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(cache) あれから12日 そして現実の生体験手記!: APNEA adventure 石垣島 blog

あれから12日 そして現実の生体験手記!2011/03/23 23:31

一昨日安否を心配していた仙台の知人 (アプネア・アドベンチャーに就活してくれていた男) から 『傷だらけの生還メール』 が返ってきた!

本人の希望もあり、ここに彼の生の手記を添付紹介します。

どうぞ皆さん!これを読んで感じてください。
脚色なし本当の東北沖地震と巨大津波大災害の生の手記です。

以下、長文だが貴重な国分君(コクブ君)の体験手記。

① 【生還】

3/11(金)午前9時。

亘理町・荒浜海水浴場。

今夏の死亡事故0を目指し、役場からの依頼で今年初のライフセービング訓練を実施。

金土日3連チャンの予定で救助要員の大学生たちと朝からブッ通しで砂浜ダッシュなどをこなし、

ヘロヘロになった15時を目前に初日の訓練を終えようとしていた。

ストレッチしながら海を見ると、海面が煮えたぎったお湯のように泡立っている。

その直後、

立ってはいられないほどの激震にみな尻餅をついた。

揺れに揺れる。


さらに揺れる。


異常な揺れが際限なく続き背骨の底から戦慄が走る。

砂浜がひび割れて段差がで始める。


ただの地震ではないと悟り防波堤まで戻るよう指示。

しかし往復18㎞もある浜の中腹にいたため、

かなりの距離を走らなければならない。

遠い遠い、

めまいがするほど遠い道のりを、

何度も足を取られながら、胃液が逆流するほど走りに走った。


それぞれの車で高台へ逃げるよう声を張り上げる。

続いて自分の車へ向かおうとした矢先、

海に落ちた釣り人&サーファーを発見。

消防団のにいちゃんたちは泳げないという。


仕方なく外気温が3℃の中、パンツ一丁で海へ飛び込み、重装備の釣り人から救助。

だがオッサンは完全にパニクッて鬼のような形相でつかみかかってくる。


顔面をぶん殴って大人しくさせ、

水中で立ち泳ぎをしながら肩に足を乗せて防波堤へと押し上げた。

続けて1人また1人と救助し4人目を助けようとした時、

今の今まで横にいた若者が一瞬で沖へ運ばれた。

空は墨をぶちまけたような暗黒に渦巻き、

砂浜を境に青と黒まっぷたつに割れている。


辺りは雷鳴のような轟音が鳴り響き、

信じられないほどの早さで一気に波が引いた。

見たこともないほど沖まで砂地が露出し、

魚がピョンピョンと飛び跳ねている。

アカン…

要救助者はまだ多数いたが俺だって死にたくない。


水から上がり、慌てて服を着た。

「助けてくれ!!」と泣き叫ぶ怒号と悲鳴。

悲しそうな目で俺を見つめ沖へ運ばれてゆく人々。

見なかったことにして先を急いだが…足が止まる。

くるりと振り返り、

ふたたび飛び込もうとして上着に手をかけた時、

見上げるようにそそり立つ巨大な白い壁。


俺は走った。
死に物狂いで走った。


轟音が背後に迫り来る。


波に飲みこまれる間一髪でブロック塀へ飛びつき、


すぐさま真横の電柱へ飛び移った。

上へ上へ死に物狂いで這い上がる。


足のすぐ下を怒濤の勢いで濁流がなだれ込む。

家屋を飲み込み、

松林をなぎ倒し、

電柱を引き抜き、

すべてを木端微塵に破壊しながら流れてゆく。


そこで俺が見たものは、


