日本政治の課題

  −−政権交代に向けて

民主党政策調査会長 仙 谷 由 人

この文章は2004年9月30日に電機連合本部主催の会合で講演した内容を仙谷事務所の責任で再構成したものです。

 

 まず7月の参議院選挙、そして昨年の衆議院選挙で民主党が躍進することができました。心からお礼申し上げます。私自身は96年民主党の立ち上げを、菅さんや鳩山さんと一緒に行いました。その前から言いますと、鳩山さん、そして横路さん、落選中だった私などがリベラルフォーラムという団体を作って民主党の立ち上げの準備をして、何とか96年に議席を初めての小選挙区選挙で取ることができて、そして52人の国会議員を擁する民主党を作ったという経験を持っています。その時点から8年経って、衆・参合わせて260人を擁する野党第1党になったということは、感無量ですし、時代の風をここまでは掴めたのかなという気持ちです。

 

これからの政党のトップリーダー

 私自身も、当時52人の小さい民主党の政調会長にそのときに任命をされたわけですが、奇しくもまた今、政調会長という役割を振られています。ただ、52人の議員集団と260人の国会議員の集団というのは全然違います。とりわけ、いまの民主党は、私が党内議員経験上の年功序列で言いますと、上から33番目ぐらいです。岡田さんは上から13番目ぐらいです。つまり、岡田さんはまだ当選5回で51歳、そういう人が上から13番ですから、いかにこの党が若いか。7割以上は当選1回生、2回生です。当選4回生の枝野さんや玄葉さんも、前原さんも、40歳前後の若い人がごろごろいるという政党です。

 私も46歳のとき、当時の日本社会党の議員でしたが、「影の内閣」を勉強しに行ってこいというので、英語もわからないのに1週間、当時、キノックが党首をしていましたイギリス労働党の中へ入りまして勉強しました。そのときキノックさんはうまく政権交代をなし遂げられなかった。その後を継いだジョン・スミスという人は温厚な、優秀な人だったのですが、この人が心臓麻痺で亡くなって、それでブレアが出てきたわけです。

 ブレアの出てき方を見ると、やはり成熟した民主主義というのはこういう40代中盤の人を押し上げる。ブレアや、その前、保守党で首相をしていましたメージャーという人も40歳半ばで当時のサッチャーの後継としてサッチャーから指名されて首相につくということだったのですが、双方とも国会議員経歴が約10年強で40歳半ば、こういうトップリーダーを選ぶような政治でなければ、多分これからの政治リーダーとしてはふさわしくないのだろうと思いました。

 ですから、政治家になる前の、学生が終わってからの10年、政治家になってからの10年、そこでどういう訓練を受けるか、修養するかというのが、これからのトップリーダーの条件だろうと今も思っています。民主党が政権を取るときには、岡田代表の時の可能性が強いわけですが、その次のトップリーダーにかわるときは、多分40代半ばか、50歳前の10年強の経験者がトップリーダーに座るだろう。あるいは、そういう政党に民主党を育てていかなければならないと改めて思います。と言いますのは、我々、つくづく選挙をやって感じるのは、有権者の世代交代というか、後援会の高齢化です。何物をもってしてもあらがいがたい加齢で、歳月とともに後援会も高齢化してきます。

 

 

日本政治の有権者の構造

 話は飛びますけれども、いま台湾が独立傾向を強めているということで、中華人民共和国が非常に警戒的です。これをもう少し具体的に見ますと、独立傾向を強めるというよりは、「私は台湾人である」という世代はどんどん育ってくるのに、「私は中国大陸で生れ、中国大陸で育って、中華民国の人間である」というアイデンティティを持っている人が少なくなっていくというこの自然現象が、いまの台湾の自立傾向をやはり強めている。これはなかなかあらがいがたいことなのだろうという気がします。だからといって、台湾が独立宣言をして、中国がこれにドンパチを始めるということがあってはならないのですが、日本の政治も実はそういう有権者の構造に入ってきていると最近ある学者からも指摘をされまして、私自身そういう感じがします。

