2009/8/3
「ギルガメシュ叙事詩から二ケア信条まで」
世界は事実の総体であって,事物の総体ではない。「ヴィトゲンシュタイン」
主神アヌとアヌンナキ(地上,および冥界の神々の総称)
ヴィトゲンシュタインとは?
論理哲学論考参照
時代は,古代ローマ・コンスタンチヌス帝の時代に「ニケア信条」というものがあった。それはナザレのイエス(イエズス)・キリストの教えと決定的な相違があった。
<また信ず,一つの主イエス・キリスト,神の独り子,万世の前に父より生まれ,光よりの光,真の神よりの神,生まれし者にして造られしにあらず,父と一体にして万物,彼によりて造られ...........>と始まるのが「ニケア信条」と呼ばれるものです。
これに対し,HG・ウエルズはその著「世界文化史」のなかで,おちょくって書いています。「もし,ガリラヤの埃っぽい日ざしを浴びて,塵にまみれつつ旅に疲れた師イエスをよく知り,これに従っていた真面目なナザレ人の誰かが,突然,この世に蘇ってきて,たとえばローマの聖ペテロ教会のミサに参加して,その聖壇の上に置かれた聖餅が、十字架に掛けられた彼の師そのものに他ならないと知ったら,驚くことであろう」と。
またキリスト教を徹底的に全否定するバランサーであるデビッド・アイクなどにかかりますと『アブラード・ロイヒンの「新約聖書の本当の著者」を読むまでもなく,<ペソ一族が物語りと登場人物を作り上げ,イエス,マリア,ヨセフ,すべての弟子たち,12使徒,ヨルダン川の洗礼者ヨハネ,これら全ては架空の人物であり,当時ナザレという地名はなかった』,とまで言いっている。しかし,HG・ウエルズはさすがです。イエスの聖餐式はミトラの聖餐式であり,パウロがイエスのことを表現するフレーズはミトラ教のものである,と指摘しています。ところが,HG・ウエルズでもそれを遡ると「ギルガメシュ叙事詩」に行き着くとまでは書いてない。
東條真人博士のミトラ教を参考にしましょう。
ヒッタイト帝国(BC1900〜BC1190年)とは,ミタンニ人と同族で,ヒッタイトの主神は,太陽神イェスタン。イェスタンとは,後のクルド語のヤザタのことで,最高神ミトラの尊称である。ヒッタイト帝国は,710年続いた。イラン・クルドの研究者は,ヒッタイトは移住前と後をつなぐ重要な位置にあると考えている。
ミタンニ帝国(BC1700〜BC1270年)のミタンニは,ミトラの名に由来している。ミタンニ帝国は430年続いた。
メディア帝国(BC835以前〜BC550年)は,ミトラ教を西アジア全域に広めるために,各地にマギを派遣し,ミトラ神殿を建てた。メディア帝国は,285年以上続いた。
カッシート王国(BC1530〜BC1150年)は独自の王国をつくらず,古代バビロニア王国の首都バビロン(現イラク)に定住して,その一王朝になった。この時期に,ミトラとバビロニアの太陽神シャマシュの習合が起きた。ミトラとバビロニア占星術が生まれた。カッシート王国は,380年続いた。.....続く。
(楔形文字でギルガメシュ叙事詩の一部が刻まれた粘土板はWikiの中にあります)
ギルガメシュ叙事詩は,セム族がシュメール人から宗教的体系をそっくり借用したもので,この叙事詩に登場するアヌンナキの多くは,シュメールの神の名をセム語に書き直したり,シュメール語そのままだったりした。矢島文夫氏の「ギルガメシュ叙事詩・イシュタルの冥界下り」によると,<叙事詩>の本筋は半神半人の英雄ギルガメシュの物語であり,半神半人といいながらもギルガメシュはきわめて人間的である。....シュメールの神話によると,はじめに原初の海から生まれた天の父神アンと地の母神キがいてエンリルを生んだが,エンリルがのちにアンとキを引き離し,アンを補う地の神として優勢になった。セム族はこの神話をひきつぎ,アンはアヌとなった。エンリルはもとは空をつかさどる神(風・嵐の神)であるが,のちに,空の闇を照らすために月神ナンナを生み,これが次には太陽神ウトゥを生んだ。シュメールの神話によると,愛の神イナンナも月神ナンナが生んだというが,セム族に移された神話ではそこが異なっている。
