【あの人は今こうしている】
5年半ぶりの新曲のプロモーションビデオを大林宣彦監督に撮ってもらって大喜び。
【芸能】
2011年4月8日 掲載
●松原愛さん
ワイドショーがテレビの花形だった時代、各番組には名物リポーターがいた。75年10月から92年3月まで続いた「独占!女の60分」で12年間にわたって活躍した松原愛さんもそうしたひとり。TOTOホーローバスの“サカナちゃん”のテレビCMが懐かしい松原さん、今どうしているのか。
「4月6日、日本クラウンから5年半ぶりの新曲『ふたりの時計』を発売しましてね。長針と短針を男女に見立て、くっついては離れ、またくっつく大人の恋模様を描いた曲で、プロモーションビデオ(PV)は大林宣彦監督にお願いしました。監督には『おサカナになったワ・タ・シ』のCMでお世話になり、77年のホラーファンタジー映画『HOUSE』に起用されたこともあって、お付き合いが続いてたんです。大林監督といえば、“映像の魔術師”でしょ。そんな方がPVを引き受けてくださったなんて、ホント、夢のようです」
横浜市青葉区、東急田園都市線某駅から歩いて5分の自宅で会った松原さん、こういって目を輝かせた。隣には夫の山田孝雄さんが。山田さんは北島三郎「漁歌」、さくらと一郎「昭和枯れすゝき」、増沢末夫「さらばハイセイコー」などのヒット曲の作詞で知られる。もちろん、「ふたりの時計」の作詞者だ。
「撮影は大分県の杵築市、臼杵市、竹田市で行いました。大分は監督の映画『なごり雪』や『22才の別れ Lycoris葉見ず花見ず物語』のロケ地であって、PVには2作のパロディーとも思えるシーンもちりばめられ、映画ファンも楽しめるデキに仕上がったと思います」
巨匠がメガホンを取ったとあって、松原さんも気合十分。着物は加賀友禅の重鎮、百貫華峰師に特注、2枚を新調したとか。ってことは、これだけでン百万円!?
「J―POPにはそれなりに予算をかけたPVがありますが、歌謡曲となるとお手軽なものばかり。それで5年後、10年後でも評価される映像作品を残そうと、大林監督に製作を依頼しました。清水の舞台から飛び降りたのではなく、先行投資ですよ、ハハハ」(山田さん)
●7時間に及ぶ開頭手術を。「人生観がガラッと変わりました」
さて、松原さんは日大芸術学部在学中の74年、梶原一騎原作の映画「愛と誠」の主題歌を歌うデュオ“あいとまこと”で歌手デビュー。75年、芸名を松原愛と改め、TOTOホーローバスのテレビCM・3代目サカナちゃんに抜擢されて人気爆発し、映画やバラエティー番組で活躍した。その後、テレビ朝日の「独占!女の60分」のリポーターを12年間続け、その間に結婚、出産を経験。子育てのために芸能活動を休止し、自宅でカラオケ教室を開いた。だが、04年春、原因不明の難病「もやもや病」を発症。7月に7時間に及ぶ開頭手術を受けて一命を取り留めた。
「それで人生観がガラッと変わりましたね。パパもワタシと結婚する直前まで胃がんで生死の境をさまよった経験があるから、2人そろってそれからの人生はオマケだと思うようになったんです。オマケだからこそ肩の力を抜いて生きていくことができる。今後は歌を通じ、多くの方に安らぎと癒やしをお届けできたら、と考えています」
一人息子と3人暮らしだ。
ワイドショーがテレビの花形だった時代、各番組には名物リポーターがいた。75年10月から92年3月まで続いた「独占!女の60分」で12年間にわたって活躍した松原愛さんもそうしたひとり。TOTOホーローバスの“サカナちゃん”のテレビCMが懐かしい松原さん、今どうしているのか。
「4月6日、日本クラウンから5年半ぶりの新曲『ふたりの時計』を発売しましてね。長針と短針を男女に見立て、くっついては離れ、またくっつく大人の恋模様を描いた曲で、プロモーションビデオ(PV)は大林宣彦監督にお願いしました。監督には『おサカナになったワ・タ・シ』のCMでお世話になり、77年のホラーファンタジー映画『HOUSE』に起用されたこともあって、お付き合いが続いてたんです。大林監督といえば、“映像の魔術師”でしょ。そんな方がPVを引き受けてくださったなんて、ホント、夢のようです」
横浜市青葉区、東急田園都市線某駅から歩いて5分の自宅で会った松原さん、こういって目を輝かせた。隣には夫の山田孝雄さんが。山田さんは北島三郎「漁歌」、さくらと一郎「昭和枯れすゝき」、増沢末夫「さらばハイセイコー」などのヒット曲の作詞で知られる。もちろん、「ふたりの時計」の作詞者だ。
「撮影は大分県の杵築市、臼杵市、竹田市で行いました。大分は監督の映画『なごり雪』や『22才の別れ Lycoris葉見ず花見ず物語』のロケ地であって、PVには2作のパロディーとも思えるシーンもちりばめられ、映画ファンも楽しめるデキに仕上がったと思います」
巨匠がメガホンを取ったとあって、松原さんも気合十分。着物は加賀友禅の重鎮、百貫華峰師に特注、2枚を新調したとか。ってことは、これだけでン百万円!?
「J―POPにはそれなりに予算をかけたPVがありますが、歌謡曲となるとお手軽なものばかり。それで5年後、10年後でも評価される映像作品を残そうと、大林監督に製作を依頼しました。清水の舞台から飛び降りたのではなく、先行投資ですよ、ハハハ」(山田さん)
●7時間に及ぶ開頭手術を。「人生観がガラッと変わりました」
さて、松原さんは日大芸術学部在学中の74年、梶原一騎原作の映画「愛と誠」の主題歌を歌うデュオ“あいとまこと”で歌手デビュー。75年、芸名を松原愛と改め、TOTOホーローバスのテレビCM・3代目サカナちゃんに抜擢されて人気爆発し、映画やバラエティー番組で活躍した。その後、テレビ朝日の「独占!女の60分」のリポーターを12年間続け、その間に結婚、出産を経験。子育てのために芸能活動を休止し、自宅でカラオケ教室を開いた。だが、04年春、原因不明の難病「もやもや病」を発症。7月に7時間に及ぶ開頭手術を受けて一命を取り留めた。
「それで人生観がガラッと変わりましたね。パパもワタシと結婚する直前まで胃がんで生死の境をさまよった経験があるから、2人そろってそれからの人生はオマケだと思うようになったんです。オマケだからこそ肩の力を抜いて生きていくことができる。今後は歌を通じ、多くの方に安らぎと癒やしをお届けできたら、と考えています」
一人息子と3人暮らしだ。