つまり、私の政治家人生、選挙人生も、5年後に通用するかどうか、自分をちゃんと見ておかなければならない。それは、私自身がどうのこうのというよりも、私の感性や価値観が影響力を及ぼせる世代的な範囲というのが、私の子供たちの世代まではなかなか及ばない。今の年でいうと、40歳になったぐらいの人にまでは多分、仙谷由人が物を言えば、「あいつはちょっと他のよりましだから、票を入れたろうかな」と、こういう方々はいても、今20代の人にはどうも吸引力、求心力はないのだろうな、そういう自覚は持っていなければならないと思います。

 

参議院選挙−自民党はなぜ負けたか

 先般、私が主宰している勉強会に、田中愛治さんという早稲田大学の政治経済学部の教授にお越しいただいて、参議院選挙の分析をお聞きしました。そのときの話で印象に残ったことを1点だけ結論的に申し上げますと、自民党という政党は3年毎の国政選挙で約100万票ずつ確実に減らしている。元々の1980年代後半からの自民党の持ち票というのは2,200万票ぐらいだ。そこからどんどんと100万票ずつぐらい減らしている。何が増えているかというと、無党派層が増えている。無党派層というのは35%といいますから、約1億人の有権者のうち3500万票です。ここが取れるか取れないかで選挙の結果は決まってくるのだというふうに彼は言います。自民党は100万票ずつ減らしながら、補充が効いているのは8万票ぐらいだと、こういう話を田中さんは分析の中でしていました。

 つまり、どうしてもその分は無党派にいっている部分、あるいは民主党に来ている部分が多いのですが、なぜ今このような結果になるのか。これはなかなか難しいところで、よくわかりません。つまり、今年の政治状況を新聞紙上ずっと追っていただきますと、年明け早々起こったのは古賀潤一郎さんの問題でした。そしてその過程で、全国ニュースとしてはそれほど大きくならなかったわけですが、仙台の選挙違反の事件も、永田町的にはそれほど小さい話ではありませんでした。そして、民主党はバラバラと言われながら、なすすべもなく予算が通過したという評価も受けていました。

そして、4月を越えて年金法案の審議になって、民主党に対して対案を早く出せと、こんなことを言われるうちに、江角マキコの国民年金不払いから始まって、天に唾するように、それが菅直人さんの顔に振りかかってきて、やめざるを得なくなったという、こういうマイナス点が5月の連休明けまで続いたのが今年の政治状況です。こんな状況の中で、なぜ参議院選挙であのような結果が出たのか、ここが本当は政治分析あるいは投票行動の分析としては一番大事なところですけれども、これはほとんどの評論家あるいは研究者がおっしゃっていない。

こんなに客観的な評判が悪かったのに、5月下旬に岡田さんが代表になって、いろいろな人が危ぶむ中で代表として選挙の先頭に立つ。その時は誰もこんな結果を予測はしていませんでした。しかし、世論調査をしてみますと、何故かどうも非小泉、反小泉の雰囲気も弱くはない。東京都で2人目を出せば何とかなるのではないか。神奈川、愛知の2人の候補も勝つのではないか。こういう雰囲気が出てきました。比例区は14から15、もう少しいけるかな、18かなというような雰囲気の話が漏れ伝わってきていたわけですが、全般的な今年の1月からの政治を取り巻く雰囲気を見ていますと、そんな民主党が自民党に対して議席数で勝ち、あるいは比例区の票で430万票も凌駕するということは誰も考えていなかったと思います。「何なのか、これは」というのが、選挙分析や政治構造の分析をする上で重要なことだと思っています。

メディア政治という今の局面ですから、一瞬にして風が吹いたり吹かなかったり。つまり、3年前の小泉さんが、あれも4月の23日ぐらいだと思いますが、森さんの低人気から「自民党をぶっつぶす」といって出てきて以来、天はにわかにかき曇って、それまで必ず当選できるであろうという雰囲気で歩いていた民主党の候補者がバタバタと負けていったのが3年前の選挙だった。しかし、今度は逆のことが起こっている。したがって負け惜しみではありませんが、参議院選挙の場合にはとりわけ都市部の議席数が少なく1票の格差が非常に大きいため、自民党がそういう制度上の支援を受けて踏みとどまっている。あるいは、公明党さんのおかげで、とりわけ1人区で辛うじて議席を維持したということに支えられて、地すべり的な大敗を免れた、こういう状況だと思います。

