2009/7/29
「ある日突然」
ある日の午後池袋サンシャインの水族館は親子連れでごったがえしていた。今ではこのビルが「巣鴨刑務所」の跡地であったことを知る人もめっきり少なくなった。
ある日突然A級戦犯で拘束されていた「岸信介」「笹川良一」「児玉誉士夫」の三人が米国特務機関によって自由の身になった。岸は戦時中の内務大臣,児玉は中国大陸で制服の威力で阿片の取引によって財をなし松本清張「けものみち」のモデルとして知られる「右翼」のドン。
笹川良一は統一協会の地盤を確固たるものにした。写真は文鮮明主宰の統一協会の集まりに笑顔で参加する岸信介。
福田赳夫元首相(故人)と文鮮明。このような流れは今も続いている。
文鮮明は莫大な献金によってニクソンに近づいた。ニクソンはキッシンジャーを介してロックフェラーに紹介したがアメリカの国益に資する日本の指導者を選ぶというCIAの利害関係が見事に一致した。何も契約書が存在するわけではないが日本の代理人は統一協会と決まった瞬間でもある。協会員たちはその末端に至るまで価値ある食いぶちとしてまるで灯に群がる蛾のごとく膨張した。
正力松太郎もそうだった。メディアを抑えるのは常套手段。
代理人は,彼らの忠義を彼らの国ではなく,風の征するモレア=イルミナティに捧げるのである。彼らの狙いは彼らの愛すべき国を破壊して,その殺戮から利益を得ることである<ヘンリー・マルコウ>。
統一協会に価値あるくいぶちとしての賛辞を送る売国奴たち参照
児玉機関の関連記事
笹川は公認の博打(競艇)のドンとなり現在は日本財団として引き継がれている。裏話として児玉が金塊や現ナマでGHQと裏取引をしたとされる。日本で反政府運動が起きつつあり,社会主義運動ともかさなり 危機感を抱いた米国特務機関(G2-Dとして知られるドーマン機関)はCIAと調整し3人を釈放することで利害が一致した。
A級戦犯が13階段を上った1948年12月24日のクリスマスイブ,発狂した東条英機は天皇陛下万歳を繰り返していた。翌日男達は三名にタバコをすすめていた。「いいか,お前達,よく聞くがいい。13階段で死ぬ人間はあと三名残っている。これからお前達に言う役割を忠実に実行するならば明日釈放しよう,You son of the Bitches!と。三名はションベンをちびりながら「Yes,I do」と小さな脅えた声で返答した。男達が姿を消した瞬間三名は号泣した。アメリカに魂を売り,日本を売った瞬間である。東条英機の収監されていた横に居たのはB級戦犯細谷義男。岸の後輩で内務省の高級官僚であった。戦時中は司政官をしていたが4年前に狂死した。この男は母が再婚した相手である。
あまり知られていないが戦時内閣の大蔵大臣賀屋興宣(かやおきのり)がいる。戦犯として13階段直前で終身刑となり1955年釈放され,1958年に赦免され岸の側近となり自民党外交調査会のキーパーソンであった。いわば米国のCFRの日本版と言ったほうが分かりやすいであろう。
児玉の資金はCIAの資金とともに児玉機関をつくった。そしてありあまる資金で自由民主党は発足した
東西冷戦時代の1960年代後半に、自民党の岸信介(安倍晋三の祖父)や右翼の児玉誉士夫、笹川良一らの協力を得て、教団は反共主義の政治団体、「国際勝共連合」を韓国と日本で設立。共産主義を神と人類の敵として徹底的に批判し、それぞれの国の与党や保守勢力を支援し、関係を深めた。
岸信介は日米安全保障条約の締結 笹川良一は多様な役割 児玉誉士夫は天皇制護持の役割を与えられた。戦後の日本のドラマは米国の東アジア太平洋地域の極東戦略図の中に刻印を押されることになる。
それを間違いなくうらずける資料として面白い記述がある。ヘンリーキッシンジャー(ベトナム戦争当時の国務長官)が引退後書いたMY WHITE HOUSE YEARS があるが原書版333ぺージにこう書いている....Sato arrived at the White House on November 19,1969.He represented a country that had rested its entire security and foreign policy upon the United States.(佐藤は1969年11月19日ホワイトハウスに到着した。彼はその安全保障と外交政策の全てを米国に依存している国を代表して来た。)また面白いことにキッシンジャーは和平条約締結当時の北ベトナム政府代表団の毅然とした態度を褒めちぎっていたのが印象に残った。個人的にもテレビに映ったあの時の女性外務大臣の堂々とした態度には感動した記憶がある。
