11日
月曜日
古い映画をみませんか・16 『ガンパー課長』
東宝映画『ガンパー課長』(青柳信雄監督・1961)
“ガンパー”と言う意味のわからないタイトルにちょっと首をひねら
されるが、これは映画の中に登場する新製品の商品名。ピストル型の
殺虫剤噴霧器である。
「昨今のガンブームに乗るんだ」
と、東野製薬社長(加藤大介)が社員にハッパをかけるシーンがあるが、
この映画の製作された1961(昭和36年)、日本はテレビの
洋モノ番組で西部劇の大ブームだった。『ローン・レンジャー』、
『ララミー牧場』、『ローハイド』など、チャンネルをひねれば
主人公たちがカッコよく拳銃をぶっ放していたのである。
ブームに乗って、ミステリ系の雑誌であった『ヒッチコックマガジン』
(小林信彦が中原弓彦名義で編集長をしていた)までも、拳銃を特集した
記事で部数を伸ばし、この61年には『西部特集号』を出す。
日本中がガンに浮かれていたのである。
ガンパーのCM(オリジナルのアニメなども出てくるのは後の
キンチョールの先駆けである)で、インディアンに扮した子供たちを
ハエに見立て、ガンマンがシューッとひと吹きでやっつける、
現代の目から見ると苦笑してしまうシーンがあるが、
時代の勢いだったんだなあ、と思う。
「ピストル型の噴霧器にすれば子供たちが遊びに使って、必要以上に
殺虫剤を消費しますからね」
と、ガンパーを開発した営業部長・北原(藤木悠)は得意げに言う
のである。消費は美徳(1959年の流行語)、必要以上に殺虫剤を
使わせてしまうのも高度経済成長のためには当然許される行為なのだった。
“味の素のフタの穴を大きくした”のがアイデア成功談として語られる
ようになった(都市伝説であるらしいが)のはこの時代からだろう。
ガンパーのアイデアを出した主人公は一躍抜擢されて28歳4ヶ月の
若さで課長に昇進する。年功序列で時期課長と目されていた課長代理の
酒田(小栗一也)はそれをうらみ、ライバル・北野化工に寝返り、
ガンパーのシンガポールからの大量受注を阻止する計画に加担する。
ブームに遅れないよう、製法特許の出願が後回しになっているのを
利用してガンパーのパチ製品“ドンパー”を大量販売し、弱小の
東野製薬を合併吸収してしまおうとたくらむ、北野化工のエリート
社長役の土屋嘉男が好演。下積みから苦労して社長になった東野社長
(加藤大介)と好対照。同じ61年に公開された黒澤の『用心棒』では、
土屋が、自分の女房をヤクザのパトロンである造り酒屋の主人に
妾にされる情けない百姓・小平を演じ、その小平を
「てめえ、旦那の女にさわりやがって!」
と、ブン殴るやくざの猪吉を加藤が演じているが、どちらも同一人物
とはとても思えない。役者というのは融通無碍ですなあ。
ところで、主人公・藤木悠の妹で女性カメラマンの洋子を演じるのは
若林映子。ミュージカル風シーンも劇中でこなしているが、一緒に
歌う恋人役が若き(まあ、みんな若いんだけど)高島忠夫。
舞台が製薬会社ということもあり、この三人が並んでいるところを
見ると、翌62年の映画『キングコング対ゴジラ』をどうしても
思い浮かべてしまう。もともと『キングコング対ゴジラ』は、
ゴジラ映画と、この61年に正・続編が作られるヒットとなった
『サラリーマン弥次喜多道中』の弥次さん(藤木)、喜多さん(高島)、
それに社長(有島一郎)のトリオを組み合わせた企画であり(作中、
“弥次喜多だぜ、これじゃ”という楽屋オチのセリフがある)、その
『サラリーマン弥次喜多』の監督が本作の青柳信雄なのである。
『キンゴジ』では高島が主演で、藤木はその脇にいる頼りない相棒
であるが、この『ガンパー課長』では役どころが反対になり、藤木が
現実の中で夢を実現させていく堅実なサラリーマンであり、
高島が現実をある程度無視して夢を追う、ちょっと頼りない青年役
である。この映画が、『キングコング対ゴジラ』と表裏一体という
イメージになる要因であり、キングコングさえ逃げ出した高度経済成長
時代の企業競争社会に、見事に順応し、夢を追う若者を応援することを
エクスキューズにして、自分はせいぜい赤ちょうちんでの息抜き程度を
御褒美に、駆け上がっていく主人公を描いたのが本作なのだろう。
すでに1958年、そのような宣伝競争のいきつく先の悲劇を、
開高健の原作を得て増村保造が大映で『巨人と玩具』を映画化している。
しかし、そこはサラリーマンの味方、東宝、サラリーマン作家として
好意的にその職務邁進の姿を描いた源氏鶏太原作。暗い面を見せず、
競争社会から追い落とされた“過去の遺物”の社員たちを悪人として
描くことに少しも躊躇せず、堂々とエコノミックアニマルたれ、と
主張しているその姿は、いっそ清々しい。二枚目半の藤木悠の好青年
ぶりも神がかっていて、チョイ惚れしている飲み屋の看板娘を若い
部下(児玉清。スマートで、顎の下のホクロがなければちょっと誰だか
わからない)に取られても
「ま、俺がそんなにもてるわきゃないか」
と、どこかで聞いたような文句をつぶやいてアッハッハと笑いとばす
こだわりのなさは、これくらいでなきゃこの世界は生きていけないよ、
という、『巨人と玩具』の高松英郎(覚醒剤をのみ、吐血しながら
企業のために働き続ける)へのアンサー映画のようにも思えるのである。