地球の滅亡を想わせる光景だった。


あちこちで爆発が起こり、火柱が上がる。

高圧電線が音を発てて弾け火災が多発。

ワイヤーで固定された電信柱と鉄筋の建物以外はすべてが飲み込まれた。


それから約3時間、


俺は救助が来るのを信じ、必死で電柱にしがみついていた。


横殴りに雪が吹き付ける。

歯がガチガチに鳴って噛み合わない。

上空をヘリが飛び交う。

どんなに叫ぼうとけし粒のような俺に気付いてはくれない。

握力がみるみる削り取られていく。

刻一刻と陽が沈み、

吐く息は白くなる一方。

耳はちぎれそうな激痛。

指先の感覚はとうにない。

このままここにいたら死ぬ…

俺はついに覚悟を決めた。

電柱の一番上まで上ると、高圧電線に恐る恐る触れてみた。

電流がないのを確かめて、決死の覚悟でぶら下がる。

レスキュー隊のように3本の高圧電線を伝い、

一歩、一歩、這うように次の電柱まで進む。

落ちたら引き潮の渦に飲み込まれて死ぬ。


地上20メートルの上空に猛烈な吹雪が吹きつける。


突風にあおられ何度も落ちかけながら、


果てしなく遠い次の電柱へイモ虫のようにノロノロと進む。

どんどん陽が沈んでゆく。
焦っても焦ってもなかなか先へ進まない。

何度もとまり、

何度もあきらめかけ、

叫び声を上げてまた進む。

クンダリーニ・ヨーガの火の呼吸で体の中心に炎を宿し、


完全に凍えるのを防いだがそれにも限界がある。


すっかり陽が沈んで辺りが夕闇に包まれた頃、


やっとの思いで最後の電柱へとたどり着いた。


しかし…


電線は根元からずたずたに切り裂かれていた…


この時の落胆と絶望をどう表現すればいいのか。


俺はがっくりとうなだれ、両手に顔をうずめた。


思考も体も外気温の低下とともにみるみる凍結する。


もはや万事休す。


切れるカードはみな使い切りもう打つ手はない。


眼下には目を背けたくなるような地獄絵図。


人形のような屍の山が藻屑とともに流れくる。


耳の穴に少しずつみぞれが降り積もり、


冷たいや痛いを通り越し、吹き付ける雪になぜか熱を感じる。


辺りは既に漆黒の闇。


尋常ではない暴風雪。

このままでは凍死する。


救助を期待することはもう完全にあきらめた。


頼れるのは自分だけ。


子供の頃から絶えずあった概念が今、


究極の形で試される。


喉が焼けただれんばかりに絶叫し、


すべての迷いを断ち切る。


犬や猫など置き去さられたペットの死骸、

牛、馬、豚など家畜の死骸。
そしてるいるいたる人間の遺体が浮かぶ中、

俺はうねり逆巻くどす黒い激流へ飛び込んだ。

全身に電流が走る。


さっきの冷たさなど問題にならない。


冷水をたっぷりとふくんだ衣服が水の鎧と化す。


複数の人間がしがみついているように動きを阻害し、

すさまじい水圧が俺の体を沖へ運び去ろうとする。


「ちきしょうッ!!」


「死んでたまるかコラッ!!!」

叫ぶことで自らを鼓舞し、木から木へ瓦礫から瓦礫と泳いだ。

手をかき足をかき、

墨汁のようなうねりの中を持てる技術と能力と精神力を残らず出しきり、

全身全霊をかけて泳いだ。

泳ぎ続けた。


海へ引きずり込まれる寸前防波堤の残骸にぶつかって止まる。

震える手でコンクリートをつかみ凍りつく体を引き上げた。
もう体が動かない。

朝から飲まず食わずで一体どれほどエネルギーを消費したのか…


あきらめたら死ぬ。

死んでたまるか!!