三人の釈放は東条英機などが絞首刑になった1948年12月24日の翌日である。岸はその後保守合同実現し,自由民主党が生まれ 55年体制と呼ばれる政治の暗黒時代が続く。いわゆる保守合同に名を借りた「米国傀儡政権」の誕生である。それは政治だけではなく 教育 文化 すべての分野において介入された。
戦前の駐日大使館付(ジョセフ・グルー大使)であった米国特務機関工作員ユージー・ドーマンを中心とする米国対日評議会(ACJ)はGHQの民生局(GS)にたいし圧力をかけ占領政策の主導権は治安情報局(G2)に移った。このG2が通称ドーマン機関人脈と呼ばれている。
1957年岸内閣成立 G2のD機関は同時に動き出した。その後長い年月が経過した。集団的自衛権を認めさせ, 北朝鮮攻撃をもくろんでいたD機関は しびれをきらし新進党をつくらせ 集団的自衛権の成立をせまった。
しかし一度は行使を認めるといった男は,急に自説を翻した。米国の北朝鮮爆撃は一歩も二歩も後退した。翻した男を米国は見限った。米国にとって真の意味での味方はいなくなった。あとは日本の政治家 大蔵省 日銀の弱体化を図るしかない。
CIA工作員の多数入り込んでいるY新聞は川崎市の助役をリクルート事件でスクープした。芋ずる式に実力政治家は失脚した。米国の許可を得ない外交をした政治家は次々罠にはまっていった。ある政治家は謎の死を 中国と勝手に国交回復した罪でロっキードでは手先のコーチャンの罠にかかり 北朝鮮にわたり金日成にあった金丸も脱税という罠をしかけられた。これで一応大物は始末できたが あとはだんだん知恵をつけてきた国民と共産主義勢力をどうするか。
反共対策の手先であるフジ産経グループのフジテレビに触手を伸ばし, 軽薄番組を夜の八時に全国放送することによって若者の白痴化をはかる。いわゆる軽チャー路線がはじまった 他のテレビ局も追随し 今では類を見ない軽薄番組が多数を占めている。教養的な番組は視聴率が全く伸びない これに輪をかけるように偏差値教育が取り入れられた。とにかく選挙の投票へ行かないでくれれば自民党安泰なのである.
森前総理が言っていた言葉を思い出してください(選挙当日寝ていてくれたらいいと口をすべらせた)。G2のD機関は今も虎ノ門にある巨大な米国大使館内にあり 日本のすべての報道 雑誌新聞などすべて監視下にある。
そんな中何も知らない天真爛漫な「ほりえもん」はフジテレビに仕掛けた。必然的にD機関は検察にも触手を伸ばした。堀江をやれ。見えない像 聞こえない声は 誰にも見えないし聞こえない。
佐藤栄作元総理はその後ノーベル平和賞を受賞した。受賞した理由は米国の望むままに沖縄を引き受けたからだ。核は残された。あるのにないという国会答弁は何百回聞いたことだろう。
1989年日本のバブルは絶頂期を迎えた。ついに米国ユダヤの逆鱗にふれるときが来た。三菱地所がユダヤの象徴ロックフェラーセンターを買収した。日本はいつの時代も最後は平衡感覚を失う。
国務省はジョウジソロスに税金免除と引き換えにヘッジファンドを手先に日本の株式市場つぶしにかかった。いわゆる確立微分方程式を駆使した「裁定取引」が始まった。日経平均は無残な下がり方を続けた。1993年クリントン政権下の財務長官ルービンはクリントンの全幅の信頼を受けある策謀を計画していた。
1995年になると米国の累積国債発行残高(赤字国債)は4兆9000億ドル 国債の支払い金利が6.5パーセンとして3185億ドル 円にして約41兆円(当時)これが当時の年間の利払いです。1995年9月の赤字はGDPの69パーセント。このまま行くと1997年には累積赤字がGDP比100パーセントになりドルの紙くず化は目前でした。ニュウヨークダウを限りなく上げ 分母であるGDPをあげないと米国は崩壊する。
ウオールストリート(元ゴールドマンサックスの会長)出身のルービンはその条件として長期金利を下げ株を上げるためには 猛烈な円高に持って行く。外国為替特別会計という特殊な法律を持つ日本の当局は徹底してドル売りに対してドルを買ってくる。 買ったドルが米国債に流れ込む仕組みは出来ていた。
