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help RSS 拒絶感を父性と母性で癒す

<<   作成日時 : 2009/10/17 16:15   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0


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子どもは大人の何気ない「言動」に傷つく。



子ども時代に傷ついた人は、大人の無意識の「言動」に

よって「存在価値」を脅かされた体験をしている。



例えばいたずらをしたときに、

「もう、本当にダメな子ね!」

と親から怒られたとする。



例えば食事中に汁をこぼしたときに、

「もう、ちゃんと食べなさいよ!」

と親から怒られたとする。




怒られた後にきちんとフォーローしてもらえば、

いたずらをしたことも汁をこぼしたことも傷には

ならない。




でも怒られっぱなしだと親の言葉に傷つく子どももいて、

このように思い込んでしまうようになる。




「私がダメな子だから怒られる…。」


「ボクが汁をこぼしたからお母さんはボクのことが

 嫌いなんだ…。」

と…。




中には親のためを想ってしたことを怒られることもある。



例えば親がいないときにお手伝いをしていたのに、

帰ってきた親から「余計なことしないでよ!」と

怒られたとする。



例えば親にほめられたくてテストでいい点をとったのに、

親はほめてくれなくて妹か弟ばかりを可愛がったとする。



そんな親の「言動」は子どもを深く傷つける場合がある。




そのとき子どもが抱く感情は「拒絶感」である。





今回は「拒絶感を父性と母性で癒す」記事を綴ろうと思う。





両親との「関係性」が良好でない場合、傷ついた子どもの

根深い感情のひとつに「拒絶感」がある。



「親に拒絶された…。」と感じてしまうと、子どもは

「生存の危機を」覚えて「自尊心」を低めてしまう。



そして自分の「存在価値」を大切に思えなくなって

しまう。





「拒絶感」は「存在価値」を脅かすほど子どもにとって

「恐怖」と結びつく感情である。




「存在価値」を脅かされるということは、心のセキュリティー

を脅かされて「危機感」を感じる「状態」である。



子どもが「危機感」を感じたら守ってくれるのが親なのに、

守ってくれるはずの親が子どもに「危機感」を感じさせるの

だから理不尽である。



その理不尽さを感じたときにインナーチャイルドと

「アダルトチャイルド」が存在し、心のセキュリティー

を「アダルトチャイルド」が守ってくれてきたのだ。




親が子どもの心に土足で入り込んできたり親に「拒絶」

されたりする場合は、子どもは心のセキュリティーを

脅かされて「生存の危機」を感じるものである。





親が子どもの心に土足で入り込んでくる場合は、

子どもは「自己防衛」が強くなる。



自分の領域に侵入される「恐怖」を感じるので、誰からも

脅かされない領域を確保するようになる。



そのときに「アダルトチャイルド」が存在して「ロッテン

マイヤー」タイプが「自立」する人になるのである。





親が子どもの心に無関心で飢餓「状態」にする場合は、

子どもは「依存心」が強くなる。



自分が取り残されてひとりぼっちになる「恐怖」を感じる

ので、誰でもいいから向き合ってほしくなる。



そのときに「アダルトチャイルド」が存在して「クララのパパ」

タイプが「依存」する人になるのである。




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「拒絶感」は根深い感情である。



「拒絶感」を感じると同時に「欠乏感」も抱くようになる。



「ありのままでは拒絶される…。」という「欠乏感」である。



そして「拒絶感」は両親の影響を大きく受ける

感情でもある。




子どもは大人に依存しなければ生きてゆけない

存在である。



だから子どもにとって親という存在は、ある意味

