孫文が揮ごうした書に見入る中国のテレビ取材班=1月、北九州市の「いのちのたび博物館」
中国のテレビ取材班6人が、北九州市の「いのちのたび博物館」を訪れたのは1月22日のこと。目当ては「世界平和」の扁額(へんがく)だった。
「辛亥革命が成功したお礼に、孫文が1913年に北九州市を訪れ、安川敬一郎に贈ったものです」。会議室でライトを浴びた学芸員の古谷優子さん(30)が、やや緊張気味に説明する。
中国中央電視台が10月に放送するという孫文特番の取材。「いい字ですね」。ディレクターの沈芳さん(51)がうなずく。孫文は亡命先で書を多く残したが、特に日本人へのメッセージを意識したのだろうか、「世界平和」と書いたものは珍しい。一昨年に来日した中国の習近平・国家副主席も見に来たほどだ。
安川家から寄贈を受け、これまで見学には許可が必要だった扁額は、4月9日から約2カ月間の企画展で、初めて一般の目に触れる。
「孫文の足跡が身近にあるって、ほとんどの人が知らないですもんね。解説など、しっかり準備しないと」。古谷さんの声が弾む。
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安川敬一郎は、炭鉱経営などで財をなし、今や産業用ロボットのトップメーカーに育った安川電機を15年に設立した。私財を投じ、09年に開校した明治専門学校(現九州工業大)も創設。孫文にも、資金を援助した。
安川と孫文を結び付けたのは、福岡市に拠点を置いた政治結社「玄洋社」。安川はその出自から、旧福岡藩士が中心となってつくった玄洋社に籍を置き、玄洋社は、「大アジア主義」を唱えた孫文を支援した。
「貴重な“遺産”を埋もれさせたままではもったいない」。財団法人福岡アジア都市研究所の市民研究員、羽野博晴さん(56)はこの1年、福岡市近辺に残る孫文ゆかりの文物を調査してきた。
孫文は13年に、玄洋社墓地がある崇福寺や九州帝国大学医科大学(現九大医学部)なども訪ねている。「これらを中国人留学生に案内してもらい、観光客誘致につなげたい」。羽野さんは5日の成果発表会で同市に提言する予定だ。
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見過ごされてきた孫文の足跡の見直しが進む。辛亥革命を、学術的に再考する動きもある。
福岡ユネスコ協会や東アジア近代史学会などは10月、辛亥革命がアジアに与えた影響を多角的に検討するシンポジウムを福岡市で開く。
孫文研究を続けてきた兵庫県立大の陳来幸教授(54)は「今後も日中のさらなる提携は不可欠。『大アジア主義』や革命の影響をもう一度考える意味はある」と話す。
通貨などで一つにまとまる欧州に対し、国や地域間の摩擦が続くアジア。特に日中関係の基盤は脆弱(ぜいじゃく)だ。
千葉商科大の趙軍教授(57)は「あの時代の知恵と国境を超えた理念。今日の私たちも、啓発を受けられるはず」と再研究の意義を話す。
「革命いまだ成らず」の言葉を残し、25年に世を去った孫文。訴えた「東洋平和」「アジアは一つ」の理念は今、未来に向けて再評価が進もうとしている。
=2011/03/04付 西日本新聞朝刊=