2009/6/1
「お星さまキラキラ」
ウイリアム・シェークスピアは1564年イギリスのストラットフォード・アポン・エイボンに生まれました。同じ年にセルバンテスが生まれ,同じ年に二人とも52歳で死んで往きました。ドンキホーテは宇宙を眺め叶わぬ夢を追っていたのでしょうか?
シェークスピアの本を読んでみると,必ず星座に関する記述があります。「私はクルミの殻の中に閉じ込められた小さな存在に過ぎないかも知れない。しかし私は自分自身の無限に広がった宇宙の王者と思い込むことも出来るのだ」とハムレット第ニ幕場面ニで言っています。
このエリザベス朝最大の劇作家は,戯曲と詩に,当時の占星学に関する世間の興味を反映させています。もっとも有名なのは「リヤ王」の中で私生児のエドムンドに言わせています。「べらぼうな話だ。運が悪くなると〜それはたいてい自業自得なのに,その不幸の原因を太陽や月や星のせいにする。人間は天体の圧迫で,よんどころなく悪者にもなり,阿呆にもなるかのように思って,悪党となるも,盗賊となるも,謀反人となるも,同じく天体の争いがたい感化。大酒のみも,うそつきも,間男も,みんな止むを得ない星の影響。
おれの親爺は大熊星の下でおふくろとねんごろにして,そのために俺は気が荒くて色を好む。フン,よしんば大空で第一等の潔白な星が,外借腹の真っ最中に,どうきらついていようとも、俺はまさにこの通りにお育ち遊ばしたに相違ないわい」注:外借腹(げしゃくばらの原語は日本で言う「放送禁止用語」ですから,説明しなくてもわかりますよね!
ラルフ・ワルド・エマーソン,あんたもかい?「占星学は,地上にもたらされ,人間の生活に適用された天文学である」と。
そういえば宮廷というのは暇だったらしく,エリザベス一世とジョン・デイ,カトリーヌ・ド・メディシスはじめJ・Bモリン,法皇ウルンバ8世,ウエールズ生まれのエヴァンズ,ヨハネス・ケプラー、アラン・レオ,エヴァンゲリン・アダムス,マーガレット・ホーン,最近亡くなった米国のディーン・ラドハイアーなどまだまだおります。
西方向に航行する飛行機の中に置かれた時計は,逆方向に進む飛行機に置かれた時計より早く進んでいることを知っていましたか?僕も最近まで知りませんでした。東に向かって飛ぶ飛行機の乗客の時間は,西に向かって飛ぶ飛行機の時間より進みが遅い。勿論わずかな時間の遅れです。これをホーキンズ博士は「双子のパラドックスー矛盾ー」と呼んでいます。
お星様とコンピューターをクリック
下にあるストーンヘンジの巨石配列を博士はコンピューターで分析しました。そして複雑な解析の結果この遺跡が石の都のコンピューターであることがわかりました。ストーンヘンジの外環の石列を外れたところに56の穴があって,オーブリー穴と呼ばれていますが,博士は四個の移動可能な標識石のシステムを使用して,日食・月食の時期を預言できることを示した。
そのもとになったのが下にあるメキシコのチェチェン・イッチャ市にある古代マヤ族の回転式天文台で占星学的な技術をもっていたことがわかります。ナスカのあの地上絵も関連があるのかも知れません。貝の形に似た内部の螺旋階段はいくつもの窓に通じていて,その窓は季節ごとに観察する惑星の位置に合うようにつけられています。
紀元前8,000年,古代メソポタミア地方では,人間は常に空の脅威にさらされていました。人間の精神は,計り知れない要素に満ちた宇宙に支配され,天体は雷・稲妻・灼熱・日食・月食などを仕掛けてきて,天体優位の考えが生まれました。
人々は導き手を求めて空を見上げる日常の一部になりました。古代シュメール地方の星こそが,占星学を最初に生み出したとも言えます。古代バビロニアで天体観測がされるようになった頃,神々の座はすでに確立され,それぞれの神に人間生活の各部分を司る力を与えました。
火星は暴力と戦争の支配者であり,水星は迅速,狡猾であり打算的な知恵を司り,木星は王者のような人間の支配者であり,土星は気が短く残忍な性格をもっているなどとされ,しだいにこれらは繋ぎ合わされ,民間伝承を生み出し占星学の元となり,やがてそれが西洋占星術と進化発展をとげて行きました。
実際の占星学は紀元前700年頃ですが,驚くべき事に3,200年前に人はすでに月の周期を知っていたそうです。私達が知っている暦はアッシリアのアシューバニパル王の時代(紀元前700年)に惑星の運行表(暦)が作られ,すでに惑星が独自の法則にしたがって一定の動きをしていることなどが解明されています。
上はフランス・ブルターニュ地方のカルナックのメンヒル・占星学上重要な位置を占め,太陽崇拝と夏至に関係しているとされる。この地方はフランス語ではなくブルトン語を話していた。パリの名の由来はシテ島に住むパリシイ人からパリとなったという。
Fingerprints of the Gods(神々の指紋)
Hamlet's Mills(ハムレットの水車小屋)
フォトンベルトの真実と暗黒星ネメシス から引用
エハン・デラヴィ・著 愛知ソニア・訳 学研 2007年2月刊
『私たちの宇宙は、2012年に向けて刻々と変化を遂げている。そして、種の絶滅現象が顕著化している今、はたして人類の未来はどうなるのか?
