■厳戒 11日19:03
原発の異常事態は時間とともに深刻さを増していった。「安全神話」を揺るがし、「原発震災」に直面した。「現行法ギリギリであらゆる措置を取るという考えだ」。周辺は菅直人首相の決意をこう表現した。
午後7時3分、首相は冷却系が機能不全に陥る危険性を指摘し、初めて原子力緊急事態宣言を発令。午後9時23分、半径3キロ圏内の住民に避難指示を出した。12日早朝には10キロ、同夕には20キロと範囲が拡大していく。
発令に当たっては秘書官らが六法全書と首っ引きで首相権限を調べた。原災法に基づき15条事態になれば自動的に同宣言が出され、政治判断をはさむ余地はないが、ある閣僚は「かなり強力な権限が首相に与えられる」と語った。
◆
福島県も原発事故の恐怖に振り回された。原発崩壊の真偽が定かでない情報が飛び交った。
国の指示に先立つ午後8時45分の県災害対策本部会議で原子力災害担当の荒竹宏之生活環境部次長が「2号機で炉心溶融の可能性」と報告。5分後に県は、半径2キロの住民に権限も前例もない避難要請を出した。佐藤雄平知事は「未曽有の被害。人命を最優先に、速やかに避難をお願いしたい」と災対本部前でテレビカメラに呼びかけた。
3キロ以内の住民は約5800人だが、10キロでは約5万人、20キロでは約8万人に膨れ上がる。国に先立つ避難要請を荒竹次長は「細かい点を確認している余裕などなく、国の指示を待てる状況ではなかった」と振り返る。
◆
原子炉の暴走を事前に食い止める「冷却作戦」が官邸、経済産業省原子力安全・保安院、東電のもとで進められた。
対処方針は冷却システムを再起動させるための電源車をバッテリーが切れる7~8時間以内に福島第1原発に集めることだった。電源喪失が午後3時42分。タイムリミットは午後11時前後から12日午前0時前後。時間との闘いだった。ひとまず東電が集めた6台が福島に向かったが、陸路の輸送は困難を極めた。
「福島まで緊急車両は通れるのか」。首相は大畠章宏国土交通相に電話で交通状況を確認。執務室にはホワイトボードが運び込まれ、電源車の現在地が刻々と書き込まれていった。しかし、思わぬ誤算が生じた。
電源を失った1~3号機のうち、最初に危機に陥ったのは2号機だった。当初、原子炉の余熱でタービンを回し、冷却に必要な水を炉内に引き込む「隔離時冷却系」が作動し、炉内の水位を保っていた。
だが、隔離時冷却系が午後8時半に突然止まり、炉心の冷却ができなくなった。このままだと核燃料が出す熱で炉内の水が蒸発し、燃料棒が水面から露出する恐れがあった。水面から出た燃料棒はさらに高温になり、いずれは破損し、核燃料が溶け出してしまう危険があった。
待望の電源車が福島第1原発から約5キロ離れた、国の対応拠点「福島オフサイトセンター」(福島県大熊町)に到着したのは午後9時過ぎ。東北電力から提供された電源車2台だったが、ここでトラブルが発生する。
電源車が高電圧だったため接続に必要な低圧ケーブルが用意されていなかったのだ。つなぎ口も津波で浸水していた。午後9時20分には福島オフサイトセンターの非常用電源が切れた。東電社員を含む職員ら15人は隣接する福島県原子力センターに移動したが、ファクス1台。パソコンはなかった。
電源車の到着から2時間以上たった午後11時20分からの保安院の記者会見で山田知穂原子力発電安全審査課長は「電源車は接続されず、電源は回復していない」と作業難航を認めざるを得なかった。
1、3号機はともにタイムリミットの12日午前0時を過ぎてもバッテリーは働いていた。問題の低圧ケーブルはようやく調達できたが、「関東から空輸準備中」(原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官)で作業員も足りないというありさまだった。
