3月11日に発生した、未曾有の大災害・東北地方太平洋沖地震。いまだに行方不明者が多数おり、不安な毎日を過ごしている被災者も多くいる。被災地から逃れ、他の都道府県へと避難した人たちも多くおり、比較的被害が少ない秋田市へと避難した人たちがいるという。

当編集部は、福島県から秋田市へと逃れた人物と接触。その人物は原子力発電所4号機で働いていた人物で、地震発生時のようすを取材することができた。地震発生時も4号機の地下1階で作業をしていたという。独占インタビューとしてお伝えしたい。
 
・東京電力の職員ではない
編集部  原子力発電所4号機に内部にいたそうですね。
作業員  そうですね。4号機タービン建屋の地下一階にいました。
編集部  ということは東京電力の職員の方ですか?
作業員  いいえ、日立GEニュークリア・エナジーという会社があるのですが、そこからの依頼で作業を進めている会社に所属しています。
編集部  どのような作業をしていたのですか?
作業員  建屋の中で配管の溶接などをしていました。
編集部  地震当時、4号機は止まっていたんですよね。
作業員  そうですね。定期検査のために11月30日からずっと止まっています。
 
・つくはずの非常灯がつかなかった
編集部  地震が発生したとき、どのような状況でしたか?
作業員  タービン建屋の地下1階フロアで作業していたのですが、いきなり揺れだして、どんどん揺れが強くなっていったんです。すると建屋の照明がすべて消えてしまったんですよ。真っ暗です。
編集部  非常灯はつかなかったのですか?
作業員  緊急時は非常灯がつくはずなんですが、このときはつきませんでした。なので真っ暗な状態が続きました。
編集部  そのような状況で、次にどんな行動をしたのですか?
作業員  その場にいた関連会社のスタッフが懐中電灯を持っていたので、その人の光をあてにしながら、階段をのぼって野外に逃げました。
 
・4号機だけで400~500人くらい働いていた
編集部  懐中電灯を持っている人がいてよかったですね。どれくらいの人が地下1階にいたのですか?
作業員  正確な人数は分かりませんが、30人前後いたような気がします。
編集部  その30人が、懐中電灯を持ったスタッフを頼りに地下から脱出したと。
作業員  そうです。その光をあてにして、みんなで並んで1階に逃げました。
編集部  地下に30人前後ということは、4号機全体ではどれくらいの人がいるのですか?
作業員  400~500人くらいはいたかと思います。すみません、詳しい人数はわからないです。
※発言内の人数に関しては不確定です
 
・日立の事務所に足で避難
編集部  外に出てから、どのような行動をしましたか?
作業員  津波警報が出ていたので、とりあえず建屋から離れることになりました。みんなで徒歩で高台にある事務所に向かいました。
編集部  事務所というのは、東京電力の事務所ですか?
作業員  いいえ、日立の事務所ですね。
編集部  そこまでどれくらいの距離があるのでしょうか?
作業員  だいたい2キロくらいかなと思います。
編集部  事務所に到着してからどうしましたか?
作業員  事務所が地震のせいでメチャクチャになっていたので、中に入れる状態ではありませんでした。
編集部  メチャクチャというのは、建物が崩れているということでしょうか?
作業員  そうですね。ガラスも割れていましたし、事務所の中のほうが危険だと感じましたので、逃げてきた全員が外で待機していました。
編集部  事務所に数百人が集まったわけですね。
作業員  そうですね。そこで日立のスタッフが全員の点呼をとりました。
編集部  働いていた人たちは全員いましたか?
作業員  いたと思います。
 
・事務所からは津波を確認できず
編集部  そのあとどのような指示がありましたか?
作業員  とりあえずその場で解散となりました。あとは会社からの連絡を待つというかたちです。
編集部  その事務所から原子力発電所は見えますか?
作業員  見えませんね。
編集部  ということは津波がきたのかどうかは目視できなかったわけですね。
作業員  そうですね。
 
・地震で家が壊れ帰れず
編集部  解散したあと、どちらに行かれたんですか?
作業員  家が福島県双葉郡の浪江町にあるのですが、もう住めません……。なので同じ町の高台にある会社の人の家にお世話になりました。
編集部  そのあと秋田市に避難したんですね。
作業員  そうですね。本当に助かってます。
編集部  大変なところありがとうございました。早く安心して生活できるよう祈っています。
 
現在この人物は秋田市に避難しており、被災者の支援をしている工藤ヨシ子さんが管理するマンションで避難生活をしているという。福島県から避難してきた人たちは多く、そのマンションで避難生活をしているのだとか。

少しでも早く、被災者たちが安心して暮らせる状態になればいいのだが、それにはもう少し時間がかかりそうだ。