2011年4月10日18時11分
津波は街も人々のくらしも一瞬にして流し去った/3月18日、岩手県大槌町(photo 朝日新聞社・安冨良弘)
応援医師に状況を説明する白石吉彦医師(左)/3月20日朝、岩手県藤沢町(photo 外岡秀俊)
水に流された車は、凶器となって家にめり込む/3月22日、岩手県大船渡市(photo 外岡秀俊)
■4日目から炊き出しで3食、一日3回定時会見する避難所
8割近い世帯が水没し、約1千人が亡くなり、約1300人が行方不明の陸前高田市。取材時1千人近くが避難していた市立第一中学校は、訪ねたうち、最も組織だった動きをする避難所だった。
被災当日には行政区別の名簿を作り、仮設トイレを建て、ロウソクで通路を照らした。2日目に発電機を回して暖を取り、コンビニから寄付されたお握りを支給。4日目からは炊き出しなどで3食を取れるようになった。市職員OBが代表を務め、地区代表、食事班、物品班、医療班、施設管理・電気設備などの組織を作っている。一日3回、定時に記者会見までして、レンタルビデオ店員の山崎亮さん(26)がメディアを取り仕切る。
「地区や町内会単位にしたのがよかった。被災者が炊き出しなどでボランティアをして、よく動いています」
そう語る山崎さん自身、被災者だ。学校裏手の崖下から、父親と20メートルを這い上がって助かったが、母の安子さん(58)は逃げ遅れた。
道路の両脇に数キロの瓦礫の山が広がる大船渡市には22日に入った。コンクリートの柱がねじ切れ、中の鉄線がむき出しだ。ソファや布団、濡れた縫いぐるみのクマ。そのすぐ近くまで、コンテナが迫る。ここではオランダチームが犬を連れて救助活動を続けていた。生存の望みは細りつつある。だとしても、自衛隊が重機で瓦礫を撤去する前に、何とかご遺体を発見したい。大船渡地区消防組合が捜索を続ける。
津波は道路ひとつを隔てて、大鉈のように生と死、平穏と破壊を断ち切った。大船渡町に住む佐々木正さんの自宅は無事。すぐ前の道路を、横倒しに流れた木造家屋がふさぎ、目の前に2台の乗用車が重なり、電柱にもたれかかっている。
「人が、油断したかな。津波、速かったもの。こんなになって」
震災前日に買った灯油の買い置きがあり、ストーブで暖を取る。ロウソク生活だが、しばし過ごした避難所より自宅がいい。
雪の降りしきる釜石市では、物資仕分け係の男性が、厚いジャンパー着で足踏みをしていた。市議会事務局長の小林俊輔さん(56)だ。近くの災害対策本部で寝袋生活を送る。海岸から500メートルの実家は流され、2キロの自宅も2階まで浸水した。
「小さなころから、明治大津波はここまで、昭和津波はここまで来た、と教えられてきた。それを考えて自宅を建てたが、まさかあそこまで来るとは」
早朝から夜中まで物資の仕分けに追われ、体力も限界だ。
「雪の降った日は、凍死するかと覚悟しました」
小林さんに限らず、避難所を運営するのは、市職員だ。釜石中学校では、統計係長の栃内宏文さん、資産税係主査の松下隆一さんが、不眠不休で500人を世話してきた。自ら被災者でありながら、公務員であるばかりに、家族のもとにも帰れない。
■「被害は津波によるもの最も多く海岸は実に悲惨です」
都道府県初の防災監として、阪神大震災の復旧復興にあたった斎藤富雄さんは、現地を視察したうえでこう話す。
「2週間たっても、避難所の環境は阪神大震災の3日目くらい。とにかく人手が足りない。厚生労働省は、応援保健師らを個別に送っているが、すべて縦割りで、どこにニーズがあるか把握していない。政府が割り振って、全国自治体が個別に、特定の市町村を徹底的に支援する。全国が3〜5年支えない限り、被災地が立ち直ることは難しい」
自然災害では、直近の最大被害を基準に防災対策を立てることが多い。一応の目安に過ぎないのに、絶対安心という「安全神話」が生まれる。専門家にとっては「想定外」であっても、被災した人々はその現実に向き合うしかない。
まして同時進行している原発危機は人災である。事故は、「想定外」だからこそ起きる。免罪符にはならない。必死で作業に勤しむ人々を励まし、粛々と各持ち場を守るしかない。
西日本の人々は、阪神や豪雨を経験し、被災地にいる人々の境遇を肌で実感している。この国で、津波被災の実感を欠く真空地帯は、目前の放射線に怯えて萎縮する東京だけなのだ。
23日夜、宮古市まで、海岸沿いの夜道をひた走った。前後左右、車のライト以外に、どこにも光はない。横殴りに降る粉雪が、廃墟に積もる瓦礫の山を白紗で覆い、すべては白々としている。これほどの無明を、見たことはなかった。
明治の三陸大津波の年に生まれ、昭和の三陸津波の年に逝った詩人がいる。彼は後者の災厄の4日後、友人あての葉書にこう記した。
「被害は津波によるもの最も多く海岸は実に悲惨です」
それでも彼、宮沢賢治が残した「雨ニモマケズ」の詩を心の支えに、被災地の人々は、凍てつく無明の夜に耐えている。(おわり)
原発事故のニュースは、世界中をかけ回り、原発反対のうねりを呼び起こしつつある。選挙では、原子力政策にブレーキをかける動きもある。福島ショックは、どこまで波紋を広げるのだろうか。