人類の再生を賭けた新たなる時代への挑戦を検証する。
今、生きている私たちだれもが、エレクトリック・ユニバース論を知っていてよかったと思うときがきっとやってくる。私はそう確信している。
確かなのは想像を絶するようなとんでもない大転換の時期が、すぐそばまでやってきているということである。これを知るための最も簡単な方法がエレクトリック・ユニバース論であり、それを知るのに方程式も何もいらない。
科学的にみてもはっきりしている宇宙の変容の時期は、遠い昔から予言として語り継がれてきたことと一致している。それらの予言は、異なる時代や文化背景から生まれたが、すべて「2012年12月冬至」というきわめて正確な時期を示しながら一致している。これを無視することはできない。
2012年の意味
「2012年とは何か」と質問されたら、私は「科学的に実証可能な宇宙の大転換が起きる時期」と答える。地球はもちろんのこと、私たちの太陽系そのものが、広大な宇宙を旅し、移動しながらさしかかる特定の位置が、西暦2012年12月21日である。 地球が太陽を回っているように、太陽系も銀河系も回転しているので、太陽系は以前に何度もこの点を通過している。だから古代文明ではこれは知られており、これを記録しただけではなく、彼らは天で起こるイベントを前もって予知する能力を持っていた。
したがって予言と思われているものは、実は確かな経験から生まれたものであり、「御告げ」のようなものではない。
2012年12月21日というタイミングで、私たちのいる太陽系は銀河系の一定の位置を通過する。そして、銀河の中心と太陽と地球はその日に一列に並ぶ。これは『マヤコスモジェネシス』に書かれているが、同書の著者のジョン・メージャー・ジェンキンズの長年にわたる古代マヤの研究では、その日に銀河の中心にある強力な磁気エネルギーは、直接太陽や地球に降り注ぐという。そしてこれこそ、地球上のあらゆる伝説や神話が予言として私たちに残したメッセージの内容なのである。
古代マヤ文明はこの時期を「最後の太陽」と呼んでいるが、おそらく「太陽系がそこを通過するのは最後になる」という意味を示唆したのだろう。そして、この日にマヤ暦は終わっている。
これが実際に起きるとなればそのインパクトは大きいはずであり、こんなことをいうと受け入れてもらえないのは私も十分承知している。だが、ここであやしい学者たちを紹介し、でっち上げの仮説で説得しようなどという気は毛頭ない。
これは人類学的にみても天文考古学的にみても重要なテーマであり、私たちの未来の進化を考えるうえで見逃せないハイポイントだろう。だから15年も前から、ただこの「2012年」にフォーカスしながら、さまざまな関係テーマを研究してきた。そして私は、あるときエレクトリック・ユニバースというコンセプトに導かれたのである。
さてここで、ある大きな繭が舟に乗って世界を一周する旅をイメージしてほしい。
繭を乗せた舟は北に流されるほど冷えきり、赤道に向かうと温められる。それからその繭は南極あたりで嵐に会い、カリブ海にくるとハリケーンに襲われてしまった。
この繭と同じように今、地球に暮らす生き物すべてが、こんな災害まみれの状態に置かれている。そしてその繭を割ってはいだしてくるのはまさに私たち人間であり、この惑星地球のすべての生き物が実際にそういう状況に置かれているのである。
しかし、実際の繭からは美しい蝶が生まれでてくる。同じように、私たち人類も今までとはまったく違う生物として生まれ変わる。そのブループリント(青写真)は、今にも割れそうな繭の中に含まれているのだ。
繭を運ぶ舟は何度も世界を巡り、厳しい気象にも何回も遭遇してきた。定期的にこれを繰り返してきた。何とか災害を逃れ、生きのびて、これから繭が孵るのに絶好なタイミングを迎えようとしている。
私たちの地球もこのような旅をして太陽の周囲を回り、太陽は銀河を回り、銀河は宇宙を回り巡っている。
こういった回転のほとんどを、数学的に正確に計算することは可能である。しかしこの運動に関しては、まだまだ私たちの科学では理解できない謎に包まれたものがある。その謎の中で一番重視したいことは何かというと、こういった動きの背後には、何らかの知的意識が働きかけている可能性が考えられるという点である、ある「知性」によって、人類の進化やさまざまな計らいやデザインが創られているという考え方である。
残念にもこれは、現代科学においてまだほとんど探究されていないに等しい分野だが、少なくとも私は、まったく疑いの余地なくこれを信じているひとりである。そしてその「知性」は、宇宙のすべてを互いに連結させることができる、私たちの想像を絶するようなパワーで満ちていると思う。