これは何なのか、何故こういうことが起こるのかということです。私は、国民の皆さん方は何となく、財政赤字の持つ意味、そしてそれを解消する方向に動こうとしない政府与党についての「うさん臭さ」ということを感じている。あるいは今の「冬のソナタ現象」と小泉さんの靖国神社参拝という行為は、感性レベルの話ですけれども、多分逆向きの印象を有権者の多くの方々がお持ちなのではないだろうかというふうに思ったりします。

それから、もちろん公共事業を中心にやってきたこの日本の景気対策、これは雇用対策でもあったのかもしれませんけれど、地方と中央政府の財政赤字が極限まで来たために、もうそういう政策が打てなくなった。そのことによって地方経済が一挙に没落、転落の方向に向かいつつあるという悪い予感。そして、いくら泣いてもわめいても、公共事業は減らすしかないという、この地方政府、市町村の傾向。そしてこのことが、自民党を支えてきた業界単位の団体や業者が白けを生んで、選挙運動も真面目にしないし、あるいは棄権をするか、民主党に投ずるかという傾向になってきたというのが今度の選挙だろうと思います。

 

自民党を支える日本株式会社総体という構造が崩れ始めた

 私は落選中に、何とかして自民党を支える御三家とか四天王とかいわれている建設業協会、医師会、そして農協、商工会議所、これらの団体が中立化してくれれば勝てるという戦略目標を立てました。つてを求めて挨拶をしたり、お願いをしたり、96年の選挙ではまあまあ中立化してもらったというか、表向きは自民党の候補者を推薦しても、3分の1ぐらいは業者の方やお医者さんが仙谷を支持する構造をつくり上げて、それでなんとかなったと思っているのですが、今申し上げたような団体がやはり今度の参議院比例区の選挙を見てもわかるように、歯科医師会の事件もあったり、あるいは日本医師会も診療報酬に関し大金をつぎ込んでロビー活動をやってもこの程度なのかということで白けを生んだり、建設業界は先ほどから申し上げている通りでありますが、そういう状況に今なってきたということです。

 つまり、もう縦割り型の各省庁がトップに立った護送船団型の集合体が日本株式会社総体という構造では、物事は成り立っていかないということだろうと思います。

 まさに縦割り型の構造が日本のすべてのところで壊れ始めて、相当程度まで壊れてきたということなのでしょう。

 そういうふうに自らの政治的な基盤をつくり、そしてそのことをどうしても変えられない自民党政治は、これはほうっておいても終わるのだろうと思います。よく言う話ですが、「金の切れ目は縁の切れ目」というのは、今の自民党政治を端的に表す事柄です。地方から、あるいは建設業協会から、医師会から、いくら要求を出されても、これに税制で、減税という格好で応えるか、補助金という格好で応えるか、公共事業みたいな事業という格好で応えるかはともかくとして、政府が中央集権的に縦割りの構造の中へ金を流し込むことによって、一方では支持を得ながら一方では末端の経済社会を少々ずつでも潤していくという構造がどうもうまくいかないところへ来たのだろう。

 

“三位一体の改革”で問われたこと

 そして、民主党も同じような団体の取り合いという発想で物事に臨んでいったら、これは多分勝てないのだろうと思います。今度の国会で問題になる金目の話、つまり三位一体の改革と郵政改革の話というのは、実は本質はそういうところにある。整理して言いますと、中央集権的な資源配分が終わった。終わらざるを得なくなった。なぜ終わらざるを得なくなったか。これははっきりしている。中央の政府つまり財務省が、そのリスクに耐えられなくなっているというのが本質的な問題だろうと思います。

 この三位一体の改革で言われていることは、議論を極大化して言いますと、もう国はおまえたちの面倒は見られない。したがって、税源を権限とともに渡すから、勝手に増税でも何でもしてやってくれということを本当は言いたいはずです。ところが、財務省はそれを言ってしまったり、それをやってしまったら、自分のところの権限がほとんどなくなるということに気がついていますから、そうは言わない。しぶとく権限と財源を残しながら、やらざるを得ない。どこまでがギリギリかというのをはかりながらやろうとしているというのが実態です。