よろめきながら立ち上がり震える歩を進める。


本当に1㎝ずつ足を進めた。

低体温症になるのを防ぐためにまた火の呼吸をする。


しかし極度の疲労と空腹、そしてあまりに膨大な消費エネルギーに崩れ落ちる。

ずぶ濡れの体に吹き付ける氷点下の風。

足元も見えぬ漆黒の闇。

雄叫びを発して膝を立て、

渾身の力で立ち上がる。


そしてまたひきずるように震える歩を進める。


釘が飛び出した瓦礫の山にうず高く積み上がる流木が行く手をさえぎる。

海面と地面の区別がつかず何度も深みにはまり、

首まで海水につかる。

また這い上がる。

またはまる。

そんなことを嫌になるほど繰り返しているさなか、


またも地獄の底から轟音が響く。


「うそだろぅ…」


驚愕の眼差しを向けた時、

暗黒の大海から押し寄せる強大な白い壁。


逃げる間もなくやすやすと瓦礫の山を乗り越え、


津波の第二波が来襲。


今度は完全に頭から飲み込まれた。

どっちが空でどっちが大地かも分からないほどぐらんぐらんに引き回され、


巨大洗濯機へ放り込まれたようにぐるぐる回る。


あぁ……


俺はこんなことで死ぬのか…

そうか…


死ぬのか……



塩辛い暗黒の無重力世界で俺は他人事のようにそんなことを考えていた。


あきらめかけた矢先、


背中が鉄柱に激突。


何がなんだか分からぬまま上半身だけで這い上がり、

一度は完全に消えたはずの握力で鉄柱にしがみつく。

すさまじい水圧が俺の体を根こそぎ引き離しにかかる

死んでたまるか!!


死んでたまるか!!


体が真横になっても絶対に手は離さなかった。


その時、


俺は確かに声を聞いた。


誰かの声が、


「お前はまだ生きろ」


「お前にはまだやるべきことがある」


そう言っていた。





10分後、


クツもズボンもパンツも靴下もすべて流され、

下半身丸出し。

素足のまま寒風が吹き荒ぶ闇夜をとぼとぼと歩いた。

漏れた油が月光に反射し、夜行虫のようにうごめいている。

足を踏み出すたびに水面がキラキラと光る。

時間も方角も分からない。
もう自分がどこで何をしているのかも分からない。

見慣れているはずの亘理の風景はどこにもない。


気が遠くなるほど長い闇を機械仕掛けの人形のように黙々と歩いた。

そしてついに力尽きる…

完全なる電池切れだ。

がっくりと膝が折れ、

汚泥の上に崩れ落ちた。

あおむけに横たわる。

見上げれば満天の星。

ひっきりなしに流星が飛び交う。


助けてください。


助けてください。


くちびるが声にはならない声をつぶやく。


タイタニックのジャックのように、髪の毛やまつ毛がバリバリに凍りついている。


精も根も尽き果て、

静かに瞳を閉じかけた時、
瓦礫の中にゆれ動く灯りが見えた。

俺はガチガチに固まった体を無意識に引き起こし、

また1㎝ずつ歩いた。


もう一滴の声も出ない。


誰かが俺の体を勝手に操作しているようだ。


水産加工会社丸新ビルの3階から薄灯りがもれている。

俺は30分以上かけて階段を這い上がった。

屋上へ逃げて助かった丸新の社長夫妻と漁労長の3人。

時は深夜1時半。

下半身丸出しで急に現れた俺に仰天した彼らだが、


すぐリンゴをむいてくれた。
むさぼるようにかきこむ。
出された水も喉を鳴らして一気に飲み干した。


震えが止まらずぼたぼたとこぼす。


着替えと毛布をくれた。

裸の大将のようなへそより高いでかパンツ。

ラクダのももひき。

おばぁちゃんの赤い毛糸のとっくりセーター。


凍えきった体で眠ることもできなかったが、


止まらない手足の震えは、いま生きていることをありありと実感した。



朝9時からトレーニングを始めて約16時間。

それから俺は飲まず食わずぶっ通しで動き続け、


誰ひとり助けのない孤独な闘いに打ち勝った。


俺は生きて帰った。


生きて帰ったのだ。



これが3/11(金)深夜1時半、生還劇の全貌である。


※、以上 ここで山下の心境を付け加え中座しますが、 国分さんの【生還】手記は3番まで送ってくれている、次の②【帰還後】も長文で惨い現実体験記だがいっぺんに読んでくれる皆さんにも是非、お伝えしたい真実なので続けて掲載します。