そのパワーの働きは今まで知られておらず、目で見えるものでもない。そしてそのようにすべてをつないでおけるのは、私たちの科学が信じているような重力でもなければ、核融合のような原子力よりもはるかに強力であるはずだ。すべてのパワーの源は、私は電気的なパワーだと思っている。
いうまでもなく、物質の中心には電子がある。そしてすでにご承知のように電流は宇宙中に流れているが、場所によってその強さは違ってくる。それを想像していただければ、宇宙には電気がとても強い場所や時期があることがわかる。
古代人は、一番強い電気に満ちた場所を通過するタイミングを実に詳しく知っていた。どうやって彼らはそれを知ったのか。それについてこれから検討してみよう。
歳差運動
私たち人間にとって「春分点歳差」と呼ばれる現象は理解しがたく、それが持つ重要な意味は今の科学でさえほとんどわかっていない。しかし、なぜかこの宇宙の壮大なサイクルを古代の人々は理解していた。
古代ケルト民族や古代エジプト、マヤ、インカ、アステカ、インド、シュメールなど、世界に散らばる古代文明において、春分点歳差は例外なく認識されていて、天における何にもまして重要な動きであると見なされていた。彼らは非常に長い時間を費やしてきわめて正確な暦を作り、およそ2万6000年という歳差運動のサイクルにおけるどの時点であっても、宇宙における地球の位置や時期を知ることができた。これは驚くべきことである。
ギリシア時代になってプラトンはこの春分点歳差を「ロングイヤー」と呼んだ。実際に西洋ゾジアク(黄道帯)は、12宮の全部の星座にある星々が空の一点から移動して一周して戻る期間を1年としている。
ここで私が、「ノストラダムスの予言」のような話をしていると判断しないでいただきたい。歳差運動は宇宙で実際に超きている動きである。それは地球軸から生じていると、今のほとんどの科学者たちは信じている。
また、その結果として地球から見る星々が72年周期で、天で見えている固定した位置から1度ずつ移動する。ちょうど時計のように、72年ごとに1分ずつ針が示す位置がずれてくるようなものと考えていただければよい。。
それぐらいのずれであれば日々の生活にはほとんど影響しないから、無頓着なのが今の私たちである。が、なぜ、古代の人々はそんな些細な天の動きを気にしたのか? また、どのようにして、この歳差運動を明確に知ることができたのだろうか?
この時代に生きる私たちは、それをよく知る必要があると思う。なぜなら、人類起源の文明といえるほど古くからあるインドのヴェーダ哲学によると、私たちが暮らしている時代は「カリ・ユガ」(世界が崩れいく時代)の最後と呼ばれ、世界の秩序が完全に失われる時代となり、新しい時代が始まるとされるからだ。
このように古代の人々は、今という、彼らからすると未来を、形は違えども「共通する未来」として予言していることは、注目すべきである。私はそう強く感じている。
この世が年齢を重ねていくということと歳差運動との関係については、マサチューセッツ工科大学のジョルジョ・デ・サンティヤーナ教授によって徹底的な研究がなされた。彼は歴史と科学を教えており、共同研究者であるフランクフルト大学のハーサ・ヴォンデッシェンドは神話研究の専門家である。
このふたりが『Hamlet's Mill』(ハムレットの水車小屋)を共著し、宇宙サイクルに対する世界の古代信仰に「偶然の一致」などありえないことを明かしている。
歳差運動と呼ばれる宇宙の壮大なサイクルは、1時間、1日、1年と同じように、今まで何度も繰り返し宇宙で起きてきたことである。ただ何万年という大きいサイクルであるというだけの違いである。
この歳差運動に関して、古代の人々がそれを知るほど進歩していたはずはないという意見もある。古代人の知識をなめているのだ。このように考える科学者はもちろん、私たち現代人はなんと傲慢なのだろう。
さて、この歳差運動を再び認識するようになったのは比較的最近のことだが、そこに大昔の祖先たちのような重要性はまったく見出せずにいる。現代の私たちは、地球から見える星が異なる位置に移動していても、その意味についてはあまり深く考えない。
私たちが地球から夜空を仰ぐ天の川銀河が72年に1度ずつ動き、時計のように360度を回転するのに要する時間は、2万5920年である。約2万6000年という想像を絶する長さなので、日々の食事やセックスなど、生きていくことにはまったく影響ないだろうと考えてしまいがちだ。
それにしても気が遠くなるほど長い年月のサイクルに対して、なぜ、古代の人々はそれほどにも注目したのだろうか?
