2009/8/4
「悪魔を語る前に」
ファウスト博士による西洋を滅ぼしたとされる悪魔メフィストフェレスの召喚は月曜日に行なわれた。次の章から始まるDEMONSを知らないでダンテに入ることはまず出来ない。ダンテはカトリックであったが次からの章のためWikiに適当な解説があったのであらかじめ興味のある方は目を通しておいてほしい。また殆どの方が興味も関心もないと思いますのでパスしてください。これは管理人の日記みたいなものですから。このブログを『考えるヒント』あるいは『思考の道具』としてお使いください。しかしながら人生のパラダイム(座標軸)すら持っていない方はこれらの記事を読まれても時間の無駄です。娑婆で存分に遊び幸せな生活を送ってほしい。なぜならこのブログは人を啓蒙する目的で書かれていません。世の中にはEmployee(雇われる側)とEmployer(雇う側)そして殺す側の論理と殺される側の論理しかない。世界中どこへ行ってもこの論理で動いている。本田勝一氏は以下のように言っている。(氏の「天皇の軍隊」は読むべきであろうがこの本については賛否両論)
ONE-EVIL.ORG参照
『狼が羊を食うとき,どのようにして近ずき,どのようにして襲い,どこに最初に噛み付き,殺したあとどこから食べ始める〜ということは,たいへん正常で,かつ論理的だ。狼にとっては,この正しさと論理性は何の疑問もさしはさむ余地はない。狼にとっては,羊は食べられる運命であり,そのように創造された生物だ。
だが羊の理論は,そうではない。狼の視点から正常かつ論理の一貫した世界は,全部異常かつ非論理的である。.......日本ほど平等な国はないと思っている超高級花嫁学校の正常な生徒たちよ。....超高級花嫁学校に,超高級授業料を払って,ますます正常な人間へと自分を堕落させてゆくことのアホらしさに気ずくだろう。反対に羊の論理にあくまで目をつぶって「見えない人間」の存在を無視するのであれば,もはや「正常」と「異常」とが力関係を逆転されるときまで,すなわちいやでもわからせられるときまで,そのアホらしい,たぶんシアワセな生活を,このままつずけることだ』と。つまり正常な人がこのブログを読んでもかえってマイナスになるということ。『見えない人間』とは見えない像であり聞こえない声である。このブログは三年前より徹頭徹尾これがテーマになっている。今の私はとても幸せです。また書きますが「余剰もなければ不足もなく,必要なだけがそこにあり必要なだけ使う」という生活はいいものです。63年かかりましたが(笑)。
BOHEMIAN GROVEの男だけのオカマパーティーではしゃぐ湾岸戦争の英雄コリン・パウエル。つまり人を一人殺せば死刑になるが100万人殺せば英雄となる構図が存在する。これが正常な論理だ。
Four Bushes profiting from Wars.Four Bushes arming BOTH Side.Behind them there was and there is a Shadow of Rothschild.敵対する相手と戦争させ双方に金を出し儲ける構図がそこにはある。対立物の統一は進化であり,弁証法的進歩において重要な役割を演じるから,対立物の戦争およびそれらの統一こそへーゲルの中心思想と考えることができる。それは正・反・合からなる。これこそ完璧かつ正常な人たち。
Rebuilding America's Defences:Strategy,Forces and Resources for a New Century (1992年発行)
The U.S must remain in the forefront of all research relating to the "art of warfare"including"the world of microbes"(advanced forms of biological warfare that can "TARGET"specific genotypes may transform biological warfare from the realm of terror to a politically usefull tool。(要約:人種別に効果のある,生物兵器は便利な政治的な道具となる。戦争と言う芸術の名のもとに)。
これが,西ナイル熱,炭ソ菌,鳥インフルエンザ,エイズ菌,そしてタミフルの策略。世界人口の三分の二皆殺し計画の実行案である。
Further,the process of transformation,even if it brings revolutionary changes,is likely to be a long one,absent some catastrophic and catalyzing event -like a new pearl Harbor。(要約:何よりも確たるものにするには,パール・ハーバーのような新たな悲劇的・壊滅的な仕掛けが求められる)これもまた正常な世界。上の写真の人物はその正常な実行者たち。
