原発で一体何が起きているのか。12日午後、爆発音が響いた東京電力福島第1原発1号機。朝から避難指示圏内だった福島県大熊、浪江、双葉、富岡4町の住民たちは、バスや車に乗り込み、圏外に退避した。周辺市町の公共施設が避難した人々であふれる中、避難指示の範囲は半径20キロ圏内に拡大。夜には強い余震に見舞われたほか、近くの病院の入院患者や職員の中に被ばくした人がいたことも確認された。「これからどうなるのか」。住民に不安が広がった。
原発の北側に位置する浪江町の北西部。夕方、原発から煙が上がる映像がテレビに流れると、町立津島中に妻らと3人で避難してきた男性(57)は「原発が燃えているように見える」と不安な思いを口にし「食事もないし、ガソリンもないので動けない」と話した。学校には1000人以上が避難していたが、一部はさらに西へ車で向かい始めたという。
原発の南に位置する広野町に住む男性(62)は自宅で妻と孫の3人で待機しようと考えていたが、午後7時過ぎに避難地域が拡大されたと町役場から連絡があった。「避難指示が途中で変わり、余計神経がすり減る」と混乱する情報にいら立った。南にあるいわき市の親族宅に車で避難するといい「原発の爆発の詳しい説明もない。心労ばかりが募っていく」と疲れた声で話した。
同じ広野町の自宅にいた女性は「町役場から避難指示が出てびっくりした」と話した。「とりあえず、貴重品だけ持って今から出ます」。母や娘、孫ら家族5人で近くの児童館に避難するという。
原発の西側に位置する川内村では、村内17カ所に設けた避難所に村の人口を1000人ほど上回る約4000人が集まり、飽和状態になっているという。森雄幸教育課長(56)は「小学校に1400人いるが限界だ。トイレも詰まってあふれている」と戸惑った様子で語った。
村内で理容室を営む女性(57)は「テレビで情報を集めるしかない」と不安な様子。「自分たちはどこに逃げれば良いのか分からない。こんな怖い事態を想像したことは一度もなかった」と心細そうに話した。
川内村の北隣の田村市は、原発に近い大熊町から約7000人を受け入れた。避難所の体育館では、大勢の人たちが1台のテレビを押し黙って見つめ、爆発の前後を比較する映像が流れると「あー」とため息が一斉に漏れたという。
夜になり、原子炉には損傷がなかったことが分かると「すぐに帰れるかもしれない」と安堵(あんど)の声もあがった。しかし、直後に強い余震が発生し、原発に近い双葉町の病院で3人が被ばくしていたことも明らかになった。
1家6人で大熊町から避難してきた自営業、栃本信一さん(59)は「誰だって放射能は怖い。心配だ」と声を落とした。
一方、双葉町民を中心に約1100人が避難しているという川俣町の川俣小学校。電話口に出た男性は「ここではテレビも見られず、何も情報が入ってこない」と不安そうに話した。双葉町の病院の3人が被ばくしたと知ると、一瞬絶句して「もう忙しいので」とだけ言って電話を切った。
福島第1原発1号機で12日午後、爆発音とともに白煙が上がったことを受け、東京電力は都内で会見を開いた。しかし、詳しい状況について担当者は「分かりません」「確認でき次第お答えします」と繰り返し、具体的な説明はなかった。
東電によると、作業員4人はプラントに水を入れる作業をしていたところ、大きな音とともに白煙が舞い上がり、負傷した。命に別条はないものの1人は骨折、2人は打撲したとみられるという。
しかし、4人がどこでどのような作業をしていたのか、建物の損傷がどの程度なのかについては「4人は病院に向かっており話が聞けない」「建物の被害はテレビでしか確認していない。作業員を今向かわせている」などと回答した。
原発周辺の地域が今後、居住できるのかについて尋ねられても「評価は今後検討します」とだけ述べた。
その後、藤本孝副社長らも会見し、今回の事態を陳謝した。小森明生常務は白煙は爆発に伴うものとし、住民に対しては「避難していただき心苦しい」と苦渋の表情を浮かべた。
しかし今後の見通しについては「申し上げられない。変に大丈夫だとも言えないが、普段の状況に早くしたい」と述べるにとどまった。枝野幸男官房長官が会見で、原子炉格納容器の爆発ではなく、水素爆発で原子炉建屋が吹き飛んだと発言したことについても明言を避けるなど、慎重な言い回しに終始する場面も目立った。【奥山智己、池田知広】
毎日新聞 2011年3月13日 東京朝刊