2009/6/8
「まだやるの?お星様キラキラ」
朝起きたら、
太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに、
感謝することだ。
どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、
それは、おまえ自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。
ショーニー族の首長、テクムセ(1768-1813)の言葉
Since I have learned to respect those long-forgotten and still only hazily identified Newtons and Shakespeares and Einsteins of the last Ice Age, I think it would be foolish to disregard what they seem to be saying. And what they seem to be saying to us is this: that cyclical, recurrent and near-total destructions of mankind are part and parcel of life on this planet, that such destructions have occurred many times before and that they will certainly occur again.
長い間忘れ去られていて,今でもおぼろげにしかその輪郭が分かっていない,最後の氷河期のニュートンやシェークスピアやアインシュタインに対して,彼らが言わんとしていることを無視することは愚の極みであり私は敬意を抱くようになった。彼らが我々に伝えたいのは次のようなことだ。人類をほぼ完全に破壊させる大災害は周期的に繰り返されていてこの惑星で生きる以上避けられないものであり,このような大災害は過去にも何度も起っており,またそれは必ず起るものなのである。
Hamlet's Mill(ハムレットの水車小屋)という本がありますがグラハム・ハンコック氏やエハン・テラビ氏などの著作は皆この本に感化されております。内容は難解な英語ですから日本人が一番嫌って近寄りたくないところです。来年あたりに翻訳でもしましょうかね。勿論出版社から出して印税を貰うなんてケチなことはしません(笑)。
What, after all, is the remarkable calendrical system of the Mayas if it is not a medium for transmitting exactly this message? What, if not vehicles for the same sort of bad news are the traditions of the four previous ‘Suns’ (or sometimes of the three previous ‘Worlds’) passed down in the Americas since time immemorial?
マヤの驚くべき暦のシステムは,このメッセージを正確に伝える媒介なのではないか?大昔から南北アメリカに伝わる,4つの太陽(あるいはかつての3っの世界)の伝承は,悪い知らせを伝達する手段なのではないか?
By the same token, what might be the function of the great myths of precession which speak not just of previous cataclysms but of cataclysms to come and which (through the metaphor of the cosmic mill) link these earthly disasters to ‘disturbances in the heavens’? Last but by no means least, what burning motive impelled the pyramid builders to erect, with such care, the powerful and mysterious edifices on the Giza plateau?
同様に,歳差運動の偉大なる神話は,単にかつての大変動だけでなく,やがて来る大変動についても宇宙の臼という比喩を用いて語っていて,地球規模の災害と天空の混乱を結びつけてはいるが,これらの神話の機能は何であるのか?また,いかなる熱烈なる動機に駆られて,ピラミッド建築者たちは,謎にみちた大建造物をあのような注意を払ってギザの台地に建てたのであろうか。
The reader will also not have forgotten the date calculated by the Ancient Maya calendar for the end of the world:
読者の皆さんは,古代マヤ暦が世界の終わりを算出した日付を忘れてはいないでしょう。
The day will be 4 Ahau 3 Kankin [corresponding to 23 December AD 2012], and it will be ruled by the Sun God, the ninth Lord of the Night. The moon will be eight days old, and it will be the third lunation in a series of six ...
その日は2012年12月23日にあたる。(その日は4アハウ3カンキン)で,その日は太陽神,第9の夜の神によって支配されているだろう。月齢は8日で,月期は6つ連続する中の3番目であろう.......
In the Mayan scheme of things we are already living in the last days of the earth.
マヤの物事の考えでは我々はすでにこの地球の最後の日々に暮らしているのである。
In the Christian scheme of things too, the last days are understood to be upon us. According to the Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania:
‘This world will perish just as surely as did the world before the Flood ... Many things were foretold to occur during the last days, and all of these are being fulfilled. This means that the end of the world is near ...’
キリスト教においても,終末の日が差し迫っているという。ペンシルヴァ二アの「ものみの塔」聖書教会によると(管理人注:イルミナティの血流のラッセル家によって始められたモルモン教同様な邪教をなぜ著者が取り上げるのか理解に苦しむが過去三回預言がはずれている)「この世界は消滅する。洪水の前の世界が消滅したのと同じくらい確実に。最後の日々には多くのことが起ると預言されているが,その全ては起りつつある。このことは世界の終わりが近いことを表している.....」
Similarly the Christian psychic Edgar Cayce prophesied in 1934 that around the year 2000:
同様にキリスト教信者であり霊能力者であるエドガー・ケイシーは,1934年に予言をした。それによると2000年ごろには......