仔ライオンを抱くギルガメシュ。翻訳のアッシリア語版より50年ほど古い。
杉の森の守護神フンババ(またはフワワ)
「ギルガメシュ叙事詩」は古代オリエント最大の文学作品である。口承文学であり,古代メソポタミア世界に,これほどのヒューマニズムと芸術的感覚が見られるということは驚きである。この叙事詩は「すべてを見たる人」と呼ばれたが,本来はシュメール人に起源を発することが判明してきている。シュメール人というのは,ティグリス・ユーフラテス両大河の河口あたりに住んでいた古代民族で,多くの遺跡および発掘品によって相当高度な文化をもっていたことが知られているが,その人種的系譜は殆どわかっていないに等しい。ギルガメシュという名そのものが,シュメール語の名であって,その他残された作品にもこの名はしばしば見られる。
そののち,セム族であるアッシリア・バビロニア人が政治的に優位となり,シュメール文化の多くのものを取り入れた。物語全体にわたる主人公がギルガメシュで,ウルクの都城の王である。ギルガメシュは力強き英雄であるとともに暴君として都の住民たちに恐れられていた。ウルクの人々は天なる神々にこのことを訴えた。神々はこれを聞き入れ,大地の女神アルルに何とかせよ命令する。女神は粘土からエンキドウという名の猛者を造り上げ,これを都城から少し離れた野に置いた。
エンキドウは裸で,毛髪に覆われており,野獣のような生活をしていた。そこへギルガメシュからおくられた娼婦がやってきて彼の欲望を満たすとともに人間らしくしてしまう。エンキドウが人間らしい心に目覚めるとともに,仲間だった野獣は去り,エンキドウは娼婦から食事や着衣などの作法を教わる。ギルガメシュとエンキドウの友情は次第に芽生えていく。彼らがウルクに帰り着いてのち,愛と逸楽の女神イシュタルがギルガメシュの英姿に魅せられてしまい,多くの報酬を約束して誘惑しようと試みるが失敗した。激昂したイシュタルは天の神アヌに,天の牛をウルクに送ってギルガメシュとその都城を滅ぼすことを求める。アヌははじめは拒絶したが,イシュタルが冥界から死者を連れ出すとおどかすので,いやいやながら天の牛をウルクに送った。このため,何百という戦士が殺されたが,二人の英雄は力を合わせてこれに打ち勝つことができた。
フワワと天の牛を殺したために,エンキドウは神々により,近いうちに死なねばならぬと宣告をうける。12日間の病ののち,悲嘆にくれたギルガメシュに見守られつつ彼は最後の息を引き取った。彼は永遠の生命を求め始めた。これまでただひとり,古都シュルッパクの聖王ウトナピシュティムのみが,不死を得たということをギルガメシュは知っていた。彼はその住まいをたずねて旅にのぼる。ついにたずねあて,永遠の生命の秘密をたずねる。だが,ウトナピシュティムの答えは彼を落胆させるものであった。ここで昔あった大洪水のことが物語られる。エア神の言葉によってウトナピシュティムは四角の船を造り,危険から逃れることが出来た。永遠の生命については,それを送ってくれた神々の決めたことで,彼のあずかり知ることではないというのであった。
しかしながら,大洪水の記述はギリシャ神話に見られるのである。詳しくは,ヘシオドムの神統記をご覧ください。機会を改めて記事にします。
以上は矢島文夫氏のギルガメシュ叙事詩(絵も)からの一部要約であるが,おやっとされたと思います。すでに長谷川三千子氏の「バベルの謎」で紹介したように,聖書の「ノアの方舟」にでてくる大洪水はまさしくギルガメシュを素材として出来上がったものであることは,疑問の挟みようがない。バベルの塔はジグラットでありこれは記事にした。この叙事詩が記された粘土板の一部,大洪水の物語が刻まれた部分は大英国博物館で見ることが出来る。またすべてを見たる人=エジプトの万物を見通す目に通じるものである。