 それよりも何よりも、もっとしぶとく抵抗するのは事業官庁です。したがって、今の三位一体、補助金の廃止と税源の移譲の問題を、知事会が、三十何項目あった補助金を廃止して、その代わり税源3兆2,000億を下さいと言ったときに、各事業官庁は、文部省をはじめ、すべてといっていいほど、地方自治体を慫慂して、「それをやったら、おまえのところへはこういう金が来なくなるぞ」ということを言って回って、反対させようと、必死になっているわけであります。

皆さんも部分的にはご存じだと思いますけれども、大体夏ごろ以降、国会議員のところには大量の陳情団が来ます。業界の方も来ますけれど、市町村から来るのが圧倒的に多い。私は選挙区は徳島市と佐那河内村だけですから、それほど多くは来てくれませんが、選挙区外の町村が一杯来ます。そして、さあ今日は道路大会、今日は上水道大会、明日は下水道大会、河川大会、治水大会、中央省庁の各部局毎の大会が市町村から出てきた議員と職員と首長さんで持たれます。そこに国会議員が呼ばれて、鉢巻き締めてエイエイオーみたいな話になるのが恒例行事なわけであります。

 これは要するに、陳情して補助金を取りに来いよと。そうしないと補助金は出ないから、おまえのところの予算は組めないよと。ついては、天下りをこれこれ、公共事業であれば、天の声として「この業者を使いなさい」と言って腐敗し始めるというのが今迄の政治だったわけです。したがって、今度の三位一体改革ではもしそういう意味での補助金がなくなれば、中央官庁は仕事もその分なくなるし、彼らの将来の行き先もだんだん減ってくるということです。レーゾンデートルの半分もしくは殆んど全部が欠けるということですから、執拗に抵抗しているはずです。

 我々のほうは幸いにも、若い議員が多いこともあって、そういうしがらみとはほとんど無縁ですから、そこはわりと自由に発想する。中央政府が面倒を見られないということであっても、本当の民主主義とか本当のタックスペイヤーからの政治に対する関わりとしては、やはり自治というのが基本だろう。課税自主権、あるいは中央政府と地方政府とは対等であるという原則が正しいとすれば、これは基本的には中央集権的な補助金をつけて垂れ流すような構造ではなくて、やはり分権的に、ある地域は教育に重点を置く、ある地域は公共事業に重点を置く、また医療に重点を置いた地域が出てくるということでいい。そこまで割り切った政治をこれからつくらなければならない。それが民主主義だろう私は考えているものですから、大筋としては分権化を進める方向で議論を進めて、対案、オルタナティブをつくるときにはつくるということでやりたいと思っています。

 

郵政民営化 − 誰のための何のための改革か

 郵政民営化も、実はほぼよく似たような話だと思います。物事の本質は、郵便事業というのは万国郵便制度というのが明治につくられて、現在も万国郵便制度のもとでの郵便という位置づけになっている。遠く離れた山里へも同じ料金で届くというユニバーサルサービス、これを維持するということが重要だと私も思います。しかし、郵政改革の話はまずは経営形態の話から入るのではなくて、「機能」から考えなければならない。何のための、誰のための改革なのかということをまずは一遍国民によくわかるように、誰かがというよりも、与党、野党、あるいは小泉さんも説明をしなければいけないのではないでしょうか。

そういう観点から考えますと、何が問題か。こんな安心・安全・確実な郵便貯金、簡易保険制度の何が問題なのか。これは本当に根源的な問いであります。大方の国民はそう考えているはずです。ところが、個別に、全く国民にとってすばらしいというのは、なんと国家が(ということは国民の負担のもとに)リスクを背負い込んでいるということです。 つまり、郵貯、簡保の世界というのは、入口−政府保証、出口−政府保証、これを受けた財投機関、石油公団とか道路公団とか本四公団など、あるいは住宅金融公庫をはじめとした公的金融機関を思い浮かべていただければいいわけですが、ここも保証を政府がしているという関係ですから、上からも保証、下からも保証、斜めからも保証しているわけです。政府が保証するということは、国民が保証している。もっと言えば、将来世代の税金でそれを保証する。何のことはない、国民に対して国民が保証するという話になっているのです。

