【ソウル11日聯合ニュース】4月1日付で日本テレビのソウル支局長に着任した玄昶日(げんしょうじつ)さん(38)は、朝鮮半島関連の報道でいくつものスクープを出してきたことで知られる。在日コリアン3世で韓国語も堪能な名物記者が、今度は多くのスタッフを統括する支局長として采配を振るう。日本のマスコミがソウル支局に在日の特派員を駐在させるのは初めて。北朝鮮の強盛大国建設、韓国の大統領選挙などビッグイベントが来年に迫る中、日本テレビ界の半島通がやって来た。
日本テレビのソウル支局で業務をこなす玄昶日さん=(聯合ニュース)
茨城県の一般的な在日コリアンの家庭で育った。中学2年までの3年間は朝鮮学校で過ごした。高校1年だった1988年、家族で韓国籍を取得。「韓国のパスポートを得ることで、祖父が生まれた地である韓国をはじめ、海外渡航への道が広がった」。この年、初めて訪韓。ソウル五輪の開催で国中が活気に満ちあふれていた時期。韓国がさまざまな苦難を経て、オリンピック開催を成功させたことに素直に感動した。
在日コリアンは日本では「非日本国籍者」、朝鮮半島でも反日感情が強いころは「半日本人」などと差別を受けることがあった。玄さんが「(コリアンと日本人の)はざ間」と呼ぶ出自もあり、自然と社会問題を扱ったドキュメンタリー番組に興味を持った。早稲田大学卒業後は、希望していたテレビ局に入社。日本テレビの報道記者としてのキャリアをスタートさせた。
社会部を皮切りに、司法や行政、沖縄支局勤務などを経験したが、やはり真骨頂は朝鮮半島関連だ。大きなイベントや事件、事故の際には韓国に出張。李明博大統領が当選した2007年末の大統領選挙では、2週間滞在して特集や投開票を報道した。ソウルのデパート崩壊事故(1995年)や大邱地下鉄放火事件(2003年)の取材も行った。ほかに俳優のヒョンビンさんが先月入隊し、韓国の軍隊の中で最も過酷とされる海兵隊の密着取材もした。
大好きな韓国映画の取材では、「JSA」「オールド・ボーイ」のパク・チャヌク監督との出会いが印象深い。イベントで来日したパク監督とは30分の約束で東京のバーで飲んだところ盛り上がり、10杯以上を飲むことに。その場で独占インタビューを韓国で行うことを了承してもらった。同監督の作品の裏話を含んだ2001年のインタビューは韓国映画ブームにわく日本で大きな反響を呼んだ。
朝鮮半島関連の取材は韓国だけにとどまらない。昨年のサッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会では44年ぶりの本大会出場を果たした北朝鮮チームの取材で、北朝鮮以外のメディアでは唯一、事実上の同行を許可された。現地、南アフリカでは初戦ブラジル戦のキックオフ前に号泣した鄭大世(チョン・テセ)選手の涙のわけや、同試合で唯一の得点を挙げた志尹南(チ・ユンナム)選手のインタビューを日本で放映。競技場ではなく北朝鮮チームの宿舎で、取材対象に深く食い込んだ映像は多くの視聴者の耳目を引きつけた。
W杯以外にも独自のルートで、たびたび訪朝している。 日本テレビは、平壌市内で「パルコルム」(足取りという意味で、金正日総書記の後継者、正恩氏をたたえる歌)が歌われている様子についても、いち早く報道している。
玄昶日さん=(聯合ニュース)
在日ゆえの葛藤や南北分断による苦しみもあるが、「日本にいながら朝鮮半島のことが分かり、韓国では日本のことを紹介できる」と、新しい職場でも「強み」を取材に生かすつもりだ。ソウルに赴任して約10日だが、出張とは違い、生活することでさまざまな発見があるという。「まずは韓国のことをよく知ることが大切。よく理解することで、日本の視聴者のみなさんに、より正しく分かりやすいニュースを伝えたい」(聞き手=張智彦)