『バビロンあるいは,バビロニアはバグダッドの南方約90キロの地点にユーフラテスをまたいで広がる。長谷川三千子氏はこう指摘している。「カナンの地」は,イスラエルの民にとって,故郷と呼ぶべき類の地ではなく,そもそも,それは事実の上から言っても,彼らの故郷ではなく,それは,カナンの人々(注:現在のパレスティナ)が住みつき,根づいた土地なのである。
イスラエルの民の「カナンの地」との関係は,徹頭徹尾ヤハウエ神に依っている。この地はヤハウェ神によって示され,命じられ、約束されたことによってのみイスラエルの民と結びついているのであり,それ以外の形で結びついてはならないのである。......ヤハウイストの生きていた時代と推定される起源前十世紀頃という時代は,ティグリス川上流の二ムロデやコルサバードに発掘されたジグラドは,ちょうど紀元前十世紀,九世紀ごろに新築または再興されている。広い意味では,ヤハウイストはまさにジグラトと同時代の人間だったのである』<管理人注>
実際のバベルの塔
キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる〜〜〜もっとも,この大母神の究極の起源を探ってゆくと,アナトリアのペシヌス(ガラテア地方の都市)でキュベレーとなり,ヒエラポリス(シリアの北部の町)でシリア女神De Dea Syraとなり,あるいはまた,遠く離れた北海やバルト海の聖なる島の森の中で,ゲルマン語を話す人々に崇拝される地母神となる以前に,元来シュメール世界においてイシュタル↑の名で知られていた女神であることが判明する。(Study of Historyサマヴェル縮小版より)
イシスとホロス マリアとイエス
<また矢島文夫氏によると,イシュタルの冥界下りというアッカド語の文があるが,半分はギルガメシュ叙事詩と重複する。女神イシュタルはシュメールのイナンナの系譜をひき,のちにフェニキアのアスタルテ,それからギリシャのアフロディーテー,ローマのウエヌスになる愛と美の女神であるが,がんらいは豊饒の女神であり,大地母神の血をひくものであった>イシュタル神話と日本神話の関連を考えるとイザナギのミコト神話でもあり,日本人シュメール説が俄然脚光を浴びてくるのである
イシュタルはバビロニア神話においては,月の神シンの娘でした。イシュタルは肥沃と豊作を司る愛の女神で,金星と呼んでいる惑星と同じものとみなされていました。
人類が人類らしくなって24万年。最初はぼんやりと空の星を見上げることから始まったのでしょう。それが様々な神話となっていったのです。
。エチオピアエノク書やマヤに降りた天使も出所は同じだからです。
見事なまでに完成された世界といいましたが,ある勢力が通貨の発行権と管理権を握りそのためには,多くの演出が必要だったわけです。多くを理解するにはプラトン・アリストテレス,へーゲル・ヘラクレイトスをセットにして考えなければなりません。へーゲルの弁証法には,ルシファーの理論上の根本・原点があるからです。慶応大学では,カール・ポパーの「開かれた社会とその敵」が教科書として使われているようですが,非常に好ましいことと言えるでしょう。英国の作家ローレンス・スターンを卒業論文にする生徒も最近多いですが,僕が今学生なら,文句なしにカール・ポッパーを卒論にするでしょう。あるいは博士論文にしてもじゅうぶんに手ごたえはあるでしょう。
