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福島原発震災 チェルノブイリの教訓(2)子どもの甲状腺被曝検査の継続を

ダイヤモンドオンライン 2011年4月5日配信掲載) 2011年4月6日(水)配信

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 チェルノブイリでは爆発事故(1986年4月26日)の翌日、4月27日に半径10キロ圏内が避難地域に指定された。当初はフランスの基準だったのである。

 6日目の5月2日に30キロ圏に拡大されている。つまり、重大事故の避難地域はチェルノブイリで30キロに拡大されたわけで、ポスト・チェルノブイリ時代のいま、人類の経験はこのチェルノブイリ基準しか参考になる尺度はないのである。

 チェルノブイリ4号炉はいきなり爆発して放射性物質が大規模に飛散したので、初日の放出量がいちばん大きく、2日目から低下し、6日目の5月2日にはかなり低下している。したがって6日目の30キロ圏避難命令は遅すぎた。すでに避難対象の住民13万5000人が被曝した後だったのである。避難区域以遠を含めると、被曝したのは500万人といわれている(IAEA、2005)。

 その後、7日目の5月3日から再び放出量が増加し、10日目の5月6日にピークとなり、5月7日に急速に落ちる。この間、必死の放射線防護作業が行なわれていた。

 チェルノブイリ原発事故ではどのような防護作業を行なったのか、これは次の機会に報告することにしよう。

 チェルノブイリの知見では、放射性物質は同心円状に飛散するのではなく、30キロ圏外でも局所的に放射性降下物が多く検出されている。北東に100キロ離れたゴメリ(現ベラルーシ)で原発近辺と同じくらいひどく被曝したことが知られている。これをホットスポットという。ホットスポットは他にも南西部に現れることになった。

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