今、私はきわめて明らかにその理由がわかるようになった。それは周期的に訪れるカタストロフを予測するためであった。そして歳差運動に深く関係している「西暦2012年」というテーマを14年前から重要視するようになり、『マージング・ポイント』(日本教文社、1993年)という本を執筆して以来、私はずっとこのテーマに関する講演をしたりしてきた。私の執筆したすべての書籍もこのテーマからはずれるものは何ひとつとしてない。
私たち全員が、さらにはこの地球に住むすべての命が直面することになる2012年の現実とはどんなものかというと、もちろん、今のこの現状と深く関係している。これが理由で、このテーマに関してさらにもう一冊書くべきであると決めた。それが本書である。
私の情報もあれからずい分と増え、また「2012年」というテーマに関する理解度もより具体的になっている。いまや、日本のテレビでさえ「2012年」に関して報じるようになってもいる。
インドで一番読まれている新聞は最近、このテーマを何度も取り上げていて、インターネット上にも関連ニュースが日増しに増えてきつつある。これに関するさまざまな論議で国際的に活気づいてきている。
今世紀が始まって以来のたった数年間に、世界のあちこちで多すぎるといえるほどの災害が起き、そしてそれらすべてに共通するテーマは破壊や消滅など「終わり」に関係している。今まで疑いの目で見ていた人たち、つまりインテリと見なされる懐疑主義者たちでさえ、そろそろ2012年が示すことを認めなくてはならないようになるだろう。
しかし、私はこの世の終わりを説くような宗教がかった迷信っぽい浅い終末論を示しているのではなく、惑星や宇宙を科学的に検証した現実をお伝えしているのである。そして世界中を旅するあの繭の話のように、適切なタイミングで素情らしい変容が訪れるということを忘れないでいただきたい。
その変化に備えて私たちは今、準備中である。と同時に今の地球の環境は、ちょうど繭が壊れるのと同じような状態を、確実に私たちの目に見せてくれることになるのではないだろうか。特に種(スピーシー)の絶滅現象(アセンション)に象徴されるように、地球の自然環境が急速に衰えてきていることがそのひとつとしてある。種が急速にアセンションしはじめたような状態が起こっているのだ。
ここで、なぜアセンションという言葉を使うかというと、それらが持つ物理的な姿は永久に地球から去るが、それは完全に消滅してしまったのではなく、もっと深いレベルの次元で存在しつづけていると思うからだ。
種の絶滅現象(アセンション)
何百という種が地球を去って消滅し、二度と地球には戻ってこないという現象は、最近、加速化している。地球から姿を消した動物のリストを私は『フォトン・ベルトの真相』(三五館)でお伝えしているが、あれから3年後の今どうなっているか、再度、確認してみた。
(以下、このテーマで「現在の種絶滅速度」と題する囲み記事にしてありますが、ここでは省略します――なわ・ふみひと)
以上のように急速に悪化しながら、それこそ毎日のように種が死滅していく惑星に、私たちは暮らしている。これは十分に報じられているにもかかわらず、その深刻さを私たちはあまり感じずに日々の生活を続けている。私たち人類もこの絶滅種に含まれているとは考えたくはないので、この問題をつい避けてしまうのだろう。
「次は私たちかもしれない」と考えるのは確かに恐ろしいことではあるが、実際のところ「次は人類滅亡の危機が襲ってくるのではないか」と私は見ている。「2012年の冬至までに地球での人類の時間は終わるだろう」と、どういうわけか古代人は知っていたようだ。今となってはこれを迷信とはいい切れない。
私たちのDNAが先ほど挙げた種全部とほとんど変わらないとわかっていても、また、スペースシャトルから見ると惑星上の薄いブルーラインのように見える大気と呼ばれるきわめてデリケートなゾーンの中で全生命が生きているという事実があっても、確かに今深刻な事態が訪れていることに私たちは気づいていない。
そして、世界のりーダーたちがイランや北朝鮮に核拡散阻止を訴えたり、また、鳥インフルエンザがかなり深刻な問題になる恐れがあっても、依然として私たちはあまり気にとめていない。何よりも太陽活動が、以前とは比べようもなく活発になってきても知らん顔である。そんな今、間違いなく人類は、後戻りできないほどの大問題に直面している。私はあえてそういいたいのである。
