きょうのコラム「時鐘」 2011年4月11日

 あの日を境に、少し違った空気が身近に流れているような気がする。いささか涙もろくなったし、少しの不平や不満、腹立ちは我慢できる

1カ月前の小紙は、1面トップでNZの地震で県人の死亡が確認された、と報じている。数時間後、同じ悲劇がより近くに起きるとは誰が思ったろう。金沢で遅いサザンカが咲き誇り、高岡で「御車山祭(みくるまやままつり)」の花傘(はながさ)作りが始まったという記事も載る。いつものような時が流れていた

国会は専業主婦の年金救済策で紛糾し、都知事選出馬の後出しジャンケンに耳目が集まっていた。今は遠い出来事のようである。坂上二郎さんの訃報(ふほう)が載っている。笑顔が魅力の二郎さんは、大震災の悲報を知らずに逝ったのだった

相棒だった萩本欽一さんが「ありがとね」と、別れの言葉を寄せている。大好きな人だったから、人前では泣かない。「一人で泣きたいと思います」

深い悲しみの言葉である。それだけに、一人で泣くために帰る家まで奪われた人、泣く姿を見守ってくれる家族を失った大勢の人がいることに心が痛む。襟を正して過ごす一日でありたいと思う。