「聖書ものがたり・SAMUELT・U(サミュエル記)」
サミュエル記Tサウル王国の誕生
サミュエル記Tダヴィデ台頭史
サミュエル記Uダヴィデ王国の成立
サミュエル記Uダヴィデ王位継承史
サミュエル(SAMUEL)の父はエフラタ人のELKANAHであり,母親の名はハンナ(HANNAH)といった。我々はELKANAHのことを殆ど知らない。彼の家はエフライム(EPHRAIM)の高地のRamahというところにあり後年Ramahはサミュエルの故郷となる。
「エフライムの山地ラマタイム・ツオフィムに一人の男がいた。名をエルカナといい,その家系をさかのぼると,エロハム,エリフ,トフ,エフライム人のツフに至る。エルカナには二人の妻があった。一人はハンナ,もう一人はベニナで,ベニナには子どもがあったが,ハンナには子どもがなかった。(サミュエルの誕生:第1章)
拙稿記事の写真はイスラエル建国前のものですので最新の写真などはここをクリックしてください。
旧市街の門
絵はサウルとダヴィデ「Saul and David」でストックホルム国立美術館所蔵。スウェーデンの画家Julius Kronberg作。
"David took an harp,and played with his hand:so Saul was refreshed,and was well,and the evil spirit departed from him"
サウルはエッサイ(Jesse)に言い送った。「ダヴィデをわたしに仕えさせるように。彼は,わたしの心に適った。」神の霊がサウロを襲うたびに,ダヴィデが傍らで竪琴を奏でると,サウルは心が安まって気分がよくなり,悪霊は彼を離れた。(サミュエル記T第16章22〜23節)
”And there was a javelin in Saul's hand"Heedless of the music,he broods over the terrible thought of murder"I will smite David even to the wall".
次の日,神からの悪霊が激しくサウルに降り,家の中でも彼をものに取り付かれた状態に陥れた。ダヴィデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。サウルは,槍を手にしていたが,ダヴィデを壁に突き刺そうとして,その槍を振りかざした。ダヴィデは二度とも,身をかわした。(サミュエル記T第18章10〜11節)
ダヴィデの奏でた竪琴はHarpですがそれがいつの間にかHaarp(High-Frequency Active Auroral Research Program)となってしまったようです。拙稿UFOのブルービーム計画の記事のなかの「Haarpという最終兵器を参照」をクリックしてみてください。
HAARP以外にも.....あるわあるわ!
1953年 MK-ULTRA(薬物・電子チップ・電気ショックを使って失神,暗示によるプログラミングを行う)。

1958年 Project Moonstruck(手術または誘拐して密かに,電磁波を出すチップを脳と歯に埋め込む。
1958年 Project orion (亡命した大物など最重要人物の事情聴取を行う際,薬物・催眠術・脳電気刺激によって,プログラミング・忠誠心の確保を行う。)(管理人注:Breaking Pointを超えない操作でキッシンジャーが忠実な僕となった方法と思われる。Breaking Pointとはナチの死の天使「ヨセフ・メンゲレ博士」の考案したあるポイントを超えると発狂する仕組み。人間は恩義や愛情などで結ばれていても忠誠など簡単に破るという本質を知り尽くしたマキャベリ理論でもある。絶対的忠誠は『恐怖心』で結ばれていなくてはならない)

1960年 MK-DELTA(微調整された電磁波によるサブミナル・プログラミング。一般人の行動や態度をプログラムする。疲労感,気分のむら,行動機能不全,社会的犯罪行為をもたらす)。(管理人注:5メートル以内でTVを見ることの危険性をもっと認識するべきだろう。これらは電通の支配下にあることを知る人は少ない。)
1983年 PHOENIX U(モントークにて実験。電磁波を使って特定集団を標的にする。彼らを使ってさらに大衆をプログラミング。また,特定の地域に地震を起こすことも出来る。
1989年 TRIDENT (三機編隊の黒いヘリコプターによって,個人・特定国民を対象とし,大集団の管理と行動統制,暴動規制を行う。FEMA(連邦緊急事態管理庁)と協力。