2号機の水位は安定し、このころはほかにも低電圧を含む2台の電源車が到着していたが、山田課長は午前0時50分過ぎの記者会見で心もとなげに語った。「今来ている電源車では、多分足りないと思う」
政府高官は「東電のオペレーションは準備不足で、行き当たりばったりのようだった」と振り返る。
◆
原子力緊急事態宣言を受けて午後7時半、北沢俊美防衛相が自衛隊始まって以来初の原子力災害派遣命令を発令。核・生物・化学(NBC)兵器に対処する「中央特殊武器防護隊」(中特防)が出動した。
だが、もともとの防護隊の任務はNBCで攻撃された時に放射性物質を検知し、安全な場所に部隊を誘導すること。原子炉の知識はなく、防護服や化学防護車などの装備も「防護服は外部被ばくには十分対応できない。化学防護車に中性子を遮る防護板がついたのもJCO事故以降」(陸自幹部)というのが実情だった。
■混乱 12日未明
「22時50分 炉心露出」「23時50分 燃料被覆管破損」「24時50分 燃料溶融」--
11日午後10時、原子力安全・保安院は、原子炉内の水位が下がった2号機で何が起こるのかを予測、官邸に報告した。12日午前3時20分には格納容器内の圧力上昇が予測されていたため、弁を操作して高温の水蒸気を外部に逃がす「ベント」作業が必要と分析した。格納容器の破損を防ぐためとはいえ、意図的に放射性物質を外界に放出する「最後の手段」とも言える荒業だ。
◆
事態は、冷却機能が働いていたはずの1号機でも深刻化していた。徐々に水位が下がり、燃料棒が最大90センチ露出し、原子炉格納容器の圧力が上昇。損傷の危険性が高まった。
断続的に保安院で開かれた会見で「この事態を想定していなかったのか」と質問が記者から相次ぐ。保安院は「あらかじめ準備されているということではない」と苦しい弁明に終始した。
一方、首相官邸では11日午後11時過ぎ、地下の危機管理センターで首相や海江田万里経産相、班目(まだらめ)春樹・原子力安全委員長、原子力安全・保安院幹部を交えて対応を協議。「早くベントをやるべきだ」との意見で一致し、東電側と連絡を取った。
12日午前1時半には海江田経産相を通じて東電にベントで圧力を下げるよう指示。しかし、東電側からは、できるかどうか明確な返答はなく、いらだつ官邸が「何なら、総理指示を出すぞ」と威圧する場面もあった。
それでも保安院の中村審議官は午前2時20分過ぎの会見で「最終的に開ける(ベントする)と判断したわけではない。過去にベントの経験はない。一義的には事業者判断だ」と説明した。
◆
午前3時、東電は官邸に「2号機は冷却装置が働いている」と報告した。それでも、官邸にいた班目委員長は「これからベントですね」と語った。
ほどなく、海江田経産相と小森明生・東電常務が会見した。海江田経産相は「ベントを開いて圧力を下げる措置を取る旨、東電から報告を受けた」と説明し、すぐに小森常務にバトンを渡した。これに対し、小森常務は「国、保安院の判断を仰ぎ、(ベント実施の)判断で進めるべしというような国の意見もありまして」と述べる。「東電の判断」という海江田経産相の説明と微妙な違いを見せた。
方法は、水蒸気を直接大気に出す「ドライベント」ではなく、いったん水にさらして放射性物質を100分の1程度に減らす「ウエットベント」だった。いずれにしても前例がない。
会見で、小森常務は当初、2号機でベントを実施すると表明したが、代わった東電の担当者は「今入った情報では、2号機は冷却機能が働いていると確認できた。1号機になるかもしれない」と説明した。記者を混乱させた。
原発敷地内では放射線量が上昇し、保安院は午前6時、1号機の中央制御室で通常の約1000倍の放射線量が計測されたと発表した。原発正門付近でも通常の約8倍を記録した。今回の東日本大震災で初めて放射性物質の漏えいが確認された。