「絶対的」な影響力を持つ。



自分の居場所が認められるような安心出来る環境が

両親によって築かれていたら、子どもは「危機感」を

覚えることはないだろう…。




自分の居場所や心のセキュリティが脅かされる「危機」

があったからインナーチャイルドや「アダルトチャイルド」

が存在したのである。



それは言い方を変えれば、ある意味「絶対的」な影響力

を持つ親という存在から傷つけられて「拒絶感」を覚える

ようになった…ということである。



子ども時代にその事実を受けれたら生きてゆくことが

出来なかった…だから「絶対的」な影響力のある親

ではなく自分を責めるようになったのである。



そのときに「自尊心」が低くなり「偽りの人生」を

歩むようになってしまったのである。




「拒絶感」とは「ありのままでは愛されない…。」という

思い込みと「欠乏感」につながる感情である。



でも実際には親は子どもを「拒絶した覚えなどない…。」

ということもある。



それなのにどうして「拒絶感」を覚えるのかというと、

親が「言動」と「存在価値」の違いを教えていなくて

「混同」していた…という場合が多い。




子どもを育てる上では親が軌道修正をしないと

成長することが出来ないので、何でも「Yes」と

言うわけにはいかない。



子どもを怒ったり叱ったりすることは親の責任である。



ただ子どもが「拒絶感」を覚えてしまうほどの怒り方は

親のフォローが足りないのだと思う。




子どもの目を見て「ダメでしょ!」と怒ったら、その後は

子どもの「言動」を怒っているのであり「存在価値」を

否定しているのではない…というニュアンスを込めて

フォローすることも親の責任である。




親も人間である。



だから心に余裕がなくなれば感情で怒りたくなることも

あるが、怒ったら怒りっぱなしは良くない。



子どもには子どもの人格があり、心の領域もある。



その領域に親が土足で入り込むのも良くないが、

その領域を親が飢餓「状態」にするのも良くないと

私は思う。





そらは飢餓「状態」で分離不安を抱えていた。



その分離不安は「また捨てられるのではないか…。」

という「拒絶感」からくるものだった。



子犬のときに捨てられ、里子にもらわれた家庭からも

捨てられ、保護施設や一時預かりさんの家でも捨て

られる「不安」を抱えて我が家にやって来た。



我が家でも「また捨てられるのではないか…。」という

「不安」を抱えていたが、一年経ってようやく分離不安

から解放された。



でも今でもそらは私が部屋からいなくなると

ついて歩くことがある。



また私が毎朝音楽を演奏することを体内時計で

知っているので、その時間になると自分から

キーボードのある部屋へ行って待っている。



これは子犬のときに捨てられて抱えた「拒絶感」を

回避したいそらなりの智慧だと感じている。



私が先に部屋を出ると「不安」を感じるので、「不安」を

感じる前に自分が先に部屋を出てキーボードの部屋に

行くという智慧である。



そして私が座って演奏を始めると、ヘッドフォンから

聴こえる音楽を聴きながら安心して日向ぼっこをする

のがそらの「習慣」になっている。




私はそんなそらの様子を見ながらこう思う。



「『拒絶感』とは根深い感情だな…。」

と…。



子犬のときに捨てられたそらの潜在意識には「恐怖」と

「不安」が貼りついていて、癒すのは時間がかかった。




捨てられたことはそらの犬格形成に大きな影響を及ぼした

ので、そらは自分の「存在価値」を脅かされた結果心が

子犬のまま成長しなくなったのだろう…。




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親はそんなつもりはなくても、子どもが何気ない親の

「言動」に「拒絶感」を抱くことはよくある。



また親が同じ接し方をして影響を受けない子どももいれば、

深く傷ついて「拒絶感」を感じる子どももいる。



それは子どもの持って生まれた性格や、

物事の受けとめ方によって違ってくる。




例え「拒絶感」をそのとき抱いても、「拒絶感」を引きずら