しかし、現状が、もっと素晴らしく平等な世界に向かうステップであると納得している人なら、一番必要とするのは精神科医の助けであろう。予言はすべて間違っているとか、私のような者が大げさなことをいっていると、頭から否認しつづける人々に対して、私は正直いって疲れてしまった。
真実を語ってくれる科学者たちがいるにしても、だれもあまり注意をはらわない。保守的なNHKでさえ、気候変動の危機を明らかに伝えている。それでもまだ私たちは真剣に受け止められない。
人類が存在しないかもしれない未来もありえることを、現実的に考えられない救いようのない種が人間なのだろうか。「しようがない」というひと言で問題を片づける人たちは、「世界の終わり」について語るのは時間のムダだと思っているのだろうか。
確かに終焉を迎えても何も起こらないという意味であれば、終焉について語っても何の意味もないだろう。だが、実際にはそうではないと思う。現状を冷静に分析し、ほんの少し先の未来のことを考えるならば、そのことにだれもがいずれは気づいていくだろう。そのために本書をここまで書き進めてきたのだ』。
マヤ暦・SEDONAより
マヤの世界観を超えて(必読)
コペルニクスとガリレオが地動説,惑星は地球でなく太陽の周りをまわっていることが実証され,ニュートンが惑星の動きを支配する法則を発見したときから占星術はにわかに信じられないものになりました。
どうして他の惑星の天空上での見かけの位置が人間になにかしらの関係をもつことができるのでしょうか?ホーキンズ博士は分析しています。
出生天宮図はホーキング博士の本(ホーキング未来を語る・アーティストハウス社)にも載っています。そしてこう書かれています。「今月は射手座に火星がある。あなたにとっては自己の認識を深める時となるであろう。火星はあなたに,他の人と反対でも自分が正しいと感じる事に従って生きるように求めている。あなたの人生と関係する太陽系チャートの位置に土星が20回目にやってきたとき,あなたは責任をとることを求められ,困難な人間関係に直面することになるだろう。しかし,満月の時,あなたはすばらしい洞察力を獲得し,あなたの人生を変えるような予見を得ることができるだろう」
占星術師は賢いですから対人関係が強められるでしょう,といった預言は間違っているとは証明できないのです。
占星術のことは天動説の時代に盛んに行なわれました。ホーキング博士は明らかにこの占星術に否定的なことは前の記事を読めば納得できるでしょう。しかし占星学となると話は別です。
月はカキを養い,ウニを満たし,貝と動物達に肉を与えるとはルシリウス(紀元前180−102年)の言葉です。またルイ・パスツール(1822−1895)は「生命の支配力は,形態と,宇宙の運行との関係における核配列として組み立てられている」とも言っています。
実験によると,プラネタリウムの中で放たれた一群の鳥は,星をたよりに「正しい」方向に飛び立ちました。鳥達は羅針盤によらず,明らかに星座によって導かれているわけです。よく空を見上げると鳥が整列縦隊で飛んでいますね。先頭は隊長で大きな鳥の形をして飛んでいます。
鶏(にわとり)の受精卵は太陽の運行に対応して変化します。天体の時計の機能はたとえそれが目に見えなくても働き続けています。シオマネキなどは月の位置に応じて色を変えたり卵を産んだりします。また女性が受胎するのは太陽と月の位置関係が彼女の出生天宮図に現れたのと全く同じになった時だという説もあります。
僕は女性ではありませんので,女性の月経周期のことは良く知りません。月経終了後14日めから三晩の間,寝室の電灯をつけたままにすることによって,月経周期を規則的にするなどということも行なわれているそうです。今では多くのことが月の位置の変化,新月か満月か,地平線の上にあるか下にあるか,など地球に住む人間は呼吸,再生に至るまで多くの機能が地球外の力の影響を受けている事が実証されています。太陽と月の関係です。
太陽暦と月暦(旧暦)があるようにこの関係を学ぶことは大切です。グーテンベルグが印刷機を発明して聖書が印刷され,もっとも喜んだののはノストラダムス(1503−1566)でした。本名はミッシェル・ド・ノートルダム。彼を一躍有名にしたのは,「センチュリーズ」という預言書の出版でした。
フランス革命,イギリス革命,第二次世界大戦まで含めてすべてぴたりとあてています。なぜでしょうか?1556年彼はフランスの宮廷に招かれてフランス国王シャルル9世の母后カトリーヌ・ド・メディシスから,その子供達の出生天宮図を描くことを任されました。メディシスはその後「星の力で,全世界の出来事を殆ど超人的に書くことに相応しいのは,この世で彼ただ一人と持ち上げています。