政府は原子炉等規制法に基づき、東電にベントをするよう命令した。午前6時50分だった。
◆
午前6時過ぎ、首相は班目委員長らと官邸ヘリポートから陸上自衛隊の要人輸送ヘリ・スーパーピューマで福島第1原発へ飛び立った。首相は線量計を携帯していた。午前7時過ぎ、同原発に着いた首相は大地震に耐えられる免震重要棟に移った。
「そんな悠長な話か。早くベントをやれ」
首相の怒声が響く。未明に指示したベントはまだ実施されていなかったからだ。現場を熟知する吉田昌郎福島第1原発所長は実施を約束。この後、官邸は東電本店よりも吉田所長に信頼を置くようになる。
■崩壊 12日15:36
官邸からの再三の要請を受けて、東電では福島第1原発で現地の作業員らが冷却機能を失った原子炉の圧力を下げるため、炉内から水蒸気を外部に出すベントの準備に取りかかっていた。当初は2号機のベントが想定されたが、途中から1号機の原子炉格納容器の圧力が上昇していることが分かり、こちらを優先することになった。
東電の原発事故時のマニュアルには手順も書かれているが、放射性物質を含んだ水蒸気を原発の外部に出すという初の事態に「福島の現場も東京の東電本店も緊張した」(保安院幹部)。しかも、停電で原子炉から水蒸気を放出するための圧力弁は自動では作動せず、放射線量が高い格納容器周辺に作業員が行き、手で弁を開く必要があった。停電で真っ暗な中での準備作業は難航。首相の視察後もなお現場は「ベントを開始できるまで、どれだけ時間がかかるか分からない」という状況だった。
1号機の格納容器内の圧力は午前4時半には、通常の2倍超の8・4気圧に達し、核燃料が溶ける「炉心溶融」がいつ起きてもおかしくなかったが、ようやくベントが開始できたのは午前10時17分だった。
◆
「ドーン」。震災対応をめぐる与野党党首会談が行われていた午後3時36分、福島第1原発1号機の原子炉建屋がごう音を立て、白い煙を噴き上げた。圧力が上昇した格納容器から漏れた水素が建屋の上部にたまり、空気と反応して水素爆発を起こしたのだ。テレビ画面では福島中央テレビが撮影した煙を上げる1号機の様子が生中継され、アナウンサーが興奮した声で爆発のニュースを伝えていた。
与野党党首会談を終えた菅首相は執務室に戻ったが、東電からも保安院からも情報は入っておらず、問い合わせにも東電は「建屋から煙が出ている」というだけだった。首相は「なぜ官邸にすぐに報告できない。こんなことをしていたら東電はつぶれる」と、東電から派遣された幹部を怒鳴りつけた。幹部は「タービン建屋に保管しているガスボンベが爆発した可能性もあります」と説明したが、テレビ映像を見た首相には、小さなトラブルには思えなかった。約1時間後、東電からの連絡で水素爆発らしいと分かり、厚いコンクリートで覆われた建屋の上部が吹き飛ばされたことが判明する。
「重要な情報がすぐに上がるように、東電の原発担当者を官邸に常駐させろ」。しびれを切らした首相は執務室横の特別応接室に「私設本部」を設け、東電幹部と保安院を所管する海江田経産相をそこに詰めさせた。ある政府高官は「首相は海江田さんや東電幹部を質問攻めにする一方、実務にたけている官僚とは話すらしなかった。『政治主導』にとらわれ過ぎているのではないか」と危惧した。
一方、東電本店では、詰め掛けた取材陣に広報担当者が「建物の被害はテレビでしか確認できていない。作業員を今、現場に向かわせているところ」と繰り返すばかりだった。午後6時ごろから会見した保安院も爆発の状況や被害など正確な情報を把握していなかった。
首相周辺は「東電も保安院も原子力安全委も(深刻な事態から目を背けようと)ぐるになっていたとしか思えない」と批判。一方、保安院を傘下に持つ経産省幹部は「事態が最悪の方向に動いたため、官邸は東電や保安院をスケープゴートに仕立てようとしている」と漏らした。