1990年 RF MEDIA (テレビやラジオを通じたコミュニケーションによって,電磁波を使ったアメリカ国民へのサブミナル暗示とプログラミング。行動欲求を操作して,心霊能力を破壊。集団的電磁波コントロールの準備過程とされる。
1990年 TOWER 携帯電話網を使って,電磁波による全国的サブミナルプログラミングと暗示。神経の強震とコード化された情報によって,神経細胞の変化とDNA共振の修正,超能力の抑制を行う。
1995年 HAARP 電磁波による一般大衆コントロール。集団的に行動を変えさせる。HAARPは歴代米国マインドコントロール技術の集大成であり, またその規模もかつてないほど強力化された最終マインドコントロール兵器なのだ。つまり,使い方によって非殺傷兵器で殺害が可能であることも事実なのである。
以上が強制削除された記事の要約です。要約はコピー原稿から。
The ARK of the Lord upon the Cart。
サミュエルT第6章参照。
「主の箱」はサミュエル記の時代ペリシテ人によって返還されキルヤルト・エアリム(Kirjath-Jearim)のエルサレムから9マイルにあるアブ・ゴシュ(Abu Ghosh)の村にあるアビナダム(ABINADAB)の家に運ばれた。
「キルト・エアリムの人々はやって来て,主の箱を担ぎ上り,丘の上のアビナダムの家に運び入れた。そしてアビナダムの息子エルアザルを聖別して,主の箱を守らせた。」(サミュエルT第7章1節)
"For this child I prayed;and the Lord hath given me my petition.therefore also I have lent him to the Lord.(絵:Frank Topham)
ハンナは言った。「 祭司様(注;最も高位なるシロ(SHILOH)寺院の祭司),あなたは生きておられます。わたしは,ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。わたしはこの子を授かるようにと祈り,主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。わたしは,この子を主にゆだねます。この子は生涯,主にゆだねられた者です。」(サミュエル記T第1章26〜28節)
ここはダヴィデとつながる故郷でもある。マーケットの日はべドウインが家畜を小自作農民のアラブ人などが彼らの作物を売るためにこのベツレヘムの一角に集まってきた。ベツレヘム(Bethlehem)とは食物の部屋(House pf meat),あるいはパンの部屋の意味がある。エッサイやボアズの時代が偲ばれる......「エッサイ(JESSE)は人をやって,その子を連れて来させた。彼は血色がよく,目は美しく,姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ」サミュエルは油の入った角を取り出し,兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来,主の霊が激しくダヴィデに降るようになった。サミュエルは立ってラマに帰った。(サミュエル記T第16章12,13節)
毎年,べテル,ギルガル,ミツバを巡り歩き,それらの地でイスラエルのために裁きを行い,ラマに戻った。そこには彼の家があった。彼はそこでもイスラエルのために裁きを行い,主のために祭壇を築いた。(サミュエル記T第7章16節)
サウルは若者に言った。「それはいい。さあ行こう。」彼らは神の人がいる町に向かった。町に通じる坂を上って行くと,水くみに出て来た娘たちに出会った。彼らは彼女たちに尋ねた。「ここに先見者がおられますか」娘たちは答えた言った。「はい,おられます。この先です。お急ぎなさい。今日,この町に来られたのです。聖なる高台で民のためにいけにえがささげられるのは今日なのです。町に入るとすぐあの方に会えるでしょう.....(サミュエル記T第9章10〜13節
Jaffaの南,アシュケロン(Askelon)の北からほどなくのところに地中海からわずか3マイルのところにアシュドト(Ashdod)の村がある。「ペリシテ人は神の箱を奪い,エヘン・エゼルからアシュドドへ運んだ。ペリシテ人は神の箱を取り,ダゴンの神殿に運び入れ,ダゴンのそばに置いた。(サミュエル記T第5章1〜2節)
