石垣島を襲った津波の波の高さが、約85メートルという記録があり、その波の高さが日本一とされています。 記録では、波の高さが高い所で「弐拾八丈」となっており、それをメートル法に換算すると約85メートルとなります。実際それだけの高さの波であったのかどうかについては、はっきりとしていませんが、波が陸に押し上がった高さではないかと考えられています。その場合の波の高さは3分の1程度と考えている人もいます。その見方に沿うと、波の高さは約28メートルということになります。それでも、かなりの高さであったことになります。 その津波は、今から235年ほど前の1771年(明和8、乾隆36)に発生しており、いわゆる「明和の大津波」といわれています。震源地は石垣島の南東沖で、地震の規模をあらわすマグニチュードは7.4と推測されています。 被害は大きく、当時の八重山(石垣島および竹富町の各島、与那国島を含む)の人口は2万8,992人といわれ、そのうち9,393人(約32パーセント)が犠牲となっています。 また、石垣島内では、1万7,266人のうち、8,476人、約49パーセントの方々が犠牲になっています。村別では次のようになっています。 新川村、1,091人のうち213人(20パーセント) 石垣村、1,162人のうち311人(27パーセント) 大川村、1,290人のうち412人(32パーセント) 登野城村、1,141人のうち624人(55パーセント) 平得村、1,178人のうち560人(48パーセント) 真栄里村、1,173人のうち908人(77パーセント) 大浜村、1,402人のうち1,287人(92パーセント) 宮良村、1,221人のうち1,050人(86パーセント) 白保村、1,574人のうち1,546人(98パーセント) 桃里村、888人のうち199人(22パーセント) 伊原間村、720人のうち625人(87パーセント) 安良村、482人のうち461人(96パーセント) 平久保村、725人のうち25人(3.4パーセント) 野底村、600人のうち24人(4パーセント) 桴海村、212人のうち23人(10.8パーセント) 川平村、951人のうち32人(3.3パーセント) 崎枝村、729人のうち5人(0.6パーセント) 名蔵村、727人のうち50人(6.8パーセント) ちなみに、世界一の津波の高さは、昭和32年(1958)にアラスカのリツヤ湾で記録された約520メートルとされていますが、これは地震によって湾内の崖が大きく崩れ、それによって引き起こされた波が対岸に押し上がった高さのようです。その波の高さは、ビルの高さにして100階建て以上に相当します。 |
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