東京電力福島第1原発から半径50キロの範囲にある福島県いわき市で、沖縄料理屋「沖縄料理 宮古島」を経営する永井勲さん(61)=旧姓・根間、旧城辺町出身。食料などが届き始めたのは、東日本大震災発生から約20日後だった。「遅すぎる。原発は基地問題と似ている。普段は押し付けて、助けが必要な時は見捨てられる」と話す。大震災から1カ月たつ今も、復興への道筋は立たないが、古里からの温かい支援に光を見いだしている。
約17年前、同市に住み始めた。2009年12月に店をオープンさせ、軌道に乗り始めたばかりだった。原発の影響も出始め、同県の野菜の出荷停止など「風評被害をあおるような報道ばかり目にした」という。水道は約1週間前に復旧したが、頻発する余震で11日に再び止まった。ライフラインの整備は一進一退だ。
そんな中、沖縄からボランティア団体「沖縄コザいわき頑張っペ隊」の4人がやって来た。永井さんも一緒になり、沖縄そば約340食を担ぎ4カ所の避難所を回った。汁物料理に生演奏。毎日冷たいおにぎりを食べていた被災者の顔がほころんだ。
「だれも支援に来てくれない所に、沖縄の人が来てくれたことが何よりの元気になった」と喜ぶ。今は、被災者のストレスを和らげるため、一緒に悩んであげることが大切と感じ、避難所などでボランティアを続けている。(佐渡山倫子)