2011年3月11日(金)午後3時少し前(14:46),東北地方太平洋沖地震が起きました. 震源は宮城県の沖合でしたが, 岩手県,宮城県,福島県,茨城県の沖合までの, 南北400kmにわたって同時連鎖的にプレートがずれ, M9.0の大地震となりました.
本書は地震についての本ではありませんが, §4.1で,過去の宮城県沖地震のデータを取り上げて, それをある標準的な分布に当てはめる統計学基礎の例題として用い, 「(2005年当時の)次の地震までの期間」の確率分布を推定しました. (この他,§10.4では当てはめたパラメータを用いた尤度による推定の例題, §13.3ではを確率微分方程式を用いた単純なモデルの解として話の出発点で採用した 「標準的な分布」を理解すること,という形で関連する話題を取り上げています.)
そこで,本書の内容から見たとき2011年3月の大地震をどう位置づけるか, あるいはむしろ逆に,2011年3月の大地震から本書の内容をどう見直すか, を追記します.
なお,本書は統計学の基礎教科書ですから,地震に関する知見は含まれません. 既に地震に関する専門家の研究は発表が始まっていて, たとえばこのリンク先のサイトに,多数のサイトへのリンクがあります. (しばらくすると移転してリンク切れすることも多いと思いますのでご注意.)
また, 死者・行方不明者数が神戸大地震をはるかに超え,広い範囲の孤立する被災者 の問題を含めて基幹交通網が未回復であり,加えて, 福島第一原子力発電所が津波の被害で炉と使用済み燃料の冷却機能を失って, 放射能漏れの問題の行方は確定せず, 50Hz地域での電力供給不足が年単位で長期化しすることは確定しています. この現在進行形の状況の中で,本書と同じ水準で以下を書くのは難しく, 暫定的なことしか書けません.以下は覚え書き以下の水準です.
本書では2004年6月執筆時点現在で地震が無かったという条件付きでその後の 経過時間とその時までの地震の発生確率の表を (データに基づいて分布のパラメータを点推定したものに基づいて計算して) 掲げています.2011年3月は本には書いていませんが,同じ方法で計算すると ちょうど25パーセント,そこから8年半ほどの間に全確率の半分(0.5)が入ります (2012年度から始まる新らしい指導要領の高校1年生の数学にある箱ひげ図で言えば, 四分位範囲).過去のデータから見れば前回の地震からの期間が短めとは言え, 時期だけ見れば「全く妥当な,起こるべくして起きた」範囲に入っています.
もっと単純には,掘り起こされていた過去の6回の地震の記録(地震の間隔 のデータとしては植木算で大きさ5)は間隔にして26年強から43年弱の間にあり, 直前の地震が1978年6月にあったことから,その30年後から40年後の間に 今回地震があったことは,統計的には,驚きません.
もちろん,このような統計的推論は, 地震や防災のプロは当然承知していた初歩中の初歩の事項であって, 実際,私が仙台にいた2004年からの5年間の見聞でも,研究者も行政も, 宮城県沖地震は近いとして住民への啓発を続けていました. 備えを具体的に行っていたという意味では,当たったと言えるでしょう.
たとえば日食などの天体の運行の時刻を 力学で精密に予測できるのと同様の意味で,岩盤の動きや力のかかり具合から 力学の方程式を解いて地震の時期を防災に役立つ程度の正確さで予測できたか? 本書の守備範囲を超えることですが,私は聞いたことがありません.
力学の成功例である天体の運行の予測は,
地震の力学的理解は,広い範囲の岩盤の各部分が相対的に異なる運動を起こす結果 を求めるもので, 「少ない変数で概要がわかり,あとは摂動として厳密に補正を積み上げられる,」 という状況にありません. また,必要な初期値や定数,すなわち,現在の(あるいは過去のどの時点かの) 岩盤の各部分の位置や動きや相対的な力関係を観測することはできていない と思います.
