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温度下げるのが使命…作業員、避難所から原発へ

 「放射線量はいつもより多く、怖かった」。

 東日本巨大地震発生時に東京電力福島第一原子力発電所の敷地内に居合わせ、その後も、5、6号機の修復作業に参加した作業員が22日、現場の様子を語った。

 作業員は東電の下請け会社に勤務する50歳代の男性。地震発生時は原発敷地内の事務所におり、強い揺れを感じた。自宅が避難指示区域にあったため、家族とともに福島市内の避難所に身を寄せていたが、会社からの呼び出しを受け、17〜19日、現場に出向いた。

 与えられた任務は、5、6号機内の使用済み核燃料の一時貯蔵プールの冷却装置を冷やすこと。原子炉建屋から50〜60メートルまで近づき、海水をくみ上げてホースで送水、冷却装置の機能を回復させる作業だった。

 建屋の外での作業で、通常は普通の作業着でも作業できるエリアだったが、今回は防護服に身を包み、放射線量測定機器を身に着けた。4〜5時間の作業を終えると、体に受けた放射線量の値は、平時に建屋内で仕事をしていた時よりも高かった。建屋の周辺には、津波を受け、ひっくり返った車や作業用の足場に使われていた鉄パイプが散乱していた。国内各地の原発の仕事に約30年間携わってきたが、「津波の恐ろしさを知った。見たことのない光景で、いつもの仕事場とは違う所に来たようだった」。

 作業の前に1、3号機が水素爆発した様子を避難先のテレビで見ていたため、現場に入る前は「放射線は目に見えない。管理不能になった状況は怖い」と感じていた。一方で、「貯蔵プールの温度を下げるのが俺の使命」と気持ちを奮い立たせた。作業が終わり、海水をくみ上げるホースに手を当てた時、水の流れる感触が伝わってきた。プールの温度も下がったと聞いた。「役割を果たせてホッとした」という。気がかりは、いつ自宅に戻れるのかということ。自宅周辺の放射線の汚染がどの程度なのか。避難所での暮らしは当分続く。

2011年3月23日09時18分  読売新聞)

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