ないで過去のことだと捉えていれば癒す必要はない。



でも「拒絶感」を抱いたことがトラウマとなっていて、

今の「生き辛さ」になっている場合は癒す必要がある。





例えば親のどちらかがが浮気をしたとする。



父親が浮気をしたことに深く傷ついた女の子は、

「男の人は浮気をする…。」と思い込んでしまい

がちである。



母親が浮気をしたことに深く傷ついた男の子は、

「女の人は家族より男性を愛する…。」と思い

込んでしまいがちである。




そのときに異性の親からの「拒絶感」と「欠乏感」を

抱くようになる。



そして異性の親から感じた「拒絶感」からくる「欠乏感」を

抱くと、異性との「関係性」で「拒絶感」と「欠乏感」が顕著

に現れる。




異性の親に感じた「拒絶感」を異性に求めて相手を独占

するのは、再び「拒絶感」を感じるのが「怖い」から相手

にしつこく要求するのである。



でも結果的には「依存」する人になり、相手を疲れさせて

距離を置かれるようになるだろう…。





異性の親に感じた「拒絶感」を異性に求めて相手を

突き放したりするのは、再び「拒絶感」を感じるのが

「怖い」から相手と距離を置くのである。



でも結果的には「自立」する人になり、相手に「拒絶」

される前に自分から相手を「拒絶」してしまうように

なるだろう…。




異性の親から「拒絶感」を覚えた人の中には、異性との

「関係性」に踏み込むのをやめる人もいる。



異性とどう関わってゆけばいいのかわからなくなり、

「恐怖」が大きくなってしまうからである。



大人になってからも恋愛で傷つくとダメージを受けるのに

子ども時代から受けたダメージは相当根深い。



ダメージを受けたら「内なる異性」を養ったりインナー

チャイルドを癒して「アダルトチャイルド」を手なずけたり

することで、ダメージのケアをすることになるのである。




恋愛で「拒絶感」を感じてしまうと、次の恋愛に

踏み込むのが「怖く」なるのは自然なことだと思う。



恋愛に傷ついた人は、次の恋愛に踏み込む前に

ダメージをケアするといいだろう。



そのプロセスで「拒絶感」が湧きあがってくる場合は、

その「拒絶感」はどこから湧きあがるものなのか…

に焦点を合わせてみるといいと思う。




過去から抱えてきた「拒絶感」なのか…。


今の恋愛で感じた「拒絶感」なのか…。



それによって癒す対象が違ってくる。



過去から抱えてきた「拒絶感」を手放せずに異性との

「関係性」で「拒絶感」が湧きあがった場合は、癒す

対象がインナーチャイルドや男性性や女性性になる。



今の恋愛で傷ついて「拒絶感」が湧きあがった場合は、

癒す対象が今の自分になる。



自分を癒す場合は、過去でも今でも焦点をしっかり

定めてきちんと向き合って癒す姿勢が大切である。





何気ない親の「言動」によって傷ついて抱えた

「拒絶感」は、「自尊心」を低めることもある。



「自尊心」を低めてしまうと、誰との「関係性」でも

「拒絶されるのではないか…。」と思い込んで

「生き辛く」なってしまう。




「こんな私を受け入れてくれるはずがない…。」という

思い込みは、対人関係で大きなネックとなってしまう。



「こんな私を受け入れてくれるはずがない…。」思い込んで

相手にしがみつく場合は、「依存」する人になってしまう。



「こんな私を受け入れてくれるはずがない…。」思い込んで

相手を疑って見る場合は、「自立」する人になってしまう。



どちらも相手と対等に成長し合ってゆける「関係性」を

築くことは出来ない…。



どちらも子どもの頃からの欲求不満を解消することが

出来ない…。




過去の傷によって「拒絶感」を抱えて今の「生き辛さ」と

なっている人は、「拒絶感」を癒しながら「欠乏感」も

満たしてゆくことが必要となるだろう…。




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両親から「拒絶感」を感じた人は、両親との「関係性」を

見つめ直してみると同時に「父性」と「母性」で癒すことが