 したがって、この郵貯が正しく利子をつけて国民の懐に返っているように見えるのは、国民の税金を財投機関にほうり込むか、国債の利払いをちゃんとやるか、いずれもがまだ行われているから郵貯がちゃんと返るということに過ぎないわけでして、本当はこの金が外国へ出る、あるいは市中に出て付加価値を稼いで国民の懐に返っていく、そういう貯蓄であればいいのですが、ほとんどの金が、安全・確実を担保するためと称して、市中のマーケットにはほとんど出ていってはならない、国債を買うか、資金運用部を通して財政投融資の世界に行くかということです。

 話が大きく飛びますけれども、これは年金基金などもよく国内のマーケットでPKO=プライス・キーピング・オペレーションのお金として使われている、きょうの夕方もまた1,000億ぐらいは年金資金から金が出てきて、最後の値だけ株式市場で戻したなどということがよくいわれるわけですが、この巨額な資金がマーケットで運用されるときには、ほとんどそういうプライス・キーピング・オペレーション=PKOのように使われるものですから、ふたをあけてみると大抵評価損を受けるというようなことがこの間続いています。

 さらに、シンガポールに年金資金というのがありますけれども、シンガポールの年金資金というのは、実は「これは国内で運用してはならない」ということが決められている。ロンドンのシティとニューヨークのウォールストリートと東京の市場で、公社債とか国債とかあるいは株式の運用を、優良な会社の株だけをちゃんと買うとか、そういうことをして運用しているようです。これは、あの人口の国では、いつシンガポールドルというのは不安定になってもいけない。だから、ポンドとドルと円で持つ。つまり、国が潰れても年金基金だけは潰れさないという、そういう運用の仕方をしている。

 私も91年の証券・金融スキャンダル以降、証券・金融の問題に少々かかわってきたわけですが、あのころに言われたのも、結局間接金融から直接金融へと資金循環を変えなければならない。間接金融、つまり銀行を通した金融、郵便局を通した投資運用というのはもう限界があるのだということが言われたはずです。つまり、メガバンクも含めて、なぜ大銀行がうまくいかないか。皆さん方がお勤めになっているような会社が銀行からお金を借りなくなったから。借りて、利息をつけて返してあげなくなっているから、今銀行はああいう状況にこの10年間なってきているわけです。皆さん方のお勤めになっている会社は、銀行からも全く借りないことはないのでしょうけれども、相当部分はマーケットから調達するという行為になっているはずです。

 そうすると、これは考えてみると、大銀行にせよ、地方銀行にせよ、郵便貯金にせよ、投資運用というのはいかに難しいかということを意味していると思うのです。投資運用に失敗しても利息をつけて返してあげるという行為は国家でなければできないわけです。国家でなければできないから、銀行がつぶれたときには国有化をするとか、預金保険機構のお金で助けるとか、それでも間に合わなければ全額保護のおふれを出すとかいうことになったのがこの間の経緯であります。要するに、投資運用をできない。とりわけ、中央で巨額のお金を握って、これを運用して、それをもう一遍返すということが困難になったというのが郵政改革の本質だと思います。

 したがって、本当は最終的にはこの郵貯と簡保の世界というのは、民間が自由に投資するが、しかし、そこに預ける人も銀行に預けるのと同じように、あるいは株式を買うのと同じようにリスクはあるのですよということを覚悟しなければならない時代だ。そういう時代、そういう経済にいまなってきているのだということをちゃんと政治の側から、与党政府の側から本当は説明をしなければ、何のために郵政改革、郵政民営化と称するものが必要なのかがわからないと思うのです。つまり、国民に損をしてもらうこともあり得るところに立っていただかなければ、この郵貯、簡保というものはもたない。持続可能性がないということを、問わず語りに語っているのが今の状況だろうと思います。

しかし、問題は現在の状況です。この巨額になり過ぎた郵貯と簡保をそうそう簡単に、今言ったような理屈の上で、これをリスクマネーに変えるのだと。民間の資金に流れるように、あるいは外国へ持っていって投資運用ができるようにするのだと。事はそれほど簡単ではありません。というのは、国債を150兆円も握っているからです。日本銀行も100兆円持っているわけです。全国銀行も100兆円持っています。つまり、ある意味でパブリックセクターやそれに近いところが巨額の国債を持っていますから、郵貯が毎月1兆円でも売り出そうものなら、これは当然のことながらバランスが崩れて、国債が値崩れを起こします。長期金利が上がるということになるわけです。そういうことをどのようにして、金融問題、国債管理の問題として行うのかというのが本当は相当大事な問題であります。