日銀をあざ笑うかのように最後はノックアウトオプシオン80円(80円を瞬間的にでも割ればすべてを失うゲーム)を組み日本企業に売り込んだ。 ほとんどの企業が罠にはまった。一番悲惨だったのは当時の日産自動車であった。その後ゼロ金利となった円をシンガポールのユーロ市場で調達し タックスへブンを通して米国に還流した。そしてダウは1万ドルをこえた。
ゼロ金利政策で老人の預金はあぶりだされ株式の暴落で多くの老人は一文無しとなった。これが金利をあげられないからくりです。まさに人間の草刈場となることによって米国は生き返った。(と言っても一時的に)
参考:The Men behind Barak OBAMA
『占領日本を支配したダグラス・マッカーサー元帥は,CIAをその草創のころから嫌い,信用していなかった。1947年から50年まで,東京のCIA支局を極力小さく弱体にして,活動の自由も制限していた。元帥には同時のスパイ網があったのだ。広島、長崎に原爆を投下した直後から構築し始めたものだった。CIAはこのスパイ網を,元帥から受け継ぐことになったが,これはいわば毒の盛られた遺贈品だった。
マッカーサーを軍事諜報面で補佐していたのはチャールズ・ウイロビー少将だった。ウイロビーの政治的立場は,米陸軍の将官の間では最も右よりであった。ウイロビーは1945年9月,最初の日本人スパイをリクルートすることで,敗戦国日本の諜報機関を牛耳ることになった。この日本人スパイは,戦争終結時に参謀本部第二部長で諜報責任者だった有末精三である。有末陸軍中将は1945年の夏,戦勝国に提出するための諜報関係資料を秘密裏に集めていた。
それが,敗戦後自分自身の身を守ることになると考えていた。多くの高位にある軍人同輩と同じように,戦争犯罪者として起訴される可能性もあった。が,有末はかつての敵の秘密工作員となることを自ら申し出たのである。それはドイツのラインハルト・ゲーレン将軍がたどったのと同じ道だった。ウイロビーの最初の支持は,日本の共産主義者に対する隠密工作を計画し,実施せよというものだった。
有末はこれを受けて,参謀次長の河辺虎四朗に協力を求め,河辺は高級指揮官のチーム編成にとりかかった。1948年,アメリカの政治戦争の生みの親であるジョージ・ケナンは,日本については政治の改革よりは経済の復興の方がより重要であり,実際問題としても,実現が容易であると主張していた。日本の産業界を解体し,解体した機材を戦争保障のために中国に送る,共産主義者が今にも中国を制覇しようとしているときに,そうした措置をとることにどういう理屈があるのか,とケナンは問いかけた。ケナンの力によって,アメリカの対日政策は1948年までに急転換を遂げた。日本の当局者に対する戦争犯罪訴追の脅威と占領の懲罰的な性格は,緩和され始めた。これでウイロビー指揮下の日本人スパイにとっては仕事がやりやすくなった。
ウイロビーはその年の冬,暗号名「タケマツ」という正式な計画を発足させた。この計画は二つの部分に分かれていた。「タケ」は海外の情報収集を目的とするもの,「マツ」は日本国内の共産主義者が対象だった。河辺はウイロビーにおよそ一千万円を要求し,それを手にした。スパイを北朝鮮,満州,サハリン,千島に潜入させること,中国,朝鮮,ロシアの軍事通信を傍受すること,それに中国本土に侵攻して制覇したいという中国国民党の夢を支持し,台湾に日本人の有志を送り込むこと,などを約束した............CIAはその実体を知り,驚愕する。日本人スパイは諜報網などというものではなく,右翼団体の復活を狙う政治活動であり,同時に金儲けのためのもの,とうのが結論だった。「地下に潜った右翼の指導者」は諜報活動を「価値ある食いぶち」とみなしていた,とCIA報告は当時の状況を要約している。
アメリカの諜報機関が日本で行った「お粗末な仕事のやり方」の古典的な見本は,政治的マフィア児玉誉士夫との関係だった。児玉は1911年生まれ,21歳の誕生日を迎える前に,帝国議会議員に対して殺害の脅迫をしたかどで五ヶ月間,投獄された。21歳のとき,暴力団・右翼反動派の集まりである「天行会」とともに政治家と政府当局者に対する暗殺を計画したが発覚,投獄されたが,四年と経たないうちに釈放されて極右青年運動に着手,これが戦前の日本の有力な保守派の指導者の支持を得た。
