に関しては全権を委任された大使であるという。

 「降伏」という言葉を使わなかったのは国の全てをくれてやるつもりはないという意思表示で、裏を返せば条件を渋って交渉を長引かせようという腹なのだろう。

「ご英断ですね。これで双方共に無駄な血を流さずに済みます」
「ええ、ラーゴスタ陛下も同じように仰せでした」
「最初に言っておきますが、我々としては長々と交渉を行うつもりはありませんので」
「承知しております」

 そういわれても外務次官の仕事はこの交渉をできるだけ長引かせて時間を稼ぐことだろう、と既にクロノワはあたりを付けている。そしてそれは彼にとっても好都合なことだ。それでも「交渉を長引かせるつもりがない」と警告しておいたのは、一応の保険と今後の布石だ。

(さて、口先八丁でどこまで時間を稼ぐのでしょうね・・・・・)

 クロノワとしてもこのような交渉の席に着くのは初めてだ。茶番劇とはいえそれなりに本気でやってくれるだろう。是非とも今後のために経験値を稼がせてもらおうと思う。この先彼が公人として活動するにはそれがきっと必要になってくるのだから。

「それでは早速交渉に移るとしましょう。モントルム側の条件を聞かせていただけますか」
「国土より三州をアルジャークに割譲します。それで軍を引いていただきたい」

 三州とはいえ、彼らにとっては国土の十分の一である。それなりに、それらしい条件を用意してきたらしい。

「三州、ですか。ちなみにどこでしょう」

 大使が地名を挙げる。

「わが国と国境を接していないばかりか、三州それぞれも飛び地ではありませんか。これでは頂いても困るばかりです」

「ですが提示しました三州はどれもモントルムでは肥沃な土地ばかり。必ずや気に入っていただけるものと自負しております」

 クロノワは一つ頷くと、今度はアルジャーク側の条件を提示した。

「モントルムの保有する領地のうち北側十五州をアルジャークに割譲し、さらに今回の遠征の戦費を全額モントルム側が負担する」

 クロノワの提示した条件にモントルム大使は少なからず動揺したようだ。

「そ、それは無茶というものでしょう」
「ですがここで和平が成らなければモントルムとしては最悪の結果になってしまいますよ?ならばたとえ国土が半減しようとも国家を存続させることを最優先させるべきではないでしょうか」

 大使は顔を歪め、葛藤を表現した。

(あれが演技だとしたら大層な役者ですね・・・・・。なぜ役人なんてやっているのでしょう・・・・・?)

 役者になればいいのに、とクロノワは目の前の男のした職業選択に身勝手な文句を付けた。

 数泊の沈黙の後、大使が口を開いた。

「・・・・・提示いただいた条件は当方が考えていたものよりも重大です。今しばらく考えるお時間を頂きたい・・・・・」

 搾り出すようにしていう。しかしクロノワは騙されない。

(うまく時間が稼げると腹の中では笑っているのでしょうね・・・・・)
 が、それは元々織り込み済み。

「わかりました。賢い決断を期待しています」

 こうして交渉初日は終わった。

**********

 最初の交渉から既に数日が経過している。

「交渉にまったく進展が見られませんね。いえ、最初から予想済みのことですが・・・・・」

 そう言いながらもグレイスは不満げだ。軍人である彼女からしてみればこういう時間稼ぎは気に入らないどころか唾棄すべきものなのだろう。

「あちらはきっと喜んでいるのでしょうね・・・・・」

 思いのほか時間が稼げて、とクロノワは皮肉っぽく言った。グレイスの言ったとおりこの展開は予想済みのものだが、それでも遅々として進まない交渉をだらだらと続けるのは疲れるばかりでまったく報われない。さすがのクロノワもストレスがたまり始めている。

 すでにオムージュへの宣戦布告がなされているはずだ。モントルムには「援軍を早く送れ」と矢の催促がされているはずだ。

「とはいえアールヴェルツェがそろそろ着く頃ですね。あとはあちらに任せるとしましょうか」

**********

 モントルム国王ラーゴスタはほくそ笑んだ。全ては彼の思惑通りだった。

「そうかそうか。アルジャークの小僧め、イラついてきおったか」
「はい。さすがに怒鳴りはしませんでしたが苛立ちは隠せない様子でした」

 和平交渉はまったくといって良いほど進んでいない。それはアルジャークにとっては無為に時間を浪費したことを意味し、またモントルムにとっては援軍を整えるための時間を稼いだことを意味している。

「オムージュに送る援軍はどうなっておる」
「は、近いうちに準備は完了します」

 オムージュからは「早く援軍を送ってくれ」と連日催促されている。そしていわれるまでも無くラーゴスタはそのつもりであった。決戦に遅れてしまっては、愚か者として歴史に名を残すことになる。

(それはアルジャークの小僧だけでよい)

 自分はこの危機からモントルムを救った英雄として歴史に名を残そう。そうなるであろうはずの未来を思い描いて、ラーゴスタはもう一度ほくそ笑んだ。





[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征7
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:18
オムージュへの援軍がモントルムの王都オルスクを出立したその日は、まるで彼らの出陣を祝うかのような快晴であった。かねてからの計画通り、この援軍五万はラーゴスタ自信が率いており、親征である。

 馬上でラーゴスタは上機嫌だった。全て彼の計画通りにことが運んでいる。最後の大仕事はオムージュ軍と共にアルジャーク軍十四万を撃退することであるが、それも勝利が約束されたかのような気分である。

(アルジャークの小僧の悔しがる姿が目に浮かぶようだ。己の不明を恨むがよい)

 しかし彼こそが己の不明を恨むことになるのである。

**********

 その日の夜は新月であった。雲は少なく無数の星が輝いているがみえるが、やはり暗い。そのせいか野営の陣のあちこちで燃やしている焚き火がやたらと目立った。

(月明かりがあればもう少し進めたのだがな・・・・・)

 オムージュへの援軍は早ければ早いほど良い。夜を徹して進みたい気持ちもあったが、この暗がりを進むのは危険だ。

(まぁ、疲れ果てた兵を連れて行っても役に立たぬしな・・・・・)

 そう考えることで自分を納得させ、ラーゴスタは杯をあおった。中身はモントルムの誇る白ワインだ。行軍の初日ではあるが、うまくアルジャークの小僧を出し抜き気分を良くしたラーゴスタは早速一本目を開けたのだった。

 程なくして軽く酔いが回り始めたラーゴスタはそのまま天幕の中に横になった。今アルジャーク軍はダーヴェス砦にいる。敵襲の心配は無い。全ては計画通りである。

 いい夢が見られそうであった。

**********

「ここから西におよそ五キロのところに篝火が多数認められました。恐らくはモントルム軍の野営かと」

 アールヴェルツェは斥候の報告を聞くと一つ頷いた。そして全軍に出陣を指示した。

「よいか、音を立てるな。馬にはくつわをかけて嘶きをたてさせるな。兵は葉を口に挟んで落とすな」

 夜陰に紛れアルジャーク軍が動く。ダーヴェス砦にいるはずの六万の軍隊が。


 残念ながらラーゴスタの安眠は朝まで続かなかった。あるいは永眠とならなかったことを感謝すべきなのかもしれない。

 鳴り響く銅鑼の音で彼は飛び起きた。

「敵襲!!」

 見張りの兵が狂ったように叫び、同僚たちを必死にたたき起こしている。

 一瞬、ラーゴスタの思考は停止した。敵襲?誰が我々に夜襲を仕掛けるというのか?いや誰が仕掛けられるというのか?

「アルジャーク軍襲来!」

 彼は疑問の答えを兵士の悲鳴によって得た。

「くっ・・・・・」

 背中に氷刃を差し込まれたような悪寒が走る。だがそれによってラーゴスタは冷静さを無理やりにではあるが取り戻した。甲冑を身に付けることもせず、彼は天幕から飛び出した。

「陣を整えよ!敵を防ぐのだ!」

 だが、アルジャーク軍は速かった。いや、モントルム軍がアルジャーク軍の接近に気づくのに遅れ、距離が縮まったのだ。それは新月だったことが要因の一つだし、アルジャーク軍を率いているアールヴェルツェが音を立てないよう、細心の注意を払ったからでもある。

 満足な陣容を整えることができないまま、モントルム軍はアルジャーク軍と交戦状態には入ったのであった。

**********

 ラーゴスタの計画は、共鳴の水鏡を用いた和平交渉で時間を稼ぎ、その間に援軍を整えオムージュに向かう、というものであった。仮に交渉がまとまっても合意文章が無いことを盾に白を切るつもりであった。

 が、クロノワはそれを予想していた。いや、そういう風に誘導したといってもいい。

 モントルムが生き残るにはどうしてもオムージュに援軍を送る必要がある。だがそれにはダーヴェス砦に入っている六万のアルジャーク軍が邪魔になる。この軍に動き回られると援軍を送るに送れなくなるのだ。

 ゆえに、是が非でも足止めをしなければならない。

 一方、クロノワたちにとって一番困るのはモントルム軍が王都オルスクに立て篭もってしまうことだ。王都を戦場にしてしまえば必ずや住民との間に軋轢が残る。それは今後の統治にしこりを残すことになるため、可能な限り避けたい。

