'10.10.29 (金)  トリエント・ミサ請願書、その後

'10.10.05 にお伝えした東京の有志信徒によるトリエント・ミサ請願の件で少し動きがあった。

ローマからはまだ返事が来ていない。

東京の有志は、ローマにそれを送って程なく、同内容のものを駐日教皇大使のアルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様にも送っていた。この度、それに対してお返事を頂いたとのことである。

私は、こう見えても(さぞ乱暴者に見えようが)、こういうものの扱いに多少躊躇する。返信者は、それがネット上で公開されるのを承知して書いているのではないだろう。けれども、事柄はカトリックにとって極めて重要であるから、私はここにそのお返事を公開する。(今後も基本的にそうするだろう。)

英語(原文)

NUNTIATURA APOSTOLICA TOKYO

20th of October 2010 

I thank you for your letter of October 7, 2010, and hope that you are enjoying the changing of season as we enter in the beautiful time of autumn.

I was a little surprised by the fact that you have sent a letter to the Pontifical Commission Ecclesia Dei in Rome, despite you had the possibility of asking for advice here in Japan to the Archbishop of Tokyo, or this Apostolic Nunciature.

I was also informed by the Rev. Fr. Domenico Vitali, the parish priest of St. Ignatius Church, that in response to your request for the celebration of a Tridentine Mass, he has not made such a statement as "The Archbishop does not permit it". Rather, I believe that you have requested the Tridentine Mass to be celebrated on an every day basis, and that it is difficult to be granted, which I consider understandable.

I invite you and pray that you might discover the riches hidden in our actual liturgy that will certainly lead you to the deepening of our faith.

Sincerely yours in Christ, 

+ Alberto Bottari de Castello 
Apostolic Nuncio 

日本語訳

NUNTIATURA APOSTOLICA TOKYO

2010年10月20日 

2010年10月7日付けのお手紙を有難うございます。秋の美しい時期に入ろうとしているこの季節の移り変わりを、あなたが楽しんでおられることを希望します。

私は、この日本においてあなたが東京大司教や教皇庁大使館にアドバイスを求めることも可能であるところをローマの教皇庁立エクレジア・デイ委員会に手紙を送ったという事実に、少し驚きました。

また、私はイグナチオ教会主任司祭のドメニコ・ヴィタリ神父様から、聖イグナチオ教会でのトリエント・ミサ挙行というあなたからの要望に対して、彼は 「大司教様がそれを許可しない」 といった発言はしていないという情報も受けました。しかしそれよりも、私はあなたが毎日のトリエント・ミサの挙行を望んでいるということは信じますし、また、それが許諾されるには困難があるということが理解できること(無理からぬこと?)であるとも考えます。

私は、私達の現在のミサに隠された豊かさをあなたが見出しますようにと、あなたを招き、そして祈ります。それは、あなたを私達の深い信仰に確かに導いてくれるでしょう。

キリストにおいて 

Monsignor Alberto Bottari De Castello 
教皇庁大使館 

次いで、これを受け取った東京の有志は、教皇大使に次のように返信したそうである。

英語(原文)

28th October 2010

His Excellency Monsignor Alberto Bottari De Castello
Apostolic Nunciature in Japan
9-2 Sanbancho, Chiyodaku, Tokyo
102-0075, Japan
 

Your Excellency:

I thank you very much for your warm letter of 20th, October 2010. Now I am enjoying the beautiful Japanese autumn.

As for the statement of "The Archbishop does not permit it.", the reason of misunderstanding was clarified after a conversation with Rev. Fr. Domenico Vitali. His "it" pointed the Tridentine Mass that I attend every morning now. But I thought "it" meant the Tridentine Mass offered in St. Ignatius Church. So, Fr. Vitali did not say "The Archbishop does not permit the Tridentine Mass in St. Ignatius Church.", but he said "The Archbishop does not permit the Tridentine Mass you attend now."

Certainly, the Tridentine Mass which I attend, offered by Fr. Akito Nariai in his apartment is not permitted by the Archbishop. Fr. Nariai has been practically kicked out of his Kagoshima Diocese ten years ago and now lives in Tokyo. He has been told by Bishop Kenjiro Koriyama to celebrate Mass alone responding to Archbishop Takeo Okada's complaint. Fr. Nariai often says "Don't come here." to faithfuls, but they disregard his request.

Rather, according to Pope's will, we respectfully request the Tridentine Mass in St. Ignatius Church, as shown in attached article 'Pope wants traditional Masses in every parish, says Vatican cardinal'.(注1

Now we are on good terms with Novus Ordo people and, of course, will be in the future.

We humbly ask your holiness your blessings.