出生天宮図は,新しく生まれた赤ちゃんが自分の生まれた瞬間,その場所から見えるはずの天の地図で,地平線の下の見えない部分は含んでいません。恒星も含まれていません。占星学では主として10個の惑星を問題とします。ここが占星術と違うところです。
占星学的な取り決めで,出生天宮図の中央の小さな円は地球を意味します。地球は私達の生まれ,生活している場所ですから,地図の出発点です。地球の周りには黄道宮があり,それぞれの宮は30度ずつに区分されています。この黄道に沿って,占星学の本質をなす力ー惑星ーが運行します。それらは異なった速度で黄道十二宮の一つの宮から次の宮へと終わる事のない円を描いて通過します。
移動する惑星が,地球を加えて形成する角度は,いつでも計測されます。占星学では,誕生の瞬間はその人の人生における決定的な瞬間と受け取られていますから,出生天宮図に現れる角度の計算で,その瞬間に惑星が天にどう現れたか正確に記録します。つまりその人の出生天宮図は,生まれた時と場所に特有な宇宙の活動パターンです。
ミトラ教聖地跡にあるバチカンに描かれている12黄道宮(出生天宮図)。8角Ωであり上は夏至,右は春分,左は秋分,下は冬至となっている。
1.上昇点もしくは上昇宮 誕生の瞬間に東の地平線上に昇る宮のこと。ここでは魚座の24度が示されています。いったん上昇点が計算されれば,他の宮は図の円周に沿って決められた順序で並びます。
2.第一室の境界線。出生天宮図の内側の円は12に等分割された室になっています。第一室は東の地平線の下30度の区域を占めている。境界線がその出発点になる。
3.月の交点 交点というのは月が黄道を横切る南北の点のこと。北交点は魚座に示され,南交点は反対側の乙女座に示されています。
4.惑星の絵文字 惑星の絵文字(ここは土星)が出生天宮図の周囲に配置され,誕生の瞬間その正確な位置は数字で示されている。
5.南中(MC)あるいは天の中央 南中というのは,誕生の瞬間に黄道がその人の子午線を横切る点のこと。一般的には南中は空の頂上の点を指します。
6.宮の絵文字 ここに示されたさそり座のような宮の絵文字は,上昇点が計算された後で出生天宮図の周囲に記入されます。絵文字というのは昔の速記の形です。
7.下降点 地平線の上昇点と反対側にある点のこと。西の地平線の下に沈む黄道帯の度のことで,ここでは乙女座24度で示されています。
8.座相線 出生天宮図上の座相線は,地球から見た惑星間の特殊な角関係を明らかにしたもの。座相は運命判断に際して最も重要なものです。
9.地平線 この線は出生天宮図を二分します。惑星は地平線上の上
(図の上半分)に現れるか,その下に現れるかします。ここでは,太陽の位置が,誕生の時間が真夜中過ぎであることを示しています。
10.北中あるいは天の最低 これは出生天宮図上での南中(天の中央)の反対側にある点のこと。誕生の瞬間,この点は大体その人の足の真下に位置します。
11.宮の境界線 宮の境界線は新しい宮の出発点を示します。この図の境界線の真上に現れた惑星は双子座0度となり,牡牛座30度ではありません。
12.室の分割 十二宮はその人の様々な領域ー財産・職業・家族などーに関係するものです。ここでは室の等分法を採用しています。
恒星の出没時間の計算
PS:これらは出生時刻が正確にわかりませんと,GMTグリニッジ時間を恒星時への変換が出来ません。これから生まれる赤ちゃんの生まれる時間は先生に前もって確認されることをおすすめします。和製の出生天宮図は市販されていると思います。ですからここに書かれていることを頭に入れてその類の書籍を買い,勉強されることをおすすめします。
宇宙の人間原理
原文はここから
宇宙とコスモロジー
『宇宙は英語では普通はユニバースというが、整然とした法則性のある世界という意味での宇宙をコスモスという。コスモスの反対の言葉はカオスつまり混沌である。そのほかに宇宙はワールド、スペースとよばれることもある。スペースとは太陽系空間のように、ロケットなどでいける宇宙であり、宇宙空間とも訳される。
宇宙論とは英語ではコスモロジーといい、科学の世界では、この宇宙の構造とか進化を調べる学問のことである。しかし人文科学の世界で用いられるコスモロジーという言葉は宇宙観、世界観ともいうべきもので、かならずしも物理的な宇宙ではなく、われわれの住んでいる世界に対する見方といった意味に用いられる。