‘There will be a shifting of the poles. There will be upheavals in the Arctic and the Antarctic that will make for the eruption of volcanoes in the Torrid areas ... The upper portion of Europe will be changed in the twinkling of an eye. The earth will be broken up in the western portion of America. The greater portion of Japan must go into the sea.’
「極移動がある。北極と南極で大変動があり,熱帯では火山が噴火する....ヨーロッパ北部は一瞬のうちに(瞬きするまもなく)変化する。地球はアメリカ西部で分裂される。日本の大部分が海に沈むことになる。(管理人注:ケイシーやシュタイナーはメーソンの神殿より資金提供されていたことは明らかであるがそれを差し引いても超能力を持ち合わせていたと言えるでしょう。しかし実際は歳差運動を知っていただけのこと)
Curiously the epoch of the year 2000, which figures in these Christian prophecies, also coincides with the Last Time (or highest point) in the great upwards cycle of the belt stars of the Orion constellation, just as the epoch of the eleventh millennium BC coincided with the First Time (or lowest point) of that cycle.
奇妙なことに,これら一連のキリスト教の預言に現れている紀元2000年という時代は,オリオン座の三つの星が上昇する長い周期の最後の時とも一致している。それはまるで紀元前1万1000年という時代が,この周期の最低点と一致したのと同様である。
And curiously, also, as we saw in Chapter Twenty-eight:
そしてまた奇妙なことに28章で見たように.....
A conjunction of five planets that can be expected to have profound gravitational effects will take place on 5 May in the year 2000, when Neptune, Uranus, Venus, Mercury and Mars will align with the Earth on the other side of the sun, setting up a sort of cosmic tug-of-war ...
5つの星の惑星の連合体は,大きな引力の影響を及ぼすと思われるが,それは,2000年の5月に起る。ことのき地球から見て太陽の反対側に海王星,天王星,金星,水星,火星が整列し,それはまるで宇宙の綱引きのようになる。
管理人注:著者はこの日に何かが起ると1996年に書いているのだが実際何も起らなかった。ある天文学者はこの地球には過去170回の極移動が生じ将来起きるとしたら「水瓶座」の時代に入ってからの可能性が高いとしている。ということはマヤ暦が終わっても何も起らないということだ。
How would we express, say, AD 2012 of the Christian era in a language universal enough to be worked out and understood twelve thousand years hence by a civilization that would know nothing of the Christian or of any of the other eras by which we express chronology?
One obvious solution would be to make use of the beautiful predictability of the earth’s axial precession, which has the effect of slowly and regularly altering the declination of the entire star-field in relation to a viewer at a fixed point, and which equally slowly and regularly revolves the equinoctial point in relation to the twelve zodiacal constellations.
たとえば,西暦2012年という年号を,今から1万2000年後の文明にしっかりと説明するためには,彼らが解読しまた理解できるような普遍的な言葉で説明する必要がある。西暦も他のどの暦のことも知らないであろう相手に,どうやって説明するのか。明確な解決方法の一つは,地球の歳差運動がもつ予測の可能性を利用することだ。歳差運動はは,決まった所にいる観測者から見た星空全体を,ゆっくりと周期的に変化させ,かつまた黄道上の12星座にたいして春分点などをゆっくりと変化させる。この春分点歳差運動(Vernal Equinox Precession)は動きを予測することが可能である。もし,「春分点が魚座にある時代に生きていた」と宣言する方法を見つけることが可能であれば,我々の時代を特定する方法を手に入れたことになる。
From the predictability of this motion it follows that if we could find a way to declare: WE LIVED WHEN THE VERNAL EQUINOX WAS IN THE CONSTELLATION OF PISCES we would provide a means of specifying our epoch to within a single 2160-year period in every grand precessional cycle of 25,920 years.
2万5920年という春分点歳差運動の大きな周期の中の2160年という期間を我々の時代に特定できるというものだ。
Like the Hopi Indians of North America, the Avestic Aryans of pre-Islamic Iran believed that there were three epochs of creation prior to our own. In the first epoch men were pure and sinless, tall and long lived, but at its close the Evil One declared war against Ahura Mazda, the holy god, and a tumultuous cataclysm ensued.