大切だと私は思う。




「父親とは不自由さを学ばせる存在だ…。」


と言われたことがあった。




例えば父親の不在が多かった場合…。



家事や育児を母親だけに任せてなかなか帰って

来なければ、「お父さんが家にいない…。」という

不自由さを学ぶようになる。



学校での問題や悩みをお父さんが家にいなくて受けとめて

もらえないときに「拒絶感」を抱くようになる。




例えば父親が家にお金を入れない場合…。



働き手であるお父さんがお金を稼いでくれなければ、

「お金がない…。」という不自由さを学ぶようになる。



お父さんの代わりにお母さんが働きに出て淋しい想いをし、

貧しさと孤独を感じたときに「拒絶感」を抱くようになる。




例えば父親が厳格だった場合…。



お父さんが自分の領域に入り込んで干渉してくれば、

「自由がない…。」という不自由さを学ぶようになる。



お父さんに反発しても理屈で言い返されたり抑圧されたり

して呪縛を感じたときに「拒絶感」を抱くようになる。



このように「父性」が健全でなかった場合、権威との葛藤を

抱えながら「拒絶感」も抱くようになってしまうのである。





「母親とは不快感を学ばせる存在だ…。」


と言われたことがあった。




例えば母親の不在が多かった場合…。



家事や育児を放棄してなかなか帰って来なければ、

「お母さんなのに家にいない…。」という不快感を

学ぶようになる。



お母さんから受けとるはずの慈愛や「情」を受けられない

ときに「拒絶感」を抱くようになる。




例えば母親が家事をしない場合…。



手作りの料理を食べられず部屋の片づけもしなければ、

「母親の資格がない…。」という不快感を学ぶようになる。



家事の放棄だけでなく子どもと向き合うこともせず、何を

言っても受けとめてもらえないときに「拒絶感」を抱くように

なる。




例えば母親が厳格だった場合…。



お母さんが自分の領域に入り込んで干渉してくれば、

「うっとうしい…。」という不快感を学ぶようになる。



お母さんに反発してもヒステリックになって感情を

ぶつけられ、否定されたと感じたときに「拒絶感」を

抱くようになる。



このように「母性」が健全でなかった場合、対人関係

での葛藤を抱えながら「拒絶感」も抱くようになって

しまうのである。





「父性」のゆがみから生まれた不自由さと「母性」の

ゆがみから生まれた不快感は、多かれ少なかれ

誰もが抱えている。



問題なのは今を生きたいのに不自由さや不快感が

足を引っ張っている場合である。



その場合は過去を引きずって重たい荷物を背負っている

「状態」なので、「父性」や「母性」で癒すことで「拒絶感」

も癒されてゆくと思う。




「拒絶感」を「父性」と「母性」で癒すには、まず両親との

「関係性」を見つめ直して見るといいと思う。



癒す必要があるのは、不自由さと不快感が心の底に

沈殿していて「生き辛さ」になっている「拒絶感」だと思う。




父親との「関係性」が良好な場合は、母親から感じた

不快感のみ癒すかもしれない…。



母親との「関係性」が良好な場合は、父親から感じた

不自由さのみ癒すかもしれない…。



父親とも母親とも「関係性」が良好でない場合は、

不自由さも不快感も癒すかもしれない…。



それは個人差がある。




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「愛ある大人」は「父性」と「母性」で存在しているが、

インナーチャイルドを癒すプロセスでは「父性」を備える

「愛ある父親」と「母性」を備える「愛ある母親」を枝別れ

させて表舞台に登場することもある。



どうして「愛ある大人」が「愛ある父親」と「愛ある母親」

に枝別れすることがあるかというと、インナーチャイルドの

「状態」によってニーズが違うからである。




私が人を癒す場合も相手のニーズによって表舞台に

上がる存在が変わってくる。



バランスの整っている人には融合した自分が表舞台に

上がるが、そんな人は自分を癒す必要はない。