 

臨時国会で問われる政治とカネの問題

 ですから、小泉さんのように郵政民営化を大声で叫んでいるだけでは、むしろかえって危ない話になってくると私は思っていますが、今度の臨時国会では諄々とその辺を国民にわかりやすい議論をしなければならない。そして赤字垂れ流しの、いわば不良債権化した特殊法人、この整理を少なくとも同時並行的に進める。郵貯、簡保の規模を縮小させる方向にまずは向けるということがないと、着地点が民営化であろうとなかろうと、これは危なくて、そうそう急な話にはならないのではないか。そんなことを私自身は考えています。

 今度の国会は、そういう構造改革的、構造的な問題、先ほど申し上げました三位一体改革、そして郵政改革というのが金目の問題としては相当大きい問題ですし、これは直ちに地方経済だけではなく、経済成長の問題にも響いてくる問題ですから、相当気合を入れて、そして慎重に、かつ大胆にやらなければならない議論だと思っています。更に私どもは今回、年金改革法も出し直しをしなければならない。さらに日本歯科医師会の事件に見られたように、相も変わらない金権腐敗構造を解明すると同時に、新しい政治資金規正法改正案を用意しなければならないという課題もあります。昨日も橋本龍太郎さんに対し民主党の議員から告訴していましたのが不起訴、青木さんが不起訴で、野中さんが起訴猶予という話になりました。何故か村岡さんだけ在宅起訴ということになりましたので、検察審査会に、このようなおかしい処分はない、もう一遍調べ直せということを求めて申し立てを行うことになっております。

 そういう相も変わらないどろどろした話もあるわけでありますが、しかし、今国会、そして通常国会の懸案は、イラク戦争がこれからどう泥沼化するか。そしてパウエルさんですら、大量破壊兵器はもう見つからないのだ、そもそも情報が間違いだったんだということを言わざるを得ない状況にまでなっていますので、イラクの問題というのも、自衛隊派遣の期限が切れたら、延長しないで帰っていらっしゃいと主張しています。いずれにしてもこのイラク戦争、イラクの戦後復興の問題も、仕切り直しをして、国連が実質的に乗り込んでいく、そういう態勢を取って、その一翼を担うという格好以外には成功しない。

 そうでないとアメリカのダミーがやってるのだみたいな話で、いつまでも抵抗闘争が続く。自衛隊も行っても仕事ができない。今もサマワの宿営地の中で塹壕戦をやっているように、閉じこもった中で仕事をしているような感じですが、せっかく自衛隊があそこへ行っても、もったいないなと、そんな感じを持っていまして、その辺の議論も大胆にやっていかなければならないと思います。

 

総選挙に向けて−日本政治の4つの課題

 話が大きく変わるわけでありますが、そういう議論をしながら、2年後もしくは3年後の総選挙に向けて、そこでのマニフェストをどうつくるか。自民党ではできない、民主党でしかできないことをどう提示するのかというのがわれわれの課題である。そういう戦略的な観点に立った政策あるいは構想をこれからもう一遍練り上げていかなければならないと考えています。

 私は、日本の行き詰まりは4つぐらいの原因があると見てまいりました。

@ 資源配分の集権的構造の打破

 1つは、本当は第3番目じゃないかと思っているわけでありますが、資源配分の中央集権的な構造をどうしても直すことができない。さっきから申し上げている予算でいえば、三位一体の改革といわれていますけれども、分権的な予算配分をする、財源、税源の移譲をし、地方の自立財政をつくる。地方財政を自立するというところに日本の制度改革ができないというところが一つの大きい問題だと思います。これは予算だけではなくて、さっきから申し上げていますように、メガバンクが東京を中心にすべてを仕切る。いったん東京に金を引き揚げて、そこから日本各地にも配ったり、あるいは外国にも持っていく。この構造がどうも限界に来ているというのが一つ考えているところです。