②【帰還後】

翌日は社長夫妻や漁労長を自衛隊のヘリに乗せ、

俺は心身共にズタボロのまま消防団の救援活動に参加。

瓦礫の中からまず息がある人を優先して捜索。


ヘリから降り立った赤十字の医療団は、


職務上しかたないとはいえ助かる者とそうでない者をわずか数秒で判断し、


容赦なく切り捨てていく。

初めて見るトリアージに戦慄とむなしさを覚えながらも、

俺は俺のできることだけを精一杯やった。


そして数日ぶりに町中へ。

赤十字の医師によれば俺は全身89ケ所の擦過傷と刺傷。合計28針を縫った。


少し休めと1人用テントをあてがわれたが、


なぜか眠る気がしない。



風呂も入れず、歯も磨けず、限界を通り越してにおいもかゆみも麻痺している。


旅での風呂なしは最長5日。

今回はその倍以上でいくら旅なれた俺でも正直キツイ。


まして普通の人なら拷問に近いだろう。


特に避難所にいる赤ちゃんを連れたママたちは辛い。


ミルクもオムツもなく悲惨の一語に尽きる。


亘理は報道も少なく、


すべてにおいて後回しだ。


被災した夜はのどの渇きに絶えきれず、


俺は自分の尿を飲んだ。


何ら恥じることはない。


生きるのが先決だ。


自分で言うのもなんだが、

俺には一生物としての尋常ならぬ生命力があった。


それに日本一周や北中南米の旅で得た死ぬ一歩手前、限界ギリギリの過酷な体験。

日頃からの異常な運動量のトレーニング。

スポーツ・インストラクター20年選手としての経験と知識。


フツーの人がフツーに生活していたら、

まず出くわさないであろう数々の修羅場、


命のやり取り。


そうした場数を踏んできた経験が冷静さを保ち、


どう転んでも助かる見込みのない、

希望を見出だせる要素など1ミリもない状況でもパニックに陥らず済んだのだろう。


そして何より、

「死んでたまるか!!」という怨念にも似た執念。


そんなこんなをひっくるめたすべてが一つに集約し、俺の命を紡いだのだろう。


フツーの人は電柱に3時間つかまるのもムリかも知れない。


だが子どもの頃から遊んだ荒浜の海は、

原爆を投下したような焼け野原へと変わり果てた。


もはや見る影もない。



ニュースステーションや朝日新聞などマスコミ各社の取材は断った。

助けられなかった人の方が圧倒的に多いからだ。


中学の同級生たちもかなり死んだ。

津波がくる直前までともに救助活動をしていた警官や消防団の青年たちもみんな死んだ。


いとこや親戚のほとんどは一週間が過ぎた今も安否が分からない。


ヘドロをかき分けながら町へ向かう時、


木の枝からぶら下がる中年女性の遺体を見た。


深みに背中を見せて浮かぶ子ども。


瓦礫の隙間から飛び出している無数の白い手足。


あぶくま大橋では若いママがチャイルドシートに幼児を乗せたまま車ごと波に飲まれた。

戦争でもないのに数え切れないほどの遺体を見た。



俺だけがこうしてのうのうと生き残ってしまった…


他の地域がより酷いせいか亘理の遺体回収は後回しにされている。


帰還後、


奈良県から派遣されてきた自衛隊テントで初めてテレビを見た。


上手いこと遺体だけ外して映している。



車のドアをバールでこじ開け、金品を強奪する人々。

給水車を前にわずか一列の違いを巡り、

唾を飛ばして激昂する醜い大人たち。

そんな親の姿を見て途方に暮れる子ども。



俺とは仲が良かったが、


役場ではいつもは役立たずと陰口を叩かれていた産業観光課の斉藤班長は、


自分の家族を投げ打って、部下や住民のため汗をふりちぎって奔走していた。


女子職員から絶大な人気の加藤次長は、

さっさと自分だけ山梨県へ避難してしまった。


自分のことは後回しにし、一心不乱に救助活動をする一般人の青年を見た。


両親の安否も分からぬまま不眠不休で介護する女性がいた。



生まれて初めて間近に見る地獄絵図に原発の恐怖心が拍車をかけ、


みな集団心理特有のパニック状態に陥っている。


異常に雄弁となるか一言も語らず一点を見つめている極端な違い。