癒しを求めているほとんどの人はバランスが崩れているし、

極端に慈愛に飢えていたり極端に叡智に飢えている場合

も多い。



だから相手の「状態」からくるニーズによって

私の「愛ある存在」が枝別れをするのである。



相手のニーズを読みとって慈愛が必要なら「愛ある女性」、

叡智が必要なら「愛ある男性」が表舞台に上がることに

なる。



会話の最初に慈愛を注ぐこともあれば、会話の途中で

叡智を注ぐこともある。



それはその人の「状態」とバランスとニーズによって

変わってくる。




癒しを求めている人たちは、心が陥没している

ことが多い。



慈愛か叡智が極端に凹の「状態」になっている人に

融合した自分で接しても癒す効果が弱くなる。



だから慈愛が凹の人には「愛ある女性」が表舞台に

上がって慈愛を強く注ぎ、叡智が凹の人には「愛ある

男性」が表舞台に上がって叡智を強く注ぐようにする。



その「やり方」の方が癒しの効果が強まるからである。




私が敢えて相手の心の鏡になって慈愛を強めると

凸の「状態」になり、私が敢えて相手の心の鏡に

なって叡智を強めると凸の「状態」になる。



凸の「状態」で慈愛や叡智を強めると、凹に「愛」の「光」

が注がれて癒し効果が強まるのである。



凸と凹は「共依存」の「関係性」のように扱われるが、

それは心の「状態」ではなく「アダルトチャイルド」の

タイプの違いだと私は読みとっている。



「ロッテンマイヤー」タイプが凸で一方的に与える人で、

「クララのパパ」タイプが凹で一方的に与えられる人…

という「状態」だと思う。




「共依存」とは「エゴの存在」同士が磁石のようにくっつき、

「依存」し合って「偽りの愛情」で結ばれる「関係性」である。



でも例え相手が凹の「状態」でも癒す方が「愛ある存在」で

凹の人に飲み込まれなくて癒す方も飲み込まなかったら、

「真実の愛情」で結ばれる「関係性」に変容してゆくもので

ある。



それは癒す方の「意識」によって変わってくる。



だからまず私自身が「内なる存在」を活性化させていて

内面のバランスが整っていること、そしてエネルギーが

充満していることも求められる。



もし癒す人と癒される人が「共依存」に陥るとすれば、

癒す人がインナーチャイルドを癒していなくて「アダルト

チャイルド」に操られている反映だろう…。





「共依存」に陥る場合はお互いの心が凹の「状態」なの

だが、「アダルトチャイルド」に「目を曇らされて」いるので

このように思い込んで相手に惹かれてしまうのである。



「私の『欠乏感』を埋めてくれる相手に違いない!」

と…。



「共依存」の「関係性」はお互いが「エゴの存在」で

「欠乏感」を埋めてもらおう…という企みを持っているが、

どんなに凹を埋めてもらおうとしても「偽りの愛情」では

心の飢えを埋めることは出来ないのである。



この「関係性」は「意識」を外側に向けているときに陥る。



この「関係性」を変容したければ、今まで外側に向けて

いた「意識」を内側に向けることである。




「愛ある大人」が凸の役目となり「真実の愛情」

である慈愛や叡智のエネルギーを注いでゆけば、

凹は満たされて円くなってゆくのである。



今まで他人に求めていた心の飢えを「愛ある父親」や

「愛ある母親」に強く注いでもらえば、「共依存」から

「愛ある関係」に変容してゆくのである。




そして滞っていたエネルギーの循環が良くなって

前に進めるようになり、個人の「意識」も進化して

ゆくだろう…。




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自己責任でインナーチャイルドを癒す場合も「根本」の

解決の「初期」は慈愛を主に注ぐので「愛ある母親」が

活躍するが、感情や思い込みの解放は「愛ある父親」

にしてもらえばいいと思う。



「根本」の解決の「中期」になると「アダルトチャイルド」が

抵抗を強めてくるので叡智を注ぐ「愛ある父親」が活躍

するが、インナーチャイルドのケアは「愛ある母親」にして

もらえばいいと思う。



どんな時期でもインナーチャイルドが同じ「状態」である