 かといって手をこまねいていては、レヴィナスの率いる十四万の軍が先にオムージュを制圧してしまう。

 そうなると、援軍を送らせないという点では成功していても、クロノワの功績は小さく見られてしまうだろう。いや、クロノワ一人の話ならばそれでも良い。だがアールヴェルツェやグレイス達も同じように見られてしまうだろう。それはクロノワにとって望むものではない。

 とすれば、どうにかしてモントルム軍をオルスクから引きずりださねばならない。

 そこでクロノワが使ったエサが「共鳴の水鏡を使った交渉」であった。
 本来の交渉で共鳴の水鏡を使わないことくらいクロノワとて知っている。それでもあえて用いることでアルジャーク軍はダーヴェス砦にいると相手に思い込ませたのだ。

 こちらから「降伏しないか」と持ちかけた以上、モントルム側は和平交渉を申し込めば必ず乗ってくると判断したはずだ。それに共鳴の水鏡を使ったことでラーゴスタがクロノワのことを青二才の愚か者と誤解したのも、アルジャーク側にはプラスに働いた。まぁ、この時点では知らないことだが。

 ダーヴェス砦にクロノワと共に残ったのは、当初戦力として数えていなかった補給部隊で、いわば弱兵である。これをグレイスが率いていた。

 そしてアールヴェルツェはほぼ無傷の本隊六万を率いて王都オルスクへと向かっていた。当然そこから出立する援軍を野戦で叩くためである。

 とはいえ六万の軍が移動しているのに気づかなかったのだろうか?それには三つ理由がある。

 第一にモントルム側の消極的な思い込みである。
 国王ラーゴスタをはじめとして廷臣たちは、アルジャーク軍はダーヴェス砦にいると思い込んでいた。もちろんそれらしい情報は入っていたが、彼らはそれを斥候かないかぐらいにしか考えなかったのである。クロノワによって思考をそう誘導されていたとはいえ、柔軟性を欠いていたといえる。

 第二にダーヴェス砦にモントルムの詳細な地図があったことが挙げられる。
 その地図を手に入れたことでアールヴェルツェはなるべく人目に付かないルートを選びながら移動することができたのだ。これは幸運というよりは砦を預かっていたウォルト・ガバリエリの不手際だろう。いかに配下の兵士たちに押し切られたとはいえ、こういった重要な書類は廃棄しておいて然るべきだったろうに。
 あるいはこの事を悔やんで彼はこの後の栄達一切を拒んだのかもしれない。

 第三にアールヴェルツェの行軍の仕方である。
 彼は移動に際し周辺に斥候を放ち周到に情報を集め、なるべく人目を避けて王都オルスクを目指したのである。

 これらの理由が重なり合い、王都オルスクにいるモントルムの首脳部はアルジャーク軍の接近を感知できなかったのである。

 陣容をまともに整える時間が無かったモントルム軍は最初の接触でアルジャーク軍騎兵隊の突入を許してしまった。

 アールヴェルツェが直接指揮している騎兵三万はまるで一つの生き物のようにモントルム軍の陣内を縦横無尽に動き回った。かと思えば数千の単位に分かれて敵軍を翻弄したり、分断したりしていった。

 このときの状況について騎兵を率いていたアールヴェルツェ・ハーストレイトは後にこう語っている。

「とても暗く、人がいることくらいしか分からなかった。当然敵味方の区別など付かない。モントルム軍は歩兵が主体になっていたから騎兵には『指示があるまで歩兵は全て敵だと思え』といい、味方の歩兵には『騎兵には近づくな』と指示した」

 同士討ちが起こったかどうかは記録されていない。
 追い散らされるモントルム兵にアルジャークの騎兵は容赦なく戦斧を振り下ろし、槍を突き刺した。視界が赤いのは炎が広がったからか、舞い上がる血しぶきがそう見せるのか。騎兵が通り過ぎた跡にはただ死が残った。

 分裂と集合を繰り返しながら戦場を駆け巡る騎兵。ここまで自由自在に動き回る騎兵は大陸広しといえどもアルジャークにしかいないであろう。その練度たるや他国の騎兵とは太い一線を画している。

 モントルム王ラーゴスタはそのことを最悪の形で思い知らされたのであった。とはいえ、彼とて自軍が崩壊していく様を座して眺めていただけではない。

「騎兵の足を止めろ!とめてしまえば的でしかないぞ!」

 無論、モントルムの兵士たちはそれを実行しようとした。が、そのつどアルジャーク軍の歩兵部隊に邪魔をされた。騎兵隊の側面を突こうとすれば長槍を持ったアルジャークの兵士たちがそれを阻んだ。兵をまとめようとすれば矢の雨が降り注ぎ、集結することなく散らされた。

 アルジャークの歩兵はそうやって騎兵が動き回れるようサポートに徹した。

 モントルム軍が崩壊するのにそれほど時間はかからなかった。もとより新月の夜である。一度暗がりに紛れてしまえば逃げるのはそれほど難しくは無い。一人またひとりと武器を捨て甲冑を脱ぎ捨て夜陰の向こうへと逃げていった。

 歩兵部隊と合流したアールヴェルツェのもとに一人の男が引き出された。身に付けている甲冑はきらびやかで、身分の高いことを示している。

「モントルム国王、ラーゴスタ陛下とお見受けする」
「・・・・・これが一国の王に対する扱いか!」

 アールヴェルツェは非礼を認めると彼を拘束していた兵士に下がるよう指示した。兵士たちは短く返事をしてラーゴスタを放したがすぐ後ろに立って睨みを利かせている。不審な行動をすればすぐに取り押さえるためだ。

「なぜ・・・・・貴軍がここにいる・・・・・。ダーヴェス砦にいるのではなかったのか」
「そう思わせるのがクロノワ殿下の策です」

 アールヴェルツェからクロノワの策略のあらまわしを聞くと、ラーゴスタはうなだれた。

 和平交渉中に兵を動かすとは何事か、と非難することもできない。完全にお互い様だからだ。いや、そもそも和平交渉など行っていないと突っぱねられるだろう。ラーゴスタ自身が最初に目を付けたとおり、共鳴の水鏡を用いて交渉を行うなど通常はありえないのだから。

 クロノワはそれさえも計算に入れていたに違いない。

 余談ではあるが、このモントルム攻略の一連の采配を通して世間はクロノワに対し「策略家」というイメージを抱くようになる。それさえも彼は利用していくのだが、それはまた別の話だ。

「世間知らずの青二才と侮り、策に乗せられたのは我であったか・・・・・」

 こうしてラーゴスタは己が不明を悔やむこととなったのである。

 モントルムは陥落した。




[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征8
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:18
 時間は少し遡る。

 アルジャークがモントルムに国交断絶を突きつけ、事実上の宣戦布告を行ったとき、その報はモントルム経由で同盟国であるオムージュにも届けられた。

 アルジャークの真の目的がオムージュであり、モントルム侵攻はその布石であると誰もが理解していた。

 とはいえこの時点では、オムージュの王都ベルーカに揃った廷臣たちは状況をまだ楽観視していた。

 モントルムに侵攻したアルジャーク軍は六万。これならばダーヴェス砦に四万の兵を集めれば十分に足止めが可能である。その間に援軍を送ってもらえばオムージュに侵攻してくるアルジャーク軍の本隊を追い返すことができるであろう。

 それがダーヴェス砦はあっさりと陥落してしまった。それはモントルムがオムージュに対して援軍を送れない可能性が跳ね上がったことを意味している。

 王都ベルーカの城中は、この事態の急変に際しにわかに騒がしくなった。

「かりに援軍が来なかったとして、我が軍はアルジャークに勝てるのか・・・・・?」
「バカな。ただでさえオムージュの兵はアルジャーク兵に劣るのだ。同数でも勝つのは至難だぞ」
「宣戦布告と同時に和平交渉を行ってはどうか。十州もくれてやればアルジャークも矛を収めるのではないか」
「そしてまた別の機会に、その無傷の矛を突き立ててくるでしょうな」

 そう冷静に言い放ったのはオムージュの将軍エルグ・コークスであった。武人らしいその簡潔な物言いに一同は黙った。

 彼らとて分かっているのだ。ここでオムージュがなにもしなければ遠からずモントルムはアルジャークに併合されるだろう。さらに和平のために十州を割譲したとすればアルジャークの国力は百六十州となる。そうなれば国力を六十州に減らしたオムージュに抗する手段など無い。

「それに奴らが望んでいるのはこのオムージュの大地全て。十州で和平に応じるとは思えませんな。援軍が来ないのならなおのことです」

 あまりの正論に反論が出ない。

「・・・・・いっそのことアーデルハイト姫をレヴィナス皇太子に嫁がせてはいかがか?」

 アーデルハイト・オムージュは国王コルグス・オムージュの一人娘で今年十九になる。美姫として周辺各国に知られており、コルグスの一人娘でなければあるいは既にどこかに嫁いでいたかもしれない。

 アーデルハイトがレヴィナスに嫁ぎその子供がゆくゆくはアルジャーク帝国の皇帝となれば、長い目で見た勝利ともいえる。

「このタイミングで受けるかどうか・・・・・。それにレヴィナス皇太子率いる軍がすでに動いていると聞く。かのアレクセイ・ガンドールも同行しているとか」
「さよう。仮にアルジャークがその話を受けたとしても、我々の思うような結果となるかどうか・・・・・」

