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1. 主 張(主権回復を目指す会)  投稿者:主 張(主権回復を目指す会) 投稿日:2011/04/11(Mon) 09:33 ID:ghsYtf/A No.359

主 張 主権回復を目指す会代表 西村修平

       
    <手放しで喜んでいいのか>

    なぜか暴動、略奪が起きない日本


自然科学、また社会科学においてもそうだが、事物とか物事の概念はある一定の条件で反対の側へ転化する。哲学用語ではこれを対立面の統一ともいう。

この観点から、今回の震災に遭遇した日本人のメンタリティーを考えてみたい。

海外メディアは震災時における日本人の規律正しさ、整然とした行動、暴動、略奪に走らない民度の高さを「驚き」をもって報道した。それを受けて多くの日本人、特に「保守」派がこれをしきりに自賛しているが、手放しで悦に入っていいものだろうか。これを民度の高さなどで説明できるだろうか。

暴動、略奪が起きない、又は起こせないのには理由がある。起こす理由、必要、さらには起こす気力がないということでもあり、道徳律が他国に比べて特段高いからで説明できるだろうか。

ありとあらゆるインフラが破壊される未曾有の災害にも関わらず、被災者はそれぞれの避難施設に落ち着きさえすれば、基本的な衣食住は国家が保証してくれ、テレビや入浴などを除けば、生命を維持する最低限は整っている。少なくとも、この点において暴動、略奪を起こす理由、必要がない。危険を冒して、他人を押しのけてまで命の糧を争う必要がないのである。

こうした救済の形は奈良時代の光明皇后までさかのぼれる。夫である聖武天皇に強く進言して東大寺、国分寺の建立に大きな存在を示された方で、各所に救護施設にあたる「悲田院」、医療介護施設に該当する「施薬院」を設けて慈善活動を積極的に行った。

この時代は、主権回復を目指す会が推薦する図書の『穢土荘厳』(杉本苑子・文春文庫)に詳しいので是非読んで頂きたい。

古来、救護施設に収容して貰えさえすれば、当分の生命の維持は保証されるのである。これらは江戸時代まで、地震などの災害に幕府は「罹災者救恤」の特例でもって庶民の救援に関わってきた歴史がある。

集団飼育される家畜小屋の草食動物が先のことさえ考えなければ、生命を維持するエサに困ることはないように、特段の不平、不満を生じない。
早い話が、このように躾られて来た日本人は時別なにも倫理観が高いとか、民度が高いのではなく、災害時に暴動を起こす必要がないからとも言える。生活、生きることに躾られた日本人は他民族に比べて、危機の際に極端に生命力が貧弱ともいえる。

被災地で頻発するこそ泥の類の窃盗事件・・・、災害のどさくさに紛れた窃盗事件の多発は現地の警察が報告するように明らかである。
◆宮城、震災後の窃盗被害1億円 被災地で多発290件 ガソリン盗増加
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110330/crm11033011510003-n1.htm

上記の報道のように、ここの何処に我が国が他国に自慢する民度の、倫理観の高さがあるのか、人の不幸につけ込んだ火事場ドロボー、最も卑怯な行いではないか。これを演じている卑劣漢が他でもない日本人なのである。これら日本人、恥を知れ!と言いたい。

なぜ、こそ泥か。集団で白昼堂々と暴動、略奪できなない精神の弱さにある。だから、こそ泥しかできない。暴動、略奪は善悪の是非如何を抜きにすれば、とてつもない膨大なエネルギーの発散であり、情念の爆発である。

日本人には、危険を冒してまでの気力、エネルギー、情念がないといえる。他民族と比較して生命力を支える力が極端に弱いのであるが、特に「保守」を自称する側がこの点を全く自覚できていない。

民度、道徳律なるものは民族、社会のおかれている環境(一定の条件)で対立面へ転化するものであり、サブカルチャーを支える理念、善悪を選択するような単純なものではない。