『ダゴン(Dagon)は、古代パレスチナにおいてペリシテ人が信奉していた神。名前の由来はヘブライ語のダーグ(魚)ともダーガーン(穀物)ともいわれる。 父親はエル。伝承によってはバアルの父とされる。魚の頭をもつ海神と考えられてきたが、近年の研究では農耕神であった可能性も強い。ガザとアシトドに大きな神殿があった。
旧約聖書によれば、ペリシテ人はイスラエルと戦い、勝利して契約の箱を奪ったとき、アシトドのダゴンの神殿にこれを奉納した。翌朝、ダゴンの神像は破壊され、ペリシテ人は疫病に悩まされたため、ペリシテ人は賠償をつけて契約の箱をイスラエルに返したとされる。破壊された神像は頭と両手が切り離されて魚のような体の部分だけが残っていたという。 近世ではミルトンの『失楽園』において、「海の怪物」とされ、悪魔の一人に数えられている。ここではすでにダゴンは上半身が魚の半魚半人の姿をもつものとされる。』(Wiki)
また,あなたたちの娘を徴用し,香料を作り,料理女,パン焼き女にする。(サミュエル記T第8章13節)
サミュエルは民に言った。「さあ,ギルガル(注:エリコの近く(エリコの南10マイルの地点にクムランはある),ヨルダンの西にGilgalはある)に行こう。そこで王国を興そう。」民は全員でギルガルに向かい,そこでサウルを王として主の御前に立てた。それから,和解の献げ物を主の御前にささげ,サウルもイスラエルの人々もすべて,大いに喜び祝った。(サミュエル記T第11章14〜15節)
サウルが女魔術師(SORCERESS)を訪ねたとされる タボル山より南に数マイルのところにあるEN-DORの町の丘。(サミュエル記T第28章7〜20節)。
タボル山はこんな感じ
ダヴィデの町エルサレム。"GO FORTH,O YE DAUGHTERS OF ZION"「しかしダヴィデはシオンの要害を陥れた。これがダヴィデの町である。(サミュエル記U第5章7節)
鍛冶屋はイスラエルのペリシテ人によって禁じられていた。「さて,イスラエルにはどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブライ人に剣や槍を作らせてはいけないとペリシテ人が考えたからである.............こういうわけで,戦いの日にも,サウルとヨナタンの指揮下の兵士はだれも剣や槍を手にしていなかった。持っているのはサウルとその子ヨナタンだけであった。(サミュエル記T第13章19,22節)
石投げ紐(THE HOLLOW OF A SLING)を作る子ども。「人が逆らって立ち,お命をねらって追い迫って来ても,お命はあなたの神,主によって命の袋に納められ,敵の命こそ主によって石投げ紐に仕掛けられ,投げ飛ばされることでございましょう。(サミュエル記T第25章29節)
ダヴィデがいたとされるエン・ゲディ(EN−GEDI)の要塞......ダヴィデはそこから上って行って,エン・ゲディの要塞にとどまった。ペリシテ人を追い払って帰還したサウルに,「ダヴィデはエン・ゲディの荒れ野にいる」と伝える者があった......」ダヴィデはサウルに対するこれらの言葉を言い終えると,サウルは言った。「わが子ダヴィデよ,これはお前の声か」サウルは声をあげて泣き,ダヴィデに言った。「お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し,わたしはお前に悪意をもって対した。(サミュエル記T第24章2,17,18章)
ダヴィデのスパイ(見張り?)が隠れていたとされる場所。「ヨナタン(Jonathan)とアヒマアソ(Ahimaaz)は,都に入って見つかってはならない,とエン・ロゲル(En-rogel)にとどまっていた。使いの女が行って二人に知らせ,彼らがダヴィデ王に伝えに行くことにしたのである。(サミュエル記U第17章17節)
預言の時代アブサロムの碑(Absalom's Pillar)と呼ばれるキドロン(Kidron)の谷にある碑。「アブサロムは生前,王の谷に自分のための石柱を立てていた。跡継ぎの息子がなく,名が絶えると思ったからで,この石柱に自分の名を付けていた。今日もアブサロムの碑と呼ばれている」(サミュエル記U第18章18節)
アブサロムの碑の内部。
ダヴィデはそれらを脱ぎ去り,自分の杖を手に取ると,川岸から滑らかな石を五つ選び,身につけていた羊飼いの投石袋に入れ,石投げ紐を手にして,あのペリシテ人に向かって行った。(サミュエル記T第17章40節・ダヴィデとゴリアト)
絵はNicolas Poussin作(Dulwich Art Gallery London).ダヴィデはあのペリシテ人の首をとってエルサレムに持ち帰り,その武具は自分の天幕に置いた......ダヴィデがあのペリシテ人を討ち取って戻って来ると,アブネルは彼をつれてサウルの前に出た。ダヴィデはあのペリシテ人の首を手に持っていた。(サミュエル記T第17章54,57節)