コスモロジーの拡大は人間の認識の拡大にともなっている。人間が誕生してから成長するにしたがって世界が広くなる。生まれたばかりの赤ん坊の世界は自分と母親である。成長するにしたがって、家族、隣近所、地域社会、国、地球というように認識が広がっていく。コスモロジーの拡大ということもできる。子供や子供っぽい大人にとっては、世界の中心は自分である。つまり自分という存在を客観的に、つまり他者の目を通して見ることはできない。真の大人とは客観的な物の見方ができる人間のことであろう。それと同様に、人類自身もその認識の進歩に伴って、物理的宇宙に対するコスモロジーも拡大してきたのである。
古代のコスモロジー・・・天動説
ギリシャ時代のコスモロジーの主流は天動説である。これはギリシャの天文学者により唱えられ、そして偉大な哲学者であるアリストテレスにより体系化されたものである。その後エジプトの天文学者プトレマイオスにより壮大な理論として体系化された。天動説によれば、世界の中心には地球があり、そのまわりを月、太陽を始め金星、水星、火星、木星、土星といった諸惑星がまわっている。これらの天体はガラス球のようなものに張りついているとされた。しかし観測の進歩とともに、地球を中心とする円運動だけでは、これらの天体の運行を説明できないことが分かってきた。そこで天球のうえにさらに周天円というものが重ねられ、天体はさらに複雑な動きをすることになった。プトレマイオスの体系によれば、さらに複雑な運動が付加されている。このように天動説は観測を説明するために、たくさんのパラメターを導入したことに対応している。
天動説の思想史的な意味について述べよう。人間は地球に住んでいるのだから、天動説は地球中心説、ひいては人間中心説であるともいえる。西欧中世を支配したキリスト教の教えでは神がこの世界をつくり、人間をして世界を支配させるようにその他の被造物を作ったとされている。だから人間が世界の中心にいるとする天動説はキリスト教の教義とも合致して、支配的思想になったのである。
地動説への転換と人間の没落
ルネッサンスになりポーランドのコペルニクスは、世界の中心は太陽であるとする地動説を唱えた。世界の中心に太陽があり、そのまわりを水星、金星、地球、火星、木星、土星が回っているとするのである。月は地球のまわりを回転している。ギリシャ時代から天体のだいたいの大きさは知られていたから、大きな太陽のまわりを小さな地球が回転するのはもっともらしいと考えたのであろう。
科学的な理論の正当性は、さまざまな現象をすべて矛盾なく説明できるかできまる。もしふたつの理論が同一の現象をどちらも正しく説明できるとすれば、より単純なほうの理論を採用すべきである。その点、初期においては天動説のほうに歩があったが、簡単さにおいては地動説がすぐれている。しかしガリレオが望遠鏡を作って、天動説では矛盾するさまざまな現象を発見したので、科学的には地動説が圧倒的に有利になった。
思想史的な観点でいえば、キリスト教の根本を否定する地動説が教会により弾圧されたのは当然のことといえよう。天動説では世界は有限で、惑星天の外には恒星天があり、宇宙はそこまでしか存在しないとされていた。コペルニクス自身はこの宇宙の有限性はそのままひきついだ。しかしイタリアのジョルダノ・ブルーノは世界の大きさは無限であり、太陽といえど多く存在する恒星の一つにすぎないと主張した。そして宇宙は一様であると主張した。こんな考えを宇宙原理とよぶ。現代宇宙論もこの宇宙原理を採用している。 地動説の思想史的な意味は、人間の相対化である。つまり人間はこの宇宙においてもはや中心的な役割を担わないのである。近代科学の思想はこの延長線上にある。地球とか人間はこの世界において中心ではなく、その存在はいわば偶然的なもの、それほど重要でない平凡なものとされている。その意味でこの思想を平凡性の原理とよぶこともできる。これは近代、現代の科学の中心思想である。つまり地動説への転回により、人間は世界の中心的地位から放り出されたのである。
現代宇宙論はこの線上にある。観測によれば宇宙が一様で等方的であるとする宇宙原理は非常に良い精度で成り立っていることが知られている。宇宙原理を仮定して、アインシュタインの一般相対論の方程式を解くと、宇宙の構造がわかる。それによると宇宙はいまからほぼ百億年まえに非常に高温度、高密度の状態から始まった。そして大爆発を行い膨張を開始して、現在も膨張を続けている。このような宇宙の始めをビッグバンとよぶ。宇宙膨張にしたがって温度が低下し、銀河、星などの天体が出現した。そして太陽がいまから46億年前に誕生し、いまから35億年ほど前には原始的な生命が誕生した。数億年前から高等な生物が出現し、そこから哺乳類、人類の誕生へと続いている。これが宇宙の進化である。