A 産業のサービス化に対応した経済政策の転換

 もう一つは、経済構造の問題として、これだけ産業がサービス化あるいはソフト化しつつあるのに、それに適応する政策がほとんど打てなかったということが大問題だと考えています。そのことが相当フリーターとかパラサイトとか、あるいは青年無業とかニートとかいうものを生み出している原因の一つでもあると考えますし、地方経済の落ち込みというのも、そこと関係があるように思います。

 このことは、よく考えてみますと、97年、電機連合の皆さんに電機連合経営体のほうのアジアと国内における従業員が80万・80万で同じになったという話を伺ったことがあります。「そうですか、そんなにアジア、とりわけ中国が生産工場になりつつあるのですか」という驚きの思いでその話を受けとめたことがありますが、現時点ではどのぐらいになっているのでしょうか。去年か一昨年では90万人と50万人ぐらいという話、つまり日本国内が50万人ぐらいになったという話を伺ったことがありますが、多分80万人で行っていた仕事を50万人でなさっている。つまり、生産性の問題としてはそういうふうになっているのだろうと思いますけれども、いずれにしてもこれは先進国、先進地域の宿命の部分もあります。それから日本の、とりわけ為替政策、通貨政策の失敗で、必要以上に円高が続いているということとも大いに関係があると思います。つまり、円が高いから、国際比較した上での労働賃金、土地代、あるいはすべてのコストがドルベースで見ると非常に高くなっている。だから、安いところへ生産工場を移すという資本の論理と行動が出てくるのは当然といえば当然の話で、そのことが日本の産業界の空洞化をより促進させたということもありましょう。しかし、相当部分は先進国の宿命ということになります。

 それは89年のベルリンの壁崩壊ということによって、土地が輸入できるようになったのだという言い方をする人がいますけれども、要するに共産圏とか社会主義経済圏といわれたところが開放されてきたということも相合わさっているわけですが、そういう状況で先進国の経済は当然のことながら高付加価値化あるいは知識集約型にならざるを得ない。サービス化せざるを得ないというところに、それに対応するような就労構造をつくるということに、とりわけ中小企業の、日本の雇用者の70%〜75%が働いている中小企業のところに政策を打てなかったということが大問題だと思います。

 

日本の出生率低下は女性からの抗議のあらわれ

B 女性の社会的位置づけを明確に

 そのことは、多分女性労働についても同様のことがあるのではないか。つまり、女性の方々を家計補助的、補完的な労働スタイルから、彼女たちが持っている実力どおりに企業内でもちゃんと配置する、あるいは社会的にもちゃんと処遇するということが本当は必要なのに、男女雇用機会均等法が制定されてから来年で20年になるのに、そのことができない。このことが、日本が行き詰まっている3番目の原因だと思います。

 これに対して女性はどうしたか。合法的順法闘争=ストライキに入ったと私は見ています。それは、まずは子供を産まないストライキ。あるいはその前に、海外に行って自己実現を図るという行動に出られている方が甚だ多いのではないだろうかと思います。

 国連の統計の中で、相対的に女性の管理職が多い国ほど出生率が高い、そういう先進国の統計があるそうであります。日本の出生率がここまで落ちてきたのは、どう考えても、「男は仕事、女は家庭」というこの二分法が女性のほうから拒否されているのに、「いや、これこそが日本の美風だ」というふうにおっしゃって頑張る政治家が大変多いというのにも原因があるし、企業社会の中でも、「やっぱり女性が上司に来たらまずいな。何か気持ち悪いよな」とか「やっぱりおれ、仕事する気にならないな」とか、この風潮が消えない、なかなか解消しないことが、どうも日本の出生率に影響している。

 私もこの出生率1.29という数字の持つ意味をそんなにいままで重視していなかったのですが、いろいろな数字、グラフを見せられてショックを受けました。あとたった39年後の2043年、このときに65歳以上人口と、現役人口(15歳から65歳まで)のうち現在の就業率68%を掛けた人口3,600万人ぐらいとがクロスする。40年後には、働く人1人で65歳以上1人を面倒見るという社会がこの日本にあらわれるということです。