報道はされてないが相馬、山元、亘理は未曾有のパニック状態だ。


他人のことなどかえりみず人を蹴落として生き抜こうとする人々。


そのおぞましき姿はもはや人間ではない。


まさか自分の町がこんなになるとは…



こうした生きるか死ぬかの修羅場にこそ、


それぞれが内包する真実の【人間】が露わとなる。



おてんとさまは見ている。


俺には御大層な宗教心などないが、


善も悪もおのれの胸にあることを知った。



自衛隊から出た豚汁と握り飯は死ぬほど美味かったが心の底から喜ぶことはできなかった。


しかし俺は天の声をハッキリと聞いたのだ。


「お前はまだ生きろ」


「おまえにはまだやるべきことがある」

と…


不思議なことに、

その声は間違いないくこの俺自身の声だった。


俺のやるべきことは何か…

今の俺には分からない。


ただ一つだけ分かっていることは、


それを探しながら生きていこうということだ。



おめおめと生き残ってしまった俺は、


彼らの分まで生きなければならない。


明日はくる。


必ずくる。


そう信じて歩いていこう。



③【お願い】

今春から職場になる予定だった海辺の町は過疎地域。
銀行が一軒もない。


そのため被災当日は郵貯へ一点集中しようと、

3ケ所の銀行から現金を全ておろし、車に積んでいた。

キャッシュカードもVISAもETCも、
免許証も保険証も通帳も、

その日に限ってなぜかありとあらゆる貴重品を車内に入れていた。


そして積年の想い出が詰まった我が愛車は遥か外洋へ消え去った。

つまりほぼ全財産を失ってしまったことになる。


もうその町もない。


亘理よりはるかにひどい、壊滅状態だ。




そこでお願い。


いつか宅急便などの物流が一般人にも再開したら、


日持ちのする食品や衣類を送ってくれると嬉しい。
(カロリーメイト、水、ジャージetc~)




そして少し言いにくいが、


ほんの気持ち程度でいい。

一円でも送金してくれると生きのびる希望が持てる。

決して無理はしないで。


あくまでも出来る範囲でのお願い。


今回の被災で唯一の光は、

長らく疎遠だった人からの連絡だった。


何もかも失ってしまったが俺にはまだ命がある。


そして俺の安否を気遣ってくれた友人知人がいる。


それだけで俺は生きている価値がある。


素直にそう思えた。



この一連のメールは9日ぶりに復活した携帯で打ってる。

ガラスが散乱した自宅の部屋から発見した、


02年当時に使ってた激古の携帯を0円で再契約。


文字が、


言葉が、


津波のように沸き上がってとまらない。


洪水のように次から次へと文章が押し寄せる。



連絡が遅れてすみません。


俺は今、生きています。


2011.3.21(月)

国分文隆



追伸.


今は電気、ガス、水道、ライフラインすべて遮断されてる。


亘理町は復旧の目処が立ちそうもない。


車もなければ電車もない。

臨時のバスすら通れない。


だから送金されてもしばらく引き落としはできない。

今回のお願いはいつの日か復旧する日まで、


事前に送金してもらえるとありがたいという話。


頭の隅にでもとどめてもらえると助かります。


よろしくお願いいたしますm(__)m


追、追伸

あの日、


私がどこで何をしていたか


山下さんに知って欲しいと思ったのです。


また記録として様々な方へ転送していただけると幸いです。


事実から目を背けず、


現実にあったことを忘れないためにも。


それが亡くなった人たちの供養になるかもしれないと思ったのです。


でも被災者には厳しすぎる現実かも…


追伸.


携帯から友人へ宛てたメールなのでタメ口になってます。

すみません。


国分


※ 以上が国分文隆さんからの消息無事返信メール全ての全容です。
  そのままを添付してあります。

とても、とても考えさせられました。

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