 彼らが恐れているのはオムージュの民に不幸が降りかかることではない。アルジャーク主導でオムージュの再編が行われた結果、自分たちが権力の座から遠ざかることを恐れているのだ。

 妙案はでない。いや、リスクを恐れ選択することができない。結局、一戦交える準備をしつつも外交努力を続けるという、ありきたりな結論に落ち着くこととなった。


 アーデルハイトはテラスから城の中庭を眺めていた。かといって庭に興味があるわけではない。いや、彼女はなにに対しても興味を抱くことが無かった。

 近々アルジャークと戦端が開かれるらしい。が、特に気になるわけでもない。いや、彼女にとってはこの国の行く末さえもどうでもよいことであった。

(なんとこの世界はつまらないのだろう・・・・・・)

 恋い焦がれるものが欲しい、と思った。人でも、モノでも、芸術でもなんでもよい。我を失うほどに夢中になれるものが欲しかった。

**********

 国交断絶(事実上の宣戦布告)がなされたとの報が共鳴の水鏡を通してリガ砦にもたらされると、レヴィナスはすぐに指示を出し全軍を出立させた。

 国境を越え、オムージュ領に入っても敵軍の姿はどこにも見当たらなかった。また先行して潜り込ませている斥候からもオムージュ軍を発見できていない。それはつまりモントルムからの援軍がまだ到着していないことを示している。

「クロノワ殿下はうまくやっておられるようですな」
 アレクセイは誰にともなく呟いた。

「今はまだ、な。大方アールヴェルツェがうまくやっているのだろうよ」

 そう言うレヴィナスの声からは、腹違いの弟を気への気遣いは感じられない。未だに彼にとってのクロノワの存在は、無意識に忘れ去ってしまえるほど小さいものだった。

「それよりも先を急ぐぞ。あれがいつまで援軍を抑えていられるか分からないからな」

 オムージュ軍がいまだ現れないとはいえ、レヴィナス率いる十四万の軍は無人の野を往くわけではない。行く先々には村があり街があり、そしてそこには人々が生活している。

 レヴィナスは配下の軍勢に一切の強奪と暴行を禁じ、アレクセイもそれを支持した。まあ、アレクセイはともかくレヴィナスが強奪および暴行を禁じた理由は、単純にその行為が美しくなく、彼の趣味に著しく反しているからである。政治的な配慮とは無縁のところでオムージュの民は人災を免れたのであった。

 オムージュからの使者が到着したのはアルジャーク軍が国境を越えてから三日目のことであった。

 フェンデル伯爵を筆頭にして大使は全部で六人。大使たちは甲冑の代わりに装飾過多な絹の礼服を身にまとい、一兵の兵も連れることなくアルジャーク軍の陣にやってきたのである。

「われらにどのような罪があってアルジャークは此度の遠征に及ばれたのか」

 フェンデル伯爵は鋭く研ぎ澄ました剣の切っ先を突きつける代わりに、十分に油をしみこませてきたその舌を必死に回転させた。

 儀礼的で中身の薄い言葉を数百秒ほど聞いた頃、レヴィナスは飽きた。

「そなたらの罪は唯一つ。この美しき大地を汚したことだ。その罪に罰をくれてやるまでのことだ」

 滑らかに回転を続けるフェンデル伯爵の舌の運動を遮ってレヴィナスは言い放った。伯爵は一瞬絶句した後、先ほどまでの倍のスピードで舌を回転させ始めた。

 が、すでにレヴィナスは興味を失っている。大使たちが着込んできた礼服が彼の趣味に合わなかったのも一因かもしれない。既に席を立ちフェンデル伯爵たちには背を向けていた。同席していたアレクセイもまた、このような小細工でこれ以上時間を浪費することに、なんら意味を見出さなかった。

「大使たちのお帰りだ!」

 大使たちは絹の衣ではなく鋼の甲冑を身にまとった非友好的な兵士たちに、両脇から抱えられるようにして立たされレヴィナスの前から連れて行かれた。彼らは馬の鞍に括り付けられ、馬の尻を槍の柄で叩かれ望まぬ帰路につかされることになったのである。

 彼らの悲鳴と共に、オムージュの望む平和的な解決も遠ざかっていった。

**********

「もはや一戦避けることかなわず!」
 フェンデル伯爵らが何の成果もなく帰ってきたことでオムージュの王宮は一気に主戦論に傾いた。しかしそこは腐っても政に関わる集団、熱狂的な雰囲気に呑まれて「玉砕あるのみ」の単純思考には陥っていかない。政府が政府としてまともに機能しているといえるだろう。

「しかし戦うとしてなにを目指して戦うのだ?」
「緒戦に勝ち、そのまま講和に持ち込む。これしかありますまい」
「しかし相手が受けるかどうか・・・・・」
「その際にアーデルハイト姫との婚約の話を持ち出せばよいのではないか?アルジャークとしてもオムージュを合法的に手に入れることができ、王家の血統も残る。この辺りが程よいおとしどころだと思うが・・・・・」

 一同は頷いた。そうすれば王家の血筋と共に彼らの発言力も残るだろう。緒戦に勝ち有利な状態で和平交渉に入れるのだから。

 今後の方針が決まりオムージュ国王コルグス・オムージュの了承を得て、城中はにわかにあわただしくなってきた。

 既にエルグ・コークスをはじめとするオムージュの将たちは、軍を集め準備を整えている。その数十二万。十四万のアルジャーク軍には及ばない。また、ことここに及んではモントルムからの援軍も期待できない。勝てる見込みは低いと言わざるを得ない。

「数で劣り、兵の質で劣る。がここは我らの祖国。いかにアルジャークの兵が精強を誇るとはいえ、そう易々と負けてやるつもりはないぞ」

 弱小と侮っているならばそれでよい。その驕りに最大限付け込むまでだ。

 壮絶な決意を胸に秘め、勇将エルグ・コークスは全軍に出陣を命じた。





[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征9
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:18
クロノワがモントルム王都オルクスに入ったのは、アールヴェルツェが国王ラーゴスタを捕虜にした日があけてから三日目のことであった。ダーヴェス砦をグレイスに任せ、自身はただ十騎ほどの護衛を引き連れて街道を王都に向けひた走ったのである。途中、アールヴェルツェのよこした百騎ほどの騎兵隊と合流して王都オルクスに入ったのであった。

 オルスクは良く治まっていた。婦女暴行をしたアルジャーク兵が公開処刑されてからはそれに類する事件は起こっておらず、また住民の心象も良いと護衛を率いている隊長が教えてくれた。

「アールヴェルツェはうまくやっているようですね」

 混乱なくオルスクが治まっていることにクロノワは満足した。

 王城である「ボルフイスク城」に入城すると、アールヴェルツェが迎えてくれた。その隣には見慣れない男性が一人立っている。痩身で線が細く、武官らしい荒々しさには欠けている。だがその目には油断ならない光がある。

「そちらの方は?」

 アールヴェルツェに戦勝の祝いと治安を維持してくれたことへの礼を述べてから、クロノワはその男について尋ねた。

「アルジャークのモントルム駐在大使、ストラトス・シュメイル殿です」

 もともと軟禁されていたのですが、我々がここに入ってからは主に行政面で色々と助けていただきました、といってアールヴェルツェはストラトスを紹介した。

「そうでしたか。ご協力感謝します」
「いえ、モントルム駐在大使の役職自体この先不要になるでしょうからね。今のうちに就職活動をしていたのですよ」

 その自虐とも皮肉ともとれる台詞。が、それを口にしているストラトスが実にいい笑顔なので嫌な感じがしない。

(ああ、この人はけっこう腹黒だな・・・・・)

 万人を安心させそうなストラトスの笑顔だったが、クロノワは初見でその裏に秘められた黒さを看破した。

「そうですか。それでは今後とも是非、力をお貸しいただきたいですね」

 そしてクロノワもまた完璧な笑顔で応える。

 これが、この先結構長い付き合いになる二人の出会いであった。

 二人と別れると、クロノワは次にモントルム国王ラーゴスタ・モントルムの元へと向かった。アールヴェルツェに捕らえられて以来、彼はボルフイスク城の一室に軟禁されていた。

「ひとつ、お尋ねしたい」

 幾つか儀礼的な会話を交わしたあと、ラーゴスタがそういった。

「伺いましょう」

 クロノワはひとつ頷き、ラーゴスタの顔をまともに見た。

「六万の軍でモントルムを攻略、無茶だとは思われなかったのか。すでにそれを成した貴殿に問うのも無意味なことと思うが、聞かせていただければ幸いだ」

 ラーゴスタ自身をはじめモントルムの廷臣たちがそうであったように、六万程度の軍であればダーヴェス砦に四万の兵を集めれば十分に足止めが可能である。つまりこの戦力では少なすぎるのだ。

 もともとクロノワには十万近い兵力が与えられるはずであった。それが皇后をはじめとする面々の横槍で六万まで減らされてしまったのだ。だが、クロノワはそのことをこの場で言おうとは思わなかった。

「無茶は承知の上。しかし与えられた機会をモノにしていくしか、私にはありませんから」

 ラーゴスタは頷いた。

 彼には妃がいない。また私生児を含め子供は一人もいない。それは彼が女人を嫌っていたからではない。結婚ひとつするにも、また子供ひとりつくるにも、そのつど微妙な問題が持ち上がってくるのだ。それが小国モントルムの舵取りをおこなわなければならない者の宿命ともいえる。