定まらぬ軌跡のままに落下舞ふわが皇国の行く末なぞらひ

                     さくら満開の千鳥ヶ淵にて


平成23年4月8日
主権回復を目指す会代表 西村修平
- Thank you for your first contribution! -


2. 日本人は生きることに「淡白」  主 張(主権回復を目指す会) - 2011/04/11(Mon) 12:29 ID:iR8YiBHQ No.360
投稿 M・E

『他民族と比較して生命力を支える力が極端に弱いのであるが、』

同感です。

「大陸の人間」には「しぶとさ」があります。生きることに対する「執着」があります。他人を蹴落としても、他人を騙しても、「生きたい」という迫力を感じます。

それに対して、日本人は生きることに対して実に「淡白」であります。これはいったい何なんだろう。

たぶん、その理由のひとつに「天皇陛下のご存在」があると思われます。「天皇陛下のご存在」は実にありがたいものです。しかし、親に護られ過ぎた「子供」には「生きる逞しさ」が欠けるのが常です。

つまり「物事には何でも二面性がある」という当たり前の結論に達します。

インドに二回(二週間づつ)行ったことがあります。その「生命を支える力」には圧倒されました。

インド(ボンベイ)では最下層の人々が暮らす地区に案内されたことがあります。あるインド人の男性と知り合い、彼の案内でその地区に足を踏み入れました。今、考えると貴重な体験をしました。

人が生きるということはどういうことか。人が生き延びるということはどういうことか。このようなことを日本人は分かっていないのではないだろうか。否、それを知る機会に遭遇しなかったのではないか。
- Count.2 (Last.2011/04/11 09:33) -


3. 米国におんぶに抱っこ、偽善と欺瞞の羊に過ぎない  主 張(主権回復を目指す会) - 2011/04/11(Mon) 12:39 ID:iR8YiBHQ No.361
投稿 閲覧者

<米国におんぶに抱っこ、偽善と欺瞞の羊に過ぎない>

私はこの<こそ泥>根性、人の不幸につけ込んだ火事場ドロボー、こそが実は日本人の現代の堕落性を顕著に物語っているのではないかと思う。見掛けは平然として諸外国から絶賛されているが、この<こそ泥>の存在こそがじつは偽善の纏のなかの品性の下劣さを象徴しているのではないかと思ったりする。極めて卑劣で卑怯である。この<こそ泥>が我が日本人の仕業でないことを私は信じたいが・・・

さて国が必ず助けてくれるといったいわば<羊のような人間>を戦後アメリカの巧妙な指導によりそれを受け入れてきた。それは品性や品格の問題ではなく、あくまでも主体性のない<羊>にしか過ぎないのではないか!だから群れから外れた迷い子羊は<こそ泥>をするのである。

今の政府や権力に対して怒りを感じるならば、普通の国、アメリカでさえも革命権が認められている。しかし軍隊なき戦後、軍事アレルギー平和ボケの日本は、怒りをゲバルトに爆発できないのは、まさに去勢された精神の弱さにあるのではないだろうか。大地震ではなく、例えばシナやロシアが不法侵略してきたら、この羊達は、その侵略に対し素手でも棍棒でも立ち向かう気概などあるのだろうか!そんな危機は今そこにあるのだから、私は日夜心配しているのである。

人間には時には情念の爆発がその人間たる由縁である。いまや日本人には、危険を冒してまでの気力、エネルギー、情念がないといえる。他民族と比較して生命力を支える力が極端に弱いのではないか!

