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【社会】

「津波が来たら、沖合へ」 先人の教え、船団守る

2011年4月7日 夕刊

沖に出て漁船を守った時の様子を語る佐藤登志夫さん(右から2人目)ら漁師たち=6日、宮城県南三陸町で

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 先人の教えに従い、漁師は船で沖へ向かった。「津波が来たら、沖合に行け」。養殖ワカメの産地として知られる宮城県南三陸町の石浜地区。震災直後、十九隻が沖合に三日間避難し、津波から船を守った。危機を乗り越えた漁師らは、震災復興へ「ワカメの養殖を続ける」と誓う。

 三月十一日午後。地区会長の佐藤登志夫さん(63)は、岸壁近くを測量するため、小型船に乗っていた。突然、海面が大きく揺れる。

 「津波が来る」。集落の漁師に知らせようと、携帯電話を取り出したが、つながらない。「きっとみんな自分で判断する」。岸壁に戻ってワカメ収穫用の中型船に乗り、小型船をつないで沖合に向かった。

 背後を見ると、二十人近い漁師たちが続々と船に乗り込み、続いてきた。沖合五百メートルで第一波の津波に持ちこたえたが、引き波に船が沈みそうになった。さらに沖合一キロまで逃げると、直後に第二波が来た。だが、船は揺れなかった。集落の辺りを振り返ると、高さ十メートル以上の波が岸壁を襲っていた。

 夕方になると雪が降った。着の身着のままで沖に出た漁師たち。油圧エンジンを回し、凍えた体を寄せて暖を取った。三、四隻ずつロープでつなぎ、「寝たら凍死するぞ」。声を掛け合って一夜を明かした。

 翌日も余震の恐れがあり、陸には戻れなかった。津波の合間をぬって陸に近づき、防波堤から家族が投げ入れた毛布や食料を受け取った。沖合でさらに二夜を明かし、十四日朝に家族の元に帰った。

 石浜地区では「水深五〇メートルの沖合に出れば船は津波の影響を受けない」と漁師の間で代々言い継がれてきた。この地区の沖合一キロ地点は水深約七〇メートルはあるという。佐藤さんは「みんなのチームワークでこれだけの船が残せたのは感激。これからも団結していく」と仲間とともに沖合を見つめた。 (鷲野史彦)

 

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