 このことの持つ意味は非常に大きいと思います。労働投入量かける労働生産性が経済成長率だとすれば、労働投入量−就業者人口というのはいま6,600万人ぐらいです。これが3,800万人になるわけですから、これはゆゆしいことになります。一人ひとりの生産性を倍に伸ばさないと、現時点のような経済成長も続かないということです。ここは政策的に、男女共同参画などということも言って久しいのですが、男のほうが心を入れかえて、家庭でも職場でも、女性に子供を産んでいただいて一緒に働ける、こういう仕組みをつくるということ以外にはないのだろうと思っています。そういう選択肢が女性の前にある社会、仕組みをつくらないと、出生率は下げ止まりしない。

 合計特殊出生率は東京が0.9987、渋谷区が0.75、渋谷区が東京の先行指標、東京が日本全国の先行指標といわれています。この頃は11年で全国平均は東京に追いつくということですから、11年後には0.9987に日本全国の出生率がなる可能性があるわけです。これは事を急ぎませんと、2043年の予測が2035年ぐらいに来る可能性が本当にあるのではないか。そういう危機感を持って進まなければならないと思っています。

 

アジア共同体の形成に向けて

C アジア共同体の形成に向けて

 時間がまいりましたので、最後ですが、日本の行き詰まりの問題のもう一つの課題は、アジアとどういう関係をつくるかということです。小泉さんが靖国神社について適当なことをやられるものですから、大変困った話でありますが、「冬のソナタ」現象に見られるように、私は日本人のアジアに対する感覚も随分変わってきたと思います。

 アジアの人々と共生する条件、感性というのは大いに若い世代を中心にできてきたのではないかと思います。ビジネスの世界だけではなくて、アジアで共同の市場ができる条件が経済社会と市民社会の中ではそろそろ生まれてきたのではないか。あとは政治の世界です。これはやろうと思ってやらない限りできない話です。国民がその方向に向かってくれるように政治がリードしなければ絶対できません。ヨーロッパが60年かかって、ついに25カ国、国境を無くした。誰がアルザス・ロレーヌ地方のストラスブールというところにEU議会ができるというふうに当時考えたでしょうか。国境の取り合いが一番激しかったのがアルザス・ロレーヌ地方です。皆さん方が「最後の授業」という国語の教科書で習った舞台があそこです。そこで石炭鉄鋼共同体をつくることから始めて、とにかく戦争のない、そういう地域をヨーロッパでつくろうというのが、第一次世界大戦、第二次世界大戦、その前のいろいろな戦争を経てきて、ヨーロッパの地が戦乱と殺戮の中で無駄なことをしたという反省から生まれたのがいまのEU連合、そしてEU憲法です。これは明らかにやろうと思って始めて、60年かかったわけです。

 日本もアジアの中で、いくらいろいろなことを考えたり言う人がいても、アジアの中で共生をしていく以外に生き抜く道はないと、結論として私はそう思いますので、これは誰かが本気で始める以外にないのです。「これだけ経済格差があるところでそんなことができるか。北朝鮮みたいなところがあるじゃないか」、こういうことを言う方がいらっしゃるだろうと思います。しかし、私はやる気で進めれば、できないことはないと思っています。ちなみに、今度のEU25カ国の中で、バルト三国は大体1人当たりGDPは3,000ドル〜4,000ドルぐらいです。ヨーロッパ15カ国、元のEU平均の1人当たりGDPは2万4,000ドルぐらいでした。2万4,000ドル内外というのはドイツやフランスです。イギリスはもうちょっと低い。この25カ国になりますと、1人当たりGDPは1万7,000ドルぐらいに減っています。2万4,000ドルから1万7,000ドルぐらいの平均に減った。そして、最も貧しいバルト三国は3,000ドルぐらいです。一番豊かなベルギーは4万6,000ドルです。このぐらい差があっ ても、一緒にやっていこうという意思さえあればできるということですから、私はアジアでも、いまから始めて多分30年とか40年とかかかるのだろうと思うのですが、それでも「始めなければ何事も進まない」。

 私どもはそういう観点から、次の選挙には多分FTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)という言葉が政治的な争点になるのか、あるいはもう少し大きい東アジアの共同体形成とかいうことが争点になるのか、いずれにしてもアジアの中でどう生きていくのかということが、外交、そして安全保障、そしてもっと広く、経済、市民社会の戦略的な課題になるだろうと考えています。そのことをマニフェストに鮮明に書けるように、これから党内議論を進めていかなければならない、そう思っています。