戦時中は上海に足場を置き,五年間にわたって戦時の最大規模の一つと言われる闇市を取り仕切った。占領中の中国を舞台に数千人の工作員が,戦略金属から阿片に至るまで,日本の戦争遂行機関が必要とするあらゆるものを買い付け,盗み取った。戦争が終結したとき,児玉の個人財産はおよそ一億七千五百万ドルに上った................児玉は1948年,アメリカ占領下の拘置所から釈放され,日本の政治の行く末に重要な役割を果たすことになる.......アメリカがその狙いを達成するのを助ける,真に強力な日本人工作員を雇い入れるまでには,さらに数年を要することになる。その任務はまさに,アメリカの国益に資する日本の指導者を選ぶことに尽きていた。CIAには政治戦争を進めるうえで,並外れた巧みさで使いこなせる武器があった。それは現ナマだった。CIAは1948年以降,外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で,将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった』。<LEGACY OF ASHESより一部転載(文芸春秋発行:CIA秘録)
バフォメット=メンデスの山羊
現在日本は米国債をいくら保有しているかご存知でしょうか。国債ですから金利はつきます。半端でない金額です。それがどのように使われているのかご存知ですか。民主党もそのことに触れていません。というか全ての政党がそうです。ロンドンやバンコックなどでも早朝カラスなどは一羽も見かけませんでした。そんなこと駆除すればいいことなのにそれすら出来ない(やらない)国も珍しいですが食料品に消費税をかけても苦情がでない民は操縦しやすいことは間違いないでしょう。
このシナリオを描いているのは誰だ?
参考:ブッシュとナチの結託
時々東京方面へ出かけるとき電車に乗ります。最近は耳栓をかならずするようにしています。そうでないと精神に異常をきたすえげつない音の連続でたまりません。ロンドンやパリの地下鉄では遭遇しない音です。それらは一体何なのでしょうか?
翻訳・左から右に続く。「耳に入る規則的な高音に近い周波数は15,000Hzである。催眠状態音(voice)は,何といおうか,300Hz〜400Hzである。(アウトプットは空気,ラジオ,テレビを経由する)いかにして催眠をFM 音を使って,ターゲットに気つかれないように,伝達するかである。アウトプットは,いまや多少なりとも,耳鳴り程度の規則正しい音声である。(チップが埋め込まれた催眠を伴った場合)
脳は聴き,理解する。耳のみ,ややザーザーとした音色(tone)がする。...........注:これらを総合すると,テレビ,ラジオでもマインドコントローは現実に起こっていると考えられる。したがって,コントロール統合司令室の分室が,各国に配置されており,CMに変る時の周波数差を利用して, 超低周波数300Hz〜400Hzを出し,商品などを買わせる操作がされていると考えても決しておかしくはない。それは,核武装国民投票にも利用されることは,充分考えられる。
Defense Advanced Reserch Project Agency Logo
NSA(国家安全保障委員会)の下部組織・国防省DARPA(高等研究計画局)なお,マインドコントロールで重要な役割である,コンピューター・マイクロチップは,カリフォルニア工科大学(California Institute of Technology)によって開発された。
殺人的16分音符の6連符フレーズ
駅の発車音
◆殺人的16分音符の6連符フレーズ
普通,駅の発車音など,気にすることもなく流されてしまっているが,改めて耳をそばだてみると,生活の中に様々な音が導入されていることがわかる。「導入の意図」の検討にまで遡る必要があるだろう。
『週刊朝日』(5月1日付)の,「中央線で自殺多発は駅音楽のせい!?」という記事はその後,他紙でも後追い記事が出て,すでにかなり詳しく報じられた。
「耳に入ってくる音楽はすべて頭のなかで音符に置き換わる」という作曲家の玉木宏樹さんが主張していることなのだが,玉木さんは駅の発車音を各駅で聞いて,その場で5線紙に書き取っていた。以下は,玉木さんからうかがった話の要約。
●中央線沿線住民よ,怒れ!