ごく最近,NHKのBSでジョージ・ソロスと山本正氏とのインタビューをやっていましたが,ソロスは心を開き,London School of Economics時代にカール・ポッパーの「開かれた社会とその敵」の出会いを語っています。いわゆるOPEN SOCIETYです。ソロスの財団も同じ名前です。この辺のレベルの人間と話をするには勿論インタビュアーの能力にもよりますが,どういう組織に属しているかが大変重要です。山本正氏は三極委員会(旧日米欧委員会)を統括する日本国際交流センターの理事長です。これは,ご存知のようにイルミナティの下部組織です。ですから,この世界で生きていくには,なんでも反対では駄目なわけで,例えば緒方貞子さんや池田大作氏もローマクラブの名誉会員なわけです。緒方貞子さんの話を聞いて,お門違いなことを言っているかと詮索してみても、まったくそうではないわけです。ある地位に就き,富を得るにはまず第一に現実を肯定することから始めなければなりません。チェ・ゲバラがいくら格好いいからといって,カストロと82人で革命を成功させた頃とは規模も違いますからね。ですから各人がどうやって生きていうのかという人生のパラダイム(座標軸)が必要になってくる。
ヘラクレイトスはこの世における事物や他の典型的な規則性のもつみせかけ上の安定を説いており,法則にたいする呪術的な態度や神秘主義理論である普遍的流転がへラクイトスの中心理論であり,プラトンによって裏づけられたわけです。それは「智慧とは多くの事物についての知識のことだけではなく,闘いあう対立物の根底にある統一を知覚することである」それこそまさにNWO=新世界秩序なのであります。ですからへーゲルがああ言った,ニーチェがこう言ったという前に,ここまで遡る必要があるのは筋が通っていると思います。
ですからいくら大學で哲学をやっても,現代のように完成されてしまった世界の源をたどる授業でなければ,それは詭弁なだけで,時間の無駄使いとなるわけです。プラトンの人口増加反対説を考えたり,ソクラテスが自分の人格の高潔性を汚す事を拒んだりした結果,結果としてそれを汚す道へと追い込まれたことを知るべきでしょう。また,プラトン・アリストテレス的本質主義の魔力によって社会が抑圧された現実も知るべきでしょう。『智慧の木から食べた者には,天国は失われたのですから,調和のとれた自然状態への復帰などというものありえない。もしわれわれが引き返すならば,われわれは道のりを全部行かなければならない。われわれは野獣に帰らなければならない。
それはどんなにわれわれが真っ向から取り組むのが困難であっても,そうしなければならない問題である。われわれが子供時代へ帰ることを夢見るならば,他人に依存して幸福でありたいという誘惑に駆られるならば,われわれの十字架すなわち人間らしさと理性と責任の十字架を担うという課題にしりごみするならば,勇気を失い圧迫にたじろぐならば,そのときにはわれわれは目の前にある単純な決定を明瞭に理解して,自分を強くするように努めなければならない。
われわれは,野獣に帰ることはできる。だが,人間であり続けたいと望むならば,そのときには唯一の道,開かれた社会への道があるのみである。われわれは安全および自由の両者のためのよい計画を立てるために,持ち合わせの理性を用いて,未知と不確実と不安定の中進み続けなければならない』。
そして,ジョージ・ソロスはこのカール・ポッパー先生の教えにより米国に渡り成功をおさめた。大學は就職のための機関ではないのだ。もしこのブログを大學の教授が見ていたのならば,心して自分がしていることを見直し反省するべきだろう。これからの若者のために。
ジョージ・ソロスは「Open Society」という財団をもちすでに,7200億円の寄付をしている。