ヘブロンのダヴィデの池。山羊の革で出来た入れ物に水を満タンにするアラブ人の水商人。「ヘブロンのダヴィデのもとに,その首を持参した。二人は王に言った。御覧ください。お命をねらっていた,王の敵サウルの子イシュ・ボシェト(注:Ish-boshethはサウルの四番目の息子)の首です。主は,主君,王のために,サウルとその子孫に報復されました.......ダヴィデの命令によって,従者は二人を殺して両手両足を切り落とし,ヘブロンの池のほとりで木につるした。イシュ・ボシェトの首はへブロンに運ばれ,アブネルの墓に葬られた。(サミュエル記U第4章8,12節)
ベツレヘムの城門の傍らにダヴィデの井戸がある。「ダヴィデは"ベツレヘムの城門の傍らにある,あの井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのに”と切望した。三人の勇士はペリシテの陣を突破し,ベツレヘムの城門の傍らにある井戸から水をくみ,ダヴィデのもとに持ち帰った。(サミュエル記U第23章15〜16節)
サミュエル記U第15章30節にあるDavid went up by the ascent of Mount Olivet......は左手に見える。真ん中の白い部分は処女の泉と呼ばれるギホン(GIHON)の泉である。「ダヴィデは頭を覆い,はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った」
アドラムの洞窟(CAVE OF ADULLAM).「30人の頭の中の3人が,刈り入れ時にアドラムの洞窟にいるダヴィデを訪ねて来たことがあった。ペリシテ人の一隊がレファイムの谷に陣を張っていた。(サミュエル記U第23章13節)
ロバ(ASS)の鞍職人(鞍のついたロバは特別な階級の人の乗り物であった)。「アビガイル・Abigail(金持ちのナバル・NABALの妻,ためしにNABALとは愚か者の意味)はダヴィデを見ると,急いでロバを降り,ダヴィデの足もとにひれ伏して言った....(サミュエル記T第25章第23節)
隠れて見えませんがタボル山(TABOR)の南側の緩やかな傾斜地にあるシュネムの家々。(Houses of Shunem)。ペリシテ人は集結し,シュネムに来て陣を敷いた。サウルはイスラエルの全軍を集めてギルボアに陣を敷いた。(サミュエル記T第28章4節)
カナンでは富裕な土地所有者が羊の毛を刈り取る使用人(Shearers)を5〜6人単位でもてなした。今日のイスラムの習慣はこれによる。野外では音楽が入り踊りを踊る。「一人の男が(注:ナバルのこと)マオンにいた。仕事場はカルメル(Carmel)にあり,非常に裕福で,羊三千匹,山羊千匹を持っていた。彼はカルメルで羊の毛を刈っていた。」「アビガイルがナバルのもとへ帰ってみると,ナバルは家で王の宴会にも似た宴会の最中であった。ナバルは上機嫌で,かなり酔っていたので,翌朝,日が昇るまで,彼女は事の大小を問わず何も話さなかった」(サミュエル記T第25章2,36節)
等身大のHittite Priest-King.
紀元前1600年頃の北シリアの聖職者か王を指すのだろう。
馬はエジプトから輸入し,イスラエル人はおそらく戦車の使い方をヒッタイト人より学んだと思われる。ダヴィデ統治の時代,最も信頼できる戦士はUriahとAhimelechであったが両名ともヒッタイト人であった。「その後アブサロム(ABSALOM)は戦車と馬,ならびに50人の護衛兵を自分のために調えた。」(サミュエル記U第15章1節)
イスラエルにはどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブライ人に剣や槍を作らせてはいけないとペリシテ人が考えたからである。(サミュエル記T第13章19節)
彼らはサウルの首を切り落とし,武具を奪った。ペリシテ全土に使者が送られ,彼らの偶像の神殿と民に戦勝が伝えられた。彼らはサウルの武具をアシュトレト(Ashtaroth)神殿に納め,その遺体をべト・シャン(Beth-shean)の城壁にさらした。(サミュエルT第31章9〜10節)
上記の物は神殿内で発見されたもので紀元前13世紀ごろまだべト・シャンがエジプトに占領されていたころの女神崇拝のためのものであるとする説がある。この蛇はウロボロスとは違うもののようだ。
GIHONから流れる水を背負って。

0