ことはないし「アダルトチャイルド」が潜んでいたり抵抗

したりと「状態」は変わってくるので、いつも慈愛だけや

いつも叡智だけを注ぐことは出来なくなるだろう。



インナーチャイルドの「状態」やニーズに合わせて

それぞれの得意分野を備えた存在が表舞台に

上がるように活性化させればいいのである。





インナーチャイルドを癒している人の中には「愛ある大人」

が主導権を握って「愛ある行為」を「実践」されている人も

おられる。



「愛ある大人」は「父性」と「母性」を備えた存在を養うと

いいと思う。



「父性」のゆがみを癒す場合は、「内なる父親」を養うと

いいだろう。



「母性」のゆがみを癒す場合は、「内なる母親」を養うと

いいだろう。




父親からの「拒絶感」を抱えてきた人は癒すときに

「愛ある大人」が「愛ある父親」になり、母親からの

「拒絶感」を抱えてきた人は「愛ある大人」が「愛ある

母親」なって表舞台に上がって癒すことをお勧めする。




「内なる父親」や「内なる母親」を養うには、

「インナーチャイルドの癒し方T」を参考に

しながらマスコットや人形などを用意して

「愛ある父親」や「愛ある母親」だと思い

込んで話をしてみて頂きたい。



ご自身の望むような「愛あるお父さん」や「愛あるお母さん」

のイラストを描いてもいいと思う。



最初はままごとのようでぎこちないかもしれないが、

会話をすることが出来るようになるまでは擬人化

すると「内なる存在」をイメージしやすくなると思う。



「父性」を癒したい場合は「愛ある父親」が本当のお父さん

のように接して癒してゆくといいし、「母性」を癒したい場合

は「愛ある母親」が本当のお母さんのように接して癒して

ゆくといい。



詳しい癒し方は「そらの運命の変容」の記事で私が

そらのインナーチャイルドを癒した「やり方」を参考に

してみて頂きたい。




ブログの叡智のメッセージは「父性」で癒すときに

参考になると思う。



ブログの慈愛のメッセージは「母性」で癒すときに

参考になると思う。



それぞれの記事に綴っている「愛ある大人」が登場する

場面を「愛ある父親」や「愛ある母親」に代えて癒すことを

「実践」してみて頂きたい。




「内なる存在」を養うプロセスは最初はイメージしやすい

ように物やビジュアルで擬人化してゆくようになるが、

そのときの「内なる存在」はまだよちよち歩きである。



そして会話をしながら思い込みや感情の解放をし、

問題を解決してゆくことで過去を手放すようになる。



そのプロセスを経て少しずつ「内なる存在」が養われて

成長してゆき、慈愛の存在は「優しさ」を兼ね備えて

叡智の存在は「強さ」を兼ね備えるようになるのである。




男性性と女性性を融合するプロセスも共通である。



「内なる女性」が悲鳴をあげていれば「内なる男性」を養い

「内なる男性」が心を閉ざしていれば「内なる女性」を養う

ことで、片方しか表舞台に上がっていなかった苦痛から

解放されて偏ったバランスが整うのである。




ご自身の心の「状態」が凹になっている原因を「認識」し、

癒すためにはどの「内なる存在」を養う必要があるのか…

を見極めて頂きたい。




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具体的に「愛ある父親」と「愛ある母親」が「父性」と

「母性」のゆがみを癒しながら我が子に接する例を

あげてみたいと思う。



子どもは残酷な面がある。



見た物や感じたことを正直に言うのは悪いことではないが、

時として人を傷つける場合がある。



例えば相手の外見である。



我が子が太っている同級生の○さんをバカにする言葉を

言ったとする。



その場で「愛ある父親」が表舞台に登場して

「厳しく」怒る。



「そんなことを言ってはいけない!!」




そして「父性」で叡智を注ぐ。



「君がもし太っていて、同級生にそのことをバカにされたら

 どんな気持ちがする?


 いじめられていると思わないのか?


 どうにもならない外見をバカにしていいのか!