人類史上もっとも正常な人たち。つまりTHESIS(資本主義)+ANTI-THESIS(共産主義)=A DEFACT SYNTHESIS(ダヴィデ王の支配する世界統一政府・NEW WORLD ORDER)
「その日,ダビデの家とエルサレムの住民のために,罪と穢(けが)れを洗い清める一つの泉が開かれる...........剣よ,起きよ,わたしの羊飼いに立ち向かえ わたしの同
僚であった男たちに立ち向かえと万軍の主は言われる。
羊飼いを撃て,羊の群れは散らされるがよい......。この地のどこでもこうなる,と主は言われる。三分の二は死に絶え,三分の一が残る。この三分の一を私は火に入れ 銀を精錬するように精錬し金を試すように試す。彼がわが名を呼べば,わたしは彼に答え「彼こそわたしの民」と言い 彼は,「主こそわたしの神」と答えるであろう,と<ゼカリア書第13章>。つまりヤハウエというイスラエルの神の名の正義のもとに神は殺せと命じ絶対的封建主義的王国を造る意味なのである。シオンのプロトコール最終章を読めばより明らかである。
もっとも正常でない子ども
もっとも正常でない大人と子ども
チェ・ゲバラの愛読書であった「西洋の没落」
神曲注解その1
神曲注解その2
神曲注解その3
神曲注解その4
神曲注解その5
神曲注解その6
神曲注解その7
神曲注解その8
神曲注解その9
神曲注解その10
神曲注解その11
神曲注解その12
神曲注解その13
神曲注解その14
神曲注解その15
神曲注解その16
神曲注解その17
神曲注解その18
神曲注解その19
神曲注解その20
神曲注解その21
神曲注解その22
神曲注解その23
神曲注解その24
神曲注解その25
神曲注解その26
まだ地上楽園にいるダンテは,善行のみを思い出させるエウノエ川の水を飲み(煉獄篇第33歌),まなざしをベアトリーチェに移すと,ベアトリーチェは一心に太陽を凝視している。ダンテもその通りにしてみると,束の間であったが,太陽のまばゆい輝きに耐えられた。依然として太陽を見つめ続けているベアトリーチェへ,もう一度視線を移した時,ダンテは天球の妙音楽を耳にし,自分が絢爛たる光焔の大海に取り囲まれているのに気がつく。ベアトリーチェはダンテに,もはや二人が地球を離れて天上界にあることを告げた。第一歌
ダンテは言った。私は知りたい,誓願を破った人,他の善行により,お身たちの意に適い,お身たちの天秤にかけてもずっしり沈むほどの償いができるのか,どうか。
ベアトリーチェは,愛のきらめきげに神々しく満ち溢れた眼で,私をじっとみつめた。私の視力はこれに堪えず,たじろぎ,眼を伏せて,私は殆ど自失の人となった。第四歌
訳:寿岳文章
我が門を過ぎ去る者よ,一切の希望をすてよ!<管理人注:天国篇>
旅路いそぐ三詩人に追いついた貧食者たちの,憔悴した一亡霊の声に,ダンテは聞き覚えがあった。それは,ダンテと仲良かった旧友,フォレーゼ・ドナーティの変わり果てた姿。第23歌
われらの官能の一つが受け取る快楽,または苦痛,の印象はなはだ強く,魂のただそれのみに集中するとき,魂は,おのれのほかの力に眼もくれぬと見ゆる。これは,われらの内なる魂の,相重なって燃え輝くとする謬説(プラトンの説)と,全く折り合わぬ事実。それゆえ,何にもせよ,魂が強く惹かれる音聞こえ,もの見ゆる場合は,時の過ぐるをもわれらは知らず。
思うに,時のうつろいを覚知する力と,全魂を奪ってはなさぬ力とがあり,後者をとらわれの身にたとうれば,前者は繋縛なき自由の境涯。これのまことなるは,あの亡霊の語りに耳を傾け,あやしみいぶかった私自身の経験に照らして明らか。なぜなら,優に五十度も太陽は昇っていたのに,私はそれを知らずにいた,足とめた亡霊たちから,異口同音に,声高く,「そこもと所望の場所はここ」と言われるまで。(管理人注:煉獄篇)
訳:寿岳文章
地獄の門にたどりついた詩人はそこに掲げられた銘文を読む。門を入ったところに地獄の玄関があって,そこではなんの役にたちそうもない群集が,永遠に走っている。
「われを過ぎて,汝らは入る 嘆きの都(みやこ)へ,
われを過ぎて,汝らは入る 永遠の悩みへ,滅びの
民へ正義 天に召しますわが創造主を動かす
......われよりさきに造られしものはなし われは
永遠とともにあり ここにいる者は,一切の望みを
捨てよ! 汝ら われをくぐる者なり」
ダンテ「地獄篇」第三歌より
二詩人が渡し舟に亡霊たちの満載される様子を見て
いたとき,恐ろしい地震がおこって川岸は激しく
揺れ,ダンテは気を失った。(管理人訳)
おお薔薇よ 汝は病めり くだつ夜の 吼ゆる
嵐の中を飛ぶ 不可視の虫こそ
濃きくれないの よろこびの なれが臥床を
見出でたれ その暗く秘めたる恋
汝の命をほろぼす〜〜ウイリアム・ブレイク
(寿岳文章訳)