「保守」を自称する人々はそんな情念など見受けられない。むしろアメリカにおんぶにだっこで日本は子々孫々まで大丈夫だと惰眠を貪っているに過ぎないのである。偽善と欺瞞の羊に過ぎないのである。

最近外国の論調が<日本の我慢強さ>についてよく菅政権に我慢していると揶揄されてきた。まさに本質を突いた議論かもしれない。
- Count.3 (Last.2011/04/11 12:29) -


4. 全てが他人事の「保守」派  主 張(主権回復を目指す会) - 2011/04/11(Mon) 13:18 ID:9VrV5A76 No.362
投稿 T・T

<全てが他人事の日本>

東京大空襲や原爆で何十万人殺されても他人事今回の大災害でも、有効な対策をおし進めるのではなく、責任を誰かに押し付けることに終始しているのが日本のとりわけ「保守」派の実際です。

暴動や略奪は起きないが、責任逃れで自身が生き延びようとする無責任な保身は起きています、これのどこに道徳や民度の高さがあるのでしょうか。
- Count.4 (Last.2011/04/11 12:39) -


5. <パチンコは国賊だ!!・・・?>  主 張(主権回復を目指す会) - 2011/04/11(Mon) 14:28 ID:9VrV5A76 No.363
投稿 大阪 増木重夫

    <パチンコは国賊だ!!・・・?>

選挙の喧騒も終わらぬ今日、石原都知事が早速仕事始め、下記のようなコメントを出した。

心情的な思いは横においておいて、とりあえず、電力消費のピーク時の正午から4時頃まで、パチンコを禁止にしたらいいのでは。そもそもそのような時間にパチンコへ行くこと事態がおかしいのだ。

東京都が貧乏になる前にピーク時の節電が最優先。どうしてもパチンコの営業をしたいのなら、営業時間を夜中に延ばしたら。

先日「夜中にくだらん番組を止めろ!電気がないのに!」とTV局にクレームを入れたら、敵もさるもの「夜中は電気が余ってますので・・・・」ナ・ル・ホ・ド・・・それならお昼のメロドラマを止めろ。生活に最低限必要なものに電気を回せ。電車を止めるより、パチンコを止めるほうが先ではないか。

お昼は看板の照明も消そう。電飾看板の電気が消えていても看板は読める。
電飾看板の上から「営業中!」と紙でも貼っておけばわかるだろう。

知恵を絞ればいくらでも何とかなると思う。規模は違うと思うが、基幹産業への送電ストップは最後の最後手段だ。

【参考】
石原氏「パチンコと自販機、考え直そう」節電要請も
2011.4.10 10:22:04 日経
 「東京の力を国のためにささげよう」。4期日の当選を決めた石原慎太郎氏(78)は10日午後8時50分ごろ、東京都港区の事務所に集まった支援者100人余りを前に呼びかけた。東日本大震災の被災地に配慮し、当選後の万歳は自粛した。

 この日も防災服姿で現れた石原氏は次の4年間の政策について「にれまでと)同じことをやるしかないんだ」と強調。防災分野では「震災で東京が完全な防災都市ではないことが分かった。都民が安心して暮らせるよう努力をしなくてほいけない」と話した。被災地への支援は「要望があったら何でもやります」と表明した。

 また「パチンコと自動販売機は大きな電力を使う。生活様式を考え直したらいいんじゃないか」と節電を求める可能性に言及。「自販機が無くたって生きていける」と強調した。

 震災対応の公務を優先しほとんど選挙活動をしなかった同氏だが、圧倒的な強さを見せて早々と勝利を決めた。事務所1階に集まりテレビを見守っていた支援者らは当選確実の一報が流れると拍手したり、お互いに握手したりして喜んだ。 
 支援者の男性の一人は「震災で漠然とした不安が都民に広がるなか、方向性を示し
てくれそうな石原さんに票が集まったのだと思う」と話していた。
- Count.5 (Last.2011/04/11 13:18) -


6. ダックスフンドを見よ!かくあるべき我日本  主 張(主権回復を目指す会) - 2011/04/11(Mon) 14:46 ID:9VrV5A76 No.364
投稿 大阪 増木重夫

<ダックスフンドを見よ!かくあるべき我日本>


忙中閑有。前半が終わった。束の間の休息。

事務所へ行く途中の交差点。ひときは足の短いダックスフンドが優雅に散歩。
飼い主はこれまた品のいい年配のオバさん。

アチャ〜〜〜〜マズイ!前方からシェパード系の大きな犬が2匹散歩。飼い主はチャウチャウ(見たいな人)。エライガッチンコかと思いきや。

この50〜60センチくらいのダックスフンド猛然と吠え出した。全身で飛び跳ねながら吠え出した。何と、このシェパード系の大きな犬は尻尾を巻くようにスコスコと退散した。