 そんなことを言ってはいけない!!」



子どもが反省しているような様子を見せる。




それから「愛ある母親」が表舞台を代わって登場する。



子どもを「優しく」抱きよせながら「母性」で慈愛を注ぐ。



「人を外見で判断するのは差別になるんだよ…。

 
 自分が言われて嫌なことを人に言ったらダメだね。


 わかった?」




子どもが黙ってうなずく。




そして「愛ある母親」は子どもをしっかり抱きしめながら

慈愛を注ぐ。



「君が嫌いだから怒ったんじゃないよ。


 思いやりの心を持って人に接してほしいから

 怒ったんだよ。

 
 君もそのままで『価値がある』ように○さんも

 そのままで『価値がある』んだよ…。


 だからもう人を外見で判断したらダメだよ…。」



子どもが「ごめんなさい…。」と謝ったら、「愛ある父親」が

表舞台を代わり子どもを抱きしめて叡智を注ぐ。



「いいんだよ…。」



このように子どもがいじめをする可能性があったので、

その悪い芽を摘んだ…。



悪い芽を摘むにはまず慈愛を注いでも効果がないので、

まず叡智を注ぎながら「ビシ!」と言うことが「真実の愛情」

である。



この場合は子どもに怒ったのは「父性」で叡智、

フォローして抱きしめたのは「母性」で慈愛になる。



癒すのと同様で子どもを育てる場合も慈愛と叡智は

両方必要不可欠である。




子どもを怒った後はその倍くらいのフォローをすることと

子どもの「存在価値」は変わらないことをさりげなく伝える

姿勢が必要である。




また「愛ある父親」と「愛ある母親」は人の道に外れそうな

ときは怒るけど、何かあったら子どもの最大の味方である…

という姿勢を崩さないことも大切である。




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具体的に「愛ある父親」と「愛ある母親」が「父性」と

「母性」のゆがみを癒しながらインナーチャイルドに

接する例をあげてみたいと思う。




例えば5歳のときに母親から「あんたはダメな子ね!」

と怒られて存在したインナーチャイルドを癒すとする。



そのインナーチャイルドは母親からの「拒絶感」を抱えて

いて、「私がダメな子だからお母さんに拒絶された…。」

と思い込んでいるとする。



その場で「愛ある父親」が表舞台に登場して

「優しく」伝える。



「そんなことないよ…。」




そして「父性」で叡智を注ぐ。



「あのときのお母さんはお父さんと喧嘩した後で機嫌が

 悪かったんだよ。

 
 君がいい子でも悪い子でもお母さんは君にやつあたりを

 したと思うよ。


 君は何も悪くない…。


 だから自分を責めなくてもいいんだよ…。」



インナーチャイルドが「そうかなぁ…。」と言う。




それから「愛ある母親」が表舞台を代わって登場する。



インナーチャイルドを「優しく」抱きよせながら「母性」で

慈愛を注ぐ。



「お母さんに突き放されて辛かったわね…。


 もう大丈夫よ…。


 あなたはありのままで愛されていいのよ…。」



インナーチャイルドが泣きだす。




そして「愛ある父親」が表舞台を代わり叡智を注ぐ。



インナーチャイルドをしっかり抱きしめながら

「優しく」伝える。



「君は悪い子でもダメな子なわけでもないんだよ…。


 君は何も悪くないけど、お母さんに誤解されて

 傷ついてしまったんだね。


 2度とお母さんにそんなこと言わせないからね。


 もしお母さんが同じことを言ってきたら身体を張って

 守るから、君は安心して暮らしてゆけばいいんだよ…。


 お母さんに怒られて傷ついた思い出を

 一緒に空に上げようか?」



「愛ある父親」がインナーチャイルドと一緒に

そのときの「拒絶感」を泡にして空に上げる。




「愛ある母親」が表舞台を代わりインナーチャイルドを

「優しく」抱きしめながら慈愛を注ぐ。



「もう大丈夫よ…。


 ありのままのあなたを愛してるわ…。」



このようにインナーチャイルドの思い込みと感情の解放を

した…。



この場合はインナーチャイルドの思い込みと感情の解放

をしたのは「父性」で叡智、フォローして抱きしめたのは

「母性」で慈愛になる。



このインナーチャイルドは母親からの「拒絶感」を感じた

ときに「クララのパパ」タイプの「アダルトチャイルド」が

存在していたので、「父性」である叡智を強めに注いだ。



逆の場合で「アダルトチャイルド」が「ロッテンマイヤー」

タイプの場合(感性人を除く)は、「愛ある母親」が「母性」

である慈愛を強く注いで思い込みと感情の解放をする

こともある。




インナーチャイルドを癒す場合は「アダルトチャイルド」の

タイプも「意識」しながら「愛ある父親」と「愛ある母親」の

どちらが先に表舞台に上がり、どちらが愛情を強めに注ぐ

のかを決める姿勢が必要である。




また「愛ある父親」と「愛ある母親」はインナーチャイルドの

最大の味方であるし「危機」を感じたら身体を張って守る…

という姿勢を崩さないことも大切である。




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どうして私が「内なる存在」を養うことを勧めるのかというと、