 そういう微妙なパワーバランスの上に政を行っていたラーゴスタだけに、クロノワの言葉の裏にあるものを感じ取ったのかもしれない。

「・・・・・・この国のこと、民のこと、お願い申し上げる」
「心得ました」

 その後まもなく、国王ラーゴスタより勅命が発せられ、モントルムの統治権は「平和裏に」アルジャークに譲渡されたのである。

 南方の国境を守っているブレンス砦は当初、城門を閉ざし抵抗の構えを取っていたが、正式な勅命が発せられると門を開き降伏した。

 こうしてモントルムにおけるアルジャークの軍事行動は終了したのである。





[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征10
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:20
 レヴィナス率いるアルジャーク軍十四万がオムージュ軍十二万と相対したのはローレンシア平原でのことであった。

「なかなかに見事な陣容だな」
「左様ですな」

 オムージュ軍の整然たる様子を見て、レヴィナスはそういった。
 オムージュ軍は、本陣・右翼・左翼の三つに軍を分けている。だが、その三つが非常に近い位置に集結している。一塊になって行動するつもりなのだろう。

 対するアルジャーク軍は軍を四つに分けている。主翼七万、右翼三万、左翼三万そして本陣一万だ。本陣は戦力というよりはレヴィナスの護衛だろう。全体としてはアルジャーク軍の方が数は多い。が、一つ一つではオムージュ軍十二万には及ばない。局地戦では不利になるだろう。

「全軍をもって真正面からぶつかる。初手は相手の思惑通りになりそうですな」

 レヴィナスは何も言わず頷き、全軍に前進を指示した。


「もはや逃げ場はない」

 全軍の将兵をまえに、エルグ・コークスは静かに宣言した。ここにいる全員が、この戦い勝機は薄いと知っている。それでも自分と共に戦うことを選んでくれた彼らに、エルグは感謝している。

「お前たちの立っているこの大地は我らの祖国。我らの後ろにいるのは戦うすべを持たぬ同胞たち」

 一旦言葉を切る。アルジャーク軍が動き出した。
「戦って戦って戦って!一縷の希望を奪い取れ!!」

 剣を抜き、高く掲げる。
「全軍、突撃!!」


 オムージュ軍はまずアルジャーク軍の主翼とぶつかった。

 オムージュ軍は押して押して、押しまくった。全軍十二万、もとより全て死兵。防御を捨てただひたすらに前進した。

 アルジャーク軍の前衛付近で炎が上がり紫電が輝く。オムージュの魔導士部隊だ。あちらこちらで爆発が起こり、そのたびにアルジャーク軍は一歩後退し、オムージュ軍は一歩前進した。

 アルジャーク軍の両翼が戦いに加わってもその勢いはとまらない。オムージュの兵たちは戦意というよりは狂気に満ちて前進した。

 ある者は腹を貫かれながらも相手の胸を突き刺しそのまま死んだ。腕を切り落とされながらも戦う兵士がいる。文字どおりはいつくばって進み敵兵を押し倒すものがいる。

「足を止めるな!狙うは大将の首ただ一つ!」

 エルグも馬上で槍を振り回し、剣をふるって戦った。戦いながら全軍を鼓舞し、一つにまとめ上げてアルジャーク軍に叩きつけてゆく。

「魔導士部隊、一斉攻撃!」

 彼の指揮に従って、魔導士たちが火炎弾を投げつけ雷を放つ。さらに魔剣や魔槍を装備した者たちが敵陣に突っ込んで綻びをつくる。

「弓隊、放てぇぇぇ!!」

 無数の矢が飛来し、アルジャーク軍の綻びを大きくしていく。そこにエルグはすかさず突撃を指示する。

 アルジャーク軍の隊列に綻びを見つければ、歩兵を差し向けそれを大きくし、騎兵を突撃させてこれを破る。整然と抵抗を試みられれば、魔導士部隊の一斉攻撃で無理にでも後退させる。

 戦力の出し惜しみなどしない。むしろこれでも足りないくらいだ。現状、足りない分はここの兵士たちが死力を尽くして補っている。それは指揮官たるエルグにも同じことが言えた。

(だが、そう長くはもつまい・・・・・)

 しかし、エルグは冷静さまでは失っていなかった。こんな状態がいつまでも続くわけがないと見切りを付けている。それはアルジャーク軍を率いているアレクセイ・ガンドールにしても同じだろう。

(一刻も早くこれを突破せねば・・・・・!)

 声を張り上げ、兵士を鼓舞する。

「オムージュ軍主将エルグ・コークス殿とお見受けする!その首、頂戴いたす!」

 一人のアルジャークの騎兵がエルグに向かって突進してくる。その騎士に向かってエルグは馬首を向けた。互いが互いを正面に捕らえ、その距離を縮めていく。雄叫びを上げ、戦斧を振り上げるアルジャークの騎士に対し、エルグはひたすら無言であった。しかし彼の目はどんな諸刃の剣よりも鋭く敵を見据えている。

 二つの騎影が一瞬重なり、そしてすぐに離れた。二人の騎士の姿は対照的であった。一人は槍で喉を貫かれ既に絶命している。もう一人は肩当てを飛ばされているが、それ以外はまったくの無傷である。

 生き残った騎士、エルグ・コークスは別の槍を手にすると、すぐに一人の騎士から主将へと戻り、全軍の指揮に当たった。彼の勇姿をみて、兵たちの士気はさらに一層上がっている。

 また一歩また一歩とオムージュ軍は前進し、同じだけアルジャーク軍は後退していった。



「押されているな」
 本陣から戦況を眺めて、レヴィナスは不満そうにそう呟いた。

 オムージュ軍の勢いが凄まじい。いま敵軍は凸の形で猛然と攻め立てており、友軍はそれを凹形で受け止めるという具合になっている。

 戦場のあちこちで爆発が起こり、閃光が走り、炎が上がっている。そしてそのたびにオムージュ軍は、アルジャーク軍の中央部(主翼)を後退させこの本陣に近づいてくる。

「敵軍は魔導士部隊を多く引き連れてきたようです。まぁ、彼らにすれば祖国の興亡のかかった戦いですならな」

 本来、魔導士部隊は「虎の子」だ。それは彼らが特殊で高度な訓練を受けており、そう簡単に補充の利く人員ではないからだ。

 逆を言えば、その虎の子の魔導士部隊を大量に投入しているということは、いかに彼らがこの戦いに全力を傾けているかを物語っている。

「とはいえそれも予想のうち。ご心配めされるな」
「心配などしていない」

 アレクセイの物言いにレヴィナスは不快げに反応した。



 戦況が動いたのはそれからしばらくしてのことだった。オムージュ軍はアルジャーク軍を押し込んでいき、ついにアルジャーク軍の陣形はU字となった。

 アレクセイが動いたのはまさにそのときであった。

「発光弾、黄!」

 すかさず部下の一人が、長さが三十センチくらいの筒型の魔道具を空に向けて構え魔力を込めた。黄色い光の発光弾が空へと上がる。そしてそれは戦場に劇的な変化をもたらした。

 アルジャーク軍の主翼が動きを止め、初めてオムージュ軍の突撃を防いだ。さらに数千の矢の雨を降らせ進軍の速度を落とす。同時に両翼が前進しオムージュ軍を半包囲していく。

「発光弾、赤!」

 アレクセイが再び指示をだし、今度は赤い光が上がった。

 次の瞬間、戦場、オムージュ軍の只中にいくつもの火炎弾が打ち込まれた。それだけではない。雷が鳴り響き、暴風が吹荒れ、氷刃が舞った。

 続けて近接戦闘用の魔道具を装備したアルジャークの魔導士たちが、敵陣に踊り込み縦横無尽にその力を振るう。

 今まで温存されていたアルジャークの魔導士戦力は、これまでやりこまれていたその憂さを晴らすかのように存分にその威をふるった。

 魔導士たちが穿った穴に無数の矢が打ち込まれ、さらに騎兵隊が突撃してゆく。騎兵に攻撃を集中しようとすると、長槍を持った兵士たちがそれを阻んだ。

 もはや戦場の流れは逆転した。アルジャーク軍は半包囲の陣形をさらに縮めながらオムージュ軍を追い詰めていく。それでもなおオムージュ軍は前に進もうとした。だが正面からは押しもどされ、さらに左右から交互に叩かれて損害ばかりが増えてゆく。



 オムージュ軍を率いる勇将エルグ・コークスは敗北を悟った。

 戦況の推移事態は彼の推測したとおりだった。正面からの突破を試みる限り、数において上回るアルジャーク軍はこちらを包囲する形になるだろうと思っていた。そして実際そのとおりになった。

 包囲陣形を敷けば、一点の密度は薄くなる。そこを全力で突破するつもりだった。

(牙とどかず、か・・・・)

 悔しさは感じない。その前にやることがある。

 腰の辺りに付けておいた筒状の魔道具を掲げ魔力を込める。三色の信号弾が同時に上がった。撤退の合図だ。

 撤退信号をうけ、オムージュ軍は唯一包囲されていない後方へと下がり、戦場からの離脱を開始した。それにつられるようにアルジャーク軍は、撤退するオムージュ軍を追いかけ追い討ちをかけようとする。