新宿と渋谷の出発音は,ちゃんとした作曲家が関与して作成されたものだけあって,玉木さんの耳にも,新鮮でここちよく響く。それは5度調弦のバイオリンのアルペジオのような動きをしているのだが,なかなか耳コピーができなかったユニークなものだ。
今では両駅のフレーズは空んじてはいるが,強力な楽器用フレーズで,うたってみろといってうたえるものではない。こういう個性あふれるサウンドロゴは両駅のステータスにもぴったりで,ああ,今,いちばん旬の街に来たのだなあという印象を抱かせるものだ。
恵比寿,目黒,五反田は,うるさい16分音符が暴れ回り,しかも変なところで変拍子が入るため,なんでも楽譜化して聴いてしまう習性の自分に対しても非常に腹立たしいフレーズで,特に五反田は突然半音上に移調する,これぞ音の暴力だ。
最もひどいのが新橋で,中央線をゆうに凌駕するほどの殺人的16分音符の6連符フレーズが「ソミレドレミソミレドレミラミレドレミラミレドレミ」と絶叫する様は,死の直前のショパンの顔を思い出してしまうほど悲惨!後日,新橋で下車し,下の公園を歩いていてもその暴力性は容赦なかった。
これはショパン最後の三年間の曲ですが玉木さんはなぜ最後の顔を知っているのでしょう?さすが芸大ですね。
問題の中央線だが,東中野は4分音符で,「レミドソ レミドー」。ありふれているが,落ち着いていて,チャイムはこの程度のメロディでいいのだ。中野は,時間調整するために停車時間は長いのに,発車時間になってあの最悪の新橋状態が出現する。まさに「中央線,地獄の音楽攻めの入り口」である。
高円寺,阿佐ヶ谷は,トニックのコードがうるさくアルペジオをかき鳴らし始めたと思った途端にブッツと中絶される。非常に不快。あんな短時間しか鳴らさないのなら,絶対に音楽は必要ない。
荻窪は五反田と同じ「地獄型」で,西荻窪は高円寺状態で無神経極まりない。吉祥寺はかすかで判然としなかった。
中央線,地獄の音楽の集大成が完成するのが,三鷹,特急「かいじ」通過,武蔵境,小金井,国分寺,西国分寺,立川だ。
単なる注意喚起音でなく,大音響で表にしゃしゃり出で音符が自己主張を開始する。それも音楽の振りをして。
だれひとり,あの音の暴力を告発しないのか?中央線の住民よ,怒ってください。あれは精神にも体にも悪い音楽モドキなのだから。
●『純正律』を提唱する訳
いまは,ヒーリングミュージックと称して「体によい音楽」の押しつけが激しい一方,このような「体に悪い音楽」の追放がされていないなら,日本はますます荒涼とした神経症国家になってしまうだろう。
オウム事件以来の意味不明な殺人の増加にもその兆候は出ているともいえる。
最近は「癒やしの音楽」という言葉が定着しつつあるが,日本のヒーリングミュージック界は,アルファ波が出るといえば雪崩を打って我も我もとなるし,「アダージョカラヤン」がヒットすれば,「アダージョ」なんて「ゆるやかに」という意味のイタリア語に過ぎないのに,なんでもかんでも「アダージョ」になってしまう。
いま,五感を通してのリラクセーションが盛んになりつつあるが,いちばん重要な音楽には,スキームとマテリアルが欠如しているので,日本のヒーリングミュージックには方法論が一切ない無政府状態である。重要なマテリアルとして,純正律を提唱したいのである。転載おわり。上の原文はここですがトップページは削除されています。
NHKの時刻を告げるピン・ポン・キ〜ンという最後の高音の金属音は一体何のためにあるのか?あれを聞いて眠れなくなった人も多いという。ちなみにフランスでは最後はあがらない。さすが生活の質向上大臣がいる国です。昔そのフランスと20年半付き合ってきたが今は何の興味もない。
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