『神曲』(しんきょく、La Divina Commedia) は、13-14世紀イタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作である。 地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部から成る、全14233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史にも重きをなしている。当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ地方の方言で書かれていることが特徴である。
『神曲』の由来
イタリア語の原題は、 La Divina Commedia (神聖なる喜劇(ディヴィーナ・コンメディア))であるが、 Divina はボッカチオが尊称としてつけたもので[要出典]、ダンテ自身は、 単に Commedia (喜劇)とのみ題していた。「喜劇」としたのは、「悲劇」とは逆に円満な結末を迎えるため、また、女子供でも読める俗語で書かれているためだという。出版史を見ると、『神曲』の最初期の写本では、『ダンテ』『三行韻詩』などの題がつけられていた。15、6世紀頃にはダンテの詩が活版印刷で出版されるようになり、1555年に刊行されたヴェネツィア版によって『神聖喜劇』(Divina Commedia)の題名が定着した。
「神曲」の邦訳名は、森鴎外がアンデルセンの翻訳『即興詩人』の中で用いた。その一章「神曲、吾友なる貴公子」において『神曲』の魅力が語られ、上田敏や正宗白鳥ら文人を魅了し、翻訳紹介の試みが始まった。この鴎外訳『即興詩人』が最初期の『神曲』紹介であり、日本における『神曲』受容はここから始まったとも言える。日本におけるほぼすべての邦訳の題名が、より原題に近い『神聖喜劇』ではなく『神曲』の訳題で統一されているのは、鴎外による『神曲』の訳名が人口に膾炙したためであろう。
『神曲』の成立
ダンテが『神曲』を世に出した背景には、当時のイタリアにおける政争と自身のフィレンツェ追放、そして永遠の淑女ベアトリーチェへの愛の存在が大きい。またダンテはヴェロナのパトロンであるカン・グランデへの書簡で、人生における道徳的原則を明らかにすることが『神曲』を執筆した目的であると記している。
『神曲』地獄篇は1304年から1308年頃に執筆されたと考えられている。1319年には地獄篇と煉獄篇は既に多くの人に読まれており、ダンテは名声を得ていたことが分かっている。天国篇は1316年頃から死の直前、1321年にかけて完成された。『神曲』は当時の知識人の共通語であったラテン語ではなく、トスカーナ地方の方言で執筆されたことも、多くの人に読まれた理由である。
ベアトリーチェ
『神曲』では実在の人物の名前が多々登場する。ウェルギリウスに地獄界の教導を請い、煉獄山の頂上でダンテを迎えるベアトリーチェは、ダンテが幼少のころ出会い、心惹かれた少女の名である。しかし、のちにベアトリーチェは24歳で夭逝してしまう。ダンテはそれを知ってひどく嘆き悲しみ、彼女のことをうたった詩文『新生』をまとめた(ダンテ・アリギエーリの項も参照)。
『神曲』に登場する天女ベアトリーチェに関しては、実在した女性ベアトリーチェをモデルにしたという実在論と、「永遠の淑女」「久遠の女性」としてキリスト教神学を象徴させたとする象徴論が対立している。実在のモデルを取る説では、フィレンツェの名門フォルコ・ポルティナーリの娘として生れ、のちに銀行家シモーネ・デ・バルティの妻となったベアトリーチェ(ビーチェ)を核として、ダンテがその詩の中で「永遠の淑女」として象徴化していったと見る。しかし、非実在の立場を取る神学の象徴説では、ダンテとベアトリーチェが出会ったのはともに9歳の時で、そして再会したのは9年の時を経て、2人が18歳になった時の9時であるというように、三位一体を象徴する聖なる数「3」の倍数が何度も現われていることから、ベアトリーチェもまた神学の象徴であり、ダンテは見神の体験を寓意的に「永遠の淑女」として象徴化したという説を取る。
いずれにせよ、ベアトリーチェは愛を象徴する存在として神聖化され、神学の象徴ともあると考えられている。地獄と煉獄を案内するウェルギリウスも実在した古代ローマの詩人であり、神曲の中では「理性と哲学」の象徴とされている。
フィレンツェの政争
ダンテが『神曲』を執筆するきっかけの1つには、当時のイタリアでのグェルフィ党(教皇派)とギベリーニ党(皇帝派)の対立、および党派抗争を制したグェルフィ党内部での「白党」と「黒党」による政争がある。ダンテは白党に所属しており、フィレンツェ市政の重鎮に就いていたが、この政争に敗れてフィレンツェを追放されることになる。『神曲』には、ここかしこにダンテが経験した政治的不義に対する憤りが現れており、自分を追放したフィレンツェへの怒りと痛罵も込められている。またダンテを陥れた人物は、たとえ至尊の教皇であろうと地獄界に堕とし、そこで罰せられ苦しむ様子も描かれている。ほかにもダンテは自由に有名無名の実在した人物を登場させ、地獄や煉獄、天国に配置しており、これによって生まれるリアリティが『神曲』を成功させた理由の1つであると考えられる。
『神曲』の構成
地獄篇(インフェルノ)(Inferno)
