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原子力の隠蔽体質・・・何が見えるか? (その1)




原子力の隠蔽体質・・・何が見えるか? (その1)

 

 2007年、北陸電力の社内調査に始まった「制御棒の脱落による臨界事故」は日本の原子力発電所の事故としてはもっとも大きなものの一つである。その後、東京電力を始めとして複数の電力会社が「制御棒の脱落事故」を隠蔽していたことが明らかになった。

 

 原子力には隠蔽体質があるが、なぜあるのか、そこから何が見えるのかを考える前に、

「そもそも、制御棒の脱落というのは、大騒ぎするほどの事件なのか?」

について整理をしてみたいと思う。

 

 原子力発電所とは炉の中で原子爆弾を爆発させることである。キュリー夫人の努力で「原子力」というものが知られるようになってから、ものすごい力を持っていることがわかってきた。そして物理学者の研究によって、ウランを核爆発させると原子爆弾ができることもわかった。

 

石油や石炭にはないほどの巨大なエネルギーを生み出すので人類にとっては、エネルギー源としてはありがたい。そこで研究が行われ、原子力発電を最初に成功させた人は第二次世界大戦中にイタリアからアメリカのシカゴに移住していたエンリコ・フェルミという大物理学者だった。

 

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(シカゴで人類初の原子力発電に成功したフェルミのグループ)

 

 でも、あまりに急激で膨大なエネルギーを出すので、爆弾ならともかく「発電所」のように「徐々に原子爆弾を爆発させる」などという器用なことはできないと考えられていたのである。ウランは核分裂反応を始める(臨界)と止めどもなくすすみ、爆発する。それも瞬間的だから止めようがない。

 

 原子爆弾ならできるだろうが、原子力で発電をするのは無理だ・・・というのがおおかたの予想だったが、科学者とは恐ろしいものだ。「制御棒」というのを考え出した。核分裂と制御棒というのを日常的にわかりやすい「火災と消防車」で説明してみたい。

 

 火災は急激に起こる。最初は少しずつ燃えていると思ったら、ある時の急激に燃え始めて、手がつけられなくなる。そんな時に消防車が駆けつけて水をかけても「焼け石に水」だ。

 

 そこで、火がチョロチョロと燃えている時に「熱を吸収する棒」を差し込み、それで熱を吸収する。まだ火勢は激しくないので熱は棒に吸収されてチョロチョロと燃え続ける。それが原子炉の原理で、常に「中性子を吸収する棒(制御棒)」を出し入れする。

 

 ところで、囲炉裏(いろり)やたき火はこの逆である。燃えているところに冷たい棒を入れるのではなく、たき火の中に燃えるものを少しずつ入れる。原子炉で言えば、燃料のウランを足していく方式である。つまり、燃え方を調整するには、

1)燃えるものを少しずつ加える「たき火型」

2)冷たいものを出し入れして調整する「制御棒型」

の二つがあることがわかる。

 

 原子炉にウランを出し入れするのが難しいので、2)の方法で火力を調整することにした。爆発するものをそんな微妙なもので調整するなんてできそうもないが、能力のある人が訓練すればなんとかなるということになり、原子力発電が始まった。

 

 だから「制御棒の脱落事故」というのはものすごく危ない。原子力発電所が突然、原子爆弾になるのだから危険を通り越している。それを隠蔽したということになると、日本の全部の原子力発電所をいったん、止めてやり直すぐらいの重大なことだ。

 

 電力会社の社長が頭を下げたぐらいで社会は納得してはいけない。

 

 でも、深く考えるために少し冷静になろう。冷静になったからといって怒りを忘れてはいけないが、ともかくもう少し冷静になって先を考えてみよう。

 

 原子爆弾を徐々に爆発させるような危なっかしいことをやっていた原子力発電の新しい技術が登場した。それが「「水」を原子炉の中にいつも入れておく」という方法であり、これを軽水炉と呼ぶ。「水」といっても「ただの水」である。

 

 それまでの原子炉は「重水」「黒鉛」のようなものを使っていた。専門的な話は少し割愛するが、重水や黒鉛は核分裂反応を冷やさないので効率よく核爆発のエネルギーを取り出すことができる。その代わり、危ない。

 

 「冷やしながら燃やす」より「燃やすだけ燃やす」という方がエネルギー効率が良いのは当然だ。だから最初は「重水」や「黒鉛」を使った。イギリス、カナダ、そしてソ連などが盛んにこの方式の原子炉を開発した。チェルノブイリもその一つだった。

 

 でも、危ない。私は原子力発電を支持しているが、もし軽水炉がなかったら私は原子力反対派だっただろう。

 

水を原子炉にはっておくと、間違って核分裂が進むと温度があがり、水が急激に中性子を吸収する。だから猛烈に「冷えて」原子炉の暴走は止まる。つまり水の性質自体が「自動安全弁」になるのである。

 

 これはすばらしい。たとえば家に暖炉があって、普通に暖をとっている時には空気中の酸素を反応して暖かいが、ひとたび暖炉の火が壁に移って火事になりそうになると、空気中の窒素が反応して火事を押さえるようなものだから暖炉の火を消し忘れても安心だ。

 

 使いたい時には妨害せず、事故が起こりそうになるとそれを止める。原子炉にとって水は神様のようなものである。軽水炉はアメリカで誕生した。加圧水型と沸騰水型があるが、いずれも水のこのすばらしい性質を利用している。

 

 だから、表現は悪いが、頭もほどほど、訓練もしていない人が日本の軽水炉を運転しても爆発することはない。事故でも放射線はほとんどでない。事故を起こせば発電所、つまり電力会社は痛手を受けるが住民は安全だ。だから軽水炉は良い。

 

 ところで人間は浅はかなもので、水を使うのですっかり安全と思うと、今度は制御棒がいい加減になる。それが今度の事故だ。「昔は制御棒が大切だったけれど、とにかく水を使っているのだから大丈夫だ」と思うようになる。そこで今回の隠蔽になった。

 

 でも、原子力発電所の安全は、1)水、2)訓練された人がまじめに制御する、という二つのことで保たれている。原子炉自体は危ないものだから、安全弁が一つでは心許ない。それが二つあるのだから大丈夫だ。みんなにそう説明している。だから、今回の事故はとんでもなく重要なのである。

 

 私が原子力発電所の所長なら「制御棒が脱落して核分裂反応が制御できなくなった」との報告を受けたら真っ青になっていただろう。そんな事故なのである。

 

 ただごとではない。

 

 つづく

 

 

 

 

 


武田邦彦



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