北アメリカのホピ・インディアンと同様イスラム教に帰依するまえのイランを源とするアヴェスター系アーリア人も,現在以前に三つの時代があったことを信じていた。最初の時代の人たちの心は純粋で邪気がなく,背が高く長生きであった。しかしその時代が終わりを告げるころ,悪魔王が聖なる神であるアフラマズダに戦いを挑み,激しい大災害が起きた。
アフラマズダー神(右)から王権の象徴を授受されるアルダシール1世(左)のレリーフ(ナグシェ・ロスタム)
ゾロアスター教の中のミトラ
管理人から:さいとう・たかおの「ゴルゴ13」の連絡先を知るには,ラジオで賛美歌の13番を流しゴルゴ13(デューク東郷)がニューヨークタイムズ日曜版に「13型トラクター買いたし」の広告を載せる。広告元へ電話してもゴルゴ13はいない。しかしいつの間にか現れて「用件を聞こうか」と物語りは始まる。
その賛美歌は1455年にグーテンベルグが聖書の印刷を始めるまでは口承によって受け継がれてきた。1503年生まれのノストラダムスは聖書の印刷物がなければ到底世紀の大預言をすることはできなかったろう。エドガーケーシーしかりである。
それはそれとして最近また大きな難問にぶち当たってしまった。最後の審判を歌ったSEQENTIA(続唱)はキリスト教というよりも,ゾロアスター教やマズダ教などイラン起源の二元論宗教の影響が強いことが分かったからだ。
グレゴリオ聖歌(レクイエム・REQUIEM)はグレゴリウス一世によってカトリック教会において典礼に用いられていた聖歌で,東方典礼聖歌に基ずいて編纂され,その名が付いた。旋律は教会旋律法と呼ばれる8種類の音階に基ずいている。
そのレクイエムはモーッアルト,ヴェルディ,フォーレの三大レクイエムでそれは「葬送曲」のことである。マフィアの出棺・埋葬時にはなぜかシチリアの晩鐘事件以来必ずフォーレのレクイエムが歌われる。それは死者の安息を神に願う死者のためのミサである。
最後の審判を歌ったSEQENTIA(続唱)には怒りの日,奇しきラッパの響き,恐るべき御陵威の王,思い出し給え,呪われたもの,涙の日,奉献の唱,主イエス・キリスト,賛美の生贄と祷り,感謝の賛歌(サンクトウス),聖なるかな,祝福されますように,神羊謳,聖体祷文,楽園へ(IN PARADISUM)と続く。このテキストには最終戦争,火による浄化,天使にラッパ,最終審判など二元論宗教の影響がある。
例えば牧師様が各節を読み上げ葬儀の参列者が厳粛に聴き,賛美歌を歌い,最後にレクイエムで埋葬する。「思い出したまえ・RECORDARE)では「マグダラのマリアを許し,盗賊の願いをもお聞きになった主は私にも希望を与えられた(ルカ23:39−43)など死者の安息を神に願うに相応しい。
グレゴリオ聖歌
この道の先には何があるのだろう。魚座の時代が終わり2150年の水瓶座に入って太陽がその星座から昇っても神の名前が変わるだけかもしれない。相変わらず駅前のタバコ売り場のおばあちゃんの笑顔があり高校生たちの明るい笑い声があってほしい。
8角Ωであり12黄道宮を表している。上下左右は夏至,冬至,春分,秋分を意味している。神の名が変わってもこの真理は永遠に変わらない。
In the Sumerian epic entitled Enmerkar and the Lord of Aratta, in a speech of Enmerkar, an incantation is pronounced that has a mythical introduction. Kramer's translation is as follows:
Once upon a time there was no snake, there was no scorpion,
There was no hyena, there was no lion,
There was no wild dog, no wolf,
There was no fear, no terror,
Man had no rival.
In those days, the lands of Subur (and) Hamazi,
Harmony-tongued Sumer, the great land of the decrees of princeship,
Uri, the land having all that is appropriate,
The land Martu, resting in security,
The whole universe, the people in unison
To Enlil in one tongue [spoke].
(Then) Enki, the lord of abundance (whose) commands are trustworthy,
The lord of wisdom, who understands the land,
The leader of the gods,
Endowed with wisdom, the lord of Eridu
Changed the speech in their mouths, [brought] contention into it,
Into the speech of man that (until then) had been one.
かつて、蛇も、さそりも
ハイエナも、獅子も、
野生の犬も、狼も存在せず、
恐れも、恐怖もなく、
人間に敵するものはなかった。
かつて、シュブール(Subur)とハマジ(Hamazi)の国には、
王子の法によって治められる偉大なる地、シュメールと、
同じ言葉を話す人々が住んでいた。
また、ウリ(Uri:アッカドをさす)は、すべてがしかるべくあり、
マルトゥ(Martu:アムル人の国)は、安らかであった。
世界全体は、神エンリルのもとでひとつの言葉を話し、
調和のなかにあった。
そのとき、多産・豊穣の主であり、
知性の主であり、地を知悉する者であり、
神々の指導者である神エンキは、
エリドゥの主に知恵を授け、
ひとつの言葉を話す人間たちの
口から出る言葉を変えさせ、争いをもたらした。
シュメール叙事詩「エンメルカルとアラッタ市の領主」より。
Honest people what they what they honestly experienced but not uniformly for the better. A lie can change someone......The following Video had been directed by Elliot Nesch.