人間原理と人間の復権
現代宇宙論、さらには現代科学において人間は中心的な役割をしめていない。しかし最近、この世界における人間の重要性を指摘する立場が復活しつつある。ニューサイエンスと称する分野もそのひとつではあるが、筆者はその立場はとらない。
別の人間中心主義として人間原理が一部の宇宙論学者によりとなえられている。人間原理とは一言でいえば、この世界がこのような姿をしているのは人間がいるからだという考え方である。このような姿とはなにか。それにはさまざまな側面が有る。たとえばわれわれの宇宙はビッグバンにおいて膨張を開始して以来、百億年になるがなぜこのように長い時間なのか。どうして1万年ではないのか。光速度はどうして秒速30万キロメートルなのか。秒速1キロメートルではいけないのか。どうして空間は3次元であり、たとえば5次元ではないのか。このような一見とんでもない質問にこたえるのが人間原理である。
人間原理によれば、宇宙の存在は人間、さらに一般的には知的生命の認識にかかっているという。もし知的生命のいない宇宙があったとすると、その存在は認識されないのだから、存在しないのも同然である。
この立場は天文学でよく言われる選択効果の一種である。選択効果とは、観測にかかりやすいものをよりとりあげてしまうことである。たとえば星の光度の分布を観測したとすると、観測結果そのままでは明るい星を数え過ぎることになる。明るい星は遠方にあっても見えるのに、暗い星は近くになければ見えないからである。たとえば、ある問題に関する意見の分布を見る時に、積極的に発言する人の意見ばかりきくのは片手落ちであるのと同様だ。ノイジー・マイノリティの意見とサイレント・マジョリティの意見は必ずしも同じではない。真実を知るには選択効果の影響を考慮しなければならない。われわれの宇宙自身も人間に観測されているということ自体で偏りがあるかもしれないのだ。
ディッケの弱い人間原理
人間原理には学者によりさまざまな立場がある。アメリカの宇宙論学者ディッケは、現在の宇宙の年齢(ほぼ百億年)と太陽のような平均的な星の寿命が一致するという事実に注目した。宇宙には水素、ヘリウムから始まりウランにいたるさまざまな元素がある。人間を構成している元素は水の分子を構成する水素を除けば、炭素、酸素、窒素を始めとする元素である。水素、ヘリウム以外のこれらの元素は天文学では重元素と呼ばれている。この宇宙では水素が70パーセント程度、ヘリウムが25パーセント程度で重元素は3パーセントしかない。しかしわれわれにとって、この僅かしかない重元素は重要なものである。地球を構成する元素はけい素、鉄、ニッケルとうの重元素である。
これらの重元素は宇宙の始めには存在せず、星の内部で合成され、それが星の爆発によって外部に放出されたものである。われわれの銀河の内部では星が生まれては、その一生の最後に爆発し、まわりの星間ガスに重元素を付け加え、そこからまた新しい星が生まれるという輪廻転生を行っている。だから重元素ができるためには、すくなくとも星が一世代交替しなければならない。だから宇宙の存在を認識し、うえのような質問を発する人間が発生するためには百億年程度の時間は必要なのである。つまり宇宙の現在の年令は百億年であるのはなぜかという質問に対しては、それはわれわれがいるからだと答えるのである。このようなディッケの立場を「弱い人間原理」とよぶ。
カーターの強い人間原理
カーターはさらに物理定数の値についてさまざまな考察を加えた。たとえばプランク定数、光速度、基本電荷などが現在の値をとっているのは、もしそうでなければ炭素原子のエネルギー順位が変化し、炭素の原子価が変わって、生命を構成する有機物ができないからであると論じた。このような立場を「強い人間原理」とよぶ。
空間がもし3次元でないとすると、安定な原子が存在しないことも知られている。このようにわれわれの世界は絶妙のバランスの上に成り立っていることが分かる。それは神がそうしたからではなく、そうでなければ人間が存在せず、人間が存在しなければ、認識されないのである。認識されない宇宙はあってもないのと同様である。こんな立場が人間原理である。
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