おおむね規則的に見える期間があるが,想定外のことが頻繁に起きて驚かされる, という地震の現状を見ると,複雑系と呼ばれる対象のようです.つまり, 「少ない変数で概要がわかり,あとは摂動として厳密に補正を積み上げられる,」 ということはとうてい不可能であると信じられているように思います. 天気予報は類似の問題ですが,気象については 少なくとも日本の範囲は数平方キロごとに一つ, 基本的な変数を常時観測し自動で気象庁にデータを集約する仕組みを持っています. つまり,少数の変数の問題を数学的に解くことで解決するには複雑すぎる 対象だが, 現状の膨大なデータを時々刻々得ることで,予想の誤差を修正しつつ, 予想の精度を維持できています.それでも
本書は,発生間隔の統計的推定だけの話なので,規模について語る材料は ありませんが,少なくとも直近の4回(1861年,1897年,1936年,1978年)は M7.4だったので,多くの地震関係の研究者は,宮城県沖地震単発ならば, M7.4程度と推測していたと思います.それ以前の記録に基づいて,と思いますが, さらに沖合の震源との連動ということあたりまでは取りざたされていて, M8を超える可能性についての議論はありました.しかし,南北400kmにわたって, 福島県沖や茨城県沖にある地震の頻発震源まで巻き込むことになったM9.0の 規模の地震を本気で予想した研究者はいなかったはずです. 地震のエネルギーだけでなく, 予想を凌駕した巨大かつ広範囲の津波の被害が想定の範囲外だったことは, 世界随一とまで言われていた防波堤が津波による大規模な被害を防げなかった ことでも明らかです.
ここまでを要約すれば,近く地震が来るという確信の意味では当たっていたが, 人命を守るという最低限の防災の観点からですら, 十分な水準では当たらなかった,ということです.
運動方程式を解くという水準が難しいことは,上に概念を書いた以上の詳細は 本書や私の及ぶところではありません.過去の6回の記録と単純化された モデル分布に基づく統計的方法の限界については以下のことを補足します.
本書§9.1にも書きましたが, 自然法則,たとえば上記で力学や運動方程式と呼んだものは, 実験データを統計的に処理して現実と合うことを確認している,という形式においては 宮城県沖地震の6回の記録から単純なモデル分布のパラメータを決める手続きと 初等統計学の意味では同等ですが,教科書でも強調したとおり, 力学などの法則は,長い研究の歴史の中で,
本書§4.1にも追記を書きましたが, 本書執筆後の2005年8月に,宮城県沖でM7.2の地震がありました. マグニチュード(M)は地震の規模が1000倍で2増える(1000の平方根,約32倍で1増える) ので,過去4回の記録M7.4の1000^(-0.2/2)=半分,です. 実際の行政の啓発では立ち入っていませんでしたが, おそらく研究者は,2005年8月以降は,宮城県沖地震が(他と同時連動せずに) 単発で起きるならばM7.4をやや下回るだろうと, 希望的観測を持っていた,と思います.
連動の可能性は指摘されていたので,専門家は楽観していたわけではありません. 論点はそこではなく,2005年8月以前は,「M7.4のうち半分が短期間のうちにわかれて 起きる」という話は聞いたことが無かったのに,地震が起きたのちには, 資料を再検討したということなのか,「実は時期的にきわめて近接して二度 大きい地震が起きた記録もある」といった話が聞こえてきた,という点です.
大地震の統計資料というのは,何百年や,時には何千年というスケールで 蓄えられてきた資料です.日本語すら語彙や文法やそれらの慣用的な使用法が 大きく変わる時の流れを超えて資料を読み,現在の水準に引き戻して数値化し, 計量的方法を適用する,ということは,私には精度良く行える方法が確立している ようには見えません.結果として,何か起こると,後付けで,「そういえば, こう書いてあった」という話になります.これは,大地震の長期間隔の資料による 統計的方法が科学として未熟ということを意味します. 宮城県沖地震を含むいくつかの東北地方太平洋側のプレート型大地震のように,
これは,上記の本質的な限界に比べると,付随的でしかありませんが, 2日前,3月9日11時45分頃に,少し沖合ですが,M7.3という大きな地震がありました. いわゆる宮城県沖地震よりは沖合だったようですが, M7.3は記録上想定されてきた宮城県沖地震に匹敵する大きなものだったので, ≪宮城県沖地震と,より沖合の地震が連動する地震の可能性が無くなった≫という 専門家の解説がテレビの報道で流れていたのを覚えています. 結果的には,むしろ,この地震が11日の地震の前触れだったわけですが, M7.3のような,この地域で大きな地震を,十分なエネルギーが解放されたと見るか, より大きなことが起きる前触れと見るか,その区別もできない学問水準にいる, 地震予知は道が遠い,ということは確実です.
