津波でタンクから油が流出し、大規模な火災が発生した宮城県気仙沼市鹿折(ししおり)地区。被災から4日たってもあちこちで火がくすぶり、住民たちは、灰じんと化した街を前に立ちつくした。気仙沼湾内の大島ではまだ火が消えておらず、孤立状態の住民たちが不安な避難生活を強いられている。
鹿折地区には大型漁船が市街地のあちこちに打ち上げられた。火に包まれた西側の一角は、元が何か分からない真っ黒ながれきの山で覆われている。住民が重機を使って、焼け跡の中に道を切り開き始めたが、多くはまだ我が家に近付けない。
「父が見つからない。どうやって捜せばいいのか」。会社員の男性(40)は自宅の焼け跡近くで、ぼうぜんとたたずんでいた。地震で一緒に逃げた父は、物を取りに帰宅した時、家ごと大波に流された。その後に立ち上った炎は自宅の痕跡すら消し去った。
激しい揺れ、すさまじい波、そして炎。「こんな事態になるなんて、想像もできなかった」。男性はいまだに眼前の現実が信じられないようだった。
大島の火災は13日夜をピークに鎮火傾向だが、今でも断続的に炎が上がる。「子供たちだけでも何とか避難させてほしい」。対岸から自宅のある島を見つめる養殖業、村上広志さん(40)はすがるように訴えた。大島は人口約3000人。このうち1000人は仕事などのため島を出ており、残された高齢者や子供を中心とする2000人が孤立状態になっている。
鹿折地区の火災で火のついた漂流物を介して大島にも燃え移ったとみられる。島からは透析患者が運び出されたが、多くの住民はそのままだ。男手が不足しているため、中学生たちが避難所への延焼を防ごうと、周辺の草を刈っているという。
家族を島に残し、気仙沼市中心部に仕事で来ていて被災した自営業の男性(62)は「島民の避難ができないなら、自分らを島に運んで消火させてほしい」と焦る気持ちを抑えられない様子だった。【前谷宏】
毎日新聞 2011年3月15日 東京夕刊