創世記10〜8には,クシュには,またニムロデが生まれた。.....彼の王国の主な町は,バベル,ウルク,アッカドであり,それらはすべてシンアルの地にあった。シンアルの地とはメソポタミアである。ここは重要なポイントでもあります。なぜ米国カザール・ユダヤがここを狙って,本当の聖地にしようとしているのか?長谷川美千子氏のバベルの謎320ぺージあたりにヒントがる。「メソポタミア平原には,各所に<シュメール語で小尖塔を意味する>ジグラトと呼ばれる遺跡が見られ,これらのうちの一つが,バベルの塔にちがいないということも,かなり古くから考えられていた。
もっとも古くは,12世紀の後半,メソポタミア地方を旅行したスペインのナヴァーラの人,トゥデーラのベンヤミンが,バベルの塔の遺跡を発見したと伝えられている。彼はユダヤ教の僧侶であり,この他にも聖書に登場する古代都市ニネべェの跡とみられる遺跡を発見している。彼がバベルの塔の跡と考えたのは,イラクのヒルラ市付近のビルス・ィ・ニムルドでこれは別のジグラド(ボルシッパのナブ神神殿のジグラト)であることが解っている。またバベルの塔はバビロンの遺跡の北側の丘バービルにあったという。
その後の発掘調査で1908年,バビロンの南側の低地エス・サクンに,巨大な正方形の遺跡を発見した。そこから発見された煉瓦の刻銘などから,それが「バブ・イリ=バベル」の都の「エ・テメン・アン・キ」と名づけられたジグラトの跡であることが確かめられた。実際に「バベル」の町に=バビロンの町に実際に存在したのである。
メソポタミアには創生神話の「エヌマ・エリシュ」がある。それによると,バビロンのエ・サギラ神殿とジグラト(エ・テメン・アン・キ)なのである。.....このバビロン市の聖塔にまつわる話によると,これ(エ・テメン・アキ)は有史以前スメルの王によって起工されたが,竣工するに至らなかったものであろう。
まづ,空間的な距離について言えば,パレスティナ地方とバビロンとは,いわゆる「肥沃な三角地帯」のほぼ両端に位置して,一見かなり遠くにはなれているようにも見える。ジグラトそのものは,ティグリス,ユーフラテス川の上流にいたるまで,メソポタミア平原のほぼ全域にわたって分布している。アブラハムの生まれ故郷のウルは,ユーフラテス川の,バビロンよりもさらに下流にあった町であり,そこに建てられたジグラトは,現在もその姿をとどめている。
メソポタミア創世神話のマルドウク神は,ジグラトを「偉大な神々(アヌンナキ)の家」と呼び,そしてそれの建てられるべき町を,それにちなんで「バブ・イリ」すなわちバビロンと命名しようとした。バビロンのジグラトに付けられた「エ・テメン・アン・キ」という名は,アッカド語で「天と地の礎の家」という意味で,ボルシッパのジグラトの「エ・ウル・メ・イミン・アン・キ」という名は「天と地の七つの案内者の家」という意味である」
バビロンあるいは,バビロニアはバグダッドの南方約90キロの地点にユーフラテスをまたいで広がる。長谷川三千子氏はこう指摘している。「カナンの地」は,イスラエルの民にとって,故郷と呼ぶべき類の地ではなく,そもそも,それは事実の上から言っても,彼らの故郷ではなく,それは,カナンの人々(注:現在のパレスティナ)が住みつき,根づいた土地なのである。
イスラエルの民の「カナンの地」との関係は,徹頭徹尾ヤハウエ神に依っている。この地はヤハウェ神によって示され,命じられ、約束されたことによってのみイスラエルの民と結びついているのであり,それ以外の形で結びついてはならないのである。......ヤハウイストの生きていた時代と推定される起源前十世紀頃という時代は,ティグリス川上流の二ムロデやコルサバードに発掘されたジグラドは,ちょうど紀元前十世紀,九世紀ごろに新築または再興されている。広い意味では,ヤハウイストはまさにジグラトと同時代の人間だったのである。
主神アヌとアヌンナキ(地上,および冥界の神々の総称)の時代は,古代ローマ・コンスタンチヌス帝の時代に「ニケア信条」というものがあった。それはナザレのイエス(イエズス)・キリストの教えと決定的な相違があった。
<また信ず,一つの主イエス・キリスト,神の独り子,万世の前に父より生まれ,光よりの光,真の神よりの神,生まれし者にして造られしにあらず,父と一体にして万物,彼によりて造られ...........>と始まるのが「ニケア信条」と呼ばれるものです。
これに対し,HG・ウエルズはその著「世界文化史」のなかで,おちょくって書いています。「もし,ガリラヤの埃っぽい日ざしを浴びて,塵にまみれつつ旅に疲れた師イエスをよく知り,これに従っていた真面目なナザレ人の誰かが,突然,この世に蘇ってきて,たとえばローマの聖ペテロ教会のミサに参加して,その聖壇の上に置かれた聖餅が、十字架に掛けられた彼の師そのものに他ならないと知ったら,驚くことであろう」と。