◆
「これから一体、何が起こるんだ」。防衛省では、1号機の爆発をテレビで知った北沢防衛相が経産省や保安院から情報が入らないことにいら立った。「事実が分からないと、どういう対応ができるか戦略が立てられない。自衛隊として何ができるんだ」--。語気を強める防衛相に、同省の緊張感は一気に高まった。
自衛隊は、陸自の隊員4人が1号機の爆発直前まで消防ポンプ車2台で原子炉を冷やすため、水を注入していた。爆発当時は、原発から約5キロ離れた地点に下がっており、危うく負傷や被ばくを免れた。ある防衛省幹部は「非常用電源まで落ちているとは知らなかった。ベントももっと早くから行われていたと思っていた」と、東電や保安院への不信感をにじませた。
×
東電は原発の「安全神話」が崩れていく現実を直視できず、初動の対応を誤った。官邸は政治主導にこだわりながら東電や保安院との緊密な連携を図れず、結束して危機に立ち向かえなかった。それは「想定外」という言葉でけっして片づけられるものではない。
オバマ米大統領が大震災発生の一報をデーリー大統領首席補佐官から受けたのはホワイトハウスで就寝中の11日午前4時(日本時間同日午後6時)。午前9時半から電話で参加したナポリターノ国土安全保障長官らと緊急協議し、午前10時15分(同12日午前0時15分)にいったん中断して菅首相と電話協議に臨んだ。
オバマ氏の関心は原発の現況にあった。首相は「今のところ放射能漏れの証拠をつかんでいない」と答えたが、オバマ氏は原発の安全システムが破損した最悪の事態を想定、チュー・エネルギー長官に対応を指示した。
米政府が不満を募らせたのは情報不足だった。クリントン国務長官が11日、在日米軍機が「原発の一つに冷却材を運んだ」と述べ、その後事実誤認と判明したが、米国では情報不足が招いた「誤情報」と受け止められた。12日未明に日本に向かった米国際開発局(USAID)派遣の捜索・救助チーム75人に放射能対策の装備はなかった。
原発政策を担う米原子力規制委員会(NRC)の対応は素早かった。11日中に担当技術者2人を東京に派遣。首相官邸に常駐を希望し、派遣人数を16日までに11人に増員したが、少ない情報は「日本不信」をあおった。
NRCのヤツコ委員長は16日の下院公聴会で「使用済み燃料プールには水がないと信じている」と証言、「水はある」とする日本側と対立。ルース駐日米大使は「福島第1原発から50マイル(約80キロ)範囲の米国人退避」を勧告した。米国防総省も在日米軍に対し、50マイル以内に許可なしに立ち入ることを禁じた。米メディアがいっせいに「日本側の情報隠し」報道にかじを切ったのはこの前後だった。日本の避難指示に疑問が出され、米政府高官は「状況評価は『深刻』から『非常に深刻』になった」と振り返る。
米国の原発建設は79年のスリーマイル島原発事故で中止となったが、オバマ政権が昨秋、原発推進を再開したばかりだった。しかも米国には福島第1原発1~5号機と同型炉が23基稼働しており、人ごとではなかった。
原発推進派のロビイストたちは、米国の原発政策への影響を食い止めようと議員らに「日本の特異性」を説明。ワシントンのロビー団体「核エネルギー研究所」のフリント上級副所長は、ホームページにリンクされたビデオで「米国の原発は物理的にも、どう運営されているかについても、日本の原発とは全く違う」と強調した。
原子力安全・保安院が原子力政策を進める経産省の傘下にあることにも「産業界と親密な関係にある原発行政」(ウォールストリート・ジャーナル)など「米国と異なる監視体制」を指摘、日本特有の事故との印象を与えようとしている。
毎日新聞 2011年4月4日 東京朝刊