Sincerely yours in Christ, 

日本語訳

2010年10月28日

ローマ教皇庁大使館
Monsignor Alberto Bottari De Castello 様へ

2010年10月20日付けの心温まるお手紙をどうも有難うございます。私は美しい日本の秋を楽しんでおります。

「大司教様がそれを許可しない」 という発言につきましては、ドメニコ・ヴィタリ神父様との会話の後、誤解の理由が判明しました。彼の言った 「それ」 とは、私が現在毎朝与っているトリエント・ミサを指したものだったのでした。しかし私は、聖イグナチオ教会で捧げられるトリエント・ミサを意味するものだと思っていたのです。従って、ヴィタリ神父様は 「大司教様は聖イグナチオ教会でのトリエント・ミサを許可していない」 とは仰ってはおらず、「大司教様はあなたが今与っているトリエント・ミサを許可していない」 と仰った、ということになります。

確かに、私が成相明人神父様のアパートで与っているトリエント・ミサは大司教様の許可を得てはおりません。成相神父様は鹿児島教区を10年前に実質的に追われ、現在東京に住んでおられます。彼は 「ミサを一人で捧げるように」 と郡山健次郎司教様から言われておりますが、それは岡田武夫大司教様からの苦情に応じてでした。成相神父様は信徒達に 「ここに来ないように」 と何度も仰いますが、誰も聞きません。

しかしそれよりも、私達は教皇様のご意向に従って、聖イグナチオ教会でのトリエント・ミサを慎んでお願い申し上げます。添付記事 「ヴァチカンの枢機卿、『教皇様は全ての小教区でのトリエント・ミサを望んでおられる』と語る」 (注1)にございますように。

私達はノブスオルドの人々と現在とても仲が良いですし、もちろん今後もそうでありましょう。

貴方様に神のお恵みと祝福とがありますように。

キリストにおいて 

(注1)この記事は Catholic Herald 社の Anna Arco 記者による2008年6月20日付の記事のようだけれども、同社ウェブサイトには今はもう掲載されていないようだし、また archive.org によっても復元されないようだ。けれど、同じ場所で取材していた Daily Telegraph 社の Damian Thompson 記者(彼はウィリアムソン司教様の味方をしない人だけれどもw)の記事が、拙訳だけれどここにある。

管理人の感想

(あくまでここの管理人の感想であり、
東京の有志の方々とは関係がありません。)

まず、東京の有志の方々に敬意を表します。

教皇大使のお返事については、もし私が直情的な傾向を残しているなら、怒りを感じるところです ----- 「返事になっていない」 と。

何故返事になっていないかというと、請願書を出した信徒達は教皇様の御意向にアクセスしつつそれを書き提出しているに拘らず、教皇大使は ----- もう一度言います、「教皇」 大使は ----- ひとつも教皇様の御意向に触れていないからです。

教皇様も 「現在のミサ」 の持つ恵みを勿論認めておられます。しかしその上で何事かを ----- もう少し別の何事かを ----- 仰っているわけです。「スンモールム・ポンティフィクム」 において。

そういう構造的なことを ----- 「構造的」 などという、そんな難しいものではないけれどw ----- 全部無視して、一切触れず、ただ 「現在のミサに隠された豊かさをあなたが見出しますように」 とのみ言い、終える。そしてそこには 「何故なら」 も無い。説明が無い。他のものとの連関一切なしに、ブツ切りの結論だけがそこに在る。何やら優しげな言葉にコーティングされつつ。
大司教様、こんなのは 「コミュニケーション」 ではありませんよ。

しかし、勿論、彼はその 「何故なら」 を説明できないのです。「スンモールム・ポンティフィクム」 の内容に拘らず御自分が信徒に 「現在のミサには隠された豊かさがあります」 とのみ言って会話を終えてしまう 「理由」 を、説明できないのです。説明しようとしたが最後、何かが浮き彫りになるからです。

「何か」 とは何だ、って?
触れれば百出する 「現在の教会」 の 「隠された諸状況」 ですよ。

そして、大司教様、「私は、この日本においてあなたが東京大司教や教皇庁大使館にアドバイスを求めることも可能であるところをローマの教皇庁立エクレジア・デイ委員会に手紙を送ったという事実に、少し驚きました」 ですって?
私は答えます、「それは一応、その通りかも知れません、形式的には、あるいは礼儀的には」 と。
けれど大司教様、信徒達がままあなた様を飛び越えて、あなた様の肩越しに直接ローマと接触したくなるのは、あなた様が、いえ教皇大使というものが、率直に言ってあまり当てにはならないだろうということを、ある者は経験的に、ある者は直感的に分かるからなのです。
そうしてこの度、そのように言うあなた様の御書簡自体が、私達のこの理解の正しさをまざまざと証明しているではありませんか。あなた様に接触することにどんな甲斐があるでしょうか。

もう一度言います。これはあくまでここの管理人の感想であり、東京の有志の方々とは関係がありません。

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