科学文化概論第12回目の講義

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 第12回「科学文化概論」(7月5日)講義の報告
 担当教諭 神田 淳先生(京葉ガス株式会社常務取締役)
 講義のテーマ:日本人と科学精神
   

 神田先生はまず、「日本人にも科学ができるでしょうか」とのタイトルで日本に科学を持ち込んだ仁科芳雄博士を取り上げた。そして森永晴彦・ミュンヘン工科大教授の「西洋の自然観から考えると、本質的に自然科学は西洋のもの」とした見解を述べさらに3人の見解に言及した。

 江崎玲於奈(1925- )「サイエンスに弱い日本人」、小室直樹(1932- )「日本には宗教がないから科学もない」、中谷宇吉郎(1900-1962)「日本人の科学性は、低いとか足りないとかいうよりも、むしろゼロに近い」。

 さらにコペルニクスの天体回転を発表した1543年を科学革命元年とし、ニュートンが「自然哲学の数学的原理」を著した1687年を科学革命完成年とした。そして近代科学が生んだ精神を取り上げ、自然の中に神の秩序を見出す精神から実験する精神を語り、自然を外から見る精神として、「神-人間-自然」という序列を語った。
 ここまでが近代科学を生んだ精神を講義した。

 続いて近代科学の特色として技術との相補性に言及した。この中でハイゼンベルグの「自然科学と応用科学・工学との関連は初めから相補的なものであった。応用科学・工学の進歩、道具の改良、新しい装置の発明は、自然に関するより多くの、より正確な、実験に基づく知識の基礎を提供した。

 また、自然のより深い理解と、自然法則の究極的な数式化は、応用科学・工学の新しい応用の道を切り開いた」の言葉から、もともと科学と技術は異なるものであることを語った。
 さらに日本では明治維新以降、日本の古来からの精神を大事にしながらも西洋から技術を導入して調和をはかる「和魂洋才」が盛んに言われたが、実は科学とは「洋魂」そのものであるとした。中谷宇吉郎の「西洋の科学は、西洋人が血で闘いとったものである。だからそれは非常に強いものなのである」との言葉を引用し、日本での科学の受容は「科学技術」であったとした。


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 東京大学工学部(工科大学)は1886年に創設されたが、これは世界で最初の工学部のある大学であり科学技術は日本における世界的な時代の先取りだったとした。

 日本の科学技術は経済繁栄の手段として傾斜していき、科学が持つ本来の哲学や文化とは遊離した形となり、西洋の科学技術の導入はプロセスイノベーションを起こしたもののプロダクトイノベーションが弱いものへと変転していった。

 日本と日本人の科学に対する思想と西洋のそれとの違いについて言及した。東西の自然観の比較論であり、西洋の思想は現象を神の視座から見る二次元的な思想構造であるのに対し、日本の思想は自然と共にある人間という一元的な思想構造にあるとする浦壁伸周の見解を紹介した。

 神田先生自身の見解として次のように整理した。
• 科学において、文化と世界観の違いは創造性に影響するが、決定的ではない
• 現生人類の能力は基本的に同じであることが決定的である
• 明治以来、西洋文明を学んで吸収した日本人のやり方で基本的に正しい
• 創造性は学んだ後出てくる
• 日本人ノーベル賞受賞者の数が戦後に出ていることが以上を証明している
 
 さらに日本の精神文化の特色として次のようなことをあげた。
・組織と集団の和を尊ぶ ・ロジックを重視せず ・原理主義を嫌う
・情緒に傾斜する ・美しい生き方を重視する ・清浄さを尊ぶ
・繊細な美、繊細な神経 ・空気と雰囲気を重視する、流される
・権利の主張をはしたないと感じる ・察する文化 ・自然に対する尊敬、親和感
・本覚思想 ・おのずから成るの思想 ・言挙げせず ・しつっこくなく水に流す
・集団的な閉鎖性、独立心の弱さ ・学ぶ姿勢 ・鎖国性向

 このようなキーワードによって、日本の科学文化を考える糸口を与えたものであり、深く思索する方向へ導いた。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「科学における独創性の発揮の上で、日本の精神文化の特色が有利に働くと思われる面を考察せよ」

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