 アルジャーク軍の両翼が伸び、中央部の密度が下がった、その瞬間―――。

「―――!」

 エルグは駆けた。彼は何も言わなかった。そして何も命じなかった。だが、ただ一騎で敵陣へと駆けるその姿をみて、近くにいた兵士たちは自分たちの将の後を追い、駆けた。

 まさに絶妙のタイミングで突撃を仕掛けたその一団は、ついにアルジャーク軍の鉄壁の包囲網に生じた小さな綻びをついに突破した。

 エルグと共に最後の突撃を仕掛けた兵の数はおよそ三千弱。後ろから爆音が聞こえた。追撃しようとしたアルジャーク軍を魔導士部隊がけん制してくれたのだろう。

 何も言わずともこれだけの兵が付いてきてくれた。それも撤退の最中に、だ。そしてそれを援護してくれる味方がいた。

 つくづく自分は部下に、味方に恵まれた。そうエルグは思う。

 眼前には最後の敵。アルジャーク軍の、恐らくは最精鋭の騎兵。その数およそ一万。

 エルグは剣を振りかざし、最後の命令を下した。

「敵将の首をとり、我らの祖国を守れ」

 息をいっぱいに吸う。

「突撃ィィィィィィイイイ!!」



 オムージュ軍の最後の死兵が一団となって迫ってくる様子をアレクセイは見た。

「敵ながら見事・・・・・!」

 全身の血がたぎる。顔には笑みが浮かんでいるのかもしれない。知らず、レヴィナスよりも前に出た。

「これより戦場を駆け抜け、敵将を討ちまする。殿下はここに残られよ」

 うむ、とレヴィナスは応えた。それを聞き、アレクセイは手元に残っている全軍を率いて駆け出した。

 このときの様子を歴史書はこう記している。

「皇太子の傍らには一兵も残らず」

 アレクセイの聞いたレヴィナスの声はいつもと同じように思われた。だから彼は振り返らなかった。故に、彼は知らない。このときレヴィナスが青白い顔をしていたことを。



 オムージュ軍はアルジャーク軍とほぼ互角に戦った。弱兵と侮られていた兵士たちが、精強を誇るアルジャーク軍の最精鋭の騎兵、しかも三倍ちかい数を相手に互角に戦ったのだ。

 このときのことをアレクセイは後日こう述懐している。

「あの時敵にあと千の兵がいたら、負けていたかも知れぬ」

 アルジャークの至宝と呼ばれた名将のこの言葉から、オムージュ軍の、いや勇将エルグ・コークスと彼に従った決死隊の奮戦の凄まじさが窺える。

 当初、両軍は互角に戦っていた。だが、徐々に決死隊が押され始める。当然といえば当然だ。力と体力を温存していたアルジャーク軍に対し、決死隊は戦いにはじめから加わっており、一兵として無傷の兵はいなかったのだから。

 一人、また一人と倒れていく。

 エルグも馬から落とされ倒れた。全身傷だらけで、もはやどれが致命傷かも分からない。体が温かいのは流れた血のせいか、あるいは大地の熱のおかげか。

 兵たちはうまく撤退できただろうか。敵将は討ち取れなかったが、ここで戦ったことで一人でも多くの兵が命を拾っていれば、この戦いには意味があったと思う。

 手を動かし、青々とした草に触れる。

 豊かな大地だ。この大地のおかげで人々は餓えることなく暮らして行ける。それはとても幸せなことだと思う。

 それを守りたかった。できることならばこの手で。

 歴史書にはこの戦いの結末についてこう記されている。

「決死隊、一兵も帰らず」

 ローレンシア会戦は終結した。

 エルグの首は蝋蜜漬けにされてオムージュの王都ベルーカの王宮に送りつけられた。体のほうは鄭重に葬られている。アレクセイが武人の礼を示したのだ。

 蝋蜜漬けにされた勇将エルグ・コークスのくびを見た王宮の廷臣たちは色を失った。国王たるコルグス・オムージュも同様であった。痛み出した胃を押さえながら彼はついに決断した。

「もはやアルジャークに抗する手段はない。かくなる上は降伏をもって民の安息を守らん」

 降伏は早すぎると思った廷臣たちもいたが、反対するなら対案を出さねばならない。事態がここにおよぶと、誰も責任を取りたくなかった。

 それに誰もがわかっていた。もはやアルジャーク軍をとめるだけの戦力はない。武力を背景にした交渉ができない以上、アルジャーク側から譲歩を引き出すことは不可能だ。

 コルグスより命が出された。降伏する旨をしたためた正式な書簡が作成され、それがアルジャーク軍に届けられた。

 こうしてオムージュも陥落した。




[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征11
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:22
レヴィナスがオムージュの王都ベルーカに入る少し前、クロノワは緊急を要する戦後処理を何とか終わらせた。

 有体に言えば粛清である。

 クロノワはこのような方法をもとより好みはしなかったが、一部の貴族たちによる彼に対する暗殺計画(お粗末なものだったが)が明るみに出ると、もはや彼個人の好き嫌いを言っていられなくなった。

 計画に加担していた貴族や領主の処刑執行令状にサインし、さらに彼らの財産は全て没収する。こうしてボルフイスク城内は粛然としたのである。

 クロノワは粛清の大鎌を一振り二降りしたがそれをボルフイスク城内だけにおさめ、市民生活にはそよ風程度の影響も及ぼさなかった。それができたのは元モントルム駐在大使ストラトス・シュメイルの協力があったからに他ならない。

 アールヴェルツェは優秀な将軍であったが、彼とその幕僚たちにはモントルム軍を掌握するという別の大仕事がある。そこでクロノワはストラトスに行政面でのサポートを依頼したのである。

 彼の働きは得がたいものだった。モントルムが戦後すぐのこの時期に、大した混乱もなく治まった功績の半分近くは彼のものであろう。

 それに大きな混乱がなかったからこそ、クロノワは思いがけず早い時期にこの遠征の“仕上げ”に取り掛かることができた。それはアルジャーク帝国の求める不凍港を持つ都市、独立都市ヴェンツブルグの“説得”である。

 アールヴェルツェに事情を話し、騎兵を五千騎ほど用意させた。率いているのはグレイス・キーアだ。若輩ということもあり、なかなか重要な仕事を先輩の幕僚からまわしてもらえず無聊を託っていたのだ。

 だが、彼女はあるいは運が良かったのかもしれない。ヴェンツブルグはこれより先クロノワの政略上、重要な位置を占めることになる。その都市を恭順させるための会談、まさにその場に居合わせることができたのだから。

**********

 街道の彼方に騎兵の巻き上げる土ぼこりを見たとき、独立都市ヴェンツブルグの門を警備する門兵は、血の気を失うかのような緊張に襲われた。事前にこの事態が訪れるであろうことを教えられていても、足が震え、暖かい陽気にもかかわらず寒気がした。

 同僚たち顔を見合わせる。皆、青い顔をしていた。きっと自分もそうなのだろう。それを確認したら少し気が楽になった。あらかじめ指示されていた通り、自衛騎士団本部に事態を知らせるために何人かが足早にかけて行った。

 知らず知らずの内に唾を飲み込む。あの土ぼこりを巻き上げている騎兵はアルジャーク軍だ。モントルムを平定した彼らは、ついにその矛をこの独立都市ヴェンツブルグに向けたのだ。

「いきなり攻撃してくることはないだろう」

 門兵の所属する大隊の隊長であるクロード・ラクラシアはそういっていた。だが、不安と恐怖を消し去ることなどできはしない。正直なところ、逃げ出したかった。

 だが彼の職責に対する責任感と、生まれ育った都市への思いはそれを許さなかった。結局、彼は使いのアルジャーク兵に事情を説明するまで、極度の緊張にさらされ続けることになるのだった。

**********

 使いに出した兵は報告を済ませるとすぐに下がった。

「ふさわしい者が来るまで待って欲しいとのことでしたが、時間稼ぎではないのですか」

 ここに来ているアルジャーク軍は騎兵ばかりが五千騎だけだが、それでもヴェンツブルグを落とすには十分すぎる。それを恐れて時間稼ぎをしているのではないかとグレイスは思った。

「あなたならこのような形で時間稼ぎをしますか?するとして何の為に?」

「・・・・・そうですね、時間稼ぎではない。失礼しました」

 無意識とはいえ自分の驕りをたしなめられたようでグレイスは恥じ入った。

 時間稼ぎをしたいのであれば、もっとうまいやり方が幾らでもある。こんな瀬戸際までアルジャーク軍が迫っているこの状態で時間稼ぎをしても意味はない。彼らは都市を捨ててどこかに逃げるわけには行かないし、またどこかの国に応援を頼むこともできない。

 グレイスが今この場で思い至る程度のことだ。ヴェンツブルグの執政官たちが頭を悩ませ考え付かないわけがない。

 つまりグレイスは彼らのことを侮ったのだ。無意識とはいえ、政でそれは危険だ。

「ですがこのような都市を相手にわざわざ交渉の席に着く必要があるのですか」
 いぶかしむようにグレイスは言った。

 アルジャーク帝国と独立都市ヴェンツブルグの力の差は、いわば「月と砂粒」で本来まともに相手をする必要はない。武力を持って押しつぶし制圧してしまったほうが、後腐れがなくてよいと思ったのだろう。

「ヴェンツブルグは独立の気風がつよい都市です。力ずくで恭順させようとすれば住民全てレジスタンスに、なることはないでしょうが、非協力的になっていろいろとやり難くなるでしょうね」