活性化していない「内なる存在」を活性化することで内側の

世界の営みが円滑になるからである。



また日常生活も円滑になってゆくからである。




「内なる存在」はそれぞれに得意分野を持っている。



「内なる存在」の得意分野が発揮出来る「場」が訪れたら

その「内なる存在」がさっと表舞台に上がれば、日常生活

がスムーズになる…という「恩恵」を受けとれるからである。




例えばインナーチャイルドを癒す場合に「愛ある母親」は

慈愛を注ぐことは出来るが、同情してしまいがちである。



また「愛ある母親」はインナーチャイルドを無条件に

愛することは出来ても「線」を引けない場合がある。



そういうときに「愛ある父親」を養っていれば、

さっと表舞台を変わってインナーチャイルドを

「どう癒すか」を「実践」してくれるだろう…。



そして「愛ある父親」は「これは過去の思い込み…。」

「これは過去の感情…。」と内面の世界を整理してくれる

ようになり、「今はこの思い込みと感情を解放しよう…。」

と決めてすぐ実行に移してくれるだろう…。



インナーチャイルドに慈愛を注ぐのは「愛ある母親」の

得意分野なので継続し、感情や思い込みの解放を

「実践」するのは「愛ある父親」の得意分野なので

してもらえばいいのである。




逆のパターンもある。



例えばインナーチャイルドを癒す場合に「愛ある父親」は

叡智を注ぐことは出来るが、距離を置いてしまいがちで

ある。



また「愛ある父親」はインナーチャイルドを「どう癒すか」を

「実践」することは出来ても「情」を注げない場合がある。



そういうときに「愛ある母親」を養っていれば、

さっと表舞台を変わってインナーチャイルドを

「どう受容すればいいのか」を「実践」してくれる

だろう…。



そして「愛ある母親」は「この痛みはまず抱きしめよう…。」

「この哀しみはまず共感しよう…。」と内面の世界を温めて

くれるようになり、「どんなときも無条件に愛そう…。」という

揺るぎない慈愛を注ぎ続けてくれるだろう…。



インナーチャイルドに叡智を注ぐのは「愛ある父親」の

得意分野なので継続し、受容やつながりを「実践」する

のは「愛ある母親」の得意分野なのでしてもらえばいい

のである。




このようにインナーチャイルド癒す場合は「愛ある父親」と

「愛ある母親」を内面で養ってゆけば、慈愛と叡智の両面

を活性化させることが出来て癒しの道のりがスムーズに

なってゆくだろう…。




日常生活を円滑にするために今のご自身にとって養った

方がいい「内なる存在」は誰なのか…に焦点を合わせ、

「内なる存在」を養ってゆかれることを願っている。





 
「拒絶感」は誰もが抱えてきた根深い感情である。



その根深い感情は「父性」と「母性」で癒しながら

解放されることをお勧めしたい。



その「現場」で「実践」するのが「愛ある大人」から

枝分かれした「愛ある父親」と「愛ある母親」である。



極端に慈愛に飢えていたり極端に叡智に飢えている

場合は、「愛ある大人」を枝別れさせて強めに慈愛か

叡智を注ぐことによって癒しの効果が高くなる…と心に

留めておいて頂きたい。




「父性」と「母性」で「拒絶感」を癒してゆけばゆくほど、

「自尊心」も高まって「存在価値」をもっと認めながら

楽に生きてゆけるうようになるだろう…。




人の「言動」や「状態」は常に変動してゆくものだが、

「存在価値」は不変である。



自分や周囲の大人たちからの「言動」によって子ども時代

に傷ついた人たちは、「存在価値」は不変であることを常に

インナーチャイルドに伝えて頂きたい。



そして幼い頃に抱えた「拒絶感」があってもなくても、

誰も「存在価値」は変わらない…と伝えて頂きたい。



世の中には進化するために変えた方がいいこともあれば、

決して変えることの出来ない普遍的なものも存在する…

と伝えて頂きたい。





「存在価値」を脅かされて傷ついたインナーチャイルドの

「拒絶感」を癒すニーズに合わせて「内なる存在」を養い、

慈愛と叡智を存分に注がれることを願っている。




「生き辛さ」を感じたままの人生に終止符を打ち、

主体性を持って自分の人生を生きてゆかれる人

たちが増えてゆく姿をさりげなく見守っている。














★父性と母性で癒したい人に贈るポストカード★


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「ぼちぼちね」 より

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拒絶感を父性と母性で癒す 心を開いて 〜 Together 〜/BIGLOBEウェブリブログ
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