アケメス朝ペルシャ時代,ミトラはマズダーと同格・同体の最高神であった。ミトラの教典「ミトラ祭儀書」はゾロアスター教の教典「アヴェスター」の中で最大最長の教典である。従って,ゾロアスターとミトラでなく,ミトラ教の中のゾロアスターと理解するほうが早い。しかしアケメス朝初期のゾロアスター教におけるミトラは,アフラ=マズダーを崇める善男善女の守護神である。それゆえ,ミトラは,アフラ=マズダーの分霊,つまり受肉した言葉とみなされるようになった。
ゾロアスター教の聖典は,「我らはあらゆる国家の主であるミトラを祭る,ミトラ・アフラよ」となっている。この神話は進化し,アフラ=マズダーは,ミトラに「世界統治権」を移譲したという神話が確立し,世界を統治するのはミトラで,アフラ=マズダーは来世だけを統治するという役割分担が確立された。つまり世界統治権は最高神の証とされる。これが,NWO(New World Order)の原点でもある。いつの間にか,最高神がダヴィデになっただけの話である。
ダリウス(在位BC522〜486年)は,マギ・ゴーマタの反乱を鎮圧して,帝位についた。反乱を鎮圧したものの,ゴーマタを支持したメディア人勢力(ミトラ派)の軍事力は強大であった。ダリウス軍には,メディア全軍を相手にするだけの力はなかったし,これ以上深くメディア領に踏み込めば,メディアは分離独立し,最悪の場合には,メディアーギリシャ連合が誕生する危険があった。そこでダリウスは,メディアの分離独立を阻止するために,アフラ=マズダー,ミトラ,女神アナーヒターという三神を崇拝するという折衷形態を採用した。
ゾロアスター教の研究では、きわめて有名な事実であるが,アケメス朝の碑文には,ゾロアスターという名はいっさい刻まれていない。碑文を重視する学者は,この事実から次のように推論している。「ゾロアスターが教祖であるなら,これは異常としか言いようがない。碑文が意味することは,ただ一つ,ゾロアスター教の教祖は,ゾロアスターではなかったということ,つまり,アケメス朝において折衷宗教ゾロアスター教が形成されるとき,ゾロアスターはさして重要な人物ではなかったということである。おそらく,ゾロアスター教は,ダリウス王の政治的な判断で生まれたのであろう。
アケメス朝中期から始まったミトラ崇拝の興隆は,ヘレニズム王朝の一つパルティア(Arsacid Parthia BC250〜226年,ヘレニズム王朝の一つ)において大きく開花した。ミトラは,パルティアの至高の最高神(主神)となり,この王朝の守護神になった。
ミトラ神話には,次の三つの系統がある。1)が最も古い起源を持ち,3)のメタトロン神話がこれに続く。3)の残りと2)は,ほぼ同時期に成立している。
1)天地創造神話
最も古い起源を持つミトラ神話で,最高神ミトラの誕生と天地創造の経緯を説く。クルドの地に強く付いている神話である。プラトンのミトラ=エロス哲学,西方ミトラ教の聖図像,ヤザタ派の神話がこれに属す。
2天上王権継承物語
パルティア時代に生まれた神話で,天上王権がズルワーン=アフラ=マズダー=ミトラと継承されたと説く。イランで形成された神話である。「ミトラ祭儀書」を起源とする。
3)救世主神話
ユダヤ教・キリスト教の神話とミトラ神話をつなぐ神話で,ミトラがこの世に生まれ変わった経緯とその生涯を伝える。イラン=クルド文化が接する地域で生まれた伝承である。仏教の弥きん神話(現在のアフガニスタン),ユダヤ教のメタトロン神話(バビロン周辺),アルメニアのミトラ神話がこれに属す。<東條真人博士のミトラ教参照>
紀元前2400年ごろに描かれたバビロニアの太陽神シャマッシュ。シャマッシュの神は一年を司る。船で空を渡る月の神シンの息子で,シャマッシュとシンはカルデアの神話の中心をなしている。ちなみに,バビロニア神話においては,イシュタルは月の神シンの娘です。
