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講話集 日曜日の糧




聖母の涙はあなたに何を訴えるか!

司祭 川井  啓
初穂第64号(1992.10.1)より転載

 過日、テレビでルルド(フランス)の聖母出現と奇跡について報道され、聖母に関する話題が日に日に増加している事は喜ばしい限りである。戦後、聖母出現について全世界にわたり、二百件も取沙汰された事は余り知られていない。教会が今まで公認した聖母に関する奇跡は四つであることも、いかに奇跡に対して教会が慎重かつ厳しい姿勢をとっているかが分かる。短絡的にとびついてはならない課題ではないでしょうか。

 因みに秋田の聖母像の涙については、東京大司教区の調査委員会が認めなかったことも注目に値する。関係者の「回心がなければ、罪のゆるしがなくなる。火が天から下り、神の大いなる怒りがある」という表現は、新約聖書の愛とゆるしと救いの精神に反するというのがその理由である。涙が事実ならば、もっと何かが欲しい、実現して欲しいのが私たちの気持であるが、当局は冷静であることも事実である。

 一方、1953年、イタリアシチリア島のシラクサにおける陶器の聖母像から涙が出た奇跡は教会で公認され、多くの巡礼者が訪問している。このことに関わった者、それは共産党員と結ばれた名ばかりの不熱心な信者の家庭で起こったことも秋田の聖母像と対照的であることも考えさせられる。シラクサでは聖堂建設の定礎式もすでに始まっており、第二のルルドとして世界に名を知らしめることも間近ではないかと推察される。

 聖母出現や涙の奇跡等で分かることは、その時にいわれた聖マリアの言葉にはっとさせられるものがあることである。

 フランス・ルルドの聖母は「私は原罪無くしてやどり給う者(無原罪の聖母)」であることを宣言されている。ポルトガル・ファチマでは最初の出現の時、三人の牧童達に、毎月十三日にここに来たら私が誰であるか教えてあげるという約束通り、1917年10月13日に「私はロザリオの聖母である」、「聖母の汚れなき御心に対する崇敬が主キリストの望みである」と告げられた。

 何れの場合も、回心とロザリオの祈りと生活を改めることが宣言されている。特に当事者の一人「ルチア」は自分の体験を文書で残し、後に開封され、読んだ教皇が卒倒したという逸話もさることながら、ロザリオの祈りの美しさと必要度がたかまっている事実を呼び掛けられている真理に、今、目を向けるべきと信ずる。

 第ニヴァチカン公会議以後、ロザリオの信心に対する一部の信者の姿勢が教会当局より戒められている。こうした聖母を愛さない者に対する涙が充満しているのであろうか。  どこでも、誰でも、いつでもできる祈り。毎日一回はロザリオの祈りで回心と平和のため捧げる。聖母出現と涙のメッセージを無にしないようにこの十月(ロザリオの月)を過ごしたいものである。

 シラクサの涙が共産党員とその妻、有名無実のキリスト者を回心させたように、一人ひとりのロザリオの祈りが、この大崎地域におけるキリスト者、将又兄弟たちに神の国と救いへの関心がたかまり、真の平和と恵みで満たされる日の早からんことを祈る十月としたいものである。

 キリシタン迫害時代には、キリスト者は牢獄で囚人となっても、みんなで厠の紙でこよりロザリオを作製し、聖母に殉教の力を祈られた。こうしたキリシタン祖先の心意気に見習う人でありたい。聖母は今日もあなたのロザリオの祈りを待っている!聖母出現の奇跡がなくても、ロザリオの祈りが世界に奇跡を創造される!

 今日もロザリオをポケットにしのぼせ、あなたの使徒職を果たされることを聖母はうれし涙で待たれる日はいつのことでしょう。
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