デヴィッド・アイクという人はアブラード・ロイヒンの「新約聖書の本当の著者」を読むまでもなく,<ペソ一族が物語りと登場人物を作り上げ,イエス,マリア,ヨセフ,すべての弟子たち,12使徒,ヨルダン川の洗礼者ヨハネ,これら全ては架空の人物であり,当時ナザレという地名はなかった,とまで言い切っています>しかし,HG・ウエルズはさすがです。イエスの聖餐式はミトラの聖餐式であり,パウロがイエスのことを表現するフレーズはミトラ教のものである,と指摘しています。ところが,HG・ウエルズでもそれを遡ると「ギルガメシュ叙事詩」に行き着くとまでは書いておりません。
ヒッタイト帝国(BC1900〜BC1190年)とは,ミタンニ人と同族で,ヒッタイトの主神は,太陽神イェスタン。イェスタンとは,後のクルド語のヤザタのことで,最高神ミトラの尊称である。ヒッタイト帝国は,710年続いた。イラン・クルドの研究者は,ヒッタイトは移住前と後をつなぐ重要な位置にあると考えている。
ミタンニ帝国(BC1700〜BC1270年)のミタンニは,ミトラの名に由来している。ミタンニ帝国は430年続いた。
メディア帝国(BC835以前〜BC550年)は,ミトラ教を西アジア全域に広めるために,各地にマギを派遣し,ミトラ神殿を建てた。メディア帝国は,285年以上続いた。
カッシート王国(BC1530〜BC1150年)は独自の王国をつくらず,古代バビロニア王国の首都バビロン(現イラク)に定住して,その一王朝になった。この時期に,ミトラとバビロニアの太陽神シャマシュの習合が起きた。ミトラとバビロニア占星術が生まれた。カッシート王国は,380年続いた。
世界は事実の総体であって,事物の総体ではない。「ビトゲンシュタイン」
ギルガメシュ叙事詩は,セム族がシュメール人から宗教的体系をそっくり借用したもので,この叙事詩に登場するアヌンナキの多くは,シュメールの神の名をセム語に書き直したり,シュメール語そのままだったりした。矢島文夫氏の「ギルガメシュ叙事詩・イシュタルの冥界下り」によると,<叙事詩>の本筋は半神半人の英雄ギルガメシュの物語であり,半神半人といいながらもギルガメシュはきわめて人間的である。....シュメールの神話によると,はじめに原初の海から生まれた天の父神アンと地の母神キがいてエンリルを生んだが,エンリルがのちにアンとキを引き離し,アンを補う地の神として優勢になった。セム族はこの神話をひきつぎ,アンはアヌとなった。エンリルはもとは空をつかさどる神(風・嵐の神)であるが,のちに,空の闇を照らすために月神ナンナを生み,これが次には太陽神ウトゥを生んだ。シュメールの神話によると,愛の神イナンナも月神ナンナが生んだというが,セム族に移された神話ではそこが異なっている。
During the second epoch the Evil One was unsuccessful. In the third good and evil were exactly balanced. In the fourth epoch (the present age of the world), evil triumphed at the outset and has maintained its supremacy ever since.1
その第二の時代,悪魔王は勝利をおさめることは出来なかった。第三時代は善と悪は完全に均衡を保った。第四時代(現在)は悪が圧倒的に勝利して始まり,その後も世界に君臨し続けている。
The end of the fourth epoch is predicted soon, but it is the cataclysm at the end of the first epoch that interests us here. It is not a flood, and yet it converges in so many ways with so many global flood traditions that some connection is strongly suggested.
第四の時代はもうすぐ終わりを告げようとしている。しかし我々の興味を引くのは第一の時代の破滅である。それは洪水ではないが,世界中の様々な洪水の話とよく似ており何らかの関係があるのではないだろうか。
以上の文章はFingerprints of the Gods(日本語訳では神々の指紋)から50,52章の英文の一部を翻訳・解説したものです。
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