人工地震の歴史を振り返る その3 〜読売新聞戦後紙面より〜
今回は読売新聞から戦後の人工地震の歴史を見ていきます。
1953年9月13日 読売新聞 夕刊3面より
「人工地震で9名がガス中毒 釜石」
1956年12月5日 読売新聞 朝刊7面より
「最大の人工地震成功 茨城 吹き上がる地下水6本」
1957年8月26日 読売新聞 朝刊7面より
「震度5で大成功 茨城で人工地震」
1957年9月7日 読売新聞 朝刊7面より
「原爆で人工地震 ネバダで14日に初実験」
1958年6月17日 読売新聞 夕刊5面より
「人工地震で落盤30人が生き埋め」
1961年11月10日 読売新聞 朝刊11面より
「深夜の人工地震 新潟で本土横断の地殻構造を調べる」
1965年3月31日 読売新聞 夕刊3面より
「人工地震 日本列島は生きている
地下の構造を探る注目の海洋実験」
1973年8月30日 読売新聞 朝刊7面より
「地震 発生待つより制御研究を
たまったエネルギー人工地震で発散 予知だけで防げぬ」
1975年6月18日 読売新聞 朝刊4面より
「“気象兵器”で米ソ交渉 開発禁止話し合う」
1975年6月20日 読売新聞 朝刊7面より
「恐るべき環境・気象破壊兵器 米ソで研究着々」
1984年3月12日 読売新聞 朝刊23面より
「人工地震大きすぎた! 新幹線のダイヤ乱れる
震度一の予定が4〜5」
読売新聞 1991年5月4日より
「ロシア軍のイワン・エヌレエフ陸軍少将は、強烈な電磁波により人工的に大規模地震を発生させる兵器が存在する事を明らかにした。震源地と地震発生地が遠隔地であるように設定する事が出来る。」
これ以降はあまり記事にされていません。
というか多分、記事にしていないだけです。
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1953年9月13日 読売新聞 夕刊3面より
「人工地震で9名がガス中毒 釜石」
1956年12月5日 読売新聞 朝刊7面より
「最大の人工地震成功 茨城 吹き上がる地下水6本」
1957年8月26日 読売新聞 朝刊7面より
「震度5で大成功 茨城で人工地震」
1957年9月7日 読売新聞 朝刊7面より
「原爆で人工地震 ネバダで14日に初実験」
1958年6月17日 読売新聞 夕刊5面より
「人工地震で落盤30人が生き埋め」
1961年11月10日 読売新聞 朝刊11面より
「深夜の人工地震 新潟で本土横断の地殻構造を調べる」
1965年3月31日 読売新聞 夕刊3面より
「人工地震 日本列島は生きている
地下の構造を探る注目の海洋実験」
1973年8月30日 読売新聞 朝刊7面より
「地震 発生待つより制御研究を
たまったエネルギー人工地震で発散 予知だけで防げぬ」
1975年6月18日 読売新聞 朝刊4面より
「“気象兵器”で米ソ交渉 開発禁止話し合う」
1975年6月20日 読売新聞 朝刊7面より
「恐るべき環境・気象破壊兵器 米ソで研究着々」
1984年3月12日 読売新聞 朝刊23面より
「人工地震大きすぎた! 新幹線のダイヤ乱れる
震度一の予定が4〜5」
読売新聞 1991年5月4日より
「ロシア軍のイワン・エヌレエフ陸軍少将は、強烈な電磁波により人工的に大規模地震を発生させる兵器が存在する事を明らかにした。震源地と地震発生地が遠隔地であるように設定する事が出来る。」
これ以降はあまり記事にされていません。
というか多分、記事にしていないだけです。
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