そのとき思った。かくあるべき、我日本!
                      マスキ
- Count.6 (Last.2011/04/11 14:28) -


7. 原発を隠れ蓑にした核武装論は「こそ泥」根性そのものである!  主 張(主権回復を目指す会) - 2011/04/11(Mon) 16:51 ID:Zki9ZR1E No.365
投稿 松本英志

<原発を隠れ蓑にした核武装論は「こそ泥」根性そのものである!>

私の「主張欄」への初稿は「匿名を止めよ!」である。

匿名で物申すとは、まさに「こそ泥」根性、「火事場泥棒」的根性の萌芽ではないか。

堂々と名を名乗って物申せぬから、名を隠して物を言う。これでは、正体を隠してこそこそと盗みをはたらく「こそ泥」根性そのままである。

堂々と他人(ひと)の物をぶんだくる「略奪」に対して、正体を隠してこそこそと盗みをはたらくのは「こそ泥」。

公然と「略奪」「強奪」をはたらく白人、支那人に対して、こそこそと盗みをはたらくこそ泥の日本人。これは倫理観や民度が高いのではなく、臆病なくせにせこく、こすっからいだけに過ぎないだけのこと。これが昨今の日本人、ありのままの姿を如実に現しているものに他ならない!

インターネット上の「匿名」投稿のはびこりは何も日本だけの現象ではないが、「2チャンネル(2ch)」なる「匿名」掲示板サイトが隆盛を極めている。日本のインターネット事情に観て取れるように、特に日本で顕著であるのは、まさにこの、こそ泥根性に象徴される「臆病なくせにせこく、こすっからいだけに過ぎない昨今の日本人の有り様」の反映でしかない。

そして、このこそ泥根性は、日本の原発政策にも同じように観て取れる。

50年ほど前に防衛庁の核武装研究報告が「原発は核武装を行うために必要である」なる見解を出していたようだが、「核武装」がしたければ堂々と「核兵器保有宣言」をすればいいだけだ。それを「発電を通常通り行なって秘密裏に軍用プルトニウムを取り出す」などという原発を隠れ蓑にしたせこい原爆製造(核武装)をやりたがっていたというのだから、まさにこそ泥的「核武装」である!

こんな「原発」を隠れ蓑にしなければできない、屁っぴり腰のこそ泥的「核武装」根性で、中共や北朝鮮と核兵器で真っ向から堂々対峙できるとでも思っているのだろうか。


日本の原発推進論者の本音が「原発を隠れ蓑にした核武装」であるならば、まさにこそ泥根性そのものである!

「核武装」するならば堂々と宣言してやってこそ、中共、北朝鮮にも日本の「覚悟と意気」を示すことができ、相手に一目置かせることができる、というものである。

大日本帝国時代の愛国歌にはちゃんと、「覚悟と意気を示せ今」という一節があったではないか!

こんな「覚悟も意気」もないこそ泥的「核武装」など、やる前から相手になめられて、逆に脅しのネタに使われるのが落ちである。愛国を語りながら、大和魂を汚さないでくれ!

かつて、人口としてはごく少数者にすぎなかった武士(侍 さむらい)たちが、道義・倫理観の体現者として他の多くの日本人の範となっていたが、彼 らは堂々と名乗りを挙げて戦うことをその矜持とした。大和魂を忘れたのか!

匿名なるこそ泥根性を、当り前のものであるかのごとく思っている今日の日本人。

つくづく、武士(侍 さむらい)という道義・倫理観の体現者たちの消滅が、いかに日本人をダメにしたかを思わずにはいられない今日この頃である。
- Count.7 (Last.2011/04/11 14:46) -


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