 武力制圧したほうが、後腐れがあるのだ。

「それに最悪、不凍港が使えればそれでいいわけですし」
「そんなものでしょうか・・・・・」

 純粋な武人であるグレイスにとって、こういう思考は迂遠なものに感じられるのだろう。クロノワ自身だってそうだ。彼自身、自分の思考に疲れることがあった。

 そうこうしているうちに、ヴェンツブルグから騎影が二つ、こちらに近づいてきた。一人は初老の男で、年のころはアールヴェルツェよりも一回り程度上かと思われた。もう一人は二十代初めと思しき男だ。二人とも自衛騎士団の所属らしく、鎧を着込んでいるが剣は持っていない。戦うつもりはない、という意思表示らしい。

「自衛騎士団騎士団長、アッゼン・ウロンジです」
「同じく、第三大隊隊長、クロード・ラクラシアです」

 二人とも名前は知っている。というよりもある程度事前に調べてある。
 自衛騎士団騎士団長たるアッゼン・ウロンジは一兵卒から、いわば「叩き上げ」で騎士団長まで上り詰めた人物で、それゆえに騎士団員や都市の住民からも信頼が厚い。大柄な体格と豪胆な気性ゆえに万事に大雑把と思われがちだが、細かい心配りを忘れない人物だと報告されている。

 クロード・ラクラシアについては、それほど詳細な報告は上がっていない。ただ一点、三家の一つ、ラクラシア家の次男ということだけが載せられていた。

「アルジャーク帝国モントルム方面遠征軍司令官、クロノワ・アルジャークです」

 儀礼的な挨拶を交わした後、アッゼンが本題を促した。

「それで、本日はいかなるご用件でこのヴェンツブルグにいらしたのですかな」
「アルジャーク帝国と独立都市ヴェンツブルグの今後のお付き合いの仕方について色々とお話をしたいと思いまして」

 極上の笑みを浮かべてクロノワは応えた。自分の意思でこういう表情ができる辺り、修行の成果といえるだろう。

「五千騎ちかい騎兵を引き連れて、ですか・・・・」

 クロードが後ろに控えている騎兵たちを見て言った。その口調は若干苦々しい。話し合いといっておきながら武力で威圧するとはどういう了見だ、と思っているのだろう。

 だがクロノワはそんなことは意に介さない。もとより外交交渉とはそういうものだ。

「護衛ですよ。モントルムを平定したとはいえ、まだ日が浅い。まさか身一つでここまで来るわけにもいかないですから」

「でしたらこの先は必要ありませんな。我々が責任を持ってお守りいたしますゆえ、護衛の方々はここでお待ちいただけますかな」

 このアッゼンの言葉に反応したのはグレイスだった。

「それは承服いたしかねます。殿下の護衛は我々の任務。いかなる理由があるとはいえそれを放棄するわけにはいきません」

 交渉のすえ、クロノワの護衛として都市に入るのは二十人となった。

 アッゼンとクロードを先頭にして一同は都市の中を、執政官の合議がおこなわれる執政院に向けて歩いていく。

 都市の様子は思ったよりも活気に満ちていた。戦争中だっただけに、この都市にやってくる商人の数はすかなかろうと思っていたのだが、どうして彼らはたくましい。それにヴェンツブルグは貿易港だから、船でやってくる貿易商も多いのだろう。

 しかし、これからどうなるかは分からない。街道を行き来する人々の邪魔にならないように野営場所を移動させてきたとはいえ、この独立都市ヴェンツブルグのすぐ外にアルジャーク軍の騎兵五千が目を光らせているのである。人々が萎縮しても仕方がない。

(心苦しいかぎりです・・・・)
 クロノワは心の中でこの都市の人々に謝った。

 武力を背景にして交渉ごとを有利に進めるのは、この時代の外交の常套手段である。それにヴェンツブルグはもともとモントルムの宗主権の下におり、アルジャークにしてみれば、いわば敵勢力の一部である。

 武力を用いるのは理にかなっている。そう頭では割り切っている。だが感情面ではどうしても心苦しさをぬぐえない。

(私は甘いのでしょうか・・・・・)

 そうなのだろうと思う。そして、それでもいいと思ってしまう。

 案内された執政院は、白塗りの壁で四階建ての建物だった。執政官たちの合議だけでなく、この都市の行政に関わる中枢がこの建物の中に詰まっていることになる。

 一行はひとまず待合室に通された。

「執政官方が揃われるまで、こちらの部屋でおくつろぎください」

 そういってクロードは出て行った。部屋にはティーセットとちょっとしたお茶菓子が置かれている。勝手にどうぞ、ということらしい。

 護衛についてきた騎士たちは、皆それぞれに談笑している。クロノワは今窓辺に椅子を置き、ぼんやりと外を眺めていた。

「なにをご覧になっているのですか」

 そう言いながらお茶と菓子を差し出したのは、紅一点のグレイスだった。こういう気遣いはいかにも女性らしい。クロノワは礼を言って受け取った。

「海を、見ていました」

 比較的高い場所に位置しているらしい執政院の、さらに三階にあるこの部屋からは海を臨むことができた。帆船の白い帆が幾つか見え、ここが良い貿易港であることを無言のうちに証明している。

「初めてですか」
「いえ、宮廷で暮らすようになる前に一度だけ。友人と彼の師匠と三人で二ヶ月ほど旅をしたのですが、その時に」
「あのイスト・ヴァーレとかいう男ですか・・・・」

 グレイスの口調は苦い。どうやら彼女はイストにいい感情を持っていないらしい。そんな彼女の様子にクロノワは苦笑した。

 イストは権力におもねるということをしない。というより嫌っている節がある。権力嫌いというよりは、それを既成特権としてしか考えずもてあそぶような輩に嫌気がさしているのだろう。その感情はもはや憎悪と言ったほうがいいのかもしれない。

 なにが彼をそうしたのか、イストは話そうとはしなかったからクロノワは知らない。だが彼のそういう態度は、軍という規律と上下関係の厳しい世界に身をおいているグレイスにとっては不遜と映り、それゆえに相容れない。

 クロノワはとくに友人のことを弁護しなかった。イストのあの飄々とした皮肉っぽい態度は確かに彼の一面だが、それだけが彼の全てではないことをクロノワは知っている。だが同時に誰かに弁解してもらうことを、あの変わり者の友人が嫌がるであろうことも分かっていたからだ。

 グレイスはまだ渋い顔をしている。本当は付き合いをやめるように言いたいのかもしれない。だが、クロノワには味方が少ないことを知っているため、あまり強く言いたくもないのだろう。

 クロノワは素知らぬ顔でお茶を啜った。執政官たちが揃いましたと知らせが来たのは、それから少ししてからだった。

**********

「はじめまして。アルジャーク帝国モントルム方面遠征軍司令官、クロノワ・アルジャークです。本日はこのような場を設けていただき感謝しております」

 目の前に居並ぶ八人の執政官たちを前に、クロノワはまずそう挨拶した。

「前置きはいい。早速だが用件を窺おう」

 やや苛立った様子で口を開いたのは、選出された五人の執政官の一人であるブレンステッド・テームである。

「それでは単刀直入に申します」
 クロノワは一旦そこで間を取った。

「独立都市ヴェンツブルクにアルジャーク帝国の宗主権を認めていただきたい」

 それはこの独立都市ヴェンツブルクにアルジャーク帝国の一部になれということだ。執政官たちは一様に押し黙った。これまでモントルムに対して、そうしていたことを考えれば同じといえば同じだ。だが、新たになにを要求されるか分かったものではない。

「これまでここヴェンツブルクは、モントルムの宗主権の下に自治を認められてきました」
 これはただの事実確認だ。執政官たちも何も言わない。

「ですが、もはやモントルムという国は存在しません。我々アルジャークが併合しました。ならばヴェンツブルクはモントルムの代わりに、アルジャークの宗主権を認めるべきではないでしょうか」
 クロノワの主張には一応の理が通っている。

「認めない場合はどうする?武力行使かね?」
 そう言う執政官の声には皮肉の色が混じっている。

 ヴェンツブルクの住民は独立の気風が強く、彼らは力で押さえつけられた支配を良しとはするまい。だいいち武力制圧したとしても、破壊されたあるいは焼き払われた港が何の役に立つというのだろう。

 無論、そのことはクロノワも承知している。

「武力行使をするつもりはありません。ですが、色々と制約をかけることは必要になるでしょう」

 行き来する人々の荷物の検閲、貿易品の関税の引き上げ、もっと単純に高い通行税をかけることもできるだろう。

 執政官たちの顔が青ざめた。

(そんなことをされれば・・・・)

 そんなことをされれば、この独立都市ヴェンツブルクは干上がってしまう。

 ヴェンツブルクはあくまでも「都市」なのだ。良港を持ち貿易によって栄えてはいても、そこは生産の場所ではない。人為的にとはいえその立地条件が崩されれば、個人の行商人を含め貿易商たちはこの都市を訪れなくなる。そうなれば自然とヴェンツブルクは衰退していく。

 そして住民たちの不満は、アルジャーク帝国にではなく執政院に向くだろう。そうなればアルジャーク帝国がこの都市に介入する余地が生まれる。そこまで計算しているのだろう、このクロノワ・アルジャークという皇子は。