あとは,そうでなかったとしてもどうしようもないことですが, 9日の地震によってかえって安心する空気が指導的立場の間にもし流れたとしたら, 結果的に知識があったためにかえって虚をつかれたことになるかもしれません. 結果があまりに想像を超えていたため,仮に気を緩めていなかったとしても, どのみち十分に備えることはかなわなかったのは間違いありません.
以下はエピローグで,分析の下書きですらありません. (気持ちが落ち着いたら消すと思います.) 人智が地震の威力に及ばないならば予測の努力は無駄だったのか?
たとえば今回少なくとも 仙台市街で揺れによる大きな建造物の倒壊は無かったようです. むしろ,仙台市街に限っては 新幹線を含む鉄道線路,歩道等の部分的なでこぼこ,ガラス,一部民家 を除くと,震災後も建造物に関しては機能していた様子です. これは,あの神戸大地震のときの神戸市中心部 において,大きなビルが倒壊したり,市役所ですら1階まるまるつぶれたのと 比べると,驚くべきことです. もちろん,神戸の場合は直下型なので震度の位置による違いが大きく, 倒れたビルたちのところだけ集中的に震度がはるかに大きかった可能性はあります. それでも,あの惨事以降に耐震基準が大幅に強化されたことも確かで, 今回,仙台の建造物がその基準を守って建てられたことも確認できた, と判断します.そのようなことは,地震が必ず来るという意識の定着が あったからだと思います.
神戸大地震の前も,常々,日本は地震国なので建造物の耐震基準は世界一だ, と専門家は豪語していましたが,神戸大地震以後,そういう声はすっかり 消えました.それ以前は言われなかった耐震偽装といったことすら 急に言われるようになりました.こういうのは「備えていた」とは言いません. 今回,宮城県沖に備えていた仙台中心部は持ちこたえた,と私は感じます. (なお,中心部以外の惨状は言うまでもありません.特に,繰り返すべきこと ですが,津波の被害は想像を絶していたことは疑いようもありません.)
東北地方太平洋沖地震の次の日だったか,都司嘉宣というかたが 津波防災の専門家としてテレビのゲストに招かれた際, 世界随一と言われたのにもろくも破れ去った防波堤について, もしそれがなければもっと被害が大きかっただろう, 幾ばくか救われたに違いない,という発言をされていました. 近く地震や津波が来るに違いないという確信が人々を防災に動かしていた. 備えるための契機として予測に意味はあった,と思います. 想像を絶する結果であったために,うつろに聞こえるかもしれないし, 後知恵でいろいろなことも言えるでしょうが, 後に歴史となる事実を思い知らされる前に人智でできる範囲としては, 地震と津波に関しては,神戸までの受け身から一歩踏み出していた,と感じます. 番組の最後に付け加えられていた, 子孫のために津波の心配のない高台に新しい町を, という言葉は,長年携わってこられた専門家の言葉として重いと思いました.
復興,そして,平穏,さらにその先を目指すことが急務なのは当然として, 地震予測という狭い話から,新たに言えることはあるか? 太平洋プレートのうち,今回ずれなかった部分の 噂が早くも広まっているし,研究もされているようです. しかし,元々,プレートの境界はそれらの地域を含めて, 大きな地震を繰り返していた地域です. 数十年ないし数百年のうちには大地震が起きる可能性があることは 東北地方太平洋沖地震の前から言われていたことです. 以前から,プレート境界については全て, 明日起こるかもしれないし百年後かもしれない, と言われ続けてきた通りです.その意味では,それが早まると言っても, 未来を見ることができない立場にとっては震災前と何も変わりません. 震災前と同様に,日常生活の中でできる備えをすることに尽きています.
一つ震災前と変わったことは,福島第一原発が被害を受け, 想定していなかった事態に陥り,制御下に戻すためにも 震災前に想定していなかった方法を用いた点です. 圧力容器が壊れなかったらしいことは日本の技術水準の高さを証明しましたが, 圧力容器は単なる鉄球ではなく,燃料の出し入れやエネルギーの利用のための しくみがあります.設計に入っていなかった過酷な事態を経た以上, 次の大地震や津波が今回に比べてはるかにましだったとしても, 日本の技術水準の高さは次の備えにはなりません. 日本の名声を損なわないためにも, 廃炉に向けての「雲の上」の速やかな意思決定と, 今回を教訓とした新たに必要と判明した備え, そして現場での淡々とした手順による更地への移行, が間に合ってほしいと願います.