煉獄篇(プルガトーリオ)(Purgatorio)
天国篇(パラディーゾ)(Paradiso)
の三部から構成されており、各篇はそれぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌から成る。このうち地獄篇の最初の第一歌は、これから歌う三界全体の構想をあらわした、いわば総序となっているので、各篇は3の倍数である33歌から構成されていることになる。
また詩行全体にわたって、三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」(テルツァ・リーマ)の詩型が用いられている。各行は11音節から成り、3行が一まとまりとなって、三行連句の脚韻が aba bcb cdc … と次々に韻を踏んでいって鎖状に連なるという押韻形式である。各歌の末尾のみ3+1行で、 …xyx yzy z という韻によって締めくくられる。したがって、各歌は3n+1行から成る。このように、『神曲』は細部から全体の構成まで作品の隅々において、聖なる数「3」が貫かれており、幾何学的構成美を見せている。ダンテはローマカトリックの神に関する教義、「三位一体」についての神学を文学的表現として昇華しようと企図した。すなわち、聖数「3」と完全数「10」を基調として、 1,3,9(32),10(32+1),100(102,33×3+1) の数字を『神曲』全体に行き渡らせることで「三位一体」を作品全体で体現したのである。
なお、地獄、煉獄、天国の各篇とも、最終歌の末節は stella (星)という言葉で結ばれている。
あらすじ
西暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで出会った古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれ、地獄・煉獄・天国と彼岸の国を遍歴して回る。ウェルギリウスは地獄の九圏を通ってダンテを案内し、地球の中心部、魔王ルチフェロ(サタン)の幽閉されている領域まで至る。そこから、地球の対蹠点に抜けて煉獄山にたどりつく[1]。煉獄山では登るにしたがって罪を清められていき、煉獄の山頂でダンテはウェルギリウスと別れることになる。そしてダンテはそこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する。
地獄篇 Inferno
地獄篇の冒頭。気が付くと深い森の中におり、恐怖にかられるダンテ。 ギュスターヴ・ドレ による挿絵西暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、人生の半ばにして暗い森に迷い込んだダンテは、地獄に入った。作者であり主人公でもあるダンテは、私淑する詩人ウェルギリウスに案内され、地獄の門をくぐって地獄の底にまで降り、死後の罰を受ける罪人たちの間を遍歴していく。ウェルギリウスは、キリスト以前に生れたため、キリスト教の恩寵を受けることがなく、ホメロスら古代の大詩人とともに未洗礼者の置かれる辺獄(リンボ)にいたが、ある日、地獄に迷いこんだダンテの身を案じたベアトリーチェの頼みにより、ダンテの先導者としての役目を引き受けて辺獄を出たのである。
『神曲』において、地獄の世界は、漏斗状の大穴をなして地球の中心にまで達し、最上部の第一圏から最下部の第九圏までの九つの圏から構成される。かつて最も光輝はなはだしい天使であったルチフェロが神に叛逆し、地上に堕とされてできたのが地獄の大穴である。地球の対蹠点では、魔王が墜落した衝撃により、煉獄山が持ち上がったという。地獄はアリストテレスの『倫理学』でいう三つの邪悪、「放縦」「悪意」「獣性」を基本としてそれぞれ更に細分化され、「邪淫」「貪欲」「暴力」「欺瞞」などの罪に応じて亡者が各圏に振り分けられている。地獄の階層を下に行くに従って罪は重くなり、中ほどにあるディーテの市(ディーテはプルートの別名)を境に地獄は比較的軽い罪と重罪の領域に分けられている。
ボッティチェルリの 地獄の図 c. 1490年『神曲』の地獄において最も重い罪とされる悪行は「裏切り」で、地獄の最下層コキュートス(嘆きの川)には裏切者が永遠に氷漬けとなっている。数ある罪の中で、「裏切」が特別に重い罪とされているのは、ダンテ自身がフィレンツェにおける政争の渦中で体験した、政治的不義に対する怒りが込められている。
地獄界は、まず「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と銘された地獄の門を抜けると、地獄の前庭とでも言うべきところに、罪も誉もなく人生を無為に生きた者が、地獄の中に入ることも許されず留め置かれている。その先にはアケローン川が流れており、冥府の渡し守カロンの舟で渡ることになっている。地獄界の階層構造は以下のようになっている。
地獄界の構造
地獄の門 - 「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の銘が記されている。