「無論、そのような策は我々としても好ましくありません。せっかくの不凍港、有効に使いたいですから」

 そう言われて執政官たちは思い出した。アルジャークには不凍港がないことを。港がないわけではない。だが地形の問題も絡んで北よりの地域にしか港がなく、そういった港は冬になると海水が凍ってしまうのだ。

 今回の遠征で併合したモントルムも貿易港として使える港はヴェンツブルクだけだし、オムージュにいったっては内陸国のため、そもそも海に面していない。

(アルジャークにとってこのヴェンツブルクは、一年を通して使える唯一の港、というわけだ・・・・)

「オムージュは落ちたも同然です。そうなればアルジャーク帝国の国土は二二〇州。商人の方々にとっては魅力的な市場でしょうね」

 そしてその商人たちの拠点となるのが、この独立都市ヴェンツブルクなのだ。当然人が集まるところには、物と金もあつまる。

 執政官たちは視線を合わせ、頷きあった。

「アルジャーク帝国の宗主権を認めること、我々としてもやぶさかではない」
「だが、それは今までと同程度の自治が認められるならばの話だ」
「その点、アルジャーク帝国としての立場はいかがか、クロノワ殿」

 ここまでで大筋では合意したことになる。

「そうですね・・・・・」

 さらにこれから細かい詰めの協議に入るのだ。




[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征12
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:38
結局話し合いは、昼食をはさんで夜まで続いた。大方の内容は決まり、明日にはアルジャーク帝国皇帝ベルトロワ・アルジャークに届ける正式な書簡を作成できるだろう。

 クロノワ・アルジャークは護衛たちと共に、都市の外に待たせている騎馬隊のところへ戻っていった。迎賓館を用意するつもりだったのだが、

「部下に野営を命じておきながら、私だけ暖かいベッドで眠るわけにもいきませんから」
 といってクロノワ自身が断ったのだ。

 いまさら暗殺を警戒したわけでもないだろう。それはつまり、兵の信頼を得るすべを心得ているており、ただの温室育ちの皇子様ではないということだ。そうディグス・ラクラシアは思った。

 いまディグスは家族と共に夕食を楽しんでいた。一日中頭と神経を酷使していたためか、食事にあわせて開けた赤ワインは体に染み渡るようで、彼はなんともいえない倦怠感に身を任せた。

「まぁ、合意文章の作成はそれほど問題なく終わるだろうね」

 杯に入ったワインを飲みながら作業の進行状況と今後の見通しを家族に語っていた。

「ではなにが問題なのですか?」

 そう尋ねたのはリリーゼだ。ディグスは言いにくそうに苦笑いを浮かべている。

「だれが使者になるか、でしょ?」
 代わりに応えたのはアリアだった。

 正式な書簡を作成してそれで終わりではない。それをアルジャーク帝国皇帝ベルトロワ・アルジャークに届け、そして皇帝の承諾を得て初めて独立都市ヴェンツブルクの立ち位置が決まるのだ。

 問題になっているのは、その書簡を持っていくヴェンツブルク側の代表を誰にするか、ということである。本来であれば執政官の一人が使者となって赴くのが筋である。だが、今回だれも行きたがらないのだ。

 露骨なことを言ってしまえば、誰も責任を取りたくないのである。

 クロノワとの間で合意した条項を皇帝が認めず、その場で無茶な要求を追加してくるかもしれない。通常の国家間の話であればこういう事はありえない。だがアルジャーク帝国と独立都市ヴェンツブルクの力関係は、いっそ笑いたくなるほどで、こういう心配もしなければならないのだ。

 そうなってしまえば呑まないわけにはいかないだろう。その責任を誰も取りたくないのだ。

「私に、私に行かせてください!」

 そういって立ち上がったのは、なんとリリーゼであった。

 一瞬、リリーゼはなぜそんなことを言ったのか、自分でも理解できなかった。だがその言葉はすぐに彼女のものとなり、血脈に沿って体に染み渡っていった。

 精神が高揚し体が熱くなる。大仰に言えば運命を感じたのだ。そう、眠っていた自分を叩き起こす、稲妻の閃光のような運命を。

「私に行かせてください、父上。使者としてアルジャーク帝国へ」

 誰にも渡さない。この運命は私のものだ。そう決意を込め、ほとんど睨むようにしてリリーゼは父であるディグスに懇願した。

 ディグスはリリーゼのその視線をしっかりと受け止め、しかし何も言わなかった。

「だめだ!それならば私が行く!」

 声を荒げそういったのは長兄のジュトラースだ。次兄であるクロードも賛同し、妹を説得しようとする。

 そんな中、父であるディグスの頭の中では素早く計算がなされていた。アルコールが入っているとはいえ、彼の頭脳は明晰を保っているといっていい。

 ヴェンツブルクが、というより執政官たちがもっとも恐れているのは、アルジャーク帝国皇帝が直々に新たな要求をしてくることである。だが、もしされれば使者が誰であろうと、その要求を呑まなければならなくなるだろう。

 ディグスは一つ息をついた。諦めが付いたといってもいいかもしれない。

 そう、諦めるしかないのだ。国力も武力も財力も発言力も、何もかもが違いすぎる格上の相手になにをしても無駄なのだ。それならばいっそ・・・・・・。

 ならばいっそのこと、政も駆け引きもなにも分からない者を使者に立てたほうが、かえって相手の心象はいいかもしれない。それは暗に、すべてを委ねます、といっていることになるのだから。

「・・・・・いいでしょう」
「父上!?」

 ジュトラースとクロードが悲鳴に似た声を上げる。彼らとしてはまず真っ先にこの人が反対するだろうと思っていたのだ。
 息子たちの悲鳴を無視してディグスは話を進める。

「ですが、私の一存で決めてしまうことはできません。執政院に諮ってからです。もしそこで許可が下りなければ諦めなさい」

 いいですね?とディグスは末娘に言った。リリーゼは視線をそらすことなく彼を注視している。

「分かりました」

 一瞬の迷いもなく彼女は応えた。その目は自身が使者になることを微塵も疑っていないように思われた。そんな末娘の様子をみて、ディグスは内心苦笑をもらした。

(やはり育て方を間違えたでしょうか・・・・?)

 彼はこの末娘を花よ蝶よと育てた覚えはない。自分の娘が一般的な良家の令嬢の枠に収まりきらないことを悟った彼は、自らの人生を彼女自身の手に委ねたのだ。それが間違っていたとは思わない。

 しかし、自身の人生を手にした彼女は、ディグスの知らぬ間に大きな翼を育てていたようだ。そしてその翼でこの狭い鳥かごから飛び立っていくのだろう。そんな娘をディグスは眩しく、また誇りに思う。しかし、一抹の寂しさはどうしても消えなかった。



 次の日、クロノワ・アルジャークとヴェンツブルグ執政院の間で合意文章が作成された。その中ではまず、アルジャーク帝国が独立都市ヴェンツブルグの宗主権を持つことが明記されている。

 さらに、その内容を要約すると以下のようになる。

 一つ、独立都市ヴェンツブルグはこれまでと同程度の自治権をもつ。
 一つ、アルジャーク帝国より執政官を一人派遣し、九人で合議をおこなう。
 一つ、アルジャーク帝国より派遣される執政官の権限は、他の八人の執政官たちと同じとする。
 一つ、戦時などの緊急事態においては、独立都市ヴェンツブルグはアルジャーク帝国に最大限協力する。

 これらの内容に加えてさらに細々とした取り決めが幾つか記載された。

 また、執政院でリリーゼ・ラクラシアを使者とすることが承認された。もちろん使者団を組んで帝都ケーヒンスブルグへ向かうことになるが、中心は彼女だ。クロノワは少し驚いた様子だったが何も言わなかった。

 会合の後、クロノワはディグス・ラクラシアから声をかけられた。

「娘をよろしくお願い致します」
「承知しました。ご安心ください」

 思いつめた様子で頭を下げるディグスに、クロノワは当たり障りのない返答しか出来なかった。親心の機微はクロノワには理解しがたい。死んだ母もきっとこんなふうに自分のことを心配してくれていたのだろう。そう考えると少しこそばゆい。

 ふと思った。父親たる皇帝もそうなのだろうか、と。彼は頭を軽く振ってその問いを追い出し、答えは不明のままになった。

 出立は明日の朝。一度オルクスまで戻り、そこから帝都ケーヒンスブルグへ向かうことになる。





[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征13
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:38
レヴィナス率いるオムージュ方面遠征軍は、ついにオムージュの王都ベルーカに入った。すでに降伏する旨が届けられており、大きな混乱もなくレヴィナスは入城したのであった。

 ベルーカに入ってすぐ目に付いたのは、建設途中の建物であった。既に八割がたが完成しているらしく、大まかな造形は見て取れた。

「あれは、劇場か何かか・・・・?」
 心の琴線にふれるものがあったらしく、レヴィナスの言葉は熱を帯びている。

「そういえば、オムージュ国王コルグス陛下は優れた才をお持ちだと聞いたことがあります」

 そういいながらアレクセイもレヴィナスの視線を追いかけた。その建物は壮麗にして荘厳で、なるほど完成すれば傑作と呼ぶにふさわしい姿となるだろう。

 王宮に入ると、レヴィナスはまず部屋を一つ一つ見て回った。廊下を歩けばあちらこちらから黄色い悲鳴が聞こえ、すれちがう女官たちは魂を抜かれたように惚けて立ち尽くした。皆、レヴィナス・アルジャークのその美貌にあてられたのである。