エジプトのラメス二世(紀元前1300〜1236年)は,黄道12宮のうちの基本となる4宮,すなわち牡羊座,天秤座,かに座,山羊座の確立に大きく貢献しました。墳墓の飾りに,占星学の符号を刻み込むことによって彼が占星学に感心を抱いていたことが後々まで伝えられました。カーナックにあるアモンの神殿に見られるこの浮き彫りでは,ラメスが空の女神アーソーと手をつないでいる。
昔の人は,かなりぼんやりして星を眺めていたと思っていたとしたら大間違い。夜通し見ていたんですね。偉いです。というか,暇だったんでしょうかね。
「私たちは特定の時間に特定の場所で生まれている。そして製造年代がものをいうワインと同様に,生誕した年や季節でそれぞれ特性をそなえることになる。このことこそ,占星学の拠り所にほかならない」<C・Gユング>
紀元前8000年,古代メソポタミア地方では,人間は常に空の脅威にさらされて生活していました。人間の精神は,計り知れない要素に満ちた宇宙に支配され,天体は,人間にはどうすることもできない壮大かつ破壊的で予知不可能な攻撃〜雷,稲妻,灼熱,日食,月食〜を仕掛けてきたのです。こうしてすぐに,天体優位の考え,すなわち,導き手を求めて空を見上げる姿勢が日常生活の一部になったのです。
原始時代の人間には,偶発事の可能性を考慮に入れることはできませんでした。起こったすべての現象は,ある目的を持つ力によって起こされたものだと考えられていました。なぜなら,狭い経験の範囲内では説明のつかない現象に対しては,それを巻き起こした物理的な力を見つけ出し,名づけなければならなかった。それは人間の弱さを補強する手段でもあったのです。
そこから神話が生まれ,叙事詩が生まれ,宗教が生まれたと考えてなんの不思議もないでしょう。星はシュメール族にとって,神聖なものの象徴でした。この地方の空に満ちていた星こそ,占星学を最初に生み出したものといえます。今日では,私たちは太陽と月が私たちにたいして物理的な影響を与えていることを知っていますが,原始人にとっては,この影響はかなり重大なものであったに違いありません。太陽は人間に暖を与え,昼と夜があり,海には潮の満干があります。成長と衰微の神秘的な過程,自然秩序の満干に取り囲まれていた原始人が,宇宙を物理的に説明する方向へと向かっていったのはごく普通の自然なことだったのでしょう。
地球から見れば,星は毎年殆ど変わりない位置を保って私たちの周囲を回っています。勿論,変化はつねに起こっていますが,原始人には観察できないほどのわずかのものです。彼らは,七つの主要な天体の背景をなしている星の,比較的早い動きには気づいていました。いわゆる,可視惑星です。もっとも古い記録には,太陽,月,そして惑星は人間の生活に介入し導く力をもった神を象徴している,という考えがみられます。バビロニアにおいて天体観測がされるようになったころには,神々の座がはっきりと確立され,それぞれの神に,人間生活の各部分を司る力を与えた。これが,すべての始まり。
最古の暦は,アッシリアのアシューバニーパル王の時代,紀元前7世紀の中ごろに書かれたものです。いわゆるカルディア人のころです。また話はとんで,ストーンヘンジのオーブリー穴も有名です。メキシコのチェチェン・イッチャ市にある古代マヤの回転式天文台も有名です。コロンブス以前のマヤ文明がいかに高度な天文学的,占星学的な技術をもっていたかがわかります。貝の形に似た内部の螺旋階段は,いくつかの窓に通じています。その窓は,季節ごとに観察する惑星の位置に合うようにつけられている。
最近NHKで定年を控えた団塊の世代のインタビューを見た。彼は言う「定年を迎えたら皆でワイワイガヤガヤやって楽しく過ごしたい」と。そうですか,そうですか。ファウストなんか読まないんでしょうね,きっと。お幸せに。
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