地獄前域 - 無為に生きて善も悪もなさなかった亡者は、地獄にも天国にも入ることを許されず、ここで蜂や虻に刺される。
アケローン川 - 冥府の渡し守カロンが亡者を櫂で追いやり、舟に乗せて地獄へと連行していく。
第一圏 辺獄(リンボ) - 洗礼を受けなかった者が、呵責こそないが希望もないまま永遠に時を過ごす。
地獄の入口では、冥府の裁判官ミーノスが死者の行くべき地獄を割り当てている。
第二圏 愛欲者の地獄 - 肉欲に溺れた者が、荒れ狂う暴風に吹き流される。
第三圏 貪食者の地獄 - 大食の罪を犯した者が、ケルベロスに引き裂かれて泥濘にのたうち回る。
冥府の神プルートの咆哮。「パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!」
第四圏 貪欲者の地獄 - 吝嗇と浪費の悪徳を積んだ者が、重い金貨の袋を転がしつつ互いに罵る。
第五圏 憤怒者の地獄 - 怒りに我を忘れた者が、血の色をしたスティージュの沼で互いに責め苛む。
ディーテの市 - 堕落した天使と重罪人が容れられる、永劫の炎に赤熱した環状の城塞。ここより下の地獄圏はこの内部にある。
第六圏 異端者の地獄 - あらゆる宗派の異端の教主と門徒が、火焔の墓孔に葬られている。
二人の詩人はミノタウロスとケンタウロスに出会い、半人半馬のケイロンとネッソスの案内を受ける。
第七圏 暴力者の地獄 - 他者や自己に対して暴力をふるった者が、暴力の種類に応じて振り分けられる。
第一の環 隣人に対する暴力 - 隣人の身体、財産を損なった者が、煮えたぎる血の河フレジェトンタに漬けられる。
第二の環 自己に対する暴力 - 自殺者の森。自ら命を絶った者が、奇怪な樹木と化しアルピエに葉を啄ばまれる。
第三の環 神と自然と技術に対する暴力 - 神および自然の業を蔑んだ者、男色者に、火の雨が降りかかる(当時のキリスト教徒は同性愛を罪だと考えていた)。
第八圏 悪意者の地獄 - 悪意を以て罪を犯した者が、それぞれ十の「マーレボルジェ」(悪の嚢)に振り分けられる。
第一の嚢 女衒 - 婦女を誘拐して売った者が、角ある悪鬼から鞭打たれる。
第二の嚢 阿諛者 - 阿諛追従の過ぎた者が、糞尿の海に漬けられる。
第三の嚢 沽聖者 - 聖物や聖職を売買し、神聖を金で汚した者(シモニア)が、岩孔に入れられて焔に包まれる。
第四の嚢 魔術師 - 卜占や邪法による呪術を行った者が、首を反対向きにねじ曲げられて背中に涙を流す。
第五の嚢 汚職者 - 職権を悪用して利益を得た汚吏が、煮えたぎる瀝青に漬けられ、悪鬼から鉤手で責められる。
第六の嚢 偽善者 - 偽善をなした者が、外面だけ美しい金張りの鉛の外套に身を包み、ひたすら歩く。
第七の嚢 盗賊 - 盗みを働いた者が、蛇に噛まれて燃え上がり灰となるが、再びもとの姿にかえる。
第八の嚢 謀略者 - 権謀術数をもって他者を欺いた者が、わが身を火焔に包まれて苦悶する。
第九の嚢 離間者 - 不和・分裂の種を蒔いた者が、体を裂き切られ内臓を露出する。
第十の嚢 詐欺師 - 錬金術など様々な偽造や虚偽を行った者が、悪疫にかかって苦しむ。
最下層の地獄、コキュートスの手前には、かつて神に歯向かった巨人が鎖で大穴に封じられている。
第九圏 裏切者の地獄 - 「コキュートス」(Cocytus 嘆きの川)と呼ばれる氷地獄。同心の四円に区切られ、最も重い罪、裏切を行った者が永遠に氷漬けとなっている。裏切者は首まで氷に漬かり、涙も凍る寒さに歯を鳴らす。
第一の円 カイーナ Caina - 肉親に対する裏切者 (旧約聖書の『創世記』で弟アベルを殺したカインに由来する)
第二の円 アンテノーラ Antenora - 祖国に対する裏切者 (トロイア戦争でトロイアを裏切ったとされるアンテノールに由来する)
第三の円 トロメーア Ptolomea - 客人に対する裏切者 (旧約聖書外典『マカバイ記』上6:11-17に登場し、シモン・マカバイとその息子たちを祝宴に招いて殺害したエリコの長官アブボスの子プトレマイオスの名に由来するか)
第四の円 ジュデッカ Judecca - 主人に対する裏切者 (イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダに由来する)
地獄の中心ジュデッカのさらに中心、地球の重力がすべて向かうところには、神に叛逆した堕天使のなれの果てである魔王ルチフェロ(サタン)が氷の中に永遠に幽閉されている。魔王はかつて光輝はなはだしく最も美しい天使であったが、今は醜悪な三面の顔を持った姿となり、半身をコキュートスの氷の中に埋めていた。魔王は、イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダ、カエサルを裏切ったブルートゥスとカッシウスの三人をそれぞれの口で噛み締めていた。
2人の詩人は、魔王の体を足台としてそのまま真っ直ぐに反対側の地表に向けて登り、岩穴を抜けて地球の裏側に達する。そこは煉獄山の麓であった。
煉獄篇 Purgatorio