 とある部屋に入ると、そこには美しく着飾り正装した一人の姫君がたたずんでいた。アーデルハイト王女その人である。

「姫の評判はアルジャークにも届いております。いずれお会いしたいと思っておりました」
 万人を魅了する笑顔でレヴィナスは亡国の姫に挨拶をした。

「もったいないお言葉でございます」

 姫の言葉は丁寧であったが卑下た様子はいなかった。それから二人はしばらくの間、語り合った。レヴィナスはこういう場での話題を数多く知っていたし、なにより話術が巧みであった。アーデルハイトもまんざらではない様子であった。何よりも目が熱っぽく、表情が生きいきとしている。レヴィナスが平素の彼女を知っていれば驚いたであろう。実際、彼女の部屋で給仕をしていた女官は驚いていた。

「姫様のあのようなご様子は初めて見ました」

 レヴィナスの美貌よりもそのことに驚いたというから、ただ事ではあるまい。

「何か不自由されることがあれば、遠慮なく申されよ」
 名残惜しそうにするアーデルハイトにそう声をかけ、レヴィナスは辞した。

 その日の晩餐に、レヴィナスはコルグスを招待した。彼に建築の才があることを知ったレヴィナスが話を聞きたいと思ったのだ。

「それはそれは。光栄ですな」

 現れたコルグスはすっきりとした表情をしていた。「憑き物が落ちた」という表現が合うかもしれない。国家という重圧から解放された人間は、こういう表情が出来るのかもしれない。

 レヴィナスは凱旋途中に見た建設途中の建物をしきりに褒めた。やはりあれは劇場だったらしい。

「完成すれば東国一、いや大陸一の名作として後世までその名を轟かすでしょう」

 さらにあの劇場の基本設計をコルグス自身がおこなったことを知ると、レヴィナスはさらに驚き彼を賞賛した。

 コルグスとしても彼が二十年以上をかけて進めてきた肝いりの計画が、この麗人によって評価されたことが嬉しかったらしい。全国各地で同時進行させている建築計画の図面をレヴィナスに見せ、凝らされた数々の意匠とこだわりを熱っぽく語った。レヴィナスも自身のアイディアを告げたりと、二人の議論は自然と白熱していった。

「ケーヒンスブルグに凱旋したあかつきには、私はおそらく父上からこの旧オムージュ領の総督に任命されるでしょう。そのときには是非、貴方にこれらの計画の仕上げをお願いしたい」
 レヴィナスは若干興奮気味に亡国の王に求めた。

 コルグスは一瞬、押し黙った。レヴィナスの申し出が癇に障ったから、ではない。戦に負けたにせよ一国の王であった者に征服者の下で働け、というのは普通侮辱以外の何者でもなかろう。しかし、コルグスがもっとも心血を注いできたのは、なにを隠そうこれらの一連の建設計画なのである。その最後の仕上げが自分で出来るのであれば、それはむしろ僥倖であるといえる。

 しかし彼は首を振り、若い征服者の申し出を断った。

「亡国の王であった者が大きな事業を任されたとあっては、部下の方々が不満に思われましょう」

 彼も一国を治めていた王。こういった政治的な考え方は嫌というほどしてきたのだろう。だがレヴィナスは諦めなかった。

「では、アーデルハイト姫を私にくださらないか」
 無論、妃として迎えたいという意味である。

「なんと、娘を・・・・」
 コルグスは絶句した。

「左様。そうすれば貴方は私の義理の父。誰も文句は言いますまい」

 悪い話ではない。それどころか格別にいい話といっていい。
 レヴィナスはアルジャーク帝国の皇太子である。その彼とアーデルハイトが結婚し、その間に生まれた子供が将来的にアルジャーク帝国の版図を受け継ぐことになれば、オムージュ王家の血統は考えうる最高の形で守られる。それにレヴィナスがアーデルハイトを娶れば、旧オムージュ王国の臣下や国民も新しい為政者であるレヴィナスを受け入れやすくなるだろう。

 それにレヴィナスが言ったとおり、コルグスが建設計画を取り仕切っても不満が出ることはあるまい。

 そう、これはいい話なのだ。オムージュという国とコルグス個人の両方にとって。
 コルグスは立ち上がり、たたずまいを正した。そして若く美しい征服者に、また彼の義理の息子とも主君ともなる人物に深く頭を下げた。

「娘のこと、国民と臣下のこと、全てお願い申し上げる」

 レヴィナスは鷹揚に頷いたのであった。





[27166] 乱世を往く! 第二話 モントルム遠征 エピローグ
Name: 新月 乙夜◆00adcea3 ID:97f78ab0
Date: 2011/04/13 15:39
独立都市ヴェンツブルグからオルクスに戻ったクロノワは、すぐに部下たちに帝都ケーヒンスブルグに凱旋するための準備をさせた。アールヴェルツェの話ではあと三日ほどで準備は完了するそうだ。

 その日の夜半過ぎ、クロノワは一人謁見の間にある石造りの玉座に座っていた。謁見のまの天井はガラス張りになっており、月の光が室内をほのかに明るくしていた。

 月に向かって手を伸ばす。

「石の玉座の座り心地はどうだ」

 突然聞こえてきた声にクロノワは苦笑をもらした。動揺も戦慄もしない。彼の良く知る声だったからだ。

「硬いよ。クッションが必要だね」

 正面に視線を戻すと、月明かりに照らされた友人の姿があった。赤褐色のローブを羽織、身長よりも少し長いくらいの杖を手にしている。最後に会った二年前よりも、精悍さがましたように思われた。

「君はいつも突然に現れる、イスト」
「いちいちアポ取るのも面倒だからな」

 肩をすくめながら、イストはそういった。それから急に真剣な表情になる。

「お前、このままいくつもりか」

 クロノワは何も言わない。

「これが最後の機会だと、そう思うんだがな」

 全てを放り出し、この広い世界を旅するための。だがクロノワは、はっきりと否定した。

「それは違うよ、イスト」

 自然、視線が月に向いた。満月は過ぎ欠けてゆく、それでもまだ十分に明るい月がガラス越しの空に煌々と輝いている。

「この遠征に出るまでが最後の機会だった。私はそう思っている」

 イストは何も言わない。月を見ているから表情も分からなかった。独白するようにクロノワは続けた。

「この戦争でたくさんの血が流れた。その少なくとも半分は私が背負うべきなんだ。それを放り出すことは出来るとは思わないし、したいとも思わない」

 視線を戻す。イストは何か言いたそうに顔を歪めていた。しかしすぐに諦めたように首を振った。

「ああ、まったく。言葉はいつだって多すぎる。そのくせいつだって、言いたいことは言えやしない」

 そういってイストは何かをほうった。受け取ってみると手のひらに収まるくらいの木箱であった。あけてみると指輪がおさめられていた。恐らくは聖銀(ミスリル)製で、幅が広く細かい透かしの細工が施されている。

「婚約指輪?」
「三点」
「・・・・低い・・・・」

 冗談とはいえ、間髪入れないイストの辛口な採点に、がっくりと肩を落とす。

「魔道具『雷神の槌(トールハンマー)』。なかなかいい魔道具ができてな、そいつの簡易版だ」
「指輪なのに槌(ハンマー)?」

 イメージとしてはなかなか結びつかない。

「ああ、なかなかいい威力だからな。試し撃ちをするなら、人と物のないところをお勧めするぜ」

 彼の口調からは自分の作品への自信が窺える。こうなるとこの「簡易版」の元になった魔道具が気になった。

「魔弓だからな、お前には向かないよ。それに『簡易版』といったが『劣化版』といった覚えはないぞ」
「・・・・・・いいのか・・・・・?」

 自分はこの友人との約束を破るのだ。

 子供の頃に軽い気持ちでかわした約束だ。今となってはお互いに立場が違う。だから仕方がない。もっともらしい理由なら幾らでも浮かんだ。

 だがそんな薄っぺらい理由が浮かべば浮かぶほどに、心苦しくなっていく。自分はこの大切な友人を裏切ってしまった。それなのにイストは自分に怒るでもなく、こうしてまだ友人として接してくれている。

 それが、どうしようもないほどにつらかった。

「お前のために作った祝いの品だ。要らないなら捨てるしかないな」

 肩をすくめながらイストはそういった。まるで、

「馬鹿なことを言うな」

 とでも言う様に。

「ありがとう」

 あらゆる思いを詰め込んで、クロノワは礼を言った。それに満足したのか、イストは笑顔で頷いた。

「じゃあな」
「イスト!」

 背を向け暗がりに溶け込むようにして去ろうとする親友を、クロノワは呼び止めた。

「私は、いや、俺はこの世界を狭くしてみせる」

 玉座から立ち上がり、月光を浴びながらクロノワはそう宣言した。これが、彼が自分の野望を口にした最初であった。

 イストの顔は暗がりに隠れてよく見えない。だがクロノワは彼がニヤリと笑ったのが分かった。

「楽しい時代になりそうじゃないか」

 そういい残して、イストの気配は消えた。

 クロノワは再び月に視線を転じた。

 彼の胸の中には、はじめての野望が確かにある。ふつふつと湧き上がる気持ちの名前を彼は知らない。だが彼は、今までにない高揚を感じていた。





  ―第二話、完―



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