ダンテに呼びかけるベアトリーチェ。ウィリアム・ブレイク画煉獄は、地獄を抜けた先の地表に聳える台形の山で、ちょうどエルサレムの対蹠点にある。「浄火」あるいは「浄罪」とも言う。永遠に罰を受けつづける救いようのない地獄の住人と異なり、煉獄においては、悔悟に達した者、悔悛の余地のある死者がここで罪を贖う。
煉獄山の構造は、下から昇るごとに幾つかの段階に分かれている。亡者は煉獄山の各階梯で生前になした罪を浄めつつ上へ上へと登り、浄め終えるとやがては天国に到達するのである。
地獄を抜け出したダンテとウェルギリウスは、煉獄山の麓で小カトーと対面する。ペテロの門の前でダンテは天使の剣によって額に印である七つのPを刻まれた。Pは煉獄山の七冠で浄められるべき「七つの大罪」、 Peccati を象徴する印である。そして、ウェルギリウスに導かれて山を登り、生前の罪を贖っている死者と語り合う。ダンテは煉獄山を登るごとに浄められ、額からPの字が一つずつ消えていく。
山頂でダンテは永遠の淑女ベアトリーチェと出会う。ウェルギリウスはキリスト教以前に生れた異端者であるため天国の案内者にはなれない。そこでダンテはウェルギリウスと別れ、ベアトリーチェに導かれて天国へと昇天する。
煉獄山の構造
煉獄前域 - 煉獄山の麓。小カトーがここに運ばれる死者を見張る。
第一の台地 破門者 - 教会から破門された者は、臨終において悔い改めても、煉獄山の最外部から贖罪の道に就く。
第二の台地 遅悔者 - 信仰を怠って生前の悔悟が遅く、臨終に際してようやく悔悟に達した者はここから登る。
ペテロの門 - 煉獄山の入口。それぞれに色の異なる三段の階段を上り、金と銀の鍵をもって扉を押し開く。
第一冠 高慢者 - 生前、高慢の性を持った者が重い石を背負い、腰を折り曲げる。ダンテ自身はここに来ることになるだろうと述べている。
第二冠 嫉妬者 - 嫉妬に身を焦がした者が、瞼を縫い止められ、盲人のごとくなる。
第三冠 憤怒者 - 憤怒を悔悟した者が、朦朦たる煙の中で祈りを発する。
第四冠 怠惰者 - 怠惰に日々を過ごした者が、ひたすらこの冠を走り回り、煉獄山を周回する。
第五冠 貪欲者 - 生前欲深かった者が、五体を地に伏して嘆き悲しみ、欲望を消滅させる。
第六冠 暴食者 - 暴食に明け暮れた者が、決して口に入らぬ果実を前に食欲を節制する。
第七冠 愛欲者 - 不純な色欲に耽った者が互いに走りきたり、抱擁を交わして罪を悔い改める。
山頂 地上楽園 - 常春の楽園。煉獄で最も天国に近い所で、かつて人間が黄金時代に住んでいた場所という。
天国篇 Paradiso
至高天を見つめるダンテとベアトリーチェ地獄の大淵と煉獄山の存在する地球を中心として、同心円状に各遊星が取り巻くプトレマイオスの天動説宇宙観に基づき、ダンテは天国界の十天を構想した。地球の周りをめぐる太陽天や木星天などの諸遊星天(当時、太陽も遊星の一つとして考えられていた)の上には、十二宮の存する恒星天と、万物を動かす力の根源である原動天があり、さらにその上には神の坐す至高天が存在する。
ダンテはベアトリーチェに導かれて諸遊星天から恒星天、原動天と下から順に登っていく。ダンテは地獄から煉獄山の頂上までの道をウェルギリウスに案内され、天国では、至高天(エンピレオ)に至るまではベアトリーチェの案内を受けるが、エンピレオではクレルヴォーのベルナルドゥスが三人目の案内者となる。天国へ入ったダンテは各々の階梯で様々な聖人と出会い、高邁な神学の議論が展開され、聖人たちの神学試問を経て、天国を上へ上へと登りつめる。至高天においてダンテは天上の純白の薔薇を見、この世を動かすものが神の愛であることを知る。
天国界の構造
火焔天 - 地球と月の間にある火の本源。焔が上へ上へと向かうのは、この天へ帰らんとするためと考えられた。
第一天 月天 - 天国の最下層で、生前、神への請願を必ずしも満たしきれなかった者が置かれる。
第二天 水星天 - 徳功を積みはしたものの、現世的な野心や名声の執着を断ち切れなかった者が置かれる。
第三天 金星天 - まだ生命あった頃、激しい愛の情熱に駆られた者が置かれる。
第四天 太陽天 - 聖トマス・アクィナスら智恵深き魂が置かれる。
第五天 火星天 - キリスト教を護るために戦った戦士たちが置かれる。
第六天 木星天 - 地上にあって大いなる名声を得た正義ある統治者の魂が置かれる。
第七天 土星天 - 信仰ひとすじに生きた清廉な魂が置かれる。
第八天 恒星天 - 七つの遊星の天球を内包し、十二宮が置かれている天。聖ペトロら諸聖人が列する。
第九天 原動天 - 諸天の一切を動かす根源となる天。
第十天 至高天 - エンピレオ。諸天使、諸聖人が「天上の薔薇」に集い、ダンテは永遠なる存在を前にして刹那、見神の域に達する。
『神曲』の評価
文学的評価 [編集]
『神曲』は、世界文学を代表する作品として評価は定着しており、西洋において最大級の賛辞を受けている。「世界文学」を語る際にはほぼ筆頭の位置に置かれ、古典文学の最高傑作、ルネサンスの先蹤となる作品とも評されている。とくに英語圏では『神曲』の影響は極めて大きく、部分訳を含めれば百数十作にのぼる『神曲』の翻訳が行われ、膨大な数の研究書や批評紹介が発表されている。ダンテ文献を多く蔵するアメリカのコーネル大学図書館では、ダンテ関連の文献だけで四冊の目録が作成されているほどという。日本における『神曲』の受容も、西洋からの翻訳紹介から始まったこともあって、基本的にはこの流れを汲む。
『神曲』は、執筆当時から様々な毀誉褒貶を受けていた。ダンテとほぼ同時代に活躍したボッカチオは、深くダンテに傾倒し、最初の崇拝者となった。彼は『神曲註解』や『ダンテ礼賛』を著してダンテを顕彰し、のちには『神曲』の講義も行っている。一方で、ダンテによって地獄に堕とされた人々の子孫や関係者は、当然のごとく快く思っていなかった。また、ダンテの正義、倫理観に反する者は、たとえ教皇であろうと容赦なく地獄に堕として責め苦に遭わせたため、この点を反教的と批判する者もいた。
『神曲』の中には様々な書物からの引用がある。中でも聖書が最も多く、次にアリストテレスやウェルギリウスなどの哲学や倫理学、詩が多用されている。また、当時の自然科学における天文学、測量学などの知見を素材として論理的・立体的に構成されていることから、中世における百科全書的書物であるとも評価される。さらに聖書の伝説、ギリシャ・ローマ神話の神々や怪物も多数登場し、古典文学の流れを引く幻想文学の代表作とも言えよう。実際、その幻想的な内容と豊饒なイメージから、後述するように数々の文学や芸術作品に大きな影響を与えてきた。『神曲』の持つファンタスティックな描写は、現代のSFやファンタジーの源流の一つともみなされている。
宗教的評価
しかしながら、こうした文学作品としての評価とは別個に、宗教文学としての『神曲』の評価もある。
ダンテは敬虔なカトリック教徒であり、『神曲』はカトリック教会の三位一体の玄義をそのまま体現したキリスト教文学でもある。このため西方キリスト教圏においては評価は高い。他方、キリスト教徒の中にもこの書物を問題視し、他宗教への冒涜と位置づける人もいる。
東方キリスト教圏(正教会・東方諸教会)においては、煉獄の教理が存在しないなど西方教会とは異なる教理・文化を持つ事から、『神曲』はあまり評価されず、少なくとも教会内の文脈に登場することはない。
イスラム圏では『神曲』は禁書扱いになっている。それというのも、『神曲』地獄篇第28歌では、イスラム教の開祖ムハンマドと第四代カリフのアリーが「不和・分離の種を蒔いた罪」によって地獄の最下層部に堕とされ、第八圏第九の嚢(マーレボルジェ)の中で、腹を縦に切り開かれて内臓を露出させているという描写があり、そのために、『神曲』地獄篇は回教圏では到底受け入れられない内容となっているのである。また地獄の深層部で重罪人が劫罰を受けるディーテの市は、本文で「回教寺院(モスク)」にも喩えられている。周知のように、ここには十字軍を派遣したカトリックの信徒としてのダンテが抱く憎悪が込められている。こうした『神曲』におけるムハンマドの描写は、回教徒にとって『悪魔の詩』どころではない最大級の侮辱として受け止められている。
日本においては、西洋の肩を持つことが多いのと、そもそも宗教に淡白なこともあって、このような視点はあまり顧みられることがないが、峻厳な信仰からくる宗教対立は、この時代から現代に至るまでも尾を引く極めて難しい問題である。
『神曲』の翻訳
『神曲』の和訳は十種ほどあるが、文語訳では 山川丙三郎訳(岩波文庫全3巻)[2]、口語訳では平川祐弘訳(講談社、改訳され河出文庫全3巻)、および寿岳文章訳(集英社文庫ヘリテージ)が最も一般に流通している。
これ以外に、全訳では竹友藻風訳、中山昌樹訳、生田長江訳、野上素一訳、三浦逸雄訳など、「地獄篇」のみの部分訳では北川冬彦訳、荒木嘉之訳、原光訳がある。なお岩波書店の雑誌「図書」誌上に、2005年6月号より河島英昭の新訳<地獄編>が一歌ずつ、連載され2008年6月号で完結。また急逝したので上田敏の未定稿翻訳が、地獄篇の冒頭部や天国篇の一部のみ訳されてないが見逃せない。粟津則雄による『ダンテ地獄篇精読』(筑摩書房、1988年)もある。
抄訳では、繁野天來『ダンテ神曲物語』がある。これは明治36年に刊行されたもので、最初の『神曲』の翻訳でもある。他にいずれもギュスターヴ・ドレの挿画を載せて、平沢弥一郎『絵で読むダンテ「神曲」地獄篇』、谷口江里也『神曲』などといった抄訳版がある。とくに谷口江里也訳『神曲』は百枚以上のドレ『神曲』挿画が収められたドレ画集となっている(宝島社、のちアルケミア、1996年)。
ウェブ上では、青空文庫に山川丙三郎訳『神曲』[3]が公開されている。
ウェブ上のみの試みとしては、「ダンテと沙漠と詩」[4]において、中西治嘉が翻訳・研究を発表している。
また、北川冬彦訳『神曲』地獄篇[5]の電子版が発売されており、冒頭の第三歌のみを試し読み版でダウンロードできる。(北川訳は、原典の第一歌、第二歌を削除し、またウェルギリウスを登場させずダンテ一人で地獄巡りさせるという大胆な翻訳である)
三浦逸雄訳『神曲』[6]は三篇が揃った唯一の電子版であり、試し読み版で地獄篇第一歌が公開されている。
『神曲』の影響
イタリア国内
トスカナ地方の方言で書かれた『神曲』の文体が、現代のイタリア語の基礎となった。方言問題や、俗語と文語について説いたダンテの『俗語論』の影響も大きい。
イタリアにおいてダンテは国民的詩人とされ、義務教育では『神曲』の学科が設けられている。
欧州連合の共通通貨ユーロは、片面に各国ごとの独自デザインがなされているが、イタリアの最高額2ユーロ硬貨には、ダンテの肖像(ラファエロ原画)が採用されている。
芸術・文学
数々の芸術作品に『神曲』のイメージが多用された。ミケランジェロは、『神曲』地獄篇に霊感を得て、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂に、大作「最後の審判」の地獄風景を描いている。オーギュスト・ロダンの有名な彫刻「考える人」も、そもそもは地獄篇第三歌より着想された「地獄の門」を構成する群像の一人(恐らくはダンテ自身)として作られたものである。
サンドロ・ボッティチェッリ、ウィリアム・ブレイク、サルバドール・ダリ、ギュスターヴ・ドレら高名な芸術家が、『神曲』の挿絵を描いている。
ピョートル・チャイコフスキーは、『神曲』中の絶唱とされる地獄篇第五歌にうたわれた、フランチェスカとパオロの悲恋を題材として、幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』を作曲した。
フランツ・リストは、『神曲』の構想をもとに『ダンテ交響曲』を作曲した。ただし、天国を描写するのは不可能ではないか、とのリヒャルト・ワーグナーの意見に従い、煉獄を描いた第2楽章の終結部で天国を象徴する「讃歌」を置くに留めている。ピアノ曲としては『神曲』の地獄篇におけるすさまじい情景を描写した『ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」』(『巡礼の年 第2年』)を作曲している。
ポルトガルの映画監督マノエル・デ・オリヴェイラの映画作品に、精神病院を舞台にした『神曲』(1991年)がある。聖書やドストエフスキー作品の作中人物になりきった人々が各々の妄想の中に生き、西洋における「罪の意識」を明らかにする。
ボッカッチョはダンテに傾倒し、『神曲』の注釈書やダンテの評伝を残している。のちにはフィレンツェで『神曲』の講義を開いたこともある。彼がもともと『喜劇(コメディア)』と題された作品に『神聖なる』の形容を冠したことから、『神曲』の書名が始まった。また、代表作『デカメロン』は人間模様を赤裸々に描写したことから、『神曲』ならぬ『人曲』とも呼ばれる。
T・S・エリオット、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ジェイムズ・ジョイス、ヘンリー・W・ロングフェローら世界中の文学者にも影響を及ぼし、ロングフェローのように自ら翻訳を発表した者もいる。
ドイツの古典主義作家ゲーテの代表作『ファウスト』の世界観も『神曲』の影響を色濃く受けているといわれている。また、『ファウスト第2部』第1幕における主人公ファウストの独白部分は『神曲』と同じTerzineの韻律であり、ゲーテが『神曲』を意識して書いたことが見てとれる。
アレクサンドル・デュマは『モンテ・クリスト伯』の主人公の名字をダンテスにしたが、これはダンテに由来するとされる。また、当時『神曲』の特に地獄篇がフランスで流行っていた(Wordsworth Classics版モンテ・クリスト伯より)。
夏目漱石は短編『倫敦塔』の中に、貴人が幽閉され消えていった倫敦塔と重ねて、地獄の門に刻まれた銘を引用している。
中原中也は『神曲』を愛読しており、彼の詩に『神曲』の影響を見て取る者もいる(中原中也とダダイズム参照)。
大西巨人の代表作『神聖喜劇』の題は『神曲』の原題を意識した命名。また、オノレ・ド・バルザックは、自らの作品集を『人間喜劇』と名づけたが、これもダンテの“神聖喜劇”に対するもの。
BBC Radio4が実施した世界の名著ランキングでシェイクスピア、トルストイをおさえて1位を獲得。
ジャン=リュック・ゴダールの映画作品「アワーミュージック」の構成は、『神曲』に倣い「地獄」「煉獄」「天国」の3部構成をとっている。
アメリカの作曲家R.W.スミスが作曲した吹奏楽作品『神曲』(The Divine Comedy)は、「地獄編」「煉獄編」「キリストの昇天」「天国編」の4楽章にて構成されている。原典の構成に忠実に作曲されており、現代的手法を取り入れながら聴き手にも伝わりやすい構成となっている。
アレクサンドル・ソルジェニーツィンの『煉獄の中で』(原題は『第一圏の中で』)は、舞台となった合同国家政治局(OGPU)管轄の特殊研究収容所